誘い受け

わこ

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背中に頭をコツンと乗せ、呟いて情交を請う

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こんな時間も悪くない。そう思った。








***








この部屋を訪れるとき、柚紀は大抵俺への連絡を寄越す。
行っていい?とか、今時間ある?とか。電話越しにどこか遠慮がちな声を聞かされれば、迎え入れるまでの時間をもどかしい気持ちで一杯にさせられるのが常だ。

この関係が始まって以来、柚紀がこの部屋でしていく事は一つだけと決まっていた。柚紀はそのためだけに来ていて、俺もそのためだけに部屋の中へと上げている。
しかし事に至るよりも前、前戯とは全く毛色の違う子供染みた雰囲気で及ぶ戯れは、俺にこの関係を錯覚させるには十分すぎる程の穏やかさを持っていた。

肉欲を満たす事に不満はない。それでもただ単に手を繋ぎ、寄り添っているだけの時間もまた手放しがたいものだ。
こうして背中合わせに身を寄せ合って、流れていく時間をゆっくりと過ごす事は、俺にとってはひどく貴重なものだった。



「明菜くんって身長いくつある?」
「んー?」
「安定感があるよね。俺も身長は平均以上のはずなんだけどなあ」

ベッドの上。珍しく俺達は服を着ていた。暇潰しに買ってそのままにしていた本に目をやりつつ、背中合わせに凭れ掛かってくる柚紀の言葉を耳に貸す。
活字を追いながら考えるのは、果たして今の俺の身長はいくつあったか。

百八十五くらいで止まっていたと思うが、去年会社の健康診断を受けに行ったのが最後だから細かい数字かは定かではない。
背後では柚紀がぴったりと合わせていた体を離し、何かと思ってチラッと振り向いた。すると首辺りにあった後ろ頭が、今度は背中にコツンとくっ付けられる。

気を抜いて寛ぐ猫のようなそれ。黙ったまま再び目線を本の上の文字に戻した。

「好きだなあ。明菜くんの背中」
「ああ……そう?」
「細くて身長高いと女の子から好かれるでしょ?」
「……そうでもねえよ」

くすくすと不敵に笑いながら預けられる体は軽い。しかし貧弱と言うには程遠くもある。

『俺にとってこの体は資本だから』と、以前まじまじと目に映していたら妖しくも冗談っぽくそう言われた事があった。しかしその言葉通り、柚紀の体はとにかく綺麗で無駄がない。
さんさんと降り注ぐ太陽の下でのスポーツ。なんてものは白い肌には不釣り合いだが、薄い体の下にはしなやかな筋肉もあり柔軟性だって備えている。

男にも女にも好まれるのは柚紀の方だろう。思いつつも口には出さず、すっかりハマってしまった艶めかしい体が浮かぶのを頭の中から追いやった。
それを見透かすかのようにギシッと後方に手を付き、柚紀が上体だけこっちに向けたのが分かる。懸命に文字の羅列を追おうとしている俺の背中に、ヒタッと片手を付かせて再び身を寄せてきた。

素肌に触れられた訳でもないのに、その指先を想像するとそれだけで熱くなりそうだから困る。息を呑んで何も言わずにいると、背中に額をくっつけられた。体の前には当然のように腕が回されている。

「あったかい」
「…………」

無理だろう。これを耐え抜けるような男は男じゃない。

柚紀の手を取り、振り返ってゆっくりその体を後ろに倒した。誘い込むような手つきで首へと両腕を回され、笑みを形作る唇に引き寄せられていく。
重ねた唇に舌を這わせられた頃には、糸くず並みに細くなった俺の理性はとうにプッツリと切れていた。

これまでに何度も貪ってきた。柔らかな唇はどれだけ食らいつこうともその都度誘いをかけてくる。
導かれるままに舌を絡めて、どれだけ深めようとも決して拒否されることはない。むしろ僅かばかりもない距離を更に埋めるかのように、柚紀は片手だけ俺の髪に差し入れて引き寄せた。

クシュッと弄ぶかのような指先。ゆっくりと撫でてくる手つきにゾクリとした何かが走る。

「……柚紀」

未だ髪は梳かれ続ける。ゾクゾクと肌が粟立つ感覚に思わず名前を呼ぶと、クスッと下から微笑まれた。
濡れた赤い唇が形作る綺麗な弧からは目が離せそうにない。

「明菜くん、髪触られるの好きだよね」
「……なんだよ、いきなり」
「キモチイイ?」
「…………」

そんな、女じゃあるまいし。髪を触られるのが好きと言うよりも、これはきっと柚紀の指先だからだ。
誘う事が商売であるこの手を今だけは俺のものにできると思うと、それだけで醜悪と言うに相応しい欲が芽生えてくる。

髪を梳いてくる指先はスルスルと首筋を通り、肩を撫で胸元まで忍び込みシャツのボタンを一つ外された。片手で手際よく、更に一つ二つと。
それには構わず再び柚紀に口づけ、俺も服の裾から手を差し入れてその肌に触れた。

柚紀によって前を肌蹴させられたシャツはさっさと脱ぎ捨てる。今夜はしないで朝を迎えようかと、そう思った俺はどこに行ったのか。
今し方柚紀と背中合わせに座っていた時には確かにあった穏やかな感情はすっかり消え失せていた。

「明菜くん」
「……ん?」
「触ってよ。もっと」
「…………」

誘うんだ。こうやって。綺麗な顔をしたこの男は、自分の体と口先を使って巧みにオトコを誘い込む。
その対象が俺一人だけになる事はないと知りつつも、それでも今は俺だけのものだと必死に思い込んで欲に溺れる。

少々手荒い動作で柚紀の服を剥ぎ取り、薄く妖艶に笑みを浮かべる表情は敢えて目に入れないようにした。独占の証を刻みつけたくても、この白い肌には跡を残した事が無い。
ぶつける欲望は醜いまでに激しく、けれど壊れ物を扱うかのごとく慎重に。商品としての柚紀の価値が万一俺のせいで下がってしまったら。
こうして体を重ねる度、下衆な考えを一瞬でも過ぎらせる自分を心底軽蔑する。

「ぅ、ン……」

首筋でも胸元でも、腰でも足でも。いっそ不思議なくらい綺麗な肌に口付けているとどうしても汚したくなる。
それをいつでも寸前で押さえ留め、吸い付くのを堪えてほんのりと色づいた肌に名残惜しく舌を這わせた。

俺だけのものにしてしまいたい。俺との痕跡を根深く残させておきたい。
だけど実際はこの体もその感情も、何一つとして手に入れる事なんでできない。

「……明菜くんは」
「なに」
「……なんでもない」

小さな笑みを絶やすことなく首をいくらか左右に振る。
柚紀は心の内を俺には明かさない。だから金を介在させないこの行為の中に、この男にとっての利益がどこにあるのかも分からなかった。

一銭にもならない、客ですらない俺に体を差出し、微笑みながら居心地がいいと言うその口先。柚紀と俺とのこの関係には、そもそも真実なんてないのかもしれない。
本心を知りたいという思いはあった。しかし知ればその時点で終わるような気もした。
一晩ごとの肉体関係であればいくらでも受け入れてもらえるが、俺は決して柚紀の内側に入り込むことを許されない。踏み込まないことを条件に、この虚しいだけの関係を手に入れた。

柚紀とのセックスはいい。この男はいつでも最大限まで俺の快感を引き出す。
だけどたまには体を繋げず、ただ寄り添っていたいと。傍らにその存在を感じて一晩を明かしたいと、ほんの少しだけ穏やかな夢を見た。

ただそれだけの事だ。

「明菜くん」
「……うん?」
「抱いてて。朝まで」
「……ああ」

柚紀は俺に笑顔しか見せない。それ以外のカオは見せてなどくれない。

それが答えだ。




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