掌編・短編集

わこ

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15.バイオレンス時々優しさ

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目つきが気に入らない。そう言って顔面を加減なく殴られたのは初対面当時の話だ。
そして三か月が経った今、彼が俺を気に入らないのは相変わらずらしい。


「おい、お前」
「は、はい……」
「ツラ貸せ」

いびり魔みたいなこの人は、店のナンバーワンを誇ると同時に裏表が最悪に激しい。客に見せる笑顔とは気持ちいいほど正反対なのはいつもの事だ。それはそれは恐ろしくドス黒い形相で、今日もまた俺を裏口へと呼び出した。
怒られる。一切身に覚えはないけれど、とにかくこれは容赦ない蹴りが飛んで来る。
他の先輩達から同情の眼差しを受けつつ、理不尽に怯えながらも俺はこの人に付いて行った。開店前の午後六時半過ぎ。今日は一体どこを殴られるのか。

「あ、の……俺なにか、マズイ事しました……?」

ビクビクしながら初めてこの人のヘルプについた時を思い出す。店を閉めた後に一人居残らされた時点で嫌な予感はしていた。接客の仕方がなってねえと言って強制的に正座させられ、何の躊躇もなく顔面を蹴られたのはその直後の事だった。
頬の腫れが引くまで当分皿洗いでもしていろ。凍り付くような冷たい目と声で上から言われたあの日は忘れられそうにない。俺のこの人に対する恐怖心は言葉にできないものになっていた。

「……スミマセン。だめなトコあるならちゃんと直します。あの俺、また玲二さんの気に障るような事……」
「てめえ今日はもう帰れ」
「…………え?」

閉めた裏口のドアに背を預け、淡々と俺に言い放ったそれは予想とは方向性が違った。挨拶の声が小さかったとかトイレ掃除をやり直せとか、その類の因縁をつけられるとばかり思って身構えていたから半ば呆然とさせられる。
まさか帰れと言ってくるとは。この人に俺の解雇権はないもののいよいよ店を追い出される段階まで来たか。

「あの……ホント、すみません。俺バカなんでちゃんと気づけなくて……玲二さんを怒らせるような事なにかしたんでしょうか」

こんな聞き方をしたら余計怒らせるかも。言ってみてから後悔した。
ギロッと不機嫌そうに睨んでくるその目が怖くて、玲二さんがドアから背を離して俺に一歩近づくと反射的に足が引ける。

「……逃げんな。なんもしねえよ」
「…………」
「……クソうぜえ」

ボソッと呟かれ背筋が凍った。しかしそんな俺に飛んできたのはグーパンでも膝蹴りでもない。唯一感じたのは冷たい体温だ。
気づけば大きな掌がそっとこの額を覆っていて、暴力目的以外で俺に腕を伸ばしたこの人を前にパチパチと瞬きを繰り返した。
なんで俺、この人にデコ触られてんの。

「あの……」
「熱」
「え?」
「あんだろ。今すぐ帰れ。店長には俺から言っとく」

玲二さんはそれだけ言うと額から手を放した。キョトンとしている俺にはすぐに背を向ける。

「玲二さ、」
「つべこべ言わずに帰れ。開店前までに姿消してなかったら鼻の骨蹴り折るぞ」
「…………」

怖え。今度は鼻折られる。
真っ青になって半泣き状態の俺は深々と頭を下げる他なかった。






***






「…………だる」

それにしてもどうして分かったのか。確かにここ二日三日ほど体の調子が良くないとは思っていたけれど。
市販薬でごまかしながら過ごし、今朝になってとうとう熱まで出てきたから正直参った。わざわざ医者に赴く気力がないから店に行く直前まで寝ていたが、残念な事に結局は回復しないまま。仕方ないなとダルイ体を起こしてスーツを着込んだのが数時間前だった。
だけどその時俺の頭にあったのは、熱があるなんてあの人に知られたら絶対に怒られるという危機感だ。バレたら手酷くしごかれそうで、そんな怖い思いをしないためにも極力顔には出さないようにしていた。
だって普段の俺に対する接し方はどう見方を変えても鬼畜。『てめえの体調一つまともに管理できねえのか』と、そう言って冷たく見下げた俺をぶん殴る玲二さんの姿しか想像していなかった。それなのに意外や意外、あの反応。

なんでバレたんだか。ひんやりと額に触れられた感覚がいまだに残っているような気がした。

「……んん」

なんにしてもとにかく怠い。寝返りを打つ事さえつらくて、帰ってすぐ薬は飲んだものの多分また少し熱が上がったんだろう。明日までにせめて熱だけでも下げておかないと次こそあの人に殺される。
何も考えずに寝てしまおうと、辛い体を無理矢理鎮めて目を閉じた。
下がれ、熱。頼む下がって。じゃないと俺に待っているのは死だ。







***







「ん……」


何か聞こえた気がした。しかしぼんやりした頭ははっきりと知覚しない。
浅い眠りから徐々に覚醒していき、そしてようやく夢現の境に辿り着いた。意識が呼び覚まされるのと連動して瞼が開き、耳に届いたのはインターフォンの軽い音。

「んん……」

眠りに落ちてから結構時間は経っていたようだ。暗かった部屋は微かに光を取り戻し、カーテン越しに気づく明るさが朝を迎えた事を俺に知らせた。ゆっくり上体を起こして目に入れた時計によれば、今はまだ早朝四時ちょっと過ぎ。こんな早くから誰だろうかと思いつつも、もう一度鳴ったインターフォンに渋々ベッドから這い出て玄関へ向かった。

「…………?」

ドアチェーンを外しつつ覗き穴を確認したが、ドアの前にいるはずの誰かは見当たらない。人の事を起こしておいてなんだったのかと思いながらも一応はドアを開いた。するとガサッと、ビニールか何かが擦れるような音。それと一緒に目線の先で去っていくその人の後姿を確認した。

「ぁ……」

その人もこっちに足を止めた。振り返り、俺の目線とその人の目線が絡む。

「……起きたか。出てこられるだけの気力はあるみてえだな」
「……玲二さん」

ドアノブに引っ掛かっていたのはコンビニの物らしきビニール袋だ。チラッと目にした中身はペットボトルやら冷却シートやら色々。それを買い込んできたのであろう玲二さんは、スタスタとこっちに歩いてきた。

「あの…」

ちょっと、と言うかかなりびっくりしている。まさかこの人がこんなに面倒見のいい事をするとは。もしや明日地球は滅ぶのか。

「……なんか、スミマセン。わざわざ」
「様子見に来ただけだ。さっさと戻って寝ろ」

起こしたのアンタだろ。とは少々思ったが、それを口に出すのは自殺行為。
しかし言われた通り早々に引っ込んでいいものかどうかと僅かに悩んだ数秒間の内に、先に行動を起こしていたのは玲二さんだった。ドアノブのビニール袋を自ら手に取り、呆然とする俺を部屋の中へと押し込んでくる。

「え、あの……」
「いいから入れ。上がるぞ」

一応の断りだけは口に出して一緒になって部屋に入ってくる。訳も分からぬまま部屋の中を歩かされ、先のドアを開いてベッドルームを確認するとご丁寧に俺をそこまで連れて行った。半ば強制連行されるような形でベッド前まで行き着き、すかさず寝ろと言われていい加減頭が混乱し出す。

「……玲、」
「ベッド入れ。それとも蹴り飛ばしてやんなきゃてめえは寝れねえのか」
「…………」

慌ててベッドに乗り上げた。とは言え倦怠感が付いて回るから動きはノロい。遅いと言って尻を蹴り飛ばされる想像で恐怖に駆られ、泣きそうな思いでいそいそと布団の中に潜り込んだ。
ところがそれを見届けた玲二さんは腰を屈め、ギシッとベッドに手を付いた。布団から顔だけ出した俺に、すっとその片腕を伸ばしてくる。

「……さっきよりは熱下がったか」
「あ……ハイ。薬、飲んでるんで……」

額に乗せられた体温の低い掌。それはすぐに離れていった。
サイドテーブルにビニール袋を置いた玲二さんはその中身をごそごそと探り、取りだした冷却シートの箱を開けて再び俺に目線を落とす。

「あの……自分で……」
「黙ってろ」

もう一度手が伸びてきた。ひんやりと心地良い手が前髪を掻き上げ、それより更に冷たいシートが額に貼られる。
どうしよう。看病されてる。

「……スミマセン」
「そう思うならさっさと治せグズ」

淡々とした物言いはいつもと同じだ。けれど普段のような恐怖感はない。冷却シートの上から尚も乗せられる掌は心地いいだけだった。


「メシは。食ってんのか」
「え、あ……いや……」

不意に聞かれたそれ。思わず目を逸らしたのは答えがノーだから。食べる気力も食欲もないからほぼ水しか飲んでいない。
気まずく目を逸らした俺を見て玲二さんは悟ったらしく、軽く溜息をついてその場にしゃがみ込んだ。

「馬鹿か。治るもんも治んねえぞ。用意だけしておくから後でちゃんと食え」
「いや、そんな……自分でやるので……」
「できねえから言ってんだ。お前は大人しく黙って寝てろ。寝て食ってすぐに治せ」

言葉はキツイ。言葉はキツイが、触れてくる指先はびっくりするほど優しくてむしろ心臓に悪い。
傍に屈みながらポンポンと頭を撫でられる。いつもは俺のことを容赦なくぶん殴るこの手でだ。体調が万全で頭の回転も正常であったら逆に怖くて泣いていたかもしれない。
でも今はなんとなく、このぼんやりとした頭は多分ちょっと嬉しいと思っている。見上げる顔はどこか優しげに見えたから。いつものように淡白な表情だけど、その目は睨み付けてくる事もなく穏やかだ。

「お前、今夜も店休め。しっかり治してから出てこい」
「でも……」
「でもじゃねえ。病人に店の中ウロチョロされちゃ迷惑だ。てめえなんかいてもいなくても変わんねえんだから大人しくしてろ」

それだけ言うと玲二さんは腰を上げた。落ち込む余裕もないままその背を眺め、キッチンにでも向かったのか出て行く背中を目で追っていた。
あの人からの慣れない優しさにじんわりと妙な感覚が胸に残る。困ったな、また熱が上がったのか。そんな事になったらきっと今度こそキレられる。

「あ……」

しまった。そう言えばお礼を言うのを忘れていた。いつも謝ってばかりだから、つい癖でスミマセンしか出てこなかった。
冷却シートの上から額を押さえ、玲二さんにされたように掌で覆ってみる。冷たくはないこの手。玲二さんにされて感じたような心地よさはなかった。

「んー……」

やっぱりだるい。戻ってきたらお礼言わなきゃ。
そう思いながらも、ウトウトしはじめた睡魔は本物だった。下がっていく瞼に抗えず、玲二さんが戻るのを持てずに俺はゆっくり目を閉じた。




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