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6.暗中模索
しおりを挟む「来んなっつったろ。リープはどうした、リープは。サボってんじゃねえよ」
「ちゃんと行くよー、この後。俺はほら、ユキちゃんの荷物持ちしなきゃ。こっから家まですっごく遠いしねー」
「タクシー拾うけど……?」
ユキの退院の日。事故があったあの日から、結局一か月もかかった。
入院して一週間くらい経った後には痛めた左足の手術を受け、術後の経過を見ながら、今日までずっとリハビリ治療が続いていた。
その間、ユキがどんな思いをしていたのかを俺は知らない。どれだけ体が痛むのか、どれだけリハビリが辛いのか。そういうこと全部。
わざわざ見舞いになんて来なくていいと、ユキにはそればかり言われていた。でも俺はリープのメンバーなんかにくっついて、度々ここを訪れた。
毎回毎回、迷惑だろって感じに騒がしく見舞った俺達。ユキはそんな俺達に、決して弱いところを見せなかった。
いつも通り笑って、何でもないような顔をして、持っていないはずがない不安感をほんの少しも外に出さなかった。
辛くないなんて事は、絶対にあり得ないのに。
それともう一つ、あの凄い母親。あの人はやっぱりユキの親だった。
自分の息子が何をどう思うかくらい察してやることができるから、言われるがまま、ここに残ることなく早々に自分の家に戻った。ユキが生まれた、地元の家に。
ちょっと隣町までって程度の距離ではないから、親子が対面する機会はまた暫くないんだろう。あの人が唯一ユキに残していったのは、こっちに事務所を構えているらしい、知り合いの弁護士だった。
常識外な言動が目立つくせに、意外にも出身は法学部だと言う。頼ったのは当時の後輩である民事専門の弁護士だ。
賠償金なり示談金なりガッポリふんだくってこいなんて、とんでもない捨て台詞を吐き出していった。
自分の息子だというのに随分な淡泊。だけど今のユキはこんな状態。
そんな奴にとっては、あの母親がした事が一番の優しさだ。分かっているのにそれをしてやらない俺は、きっと誰よりもヒドイ奴。
ユキが一番望んでいるのは、誰とも会わず、静かな環境で一人になること。
ユキの左足は今、痛々しくギブスで固定されている。それでもユキは俺の手を借りようともせず、意地でも自分一人でベッドから降りた。
壁際に立てかけてあった松葉杖に手を伸ばし、随分慣れた様子で身軽に動いている。だけど正直、見ていられない。まとめてあった荷物を自力で持とうとしたところで、俺は我慢しきれずにユキの手を止めた。
割り込んで腕を伸ばし、持ち上げたのは大した量もない荷物だ。隣からはユキが俺を見据えたのが分かった。
「折角来たんだから仕事ちょうだいよ。俺こう見えて結構使えるからね。今なら専属契約も受付中ー」
「間に合ってる」
だろうね。言うと思ったよ。
おどけた言葉に返される、いつもと変わらない冷めた反応。俺もユキも、これくらいが丁度いい。
「つれないなあ、ユキちゃん」
「お前なんか雇ってる余裕ねえし」
「心配ないよ。ただ働きも可ー。ユキのためなら奴隷に成り下がるよ!!」
「……疲れねえ? そのテンション」
全然疲れない。燃費イイから。
うんざりしたユキを見てようやく落ち着く。少しくらい弱いところを見せてくれたっていいのにと思う反面、落ち込んでいる姿なんか見せられたらどうしようと、俺は正直ビビっていた。
ここまで意気地のない男ではなかったと思うんだけど。カッコ悪い所を一番見られたくない相手は、滅多に乱れる事のない俺の情緒をガッツリ乱してくる。
そりゃもうハンパないくらいに。ユキの隣にいる俺は、センチメンタル・ブルーな感じ。風に吹かれて飛んでっちゃいそう。
……こういうのもね。なんだかね。ちょっと自分で気色悪い。
こんなんだからユキに怒られる。
でも性格だしなー直んないしなー、なんて考えていると、ユキはすでに俺の前から消えていた。
さっさと廊下に出て、エレベーターの方へと直行。不自由なく動ける俺が、左足動かせない奴に置いてかれるってどういうこと。
「ユキちゃん待ってよ! 何急いでんのっ?」
「急いでねえよ、お前が遅い。荷物持ち失格」
失格と来たか。いきなり解雇危機に直面するとは。
こんなの急過ぎる。絶対に労働基準法違反だ。無理やり仕事貰ってから、まだ一分しか経っていない。
奪った荷物はしっかり握りしめているけど、この就職難なご時世。早々に転職先を探す必要が出てきた。
上がってきたエレベーターに乗り込むや否や、すかさずボタンに手をかけた。ユキが入るのを待って、他に乗って来る人がいないのをいい事に、ユキが嫌がりそうな就職活動を開始。
「下へ参りマース」
「あ?」
気味悪い裏声で言ってみたら、隣で変な顔をされた。俺から仕事を取ろうとするからいけない。
「……なんのつもりだ」
「エレベーター……ボーイ? ユキが俺のことクビにしようとするから職探し」
「……お前の中で何が起こったか知んねえけど、余所でやるなよ」
あら。なんだろう、微妙。
怪我してる奴にこっちが心配された。たぶん、こいつはアタマ怪我してるんだろうなって思われた。
そういえばガキの頃、お袋から似たような事言われた記憶があるんだけど気のせい?俺が何かするたびに、余所でそういう事するんじゃないわよと毎日のように言われていた。
成長感、ゼロ。どおりで人生楽しいワケだ。
この調子で降りる時も「一階デース」とほざいたところ、思いっきり呆れられた。俺の隣で溜息ついて、言い返すのも面倒なのかツッコミすら貰えない。
こんな冷めた反応をされたとき、ユキがすこぶる元気な状態だったら俺も何かしらちょっかいを掛けるんだけど。松葉杖ついてる相手に、膝カっクンみたいなちょっと懐かしいイタズラなんかはさすがにできない。
構ってもらえなくてイジケついでにカクっとやってみて、無言だけど凄まじい怒りを買ったのは去年くらいの話だったか。
けど、さっきのは失敗だった。下へ参りますの辺りから、ユキは横にいる俺に目もくれなくない。この荷物をモノ質に取っていなかったら、俺の存在なんか無い物として扱われていそうだ。
ロビーを抜けて外に出ると、ユキの手には早速スマホが。どこに掛けるのかと思っていたら、ここでようやくこっちをチラッと見上げてきた。
その時の、ホントに微妙なくらいの上目づかい。……超クるんだけど。
生きていると、いつどこで何が襲い掛かってくるか分からない。俺はここ一、二カ月、いや、もしかするともうちょっと前から、理解できない不可思議な現象に悩まされていた。
嘘だ思い込みだ錯覚だと、ここに来る度自分に言い聞かせてきた。なのにどうしても、ユキがやたらと可愛く見えて仕方ない。
このヤバい事態は一体なに。シャレにならなくなってきてる俺はどうすればいいの。
ユキがじっと見てくるから、俺もついつい見入っていて。不意に控えめな笑顔なんか向けてきたもんだから、俺の心臓には少女漫画的なドキッ、が生じた。
久々。中学以来か?
俺にも綺麗なココロは残っていたらしい。
「あーすいません、タクシー一台」
タクシー……。ああ、タクシーか。タクシーで帰るみたいなこと言ってたね、そういや。
ガラにもなくぼおっとなっていた俺は、ユキの声で現実に引き戻された。だけどユキは電話を切るまでのその間、ずっとこっちを見てくる。
俺にはあんまり向けてくることのない笑顔を、なんでか知らないけど赤字覚悟の大安売り。口元には綺麗な弧を薄く描いていて、想像力豊かな俺には、その表情が誘っているようにしか見えなかった。
死にそう。ココが病院でよかった。
いや、でも分かってる。大丈夫。俺だってダテに長くユキに付きまとっていない。
スマホをしまったユキは、絶対こう言うに決まってる。
「じゃあ俺はタクシーで帰るから、お前も適当に帰れ」
とか、
「荷物返せ。リープ行けよ」
じゃなかったら、
「いつまでいる気だよ」
こんな感じだろう。
俺の予想では最後。一番温度低いから。
目的の分らない謎の笑顔には騙されないようにしないと。ユキには天然小悪魔の要素があるから、うっかり舞い上がっちゃうと突き落とされた時の打撃が激しい。
怪我人にケガさせられてたら笑えない。
「リク」
ほら来た。やっぱりね。俺は騙されないよ。
絶対言う。マイナス二度くらいのこと言ってくる。
猛吹雪に凍えないように、しっかり身構えて防御態勢に入った。
「お前も乗ってけ」
「ユキちゃん冷たー…………ん?」
乗ってけ?
乗ってけ……って、ストレートな日本語での乗ってけ?
NOTTEKEとか言う、どっかの外国語?
No, take it.だったとしたらネイティブすぎるよ。
「バス来んのまだ先だろ。ボサッと待ってても時間の無駄だ」
「…………」
日本語だった。ノッテケは乗ってけの意味だそうで。
折角用意しておいた切り返し用のセリフだったけど、投げ付けられた言葉が甚だしく予想に反していたから噛み合わないことになった。
駅まで行ける病院発のバスは、確かにまだもうちょっと来そうにない。でもだからって、ユキから乗ってけと言ってくるなんて。
タクには無理やり乗り込むつもりだっただけに拍子抜け。
でもそっか。帰れ、じゃないのか。二年かかってようやく俺の努力が実った。ストーカー行為、続けてきてよかった。
色々踏み外しそうになりながら、大袈裟なまでに感涙しそうになっている俺。だけどそんな俺に、ユキは心なしか嬉しそうに付け足した。
「お前がいればタクシー代半分浮く」
「……え」
タクシー代。
ちょっと……何それ。タクシー代……?
ポカンとしていると、ユキは怪訝に眉をひそめた。
「なんだその顔。まさかお前タダ乗りする気か? 乗せてやるから半分払え」
「…………」
ああ、そうだね。分かっていましたとも。少しでも浮かれた俺がバカだったよ。やっぱこうなるんだ。
ユキの目的はカネ。純情、踏みにじられた。小悪魔ユキは俺を地面に叩きつけるのが上手い。
***
フリーライダーお断り。二人で折半してタクシーを使い、ユキの目的地まで俺も一緒に乗って行った。
着いたのは、やっすいホテル。ユキは運転手のおっちゃんに自宅の住所を言わなかった。なんだろうかと俺は一瞬不思議だったけど、よくよく考えてみれば、ユキが住んでいたアパートはすでに解約済みだ。
一年間家を空けるという事で、ユキはあの部屋の契約を継続せずに明け渡した。あのアパートはボロくて格安だったけど、家具家電は揃え付けだったから、ユキの荷物は元々スーツケース一つ。
二年経てば当然増えただろう身の回りの物は、ニューヨークに行く少し前に実家に送りつけたらしい。
だけどそういう事も含めて全部、俺はなんにも気づいてやれなかった。ユキはしっかりしているし、そうそう他人に頼る素振りも見せないから。
それでなくたって体は辛いはずなのに、ユキはこれから部屋探し。ニューヨークは駄目になって、住む部屋も手放して。どうしてこうも、ユキばかり。
ホテルの三階に上がるエレベーターの中、そう思うとさっきみたいに馬鹿な事は言っていられない。ユキが顔色一つ変えずにいても、これからどうするつもりなのかがひどく気掛かりだった。
「ここ?」
「ああ。つーか、いいのかよお前は。リープ行く気ねえだろ」
「行くよー、ちゃんと。こっからならスグだし」
ユキが持っているキーを受取り、代わりに俺が部屋のドアを開けた。
リープリープって、ユキはそればっかりだ。自分の事だろうと人の事だろうと、とにかくこいつはダンスが好き。
他人に構ってる暇があるんなら練習しろと、そう言いたいのが良く分かる。
だけどもし、俺の時間を潰してるとか世話掛けてるとか、そんな負い目を感じているとしたらちょっと寂しい。それを口に出して言ってくることはなくても、ユキの性格を考えればそう思っている可能性は高い。
二人で狭い部屋に入って、適当な場所に荷物を下ろした。ユキがベッドに座ったところで俺は出て行くべきなんだろうけど、なんとなく、そうはできない。
松葉杖を壁に立て掛けたユキは、いつまでも居座る俺をなんだよって顔して見上げてきた。
こんなのきっと、ユキにとっては大きなお世話。でもどうあろうと、このまま放っておくのは無理。同情とか哀れみとかそういう事じゃなくて、俺が勝手に、ユキを一人になんてさせるのは嫌だった。
こんなことを言ったら、もしかしたらこいつは怒るかもしれない。ベッドの前に突っ立ったまま、堪え切れずにユキを見返した。
「ユキ……あのさ……。部屋見つかるまでウチ来ない?」
「は?」
出し抜けなのは自覚アリ。ユキは怒るというより困惑した表情を見せた。
「……ウチって……何。お前んち?」
「うん。……あー、ユキが嫌じゃなければだけど」
「そりゃまあ……イヤだろ。当然」
ワオ。直球だね、ユキちゃん!
……ファンキーなこと言ってる場合じゃない。面と向かってイヤって言われた。
珍しく落ち込みそうになったけど、幸いにも見る限りは嫌われてるって訳じゃなさそうだ。ユキは足元に引き寄せた荷物をガサゴソやって、何かの薄い冊子を取り出した。
「あの狭いトコに男二人はキツイって。別に陸が心配することねえよ。部屋なんか安けりゃなんでもいいんだし、多分すぐに見つかるだろ」
そう言ってパラパラとめくったのは、住宅の情報誌。手回し早い。
だけどさすがに、まだ決めるには至っていないだろう。俺の部屋だってユキが住んでた所に比べれば全然広いんだから、男二人で過ごしたとしても、言う程の悪環境ではないはず。
第一、俺らの年代で住む場所に困った場合、ふつう最初に頼るのは身近にいるダチ。じゃなきゃ、ネットカフェ。
だけどユキにはネットカフェに寝泊まりするイメージはない。まして怪我してる奴がそんな所に身を置くのを黙って見ていたら、それこそストーカーの名が廃る。
……いいのかな、これで。
けどまあとにかく、そんな訳だから今のユキには俺しかいない。ユキの生活圏にここ二年で一番食い込んでいたのは俺だ。
そう開き直って、情報誌を眺めているユキに食い下がった。
「でもほら、ビジネスホテルっつったって日数かさむと高くつくでしょ。その足じゃ当分はバイトもロクにできないだろうしさ。ちょーっと狭いの我慢すればウチはタダだよ? おいしいご飯も付くよ?」
「野菜炒め?」
「……肉ちゃんと入るもん。肉野菜炒めだもん」
守銭奴にカネの話をチラつかせたのに乗ってこなかった。
なんで。俺の信用力不足?
炒めた野菜が気に食わないなら、ロールキャベツくらい作るよ。なんならトマトソースだって一から手作りするよ。
ユキは是が非でも俺の提案を飲もうとしない。打ちのめされた俺は虚しさ満点。
何で釣れば引っかかってくれるんだか。部屋探しにこだわりはないくせに、俺のトコは嫌っておかしいだろ。
安けりゃ何でもいいって言うくらいなら、タダで寝床にできる俺の部屋も文句ないじゃん。
どこが不満?狭い?野菜炒め?
それとも俺がウザい?……てのはヤメとこう。落ち込んじゃう。
なんか他の手考えないと。
「……そうだなー、じゃあ……あー、そっか。うんうん、大丈夫、分かってるって。ちゃんとベッドも貸すよ? 床でなんか寝かせないから安心して!」
だったらコレだろ、みたいな勢いで一人納得し、思いついたまま持ちかけた。ところがユキは未だ難色気味。むしろ、さらに困った顔をしている。
「え、あれ……違った? んー、じゃあー……」
「陸……」
次の一手を繰り出す前に、静かに呼ばれて俺も止まる。
見るからに、苦慮した様子。頼ってもらうどころか困らせた。
その穏やかな目には、お前がいなくても平気だと突き放された気がする。
「ほんと……いいから。陸が気にすることじゃない。自分で何とかできる」
「…………」
裏を返せば、放っておけ。ひねくれるつもりはないけど、実際はそんなところ。
これは冷たいって話以前の問題だ。他人に寄り掛かることを良しとしないユキは、極力誰にも助けを求めようとはしない。
それがイイとかワルイとか、合ってるとか間違ってるとか。そんなちっちゃい事は関係なくて、どこまでだろうと自分一人で歩いて行くのがユキの生き方。ただそれだけだ。
「そろそろ帰れ。リープ行ってしっかり練習して来い。お前、来月の大会出るんだろ。団体戦」
「あ……うん……」
不意に訊かれて、それ以上は答えられなかった。無駄にぺらぺら喋る自信だけはあったのに、肝心なところで何も出てこなかったらなんの役にも立たない。
こんな風にユキは何でもない事のような顔して訊いてくるけど、実は結構際どい話題だったりする。
ユキが言っているのは、再来月の頭に予定されている大会のことだ。毎年この時期になると開催される、業界内じゃ規模のデカいコンテスト。
ダンスをやっているやつらの間では、そのコンテストの名は知れたもの。リープはここの常連で、去年は俺もユキもチームメンバーとして出場した。
結果は準優勝。その年俺達の上に立ったのは、毎年張り合っている関西のスタジオの奴らだった。
お互い大会ごとに顔を合わせているから、個人個人では仲がいいのもいる。賑やかなそいつらはチェストと言うスタジオの所属で、リープとそこは所謂ライバル関係にある。
調子づいて生意気言ってみると、俺には大会優勝記録なんてものはザラにある。去年のチーム戦だってその中の一つにしかすぎないけど、それでもあの年はいつもとは訳が違った。
あの時、俺の隣にはユキがいた。チームでやるというのは、楽しいとは言え内心では面倒な部分が大きい。練習とか、フォーメーションの話し合いとか、億劫になることもしばしば。
だけどそれがユキの存在一つで大きく変わる。あいつから受ける刺激は、あの日も例外なく突き抜けていた。
そしてそれは、きっと俺だけじゃない。チェストメンバーの一人で、毎年のコンテストで馴染みのある奴がいる。
そいつが言ってた。リープもチェストも、お互いパフォーマンスが終わった後。
ステージ裏で俺にこっそり、「あの見ないカオ誰……?」って。
指していたのはユキ。皆と話しているユキを眺めて、そいつは悔しさと称賛の混じった顔をしていた。
ヤバい。あかん。なにアレ。嘘やろ。有りえへん。
そんなことを素でポツポツ洩らして、今し方度肝を抜かれたライバルチームの一人に、ただただ魅入っていた。
それが証明。ユキの凄さ。成績では俺達を負かした相手が、ユキのことは完全に認めていた。
そんなユキが日本を出て頑張って来ようって言ってんだし、だったら俺だって負けちゃいらんない。今年の大会にも出ようって決めたのは、そういう理由があったからだった。
場所は違くても、一緒に頑張っていたかったから。
それなのに一ヶ月後の事態がこうなっているなんて、予想できたとしたらそれは神サマくらいというもの。
入院中、ユキを見舞ったメンバーは、誰も今度の大会のことに触れなかった。一番悔しいのはユキだけど、マイナスの感情を一つも表に出さないユキを見て、理不尽な現実に皆が悔しさを噛みしめた。
ダンスに全てを賭けているような人間が、今はまだ、普通に歩くこともできない。
もっと思っていることを吐き出したっていいのに。こいつは俺に練習して来いなんて言う。
大会って言葉すら、怖くて言えなかった俺達はなんなんだろう。ユキは強くて、内面が揺らがない。芯のある精神はパフォーマンスにも表れていて、それが見ている奴を惹き付ける。
でもだからって、本当だったら平気な顔はできないはずだ。辛くて悔しくて仕方がないに決まってる。
「……ユキ」
大会出場で俺の気が咎めるのもおかしな話だし、むしろそんな事があったらユキに対して失礼。怪我くらいでダメになんかならないってことは、ユキ本人より、俺が一番信じていたい。
うるさくしているのは得意でも、本気で伝えたいことに限って意外と言葉にならない腰抜けな俺。ベッドの前で立ち尽くしていると、もしかしたら何かを察し、ユキは穏やかな表情で俺の目を見た。
「早く行けっての。お前がチームの足引っ張ってどうすんだよ。サボってるとそのうち皆からフクロにされるぞ」
冗談めかして、遠回しに気遣ってくる。
ユキは強くて、そして優しい。そんなこと誰に言われなくても、俺はすでに知っている。
ずっとそばで、こうして見てきたんだ。ユキの強い所も、優しい所も。
でも、やっぱり。だったら尚更。俺も負けちゃいらんない。
「……ユキちゃんさあ」
「なに」
「……俺が頑張って練習してきたらウチ来てくれるって約束する?」
「は?」
突如持ちかけた不公平感満載の交換条件。黒船以来の不平等に、ユキは思わずあっ気にとられていた。
で、二秒半後に脱力。
「なんでそうなるんだよ……」
「任せとけって。ちゃんとロールキャベツ作るから。頑張ってトマトソースも攻略するよ!」
「お前の中でまた何かが起こったんだな……」
さっきのテーマ。俺の部屋にユキちゃんが居座りたがらないのはなんでなのか考えてみよう、っていうアレ。
その一つを挙げてみたところの、然るべきユキの反応。どうやら問題なのは、野菜炒めばっかの料理メニューじゃなかったようだ。考えりゃ分かる。
不審そうに首を傾げているユキに、自分を取り戻した俺はキメの一言を付け足した。
「俺、ユキのためなら体張れるから!」
「…………」
宣言して、勢いのまま部屋を飛び出す間際。違うだろ……、というユキの落胆した声を聞いた。
***
「……それで。どういうつもりだ、勝手ヌかしやがって」
「君をサライに」
「…………」
言ったことないキザなセリフを、生まれて初めて使ってみた。言われたユキはゲッソリしていた。
ていうのも、ついさっき。俺はユキの部屋を訪れた。
掃除その他もろもろで、格安のこのホテルは昼間の一定時間が在室禁止。そうなる少し前に、部屋を空ける寸前だったユキを訪ねた。
「……ここ一応、宿泊者以外入れねえことになってるよな」
「へーき、へーき。バレないバレない。昨日だって荷物持ちしてたもんねー」
「……なんの用だ」
明らかに気疎い内心示しているユキは、早くも出ていく体勢で投げやりに聞いてくる。俺はその拒否感にめげることもなく、ユキから荷物を奪い取った。
「あ、おい」
左足で踏ん張れないから、俺の動作に抗うことも難しい。渋面を作っているユキを可愛いなーと密かに思いつつ、ズボンのポケットに突っ込んでおいた紙切れを交換に差し出した。
「見て、コレ」
「……あ?」
「証明書!」
訝るユキに渡したそれ。不承不承といった感じで、ユキはその紙きれに目を落とした。
そこにはこう書いてある。
佐竹陸がリープで練習に励んだことをここに証明します。マル月バツ日。超イケメンダンサー、日比谷修二。
「…………」
「修二さんが書いたんだよ?」
「アホだろお前。修二さんまで何してんだ」
子供騙し以下な証明書。リープの奴らには小学生かッ!って大爆笑された。
「でもほら、これでいいでしょ? 昨日約束したよな? 練習頑張ったらウチ来るって」
「してねえし。お前が勝手に言い捨ててっただけだろ。連泊で予約してんだよ、キャンセルしたらその料金取られる」
「せっこーい。ちっちゃーい。モテない男の典型ー」
貶し文句にジロッと睨まれた。冗談が通じない奴はこれだから困る。
まあまあとユキを宥め、ついでにユキが持っている部屋のキーも引っ手繰った。
「なんなんだよ……」
頭抱えてガックリ。怪我してるユキは俺のせいで重体だ。
「こんな所に何日もいるより、俺のトコのが絶対快適だって。キャンセル料ったってハシタ金なんだし、連泊に比べたらずっと安いよ。てことで、行ってみよう!」
「どこに……」
「俺んち!」
無意味に明るくハイテンション。ユキがウザがる、俺の特技だ。
そうしてチェックアウトさせてホテルの外に出た俺達は、適当にタクシーを捕まえて乗り込んだ。
ここから俺のアパートまでの距離は極近。この程度なら歩けると言い張ったユキを打ち負かし、乗車五分のタクシーの中で繰り出したのが、君をサライに発言だった。
で、今。俺の部屋。
ユキがここにいることなんて珍しくもない。珍しくはないんだけど、実は感覚的に新鮮な気分。
なぜなら。お泊まりは初だから。
「なんか今、寒気が」
「……気のせいでしょ」
あっぶねー。伝わっちゃったよ。
伝わるもんなの?俺の情念、スゴクない?
ユキの荷物を下ろして、妙にソワソワしていた心地を取り払った。
別に何しようって訳じゃないけど、一瞬でもイケナイ妄想が脳内を駆け巡ったのはホント。折角連れてきたのに万一気づかれでもしたら全てがパアだ。
俺もとうとうここまでキタっぽい。
「部屋ん中、全部分かるよね? 好きにしてていいから。なんか欲しいもんあったら言って?」
雑念、邪念、その他あんまり口に出して言えない諸々を抑え込み、素知らぬ振りでイイ人ぶる。
体勢を楽にできる場所って言うと、ウチにはベッドしかない。ユキをそこに座らせてから、冷蔵庫の中を探りに行った。
いつもだったら確実、この中にはロクなもんがない。だけど今日に限っては、できるだけの用意をしておいた。
適当に飲み食いできる物を掻き集めてきて、バラバラと広げたのはベッド前のローテーブル上。手を伸ばせば取れる位置にテーブルを引っ張ると、それを黙って見ていたユキは僅かに目線を下げた。
「……ワリ」
こいつにとって、他人から受ける労りは負担にしかならない。
そんな顔しちゃってさ。人に甘えるってことを知らないんかね、このコは。
「……バイト行くんだろ? ここまで面倒みてくれなくても……」
「何言ってんのっ。俺とユキちゃんの仲はこんな程度じゃないはずだよ!!」
「意味分かんないんだけど」
そこはアッサリしてるのか。
容赦ないシャットアウト。ささやかに落ち込みながらも、俺は負けじとベッドに座りこんだ。
ちゃっかりユキの隣を陣取り、どさくさに紛れて肩に腕を回してみる。三秒で払い落された。
「重い」
「そんな冷たいこと言わないでよ。もしかして俺の愛が伝わってない?」
「大丈夫か、お前」
大丈夫だったら苦労してないよ。末期だろ、コレは。
正直、払い落してくれて助かった。ノリで適当なことすると痛い目に遭う。
ユキに片手で促され、俺もしぶしぶその場で立ち上がった。これからバイト行ってリープ行って、ここに戻って来られるのは遅い時間帯。
お互いどこにいようが、顔を合わせていられる時間はタカが知れている。
「なんかあったら電話しろよ?」
「平気だっての。心配しすぎ」
ユキはこの調子。欠片程度でも何かしら期待する方が間違いだ。
後ろ髪引かれる胸中、かと言っていつまでもダラダラしていると絶対に怒られる。ユキにこの部屋の合鍵だけ渡してから、俺は一人、この場を後にした。
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