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14.25歳
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「キーンコーンカーンコーンってあるだろ」
「んー」
「俺アレ嫌い」
「んー?」
「秋の夕暮れ時なんかは特にな。アレ聴いてるとなんか切ねえんだよ。うっかりマジ泣きしそうなくらい。思わねえ?」
「うーん……」
高校教師三年目の俺は毎日ぼんやりと悩んでいた。決定的な問題がある訳ではない。何に悩んでいるのかさえ分からない。漠然とした焦燥感ってやつ。
毎日毎時間聞かされている学校のチャイムによって、更に追い立てられるようだった。
朝はまだいい。ああまた今日も一日が始まったのだと平坦に思うだけだ。
昼もまだ大丈夫。無駄に元気のいい高校生のガキ共が近くで騒いでいるから、若いな、なんて心の中でジジくさく思いつつ穏やかに過ごせる。
だけど夕方になると駄目だ。日が沈みかける頃の、あの妙に感慨深いだいだい色は目の毒でしかない。
去年からバスケ部の顧問をしているから一人きりになる事がないのはせめてもの救いだが、孤独だか焦燥だか、正体不明の不安要素がふつふつとわき上がってくる。そこからの逃避をあろうことか、生徒達に求めているのは我ながら非常に情けない。
今もそう。俺のテリトリーでもある数学教材室の中、教師と生徒の一対一で顔を合わせてする事と言えば、自分の弱みを曝け出すこと。
ペラペラと好き勝手に俺が一人で喋っていると、机一つ分隔てた位置にいる伊勢谷が怪訝そうに口を開いた。
「……先生さあ」
「おう」
「今これ俺の補習だよね?」
「そうだな」
「なんで先生の悩み相談コーナーになってんの?」
伊勢谷の手元には数学のプリント。ついさっき俺が渡したものだ。
開始早々から喋り出した俺に適当ながらも応じているせいで、補習用の数学プリントの解答欄を伊勢谷は埋められない。
俺はこの学校に勤めて三年目の数学教師だが、クラスを受け持ったのは今年度が初めて。担任をしている一年三組の生徒の中に伊勢谷はいる。さらにはバスケ部の部員でもあるから、こいつと顔を合わせる機会は多い。
バスケが好きなのは見ていれば分かる。数学が嫌いなのはさらに明らか。そんな伊勢谷を前にして、やる気なく机に頬杖をついた。
「なんて言うかなぁ。お前見てると気が抜けるっつーか」
「悪かったな、気が抜けるほど教え甲斐のない生徒で」
「卑屈になるなよ。お前はやらないからできないタイプの奴じゃなくてやっても出来ない本格的なアホだからむしろ教え甲斐はスゲエある」
「嬉しくないよ」
ぶすっとむくれる伊勢谷の顔に、自然と笑顔になっていく。資材室には夕日が射し込み、ぼやけた音調のチャイムが鳴った。
「……先生はコレが嫌いなの?」
「黄昏時とか言うくらいだしな。万年追試のバスケ馬鹿が目の前にいるから今はそこまでウツな気分じゃねえけど」
「…………」
ギロッと睨まれる。シッポを触られてイラッときている黒猫みたいだ。部活命な高一男子は、今時珍しく髪も真っ黒。
「……部活行きたいな」
進まないペンを動かし、伊勢谷はポツリと呟いた。
やらせておいてなんだけど、できれば俺も早くそうさせてやりたい。決して器用な奴とは言えないがなんにでも一生懸命なこいつは、ボールと戯れて楽しそうに走り回っている姿が一番似合う。
果たして俺は高一の時に何を思って過ごしていただろう。こいつみたいに何かに対して熱中した事もあったはず。なのにその感情を思い起こす事も、引きずり出す事も難しい。
毎日に追われながら、ただぼうっと待っているだけでもやって来る明日をまた過ごす。この無意味なループの中で、失くしたものはなんだったのか。いくつあるのか、それさえ分からない。
感慨に耽りつつ、斜め後ろから夕日に照らされる男子生徒の姿を眺めた。
なんにでも一生懸命なこいつを、どこか羨ましいと思う。本来なら導く側にいなければならないはずの俺が、今と言う時間を純粋に、真っ直ぐに生きている子供を相手に、憧れのような感覚を。
「……お前いま十六か?」
「え? えっと、誕生日一月だからまだ十五だけど……何いきなり」
「いや……」
十五か。十個も年下のガキを羨ましいと思ってしまった。
今の伊勢谷の年だった頃、俺はいつも大人達を羨ましいと思っていた。大人は自由な生き物だろうと。そう信じて疑わなかった。学校みたいなつまらないルールに縛られることなどないような世界に、いるものだとばっかり。
実際は、逆だった。年を重ねるごとに縛りはどんどん増えていく。学校にあったつまらない規則から解放されたその代わり、自分自身がクソつまらない人間へと着実に成り下がっていく。俺という本体に価値がないなら、その人生にはまるで意味がない。
「……伊勢谷」
「んー」
「お前はそのままでいろよ」
なんの期待だかも分からない。自分がなり得なかったものを、元気がいいだけの子供に託す。
まさに愚行だ。どうかしている。目の前のこいつも今まさに、俺がどうかしていると思ったようだ。
「先生、どっかでアタマ打った?」
「打ちつけたら楽かもな」
「……ココロ病んじゃってる?」
「かもしんねえ。俺の泣き言聞くか?」
冗談めかして言ってみるとハハッと適当に笑われた。呆れ笑いに近いそれにも、蔑みだけは含めないこいつは俺よりよっぽど人間ができている。
「暗そうな話は聞きたくない。自分でなんとかしなよ、大人なんだから」
「だよなあ」
「それより先生、ここ分かんないんだけど」
「どこ。お前の質問って毎回アホ過ぎてウケる」
「たぶん先生は教師向いてないんだと思うよ」
今度は俺が笑って返した。
欲しい答えはもしかすると、すぐ近くにあるのかもしれない。だけど俺はそれを知らないし、気づく事もできないのだろう。
昨日も今日も明日も同じだ。同じことを思って同じことをして同じことを言いながら生きる。
変えるきっかけがすぐそこにあっても、俺がここで昨日と変わらずぼんやり突っ立っている限り、自分で気づく日はやって来ない。
「先生」
「おー」
明日も明後日も一週間後も。一ヵ月後も、一年後も。
知り得る未来なんてなくていい。すべては今日の、自分次第だ。
「んー」
「俺アレ嫌い」
「んー?」
「秋の夕暮れ時なんかは特にな。アレ聴いてるとなんか切ねえんだよ。うっかりマジ泣きしそうなくらい。思わねえ?」
「うーん……」
高校教師三年目の俺は毎日ぼんやりと悩んでいた。決定的な問題がある訳ではない。何に悩んでいるのかさえ分からない。漠然とした焦燥感ってやつ。
毎日毎時間聞かされている学校のチャイムによって、更に追い立てられるようだった。
朝はまだいい。ああまた今日も一日が始まったのだと平坦に思うだけだ。
昼もまだ大丈夫。無駄に元気のいい高校生のガキ共が近くで騒いでいるから、若いな、なんて心の中でジジくさく思いつつ穏やかに過ごせる。
だけど夕方になると駄目だ。日が沈みかける頃の、あの妙に感慨深いだいだい色は目の毒でしかない。
去年からバスケ部の顧問をしているから一人きりになる事がないのはせめてもの救いだが、孤独だか焦燥だか、正体不明の不安要素がふつふつとわき上がってくる。そこからの逃避をあろうことか、生徒達に求めているのは我ながら非常に情けない。
今もそう。俺のテリトリーでもある数学教材室の中、教師と生徒の一対一で顔を合わせてする事と言えば、自分の弱みを曝け出すこと。
ペラペラと好き勝手に俺が一人で喋っていると、机一つ分隔てた位置にいる伊勢谷が怪訝そうに口を開いた。
「……先生さあ」
「おう」
「今これ俺の補習だよね?」
「そうだな」
「なんで先生の悩み相談コーナーになってんの?」
伊勢谷の手元には数学のプリント。ついさっき俺が渡したものだ。
開始早々から喋り出した俺に適当ながらも応じているせいで、補習用の数学プリントの解答欄を伊勢谷は埋められない。
俺はこの学校に勤めて三年目の数学教師だが、クラスを受け持ったのは今年度が初めて。担任をしている一年三組の生徒の中に伊勢谷はいる。さらにはバスケ部の部員でもあるから、こいつと顔を合わせる機会は多い。
バスケが好きなのは見ていれば分かる。数学が嫌いなのはさらに明らか。そんな伊勢谷を前にして、やる気なく机に頬杖をついた。
「なんて言うかなぁ。お前見てると気が抜けるっつーか」
「悪かったな、気が抜けるほど教え甲斐のない生徒で」
「卑屈になるなよ。お前はやらないからできないタイプの奴じゃなくてやっても出来ない本格的なアホだからむしろ教え甲斐はスゲエある」
「嬉しくないよ」
ぶすっとむくれる伊勢谷の顔に、自然と笑顔になっていく。資材室には夕日が射し込み、ぼやけた音調のチャイムが鳴った。
「……先生はコレが嫌いなの?」
「黄昏時とか言うくらいだしな。万年追試のバスケ馬鹿が目の前にいるから今はそこまでウツな気分じゃねえけど」
「…………」
ギロッと睨まれる。シッポを触られてイラッときている黒猫みたいだ。部活命な高一男子は、今時珍しく髪も真っ黒。
「……部活行きたいな」
進まないペンを動かし、伊勢谷はポツリと呟いた。
やらせておいてなんだけど、できれば俺も早くそうさせてやりたい。決して器用な奴とは言えないがなんにでも一生懸命なこいつは、ボールと戯れて楽しそうに走り回っている姿が一番似合う。
果たして俺は高一の時に何を思って過ごしていただろう。こいつみたいに何かに対して熱中した事もあったはず。なのにその感情を思い起こす事も、引きずり出す事も難しい。
毎日に追われながら、ただぼうっと待っているだけでもやって来る明日をまた過ごす。この無意味なループの中で、失くしたものはなんだったのか。いくつあるのか、それさえ分からない。
感慨に耽りつつ、斜め後ろから夕日に照らされる男子生徒の姿を眺めた。
なんにでも一生懸命なこいつを、どこか羨ましいと思う。本来なら導く側にいなければならないはずの俺が、今と言う時間を純粋に、真っ直ぐに生きている子供を相手に、憧れのような感覚を。
「……お前いま十六か?」
「え? えっと、誕生日一月だからまだ十五だけど……何いきなり」
「いや……」
十五か。十個も年下のガキを羨ましいと思ってしまった。
今の伊勢谷の年だった頃、俺はいつも大人達を羨ましいと思っていた。大人は自由な生き物だろうと。そう信じて疑わなかった。学校みたいなつまらないルールに縛られることなどないような世界に、いるものだとばっかり。
実際は、逆だった。年を重ねるごとに縛りはどんどん増えていく。学校にあったつまらない規則から解放されたその代わり、自分自身がクソつまらない人間へと着実に成り下がっていく。俺という本体に価値がないなら、その人生にはまるで意味がない。
「……伊勢谷」
「んー」
「お前はそのままでいろよ」
なんの期待だかも分からない。自分がなり得なかったものを、元気がいいだけの子供に託す。
まさに愚行だ。どうかしている。目の前のこいつも今まさに、俺がどうかしていると思ったようだ。
「先生、どっかでアタマ打った?」
「打ちつけたら楽かもな」
「……ココロ病んじゃってる?」
「かもしんねえ。俺の泣き言聞くか?」
冗談めかして言ってみるとハハッと適当に笑われた。呆れ笑いに近いそれにも、蔑みだけは含めないこいつは俺よりよっぽど人間ができている。
「暗そうな話は聞きたくない。自分でなんとかしなよ、大人なんだから」
「だよなあ」
「それより先生、ここ分かんないんだけど」
「どこ。お前の質問って毎回アホ過ぎてウケる」
「たぶん先生は教師向いてないんだと思うよ」
今度は俺が笑って返した。
欲しい答えはもしかすると、すぐ近くにあるのかもしれない。だけど俺はそれを知らないし、気づく事もできないのだろう。
昨日も今日も明日も同じだ。同じことを思って同じことをして同じことを言いながら生きる。
変えるきっかけがすぐそこにあっても、俺がここで昨日と変わらずぼんやり突っ立っている限り、自分で気づく日はやって来ない。
「先生」
「おー」
明日も明後日も一週間後も。一ヵ月後も、一年後も。
知り得る未来なんてなくていい。すべては今日の、自分次第だ。
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