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「アキャァアアアアアアッッ!!!」
「ォォォォオオオオオオオァァァアアアアアア!!!」
「キャーーーーーーーーィキャァアアアアアアアアアア!!!」
「ヒャァァアアアアアアアアキャーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
思い通りの未来道具を一つだけ作れるとしたら、聞きたくない音だけをピンポイントで空間からシャットアウトできるバリア装置を開発したい。
これが欲しいのは俺だけではないだろう。これさえあれば国内人口の二十数パーセントは平和になりそう。あいつらの声とあいつらの立てる物音さえ聞こえてこなければ、友好的な隣人関係を問題なく築けていたはずだ。
そんな装置は今後八百億年かかっても生み出されないし、となれば向こうが騒音対策を講じる事を願うか、俺が我慢するしかない。
悪いのは俺だろうか。間違っているのは俺だろうか。俺が憎いのは、誰なのだろう。騒がしいガキどもだろうか。それくらい許せと言う偽善者どもだろうか。
調子のいい建前を言っておきながら、走り回りたがる子供にこんな場所しか用意してやれない、無力で無能な世界だろうか。
ずりッと、床を這うような音がした。昼間とは打って変わって静まり返った暗い部屋の中、ズリズリと次第に近づいてくるその物音で目を覚ました。
掛け布団ごと上体を起こした。部屋の奥。何かが、動いている。視えた。それが。それの、影、が。
今までの奴らとはなんとなく違う。そいつは人のカタチをしていなかった。全身スプラッタみたいなグロイ状態の奴なら一度だけ見たことがある。そいつすら辛うじて人のようなカタチはギリギリのところで保っていた。
だがこいつは、やはりどこか違った。海底でタコが吐いた墨みたいな。部屋の中は薄暗いのに、明度の低さを遥かに上回っている。明かりのない中ですらはっきりと浮き出るそれは、ただただ真っ暗な、モヤだ。
完全に起き上がる。床に両足をついた。これはちょっと、マズい気がした。
そいつはもう目の前に。バッと、咄嗟に手で振り払った。だができない。暗い靄を追い払おうとしてもできなかった。手を出しても足を出しても全くダメージを与えられない。なんでだ。なんだこいつ。いや。いいや。違う。俺の仮説が、きっと正しかった。
白黒なのに青白いあのガキを、幽霊を、俺はもう長いこと殴っていない。殴らなくなった。殴るのもバカバカしくなってきた。殴る理由をなくした俺は、弱くなった。きっと、そのための意志がない。鬱陶しい幽霊どもを嬲り殺したい欲求が、足りない。
暗い靄はどんどんとこっちに迫る。靄の端の、中心よりかはやや薄ぼけた暗がりが、俺の手に、ススッと、触れる。
ゾッと、奇妙に、入り込む、内側に。まずい。それだけは肌で感じた。
憑り殺される。本能的にそれが浮かんだ。来るな。来るな。これは、まずい。無理だ。俺には、追い払えない。
死ぬ。それだけが、頭を占めた。
バッと目の前が暗くなったのは、俺が目を閉じたから。初めて感じる。恐怖だった。死を、怖いと、嫌だ、死にたくない。はじめて生身で悟った。これが恐怖だ。
次に来る浸食を確かに身構え、しかしそれは一向に起こらない。短い呼吸を激しく繰り返しながら、僅かに、目を開け、ゆっくり、顔を上げた。
「……ぁ……」
真っ暗な靄の前。俺との間に。そいつはいた。白黒なのに、青白いガキが。
間違いなく俺に迫っていた靄は、子供を通り過ぎる事がなかった。それ以上進まず、靄の端の霧みたいな暗がりをザワザワと震わせるようにして、室内の薄明るさに紛れていく。次第に薄れ、そして徐々に、ついには完全に、消えた。
「…………」
ひどい、汗をかいていたと気づく。浅く速い呼吸はまだ落ち着かず、華奢な白黒の後姿を呆然と見ていた。そいつがゆっくり、こっちを振り返るまで。
「お前……」
なんで。
こいつは今夜も何も喋らない。俺を見て、いつものようにどこかを指さした。
服の裾をクイクイと引っ張ってくる。ガキの指が示す方に目をやり、普段なら絶対にしない事をした。未だ、半ば放心したまま、このガキの手に従った。
痩せたガキに連れられる。部屋の端。窓の前へ行く。
その小さな指先は、部屋の中を指しているのだと思っていた。窓を。だが違うと、ふと気づいた。
「……裏山……?」
この窓からは小高い、山が見える。小さく。住宅街の僅かな明かりが地上を照らしているだけだから、今は境界が判然としないが、山があるのは知っている。その山を、こいつは指さしていた。
「…………そうか」
こいつは何も喋らない。何を言いたいかはなぜか、分かった。
次の休日に行動を起こした。
車を走らせた先はあの山。丁寧に整備されているような山道とは違う。デカい山ではないが鬱蒼としたそこ。行けるところまで車で入り、途中からは足を使った。山の中に踏み入ってしばらく歩くこと。いつの間にか、ふっと再び、子供も姿を現していた。こいつと一緒に奥の方まで入り込み、ある地点で、子供が腕を上げた。
「そこか……」
指さした、その一箇所を。
目印がある訳でもなく、ただ周りと同じように落ち葉で汚れているだけの地面。子供が自分で指をさすことがなければ、気づく人間など誰もいないだろう。
残念なことに、俺はこのガキが見える。
「ォォォォオオオオオオオァァァアアアアアア!!!」
「キャーーーーーーーーィキャァアアアアアアアアアア!!!」
「ヒャァァアアアアアアアアキャーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
思い通りの未来道具を一つだけ作れるとしたら、聞きたくない音だけをピンポイントで空間からシャットアウトできるバリア装置を開発したい。
これが欲しいのは俺だけではないだろう。これさえあれば国内人口の二十数パーセントは平和になりそう。あいつらの声とあいつらの立てる物音さえ聞こえてこなければ、友好的な隣人関係を問題なく築けていたはずだ。
そんな装置は今後八百億年かかっても生み出されないし、となれば向こうが騒音対策を講じる事を願うか、俺が我慢するしかない。
悪いのは俺だろうか。間違っているのは俺だろうか。俺が憎いのは、誰なのだろう。騒がしいガキどもだろうか。それくらい許せと言う偽善者どもだろうか。
調子のいい建前を言っておきながら、走り回りたがる子供にこんな場所しか用意してやれない、無力で無能な世界だろうか。
ずりッと、床を這うような音がした。昼間とは打って変わって静まり返った暗い部屋の中、ズリズリと次第に近づいてくるその物音で目を覚ました。
掛け布団ごと上体を起こした。部屋の奥。何かが、動いている。視えた。それが。それの、影、が。
今までの奴らとはなんとなく違う。そいつは人のカタチをしていなかった。全身スプラッタみたいなグロイ状態の奴なら一度だけ見たことがある。そいつすら辛うじて人のようなカタチはギリギリのところで保っていた。
だがこいつは、やはりどこか違った。海底でタコが吐いた墨みたいな。部屋の中は薄暗いのに、明度の低さを遥かに上回っている。明かりのない中ですらはっきりと浮き出るそれは、ただただ真っ暗な、モヤだ。
完全に起き上がる。床に両足をついた。これはちょっと、マズい気がした。
そいつはもう目の前に。バッと、咄嗟に手で振り払った。だができない。暗い靄を追い払おうとしてもできなかった。手を出しても足を出しても全くダメージを与えられない。なんでだ。なんだこいつ。いや。いいや。違う。俺の仮説が、きっと正しかった。
白黒なのに青白いあのガキを、幽霊を、俺はもう長いこと殴っていない。殴らなくなった。殴るのもバカバカしくなってきた。殴る理由をなくした俺は、弱くなった。きっと、そのための意志がない。鬱陶しい幽霊どもを嬲り殺したい欲求が、足りない。
暗い靄はどんどんとこっちに迫る。靄の端の、中心よりかはやや薄ぼけた暗がりが、俺の手に、ススッと、触れる。
ゾッと、奇妙に、入り込む、内側に。まずい。それだけは肌で感じた。
憑り殺される。本能的にそれが浮かんだ。来るな。来るな。これは、まずい。無理だ。俺には、追い払えない。
死ぬ。それだけが、頭を占めた。
バッと目の前が暗くなったのは、俺が目を閉じたから。初めて感じる。恐怖だった。死を、怖いと、嫌だ、死にたくない。はじめて生身で悟った。これが恐怖だ。
次に来る浸食を確かに身構え、しかしそれは一向に起こらない。短い呼吸を激しく繰り返しながら、僅かに、目を開け、ゆっくり、顔を上げた。
「……ぁ……」
真っ暗な靄の前。俺との間に。そいつはいた。白黒なのに、青白いガキが。
間違いなく俺に迫っていた靄は、子供を通り過ぎる事がなかった。それ以上進まず、靄の端の霧みたいな暗がりをザワザワと震わせるようにして、室内の薄明るさに紛れていく。次第に薄れ、そして徐々に、ついには完全に、消えた。
「…………」
ひどい、汗をかいていたと気づく。浅く速い呼吸はまだ落ち着かず、華奢な白黒の後姿を呆然と見ていた。そいつがゆっくり、こっちを振り返るまで。
「お前……」
なんで。
こいつは今夜も何も喋らない。俺を見て、いつものようにどこかを指さした。
服の裾をクイクイと引っ張ってくる。ガキの指が示す方に目をやり、普段なら絶対にしない事をした。未だ、半ば放心したまま、このガキの手に従った。
痩せたガキに連れられる。部屋の端。窓の前へ行く。
その小さな指先は、部屋の中を指しているのだと思っていた。窓を。だが違うと、ふと気づいた。
「……裏山……?」
この窓からは小高い、山が見える。小さく。住宅街の僅かな明かりが地上を照らしているだけだから、今は境界が判然としないが、山があるのは知っている。その山を、こいつは指さしていた。
「…………そうか」
こいつは何も喋らない。何を言いたいかはなぜか、分かった。
次の休日に行動を起こした。
車を走らせた先はあの山。丁寧に整備されているような山道とは違う。デカい山ではないが鬱蒼としたそこ。行けるところまで車で入り、途中からは足を使った。山の中に踏み入ってしばらく歩くこと。いつの間にか、ふっと再び、子供も姿を現していた。こいつと一緒に奥の方まで入り込み、ある地点で、子供が腕を上げた。
「そこか……」
指さした、その一箇所を。
目印がある訳でもなく、ただ周りと同じように落ち葉で汚れているだけの地面。子供が自分で指をさすことがなければ、気づく人間など誰もいないだろう。
残念なことに、俺はこのガキが見える。
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