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27.瀬名さんのダチⅡ
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「ここで何してんだ」
部屋の中には瀬名さんの冷たい声が響いた。それを受けるこの人の声は冷たくないが落ち着いている。
「見りゃ分かんじゃん。コーヒー飲んでる」
「そんな事は聞いてない。なんでお前がここにいる」
「外で待ってんの寒いから」
「ふざけてんのか」
「まあそう怖い顔すんなって。さっきまではメシ食ってたんだよ。ねー、ハルくん」
のほほんとコーヒーをすするその人を瀬名さんはきつく睨みつけた。怖い。自分の家のダイニングなのに居場所が見つからずやや後ろに下がる。
うちのインターフォンを鳴らして俺に抱きついてきたところまでは瀬名さんの態度はいつも通りだった。ダイニングに足を踏み入れ、テーブルにつくこの人の姿を目にした途端にこうなった。びっくりするほど瀬名さんが厳しい。
「どうせまた家追い出されたんだろ」
「またとか言うなよ」
「こんな時間に人んち上がり込んでメシ食う神経が理解できねえ。常識ってもんを考えろ」
非常識な人が常識を説いている。非常識な人の友達も相変わらずコーヒーを飲んでいる。
瀬名さん宅の玄関前に立っていたこの人を招き入れたのは、俺にしては極めて珍しく親切心によるものだったが今更ながら少し後悔している。瀬名さんがここまで怒るとはまさか思ってもみなかった。
「さっさと出ていけ」
「冷てえの。ダチにその態度はねえだろ」
「傍迷惑なクズ野郎をダチに持った覚えはない。夫婦喧嘩だろうとなんだろうとやるのは勝手だが人を巻き込むな」
「瀬名さんっ、あの、違うんです。俺が無理言って入ってもらって……」
あまりにも辛辣な発言の数々につい口を挟んでいた。うっかり自ら話に交じってしまったせいで、瀬名さんの冷たい眼差しはそのまま俺に向けられた。怖い。
「えっと……晩飯もさっき、二条さんがわざわざ作ってくれたんですよ。あ、そうだアジの南蛮漬け残ってるんでもしよかったら…」
「いらない」
「……そうですか」
食いますか。と言う前に言われた。遮るようにして示された拒否。目つきも怖い。口調もキツイ。誰だよこの人。なんでそんなに冷たいんだ。
すぐに負けて口を閉じたが、傍迷惑なクズ野郎とまで言われた本人はどこ吹く風だ。ズズッとコーヒーをすする音が場違いに響き渡った。
「まったく。俺の南蛮漬けを食わねえなんてどうかしてる」
「そんなに蹴り出されたいのか」
「ハルくんは美味いって言ってくれたよ。お前とは大違いだな」
「若い奴に気を使わせるな」
いや、美味かった。お世辞ではなくどれも本当に美味かった。
とは思うも瀬名さんがなんか怖いし、今度は何も口を出さずに大人しくしておこうと決める。
どうしてこんな事になったのだろう。なけなしの親切心を発動させるべきタイミングは、たぶん先程の玄関前じゃなかったのだろうと大いに悔やんだ。
***
「駅の近く……?」
「うん。つっても路地裏の目立たない店だからね。気づかないで通り過ぎる人の方が多いかな」
急遽招く事となったお客さんは料理人だった。俺の夕食がまだだと知るなりキッチンに立ち始めたこの人。二条さんは瀬名さんの同級生だったそうで中学時代からの付き合いらしい。
さっき知り会ったばかりの人と二人で調理台の前に立ち、あれこれ話し込んでいる間も二条さんは手を止めない。極細の千切りにされていくニンジンを横から見下ろした。
「そういやレストランやってる知り合いがいるって瀬名さんが言ってた事あるんですけど……」
「あー俺だねそれ」
「…………もしかして前に、野菜の販売業者……」
「うんうん、教えた教えた」
「…………」
この人か。
瀬名さんがうちの住所に大量の野菜を送り付けたあの日が懐かしい。チコリだとかアーティチョークだとか、その時は名前も知らなかった野菜たちと初対面した。
「あいつにメシ作ってやってんでしょ?」
「ああ……はい、まあ。たいしたものは作れませんが」
「喜んでたよ。弁当まで用意してくれるって」
「いえ……はは……」
どこまで話しているんだあの男は。
プロの横で野菜の下処理を行いながら、その手元をもう一度こっそり窺う。二条さんの包丁さばきはさすが料理人と言った感じだ。無駄がない。そして鮮やか。ずっと見ていたくなる。とは言えじーっと目にしているのも不審だろうから手伝えることをチマチマとやった。
短時間のうちに、しかもあり合わせで、二条さんはテキパキとおかずを調理していく。今夜もあの人の帰りが遅いのは分かっていたから冷蔵庫には晩飯用の食材をろくに入れていなかった。にもかかわらず作ってもらった料理をテーブルに並べてみたらちょっとした小料理屋のようになっている。
いつもなら瀬名さんが座る場所に今夜は二条さんが腰を下ろした。水を入れたグラスを持って俺もその前の席へ。今日初めて会った人に豪華な晩飯を作ってもらった。
「遠慮しないでどんどん食べて。って俺が言うのもなんだけど」
二条さんはこの通り気さくな人だ。知り合って一時間と経っていないが緊張感はもうどこにもない。
クズみたいな野菜の残りもここまで美味いスープにされたら本望だろう。ナスの炒め方が難しいと何気なくこぼしてみれば、油でギトギトにならない調理方法もついでだと言って教えてくれた。
冷凍してあった小アジで作られた南蛮漬けの半分は冷蔵庫の中。二日くらいなら日持ちするからとストック用も作ってくれた。皿に盛った分に箸をつければ大げさではなく感動する。絶品だった。プロはすごい。
「なんかかえってすみません」
「いやいや助かったよホント、実はかなり腹減ってたから。つーかごめんね俺までちゃっかり」
「そんな。とんでもない」
「口に合う?」
「スゲエ美味いです」
「そりゃ良かった」
二人で食いながら話を交え、一時間もしないうちに皿の上はすっかり綺麗になっている。なんのお構いもできないどころか逆にメシを作ってもらい、せめてお茶くらいはと思ってみても現在うちには特売価格のコーヒーくらいしか出せるものがない。それでもまあ無いよりはいい。お構いなくー、なんて言われながらもとりあえず安いコーヒーをいれた。
瀬名さんが帰ってきたのはそこからさらに少ししてから。隣のドアの開閉音が微かに聞こえたその数分後、うちのインターフォンが鳴らされたのを聞いてコーヒーを手放し席を立った。
「帰って来たっぽいですね」
「恭吾?」
「ええ。ちょっと待っててください」
こんな時間に訪ねてくるのはあの非常識な男しかいない。案の定ドアを開けるとそこにいたのは瀬名さんだった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「会いたかった」
「そういうのいいんで」
ぎゅうっと抱きついてくるこの男。
帰宅した瀬名さんがここに来るのはいつもの事だ。ジャケットも鞄も一旦は自宅に置いてくるからその手は左右とも空いていて、そのため内からドアを開けるなり抱きつかれるのもほとんど毎日。ほとんどと言うか本当に毎晩。けれども今夜は即座に拒否した。やや腰を引き気味にしながら両手だけをその胸板へ。
「待った」
「分かってる。ダメと言いつつウェルカムなやつだろ」
「じゃなくて」
今夜も瀬名さんの頭はわいてるが構っている場合じゃない。
しつこく抱きついてくる男を適当に突っぱねる。ちょいちょいと足元を指さした。そこには俺のスニーカーと、もう一組。男物の靴。
「……誰か来てんのか?」
「あなたの友達が」
「あ?」
ダイニングのドアを閉めてきたのは正解だった。瀬名さんの手は俺の腰から離れない。
「二条さんが来てます」
「あぁ?」
「なんか奥さんと喧嘩したみたいで」
「…………」
その瞬間の、この人の顔。くっと眉間が寄ったのを見た。
「……上がるぞ」
「あ、はい」
常に冷静でどちらかと言えば物腰柔らかな大人の男が、なんだかちょっとだけトゲを含んだ。部屋のドアもガッと開けられる。
「おう、おかえりー」
瀬名さんを迎えたのはマグカップを手にした二条さん。俺の隣の大人の表情が一層厳しくなった瞬間を目の当たりにして若干ビビる。
「相っ変わらずお前は社畜だよな。仕事ばっかしてて虚しくない?」
「…………」
急激にピリッとした瀬名さんの頬をその発言が更にピクリとさせた。悪気のない笑顔とともにブチかました二条さんを、見たこともないほど冷徹な顔をして瀬名さんが睨み下げていた。
そしてこうなった。二条さんが喋れば喋るほど瀬名さんの眉間は険しくなっていく。
俺はどうして二条さんを無視して部屋に入らなかったのだろう。今となっては後悔しかない。瀬名さんの説教モードも抜けない。
「だいたいな、お前もお前だぞ遥希。どこの誰とも分からねえ男をほいほいと家に上げるな。こいつが不審者だったらどうするんだ」
とうとうこっちにまで飛び火してきた。勘弁してくれ。俺は無関係だ。
「知り合った頃から思ってはいたがお前には危機感が足りてない」
「いえ、でも……」
「でもじゃねえ」
口調まで激烈に冷たい。どうして俺まで怒られなければ。
「いくらなんでも不用心だろ。知らねえ奴に気を許して何かあってからじゃ遅い」
「なあ恭吾、過保護なのもいいけどそんなガミガミ怒る事ないじゃん。ハルくんは俺に気を使ってくれただけでなんも悪い事してないよ」
「黙ってろ不審者。テメエが言うな」
「そうやってお前は一方的にさぁ」
「黙れ」
見るからに苛立っている瀬名さんの説教は再び二条さんの方に向いた。
「お前は今すぐ家帰ってさっさと陽子さんに頭下げろ」
「今夜は帰れねえって、陽子ちゃんガチギレしてたもん。一晩だけでいいから泊めてよ」
「断る。帰れ」
「そんなこと言うなって」
「帰れ」
二条さんを追い出した奥さんは陽子さんと言うようだ。この様子だと瀬名さんも奥さんと面識があるのだろう。食い下がってくる二条さんを前に呆れたような溜息をついた。
「毎度毎度お前らのクソしょうもねえ夫婦喧嘩に巻き込まれるこっちの身にもなってみろ」
「だって近所で頼れんのお前しかいねえし」
「知らねえよ帰れ」
「頼むって今日だけ。ほんとに」
「駄目だ」
「ひと晩でいいから。なっ、この通り」
パンっと顔の前で両手を合わせた二条さん。心底うんざりしたご様子の瀬名さんはもう一度深いため息。
「……一応聞くだけ聞いてやる。今度は何して怒らせたんだ」
「別に何したって訳でもねえけどさ。自宅用に新しい圧力鍋買っただけで」
「…………」
「うん……まあ確かに陽子ちゃんには黙って買ったけど……いやでもすっげえ性能いいんだよ。耐久性も高いから二十年は持つし」
「いくらした」
「十五万」
「バカ野郎」
こんなに冷たいバカ野郎を俺は聞いたことがない。
「鍋ごときでボられてんじゃねえよアホが。それはもう百パーお前が悪い。土下座でもなんでもして潔く謝ってこい」
「ムリだって、今帰ったら三十万のバッグ買う約束させられるし絶対」
「ちょうどいいだろ。十五万の鍋と釣り合い取れる」
「どこが。なんだよもう他人事だと思って」
「他人事だからな。分かったら帰れ」
とにかく追い出したいようだ。強引に腕を掴まれてしぶしぶ腰を上げた二条さんは、助けを求めるようにして俺に顔を向けてきた。
「ハルくんもこいつになんか言ってやってよ」
「遥希を巻き込むな。馴れ馴れしい呼び方もやめろ」
ズルズル引きずられていく二条さんは不満そう。
「名前くらい好きに呼ばせろっての。別に減るもんじゃないんだし」
「減る。お前が呼ぶと特に減る」
「どういうこと」
「うるせえ。とにかく遥希には二度と近付くな」
「あーあ彼氏ヅラしちゃって」
「悪いか、事実だ」
ぎょっとした。瀬名さんに目をやる。しかし瀬名さんは二条さんを追い出すのに忙しくて俺を見ない。
目を見開いたのは俺だけだった。この人は今、何を言った。ダイニングのドアに手をついて留まろうと粘る二条さんも、瀬名さん以上に落ち着いている。
「独占欲の強いおじさんは若い子にすぐ嫌われるよ」
「お前には関係ない」
「なんでこんないい子が恭吾なんかと」
「余計なお世話だ」
ドアの前で行われるそのやり取りを呆然と見ていた。俺は完全に置き去りだ。二人の付き合いが長い事は二条さんからさっき聞いた。実際にこれは親しい間柄のダチ同士がするような言い合いだった。
ついていけるはずがない。だって二条さんのその反応は、俺達の関係を知っている人の態度と物言いでしかなかった。
「瀬名さん……」
力なく名前を呼んで、ようやく瀬名さんもこっちを向いた。自分の顔が硬いのは自覚できる。この人も俺のそんな様子には辛うじて気が付いたのだろう。
「大丈夫だ。こいつは全部知ってる」
「全部って……」
「心配するな」
「…………」
どこまで、知っているのかと。二条さんと二人で話していた最中に思う点は所々あった。けれどさすがの瀬名さんも、そこまでは言わないだろうと。信じたのに。
「……話したんですか」
「ああ」
「なんで……」
「害はないから安心しろ」
俺がほしいのはそんな答えじゃない。悪びれないこの人の態度に沸き起こってきたのは違和感だ。違和感と言うよりも、これはきっと不信感に近い。
話した。俺とのことを、断りもなく。俺の知らない、自分のダチに。
「こういうことって……普通、人に話しますか」
「なにも俺だって話したくて話したわけじゃねえ。成り行きでそうなっただけだ」
「成り行きって……」
なんだよ。それ。
「…………あなたにとって俺とのことは成り行きで話すような事なんですか」
言葉尻は少しだけ荒っぽくなった。目元にも力が入る。そんなつもりはなかったけれど、口に出したらそうなっていた。
投げつけたそれは責めるような言い方になってしまったが、たぶん実際、責めている。そうなった俺を見て瀬名さんも口を閉じた。いくらか驚いたようなその目が俺の神経を逆なでさせる。
自分が何をしたのさえこの人は理解していない。語気を強めた俺を見る目には非難こそ含まれていないものの、どことなく困惑したような表情でこちらの様子を窺っている。
分からないんだ。俺がどうして、この人を睨むのか。
「あり得ない」
「……遥希」
「こんなこと勝手にペラペラ喋られて俺が喜ぶとでも思ったんですか」
分からないようだから教えてやった。誰にも話してほしくなかった。
隣の部屋に男子学生が住んでいるという事実を話すのと、隣の部屋の男子学生とどんな関係か話すのとでは、意味が違う。重みが違う。この人は後者を友人に喋った。
「なんで話したんですか」
二条さんを睨みつけていた瀬名さんはすでに消えていた。今度は俺がこの人の顔を、じっと捉える番になっている。
「なんでです」
「……すまん」
「謝れとは言ってません」
「…………すまない」
「言葉通じないんですか。なんで話したのかって聞いてんですよ」
押し黙った大人をイライラしながら睨みつけた。
全部に腹が立ってくる。戸惑ったこの人の態度も、窺うようにして俺に向けてくるその視線にも。
「なんでですか」
「……なりゆきで」
「だからなんなんですかさっきから成り行き成り行きって」
「……すまない」
「成り行きで話すとかマジ意味わかんないんですけど」
「…………すまなかった」
瀬名さんの表情には困惑だけが増していく。そんな顔を見せられる俺の苛立ちはどんどん大きくなるばかりだった。
バカじゃねえのか。何考えてやがる。バラされた、こんな簡単に。俺が外でほんの少し距離を縮めて歩く事さえ躊躇ってきた一方で、この男はこの関係を人に喋ることもためらわない。みっともないほど必死になって隠そうとする俺とは違った。この人には隠す気がない。常に堂々と、いつでもそうだ。
今もこの人は視線を外すことだけはしなかった。俺がどんなに睨みつけても逃げるような素振りは見せない。言い訳がましい事も言わない。
それが余計に頭にくる。その感情を直接本人にぶつける代わり、イラ立ちを込めた息を吐き出し、それでこっちから目を逸らした。
「……いいですもう。分かりました」
「なあ、待ってくれ……」
宥めるようなこの人の手が俺の腕を控えめにつかんだ。直後、それを振り払う。
「出てってください。しばらく口利きたくありません」
これ以上話していても解決なんてしないだろう。こんなに腹が立っている状態で冷静に向き合える自信もない。だからさっさと出ていってほしいのに、この人はそこから動かなかった。
「遥希……」
「あんたの神経疑いますよ」
「……すまない。俺が悪かった」
「上辺だけの謝罪とかいらないんで」
「…………」
「出てけ」
怒鳴りつけたいのを堪えて出した声は唸るようだった。イライラしながら吐き捨てた。この人にイライラさせられたのはこれが初めてじゃないはずなのだが、今までのそれとは全然違う。わき起こる。何か。なんだろうか。分からないけど、せり上がってくる。
この人の顔は見ていたくない。だから目を合わせないようにした。それでも声だけは耳に入る。
「……悪かった。あとで話そう」
誰が話すかふざけんな。口きかねえっつってんだろ。
せいぜい困れ。自分が何をしたか良く考えろ。あんたが軽々しく口に出したことは、俺が誰にも言えないことだ。
頑なに目を合わせないでいるうちに瀬名さんは部屋から出ていった。玄関で重くドアが閉まる音を聞いてもイラ立ちは少しも消えてくれない。ぎゅっとこぶしを握り締め、それをどうすることもできずにただ小さくため息を漏らした。
イライラする。それだけじゃない。つらい。悲しい。どっちだろう。どっちでもないか。もしかしたら両方なのかも。その答えが見つかったとしてもそれでどうにかなる訳でもない。
なんで、こんな事になった。
「…………えっと、俺も行くね?」
「あ……」
声をかけられて横に目を向ける。二条さんがいた。いやずっとそこにいたのだが。
忘れていたわけではもちろんないけど、それ以上のことに気を取られていた。
「っごめんなさい、二条さんがどうって話じゃなくて……ただ……」
「平気平気分かってるから。ていうかゴメンね、こっちこそ」
「……すみません」
気まずい。
縮こまりそうな俺とは対照的に二条さんはずっと落ち着いている。
「まあさ、できればちょっとだけ大目に見てやってよ。あいつは器用そうに見えて結構不器用なとこあるって言うか」
「そう……ですかね……?」
「うん、だね。意外と。恭吾があんな一方的に押し負ける相手はあんまりいないけど」
「…………」
明るく笑って言われたからって同じようには返せない。笑い方を失敗したせいでわざとらしい反応になった。
「じゃあほんとに俺はこれで」
「え、あ、でも……」
「大丈夫、大丈夫。なんだかんだ言って泊めてくれるから」
「……そうですか」
瀬名さんのことをよく知っている。俺以上に。そりゃそうか。俺なんかあの人と知り合ってからまだ一年も経っていない。
「ありがとね色々」
「いえ、そんな。こちらこそ」
招いておいて飯を作ってもらった挙句に見苦しいものまでお見せした。この事態が想定外なのは俺ももちろん同じだけれど、人の前でやらかすような言い争いでは決してなかった。
微妙に縮こまりながら玄関先まで見送りに行く。俺にひらひらと手を振った二条さんは当たり前に隣へ向かった。さすがあの人のダチなだけあってちょっとやそっとじゃ動じない。
部屋の中には瀬名さんの冷たい声が響いた。それを受けるこの人の声は冷たくないが落ち着いている。
「見りゃ分かんじゃん。コーヒー飲んでる」
「そんな事は聞いてない。なんでお前がここにいる」
「外で待ってんの寒いから」
「ふざけてんのか」
「まあそう怖い顔すんなって。さっきまではメシ食ってたんだよ。ねー、ハルくん」
のほほんとコーヒーをすするその人を瀬名さんはきつく睨みつけた。怖い。自分の家のダイニングなのに居場所が見つからずやや後ろに下がる。
うちのインターフォンを鳴らして俺に抱きついてきたところまでは瀬名さんの態度はいつも通りだった。ダイニングに足を踏み入れ、テーブルにつくこの人の姿を目にした途端にこうなった。びっくりするほど瀬名さんが厳しい。
「どうせまた家追い出されたんだろ」
「またとか言うなよ」
「こんな時間に人んち上がり込んでメシ食う神経が理解できねえ。常識ってもんを考えろ」
非常識な人が常識を説いている。非常識な人の友達も相変わらずコーヒーを飲んでいる。
瀬名さん宅の玄関前に立っていたこの人を招き入れたのは、俺にしては極めて珍しく親切心によるものだったが今更ながら少し後悔している。瀬名さんがここまで怒るとはまさか思ってもみなかった。
「さっさと出ていけ」
「冷てえの。ダチにその態度はねえだろ」
「傍迷惑なクズ野郎をダチに持った覚えはない。夫婦喧嘩だろうとなんだろうとやるのは勝手だが人を巻き込むな」
「瀬名さんっ、あの、違うんです。俺が無理言って入ってもらって……」
あまりにも辛辣な発言の数々につい口を挟んでいた。うっかり自ら話に交じってしまったせいで、瀬名さんの冷たい眼差しはそのまま俺に向けられた。怖い。
「えっと……晩飯もさっき、二条さんがわざわざ作ってくれたんですよ。あ、そうだアジの南蛮漬け残ってるんでもしよかったら…」
「いらない」
「……そうですか」
食いますか。と言う前に言われた。遮るようにして示された拒否。目つきも怖い。口調もキツイ。誰だよこの人。なんでそんなに冷たいんだ。
すぐに負けて口を閉じたが、傍迷惑なクズ野郎とまで言われた本人はどこ吹く風だ。ズズッとコーヒーをすする音が場違いに響き渡った。
「まったく。俺の南蛮漬けを食わねえなんてどうかしてる」
「そんなに蹴り出されたいのか」
「ハルくんは美味いって言ってくれたよ。お前とは大違いだな」
「若い奴に気を使わせるな」
いや、美味かった。お世辞ではなくどれも本当に美味かった。
とは思うも瀬名さんがなんか怖いし、今度は何も口を出さずに大人しくしておこうと決める。
どうしてこんな事になったのだろう。なけなしの親切心を発動させるべきタイミングは、たぶん先程の玄関前じゃなかったのだろうと大いに悔やんだ。
***
「駅の近く……?」
「うん。つっても路地裏の目立たない店だからね。気づかないで通り過ぎる人の方が多いかな」
急遽招く事となったお客さんは料理人だった。俺の夕食がまだだと知るなりキッチンに立ち始めたこの人。二条さんは瀬名さんの同級生だったそうで中学時代からの付き合いらしい。
さっき知り会ったばかりの人と二人で調理台の前に立ち、あれこれ話し込んでいる間も二条さんは手を止めない。極細の千切りにされていくニンジンを横から見下ろした。
「そういやレストランやってる知り合いがいるって瀬名さんが言ってた事あるんですけど……」
「あー俺だねそれ」
「…………もしかして前に、野菜の販売業者……」
「うんうん、教えた教えた」
「…………」
この人か。
瀬名さんがうちの住所に大量の野菜を送り付けたあの日が懐かしい。チコリだとかアーティチョークだとか、その時は名前も知らなかった野菜たちと初対面した。
「あいつにメシ作ってやってんでしょ?」
「ああ……はい、まあ。たいしたものは作れませんが」
「喜んでたよ。弁当まで用意してくれるって」
「いえ……はは……」
どこまで話しているんだあの男は。
プロの横で野菜の下処理を行いながら、その手元をもう一度こっそり窺う。二条さんの包丁さばきはさすが料理人と言った感じだ。無駄がない。そして鮮やか。ずっと見ていたくなる。とは言えじーっと目にしているのも不審だろうから手伝えることをチマチマとやった。
短時間のうちに、しかもあり合わせで、二条さんはテキパキとおかずを調理していく。今夜もあの人の帰りが遅いのは分かっていたから冷蔵庫には晩飯用の食材をろくに入れていなかった。にもかかわらず作ってもらった料理をテーブルに並べてみたらちょっとした小料理屋のようになっている。
いつもなら瀬名さんが座る場所に今夜は二条さんが腰を下ろした。水を入れたグラスを持って俺もその前の席へ。今日初めて会った人に豪華な晩飯を作ってもらった。
「遠慮しないでどんどん食べて。って俺が言うのもなんだけど」
二条さんはこの通り気さくな人だ。知り合って一時間と経っていないが緊張感はもうどこにもない。
クズみたいな野菜の残りもここまで美味いスープにされたら本望だろう。ナスの炒め方が難しいと何気なくこぼしてみれば、油でギトギトにならない調理方法もついでだと言って教えてくれた。
冷凍してあった小アジで作られた南蛮漬けの半分は冷蔵庫の中。二日くらいなら日持ちするからとストック用も作ってくれた。皿に盛った分に箸をつければ大げさではなく感動する。絶品だった。プロはすごい。
「なんかかえってすみません」
「いやいや助かったよホント、実はかなり腹減ってたから。つーかごめんね俺までちゃっかり」
「そんな。とんでもない」
「口に合う?」
「スゲエ美味いです」
「そりゃ良かった」
二人で食いながら話を交え、一時間もしないうちに皿の上はすっかり綺麗になっている。なんのお構いもできないどころか逆にメシを作ってもらい、せめてお茶くらいはと思ってみても現在うちには特売価格のコーヒーくらいしか出せるものがない。それでもまあ無いよりはいい。お構いなくー、なんて言われながらもとりあえず安いコーヒーをいれた。
瀬名さんが帰ってきたのはそこからさらに少ししてから。隣のドアの開閉音が微かに聞こえたその数分後、うちのインターフォンが鳴らされたのを聞いてコーヒーを手放し席を立った。
「帰って来たっぽいですね」
「恭吾?」
「ええ。ちょっと待っててください」
こんな時間に訪ねてくるのはあの非常識な男しかいない。案の定ドアを開けるとそこにいたのは瀬名さんだった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「会いたかった」
「そういうのいいんで」
ぎゅうっと抱きついてくるこの男。
帰宅した瀬名さんがここに来るのはいつもの事だ。ジャケットも鞄も一旦は自宅に置いてくるからその手は左右とも空いていて、そのため内からドアを開けるなり抱きつかれるのもほとんど毎日。ほとんどと言うか本当に毎晩。けれども今夜は即座に拒否した。やや腰を引き気味にしながら両手だけをその胸板へ。
「待った」
「分かってる。ダメと言いつつウェルカムなやつだろ」
「じゃなくて」
今夜も瀬名さんの頭はわいてるが構っている場合じゃない。
しつこく抱きついてくる男を適当に突っぱねる。ちょいちょいと足元を指さした。そこには俺のスニーカーと、もう一組。男物の靴。
「……誰か来てんのか?」
「あなたの友達が」
「あ?」
ダイニングのドアを閉めてきたのは正解だった。瀬名さんの手は俺の腰から離れない。
「二条さんが来てます」
「あぁ?」
「なんか奥さんと喧嘩したみたいで」
「…………」
その瞬間の、この人の顔。くっと眉間が寄ったのを見た。
「……上がるぞ」
「あ、はい」
常に冷静でどちらかと言えば物腰柔らかな大人の男が、なんだかちょっとだけトゲを含んだ。部屋のドアもガッと開けられる。
「おう、おかえりー」
瀬名さんを迎えたのはマグカップを手にした二条さん。俺の隣の大人の表情が一層厳しくなった瞬間を目の当たりにして若干ビビる。
「相っ変わらずお前は社畜だよな。仕事ばっかしてて虚しくない?」
「…………」
急激にピリッとした瀬名さんの頬をその発言が更にピクリとさせた。悪気のない笑顔とともにブチかました二条さんを、見たこともないほど冷徹な顔をして瀬名さんが睨み下げていた。
そしてこうなった。二条さんが喋れば喋るほど瀬名さんの眉間は険しくなっていく。
俺はどうして二条さんを無視して部屋に入らなかったのだろう。今となっては後悔しかない。瀬名さんの説教モードも抜けない。
「だいたいな、お前もお前だぞ遥希。どこの誰とも分からねえ男をほいほいと家に上げるな。こいつが不審者だったらどうするんだ」
とうとうこっちにまで飛び火してきた。勘弁してくれ。俺は無関係だ。
「知り合った頃から思ってはいたがお前には危機感が足りてない」
「いえ、でも……」
「でもじゃねえ」
口調まで激烈に冷たい。どうして俺まで怒られなければ。
「いくらなんでも不用心だろ。知らねえ奴に気を許して何かあってからじゃ遅い」
「なあ恭吾、過保護なのもいいけどそんなガミガミ怒る事ないじゃん。ハルくんは俺に気を使ってくれただけでなんも悪い事してないよ」
「黙ってろ不審者。テメエが言うな」
「そうやってお前は一方的にさぁ」
「黙れ」
見るからに苛立っている瀬名さんの説教は再び二条さんの方に向いた。
「お前は今すぐ家帰ってさっさと陽子さんに頭下げろ」
「今夜は帰れねえって、陽子ちゃんガチギレしてたもん。一晩だけでいいから泊めてよ」
「断る。帰れ」
「そんなこと言うなって」
「帰れ」
二条さんを追い出した奥さんは陽子さんと言うようだ。この様子だと瀬名さんも奥さんと面識があるのだろう。食い下がってくる二条さんを前に呆れたような溜息をついた。
「毎度毎度お前らのクソしょうもねえ夫婦喧嘩に巻き込まれるこっちの身にもなってみろ」
「だって近所で頼れんのお前しかいねえし」
「知らねえよ帰れ」
「頼むって今日だけ。ほんとに」
「駄目だ」
「ひと晩でいいから。なっ、この通り」
パンっと顔の前で両手を合わせた二条さん。心底うんざりしたご様子の瀬名さんはもう一度深いため息。
「……一応聞くだけ聞いてやる。今度は何して怒らせたんだ」
「別に何したって訳でもねえけどさ。自宅用に新しい圧力鍋買っただけで」
「…………」
「うん……まあ確かに陽子ちゃんには黙って買ったけど……いやでもすっげえ性能いいんだよ。耐久性も高いから二十年は持つし」
「いくらした」
「十五万」
「バカ野郎」
こんなに冷たいバカ野郎を俺は聞いたことがない。
「鍋ごときでボられてんじゃねえよアホが。それはもう百パーお前が悪い。土下座でもなんでもして潔く謝ってこい」
「ムリだって、今帰ったら三十万のバッグ買う約束させられるし絶対」
「ちょうどいいだろ。十五万の鍋と釣り合い取れる」
「どこが。なんだよもう他人事だと思って」
「他人事だからな。分かったら帰れ」
とにかく追い出したいようだ。強引に腕を掴まれてしぶしぶ腰を上げた二条さんは、助けを求めるようにして俺に顔を向けてきた。
「ハルくんもこいつになんか言ってやってよ」
「遥希を巻き込むな。馴れ馴れしい呼び方もやめろ」
ズルズル引きずられていく二条さんは不満そう。
「名前くらい好きに呼ばせろっての。別に減るもんじゃないんだし」
「減る。お前が呼ぶと特に減る」
「どういうこと」
「うるせえ。とにかく遥希には二度と近付くな」
「あーあ彼氏ヅラしちゃって」
「悪いか、事実だ」
ぎょっとした。瀬名さんに目をやる。しかし瀬名さんは二条さんを追い出すのに忙しくて俺を見ない。
目を見開いたのは俺だけだった。この人は今、何を言った。ダイニングのドアに手をついて留まろうと粘る二条さんも、瀬名さん以上に落ち着いている。
「独占欲の強いおじさんは若い子にすぐ嫌われるよ」
「お前には関係ない」
「なんでこんないい子が恭吾なんかと」
「余計なお世話だ」
ドアの前で行われるそのやり取りを呆然と見ていた。俺は完全に置き去りだ。二人の付き合いが長い事は二条さんからさっき聞いた。実際にこれは親しい間柄のダチ同士がするような言い合いだった。
ついていけるはずがない。だって二条さんのその反応は、俺達の関係を知っている人の態度と物言いでしかなかった。
「瀬名さん……」
力なく名前を呼んで、ようやく瀬名さんもこっちを向いた。自分の顔が硬いのは自覚できる。この人も俺のそんな様子には辛うじて気が付いたのだろう。
「大丈夫だ。こいつは全部知ってる」
「全部って……」
「心配するな」
「…………」
どこまで、知っているのかと。二条さんと二人で話していた最中に思う点は所々あった。けれどさすがの瀬名さんも、そこまでは言わないだろうと。信じたのに。
「……話したんですか」
「ああ」
「なんで……」
「害はないから安心しろ」
俺がほしいのはそんな答えじゃない。悪びれないこの人の態度に沸き起こってきたのは違和感だ。違和感と言うよりも、これはきっと不信感に近い。
話した。俺とのことを、断りもなく。俺の知らない、自分のダチに。
「こういうことって……普通、人に話しますか」
「なにも俺だって話したくて話したわけじゃねえ。成り行きでそうなっただけだ」
「成り行きって……」
なんだよ。それ。
「…………あなたにとって俺とのことは成り行きで話すような事なんですか」
言葉尻は少しだけ荒っぽくなった。目元にも力が入る。そんなつもりはなかったけれど、口に出したらそうなっていた。
投げつけたそれは責めるような言い方になってしまったが、たぶん実際、責めている。そうなった俺を見て瀬名さんも口を閉じた。いくらか驚いたようなその目が俺の神経を逆なでさせる。
自分が何をしたのさえこの人は理解していない。語気を強めた俺を見る目には非難こそ含まれていないものの、どことなく困惑したような表情でこちらの様子を窺っている。
分からないんだ。俺がどうして、この人を睨むのか。
「あり得ない」
「……遥希」
「こんなこと勝手にペラペラ喋られて俺が喜ぶとでも思ったんですか」
分からないようだから教えてやった。誰にも話してほしくなかった。
隣の部屋に男子学生が住んでいるという事実を話すのと、隣の部屋の男子学生とどんな関係か話すのとでは、意味が違う。重みが違う。この人は後者を友人に喋った。
「なんで話したんですか」
二条さんを睨みつけていた瀬名さんはすでに消えていた。今度は俺がこの人の顔を、じっと捉える番になっている。
「なんでです」
「……すまん」
「謝れとは言ってません」
「…………すまない」
「言葉通じないんですか。なんで話したのかって聞いてんですよ」
押し黙った大人をイライラしながら睨みつけた。
全部に腹が立ってくる。戸惑ったこの人の態度も、窺うようにして俺に向けてくるその視線にも。
「なんでですか」
「……なりゆきで」
「だからなんなんですかさっきから成り行き成り行きって」
「……すまない」
「成り行きで話すとかマジ意味わかんないんですけど」
「…………すまなかった」
瀬名さんの表情には困惑だけが増していく。そんな顔を見せられる俺の苛立ちはどんどん大きくなるばかりだった。
バカじゃねえのか。何考えてやがる。バラされた、こんな簡単に。俺が外でほんの少し距離を縮めて歩く事さえ躊躇ってきた一方で、この男はこの関係を人に喋ることもためらわない。みっともないほど必死になって隠そうとする俺とは違った。この人には隠す気がない。常に堂々と、いつでもそうだ。
今もこの人は視線を外すことだけはしなかった。俺がどんなに睨みつけても逃げるような素振りは見せない。言い訳がましい事も言わない。
それが余計に頭にくる。その感情を直接本人にぶつける代わり、イラ立ちを込めた息を吐き出し、それでこっちから目を逸らした。
「……いいですもう。分かりました」
「なあ、待ってくれ……」
宥めるようなこの人の手が俺の腕を控えめにつかんだ。直後、それを振り払う。
「出てってください。しばらく口利きたくありません」
これ以上話していても解決なんてしないだろう。こんなに腹が立っている状態で冷静に向き合える自信もない。だからさっさと出ていってほしいのに、この人はそこから動かなかった。
「遥希……」
「あんたの神経疑いますよ」
「……すまない。俺が悪かった」
「上辺だけの謝罪とかいらないんで」
「…………」
「出てけ」
怒鳴りつけたいのを堪えて出した声は唸るようだった。イライラしながら吐き捨てた。この人にイライラさせられたのはこれが初めてじゃないはずなのだが、今までのそれとは全然違う。わき起こる。何か。なんだろうか。分からないけど、せり上がってくる。
この人の顔は見ていたくない。だから目を合わせないようにした。それでも声だけは耳に入る。
「……悪かった。あとで話そう」
誰が話すかふざけんな。口きかねえっつってんだろ。
せいぜい困れ。自分が何をしたか良く考えろ。あんたが軽々しく口に出したことは、俺が誰にも言えないことだ。
頑なに目を合わせないでいるうちに瀬名さんは部屋から出ていった。玄関で重くドアが閉まる音を聞いてもイラ立ちは少しも消えてくれない。ぎゅっとこぶしを握り締め、それをどうすることもできずにただ小さくため息を漏らした。
イライラする。それだけじゃない。つらい。悲しい。どっちだろう。どっちでもないか。もしかしたら両方なのかも。その答えが見つかったとしてもそれでどうにかなる訳でもない。
なんで、こんな事になった。
「…………えっと、俺も行くね?」
「あ……」
声をかけられて横に目を向ける。二条さんがいた。いやずっとそこにいたのだが。
忘れていたわけではもちろんないけど、それ以上のことに気を取られていた。
「っごめんなさい、二条さんがどうって話じゃなくて……ただ……」
「平気平気分かってるから。ていうかゴメンね、こっちこそ」
「……すみません」
気まずい。
縮こまりそうな俺とは対照的に二条さんはずっと落ち着いている。
「まあさ、できればちょっとだけ大目に見てやってよ。あいつは器用そうに見えて結構不器用なとこあるって言うか」
「そう……ですかね……?」
「うん、だね。意外と。恭吾があんな一方的に押し負ける相手はあんまりいないけど」
「…………」
明るく笑って言われたからって同じようには返せない。笑い方を失敗したせいでわざとらしい反応になった。
「じゃあほんとに俺はこれで」
「え、あ、でも……」
「大丈夫、大丈夫。なんだかんだ言って泊めてくれるから」
「……そうですか」
瀬名さんのことをよく知っている。俺以上に。そりゃそうか。俺なんかあの人と知り合ってからまだ一年も経っていない。
「ありがとね色々」
「いえ、そんな。こちらこそ」
招いておいて飯を作ってもらった挙句に見苦しいものまでお見せした。この事態が想定外なのは俺ももちろん同じだけれど、人の前でやらかすような言い争いでは決してなかった。
微妙に縮こまりながら玄関先まで見送りに行く。俺にひらひらと手を振った二条さんは当たり前に隣へ向かった。さすがあの人のダチなだけあってちょっとやそっとじゃ動じない。
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