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「キレイだ」

旦那様が、うわ言のように呟いた。
焦点があっていない。

「え……」

容姿のことを褒められた事など、実母が生きていた頃以来だ。

「はっ……
……それで、何故サルヴィア公爵家ウチに来た?  フランク公爵家のご令嬢であれば、不能公爵のことは知っていただろう」

「私は、フランク公爵家の者とは考えられておりませんでした。ですから、サルヴィア公爵家の事情は存じませんでした」

「そんな、ばかな。かなり昔の話だが、フランク公爵が前サルヴィア公爵に、娘ができたと嬉しそうに語っていたのを、覚えてるぞ」

「実母が生きている頃は、大層可愛がってくれました。しかし、私に魔力操作の才がないと分かると、あからさまに疎まれるようになって……継母が来てからは……」

「わかった。
もう、わかったから……顔を、こちらに寄せろ」

旦那様の指が、すっと、頬を撫でた。

「泣くな」

「え……」

言われるまで、気がつかなかった。

「さっきから、ずっとだ。
綺麗なのが、台無しだ」

「そんな。綺麗だなんて、おやめ下さい」

「 俺は、心にも無いことは言わない」

旦那様がムッとした様に言った。

「あっ!  さては、ヨガのことも疑っているな」

「え?  アドルフに言われたから、始められたのでしょう?  」

「違~~~~うっ!!  
俺が参加したかったから、参加したのだ。
窓からみえる貴女とリアが、あまりにも楽しそうで、綺麗にみえたから……」

「こっ、こちらが恥ずかしくなります!!  」

「何を恥ずかしがることがある?  事実、綺麗なのだから、胸を張っていればいい」

だめだ。埒が明かない。

「──こっ、婚約解消の件をご了承いただき、ありがとうございます」

「えっ?……あ、ああ」

話を強引に戻すことにした。

「三日の内に荷物をまとめて、ここを発ちます」

サルヴィア公爵家ここに来てからは、アドルフやリア達のお陰で、本当に幸せだった。

──嫁いできた日。温かく出迎えてくれた公爵家の人々。

──ジャンや料理長と作った、たくさんの料理。
旦那様の食の進み具合から、次の献立を話し合った日々は、とても楽しかった。

──リアや侍女たちと繰り広げた女子トークの数々。合間には、掃除や洗濯だってこなした。

そして、リアと……旦那様と、数少ない時間を共有できた朝ヨガ。

たった1ヶ月ほどしか居なかった筈なのに、濃密な思い出が走馬灯のように巡っていく。


……フランク公爵家実家は、アルネを再び受け入れてくれるだろうか。

不安は、いっぱいあった。
しかしそれは、サルヴィア公爵家には関係の無いこと、だ。

「ま、まて……」

頭を下げ、入口に向かいかけたところで、旦那様が立ち上がった。
立ち上がろうとして、バランスを崩した。

「あぶないっ!!  」

咄嗟に、旦那様を押しやり、体を差し込んだ。細身とはいえ長身の旦那様を、1人で支えるのは無理だ。

ボフンっ。

何とか、ベッドの上に着地できた。

「だっ、大丈夫ですか?  アドルフを呼んできましょうか 」

「いや……すまないが……しばらく、このままで……いさせてくれ」

「……はい」

額には薄らと汗が浮かびあがり、顔色も悪い。

(……かっこいい)

不謹慎にも、苦悶に顔をよがめる旦那様に見蕩れてしまった。
元々の目鼻立ちの整ったお顔は、少し窶れた様と相俟って、儚い色気を放っていた。

なにより、こんなに真近で殿方の顔を見つめながら、抱きしめられた経験など……ない。

高鳴る心臓が、なんとも恨めしかった。

「……すまない。もう、大丈夫だ」

旦那様がゆっくりと目を開けた。頬には、血色が戻りつつあった。

起き上がるのを手伝い、2人でベッドに座る。

「アドルフを呼んで参りま……」

「まて。話の途中だ」

ぐっと、体が引き寄せられた。

「……俺の傍にいて欲しい」

「……え」

澄んだ瞳に見つめられて、言葉を失ってしまった。

「貴女は、貴女がサルヴィア公爵家の役に立たないと言った。しかし、この屋敷で、最も役に立っていないのは、この俺だ。
貴女を追い出すのなら、俺も共に行かねばならなくな…………まてよ、それも面白いか」

「なんと言うことを!  」

遠くを見つめながら呟く旦那様を、慌てて止めた。

「ずっと、考えていた。爵位を返上して、静かな暮らしを送ることを。
貴族達は、国王陛下が不能公爵を庇い立てすることを、よく思っていない。俺が、何もせず、公爵位に居座り続けるのも、そろそろ限界だろう。
幸い父が残してくれた財と、この屋敷を手放せば2人でも十分な暮らしが送れる」

「アドルフやリア、そして、メイド達が困ってしまいます」

「それなら、心配いらない。
公爵家の使用人彼らは優秀だから。なんと言っても、俺がこんな状況でも、公爵家をまわしているんだからな。サルヴィア公爵家ウチが手放せば、他が喜んで雇うだろう。
……むしろ、俺達の方が困りそうだ。アドルフと、リアだけでも、連れていく……」

「落ち着いてください!先ずは、お身体を治されてから、です。
また、倒れてしまわれます」

「…………たしかに、そうだな」

旦那様が、大人しくベッドに横になった。
一緒に体が持っていかれる。
右腕に抱きとめられたまま、ちょうど腕枕をして貰う格好だ。

「ミズーリ領にあるエミリュー湖の湖畔に、たしか、国王陛下が別荘をお持ちのはずだ。そこら辺一帯を頂いて、4人で暮らそう」

旦那様が、目を閉じたまま呟く。
アルネも、想像してみた。

それは、とても美しく、そして、とても楽しそうな情景だった。

「私も、お供してよろしいのですか?」

「もちろん。俺には、貴女が必要だ。
貴女が居ないと、俺はそこにいけない。そして、貴女がそこに行くなら、俺も着いていかねばならないしな」

「ふふっ」

思わず笑ってしまった。
不思議なお理屈と、『必要だ』という、なんとも、擽ったい言葉の響きに。

「笑顔が戻ったな」

片目を開けてアルネの表情を確認した旦那様が、満足げに微笑んだ。

これまでに味わったことのないほどの温もりと、幸福感にじんわりと包みこまれていた。
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