お前のものになりたいから

りふる

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13.感じたい-1

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 起きるとやっぱりリッキーの胸にしがみついて眠っていた。

――情け無い……

 こんなヤツだったのか? この程度か? もっと勢いよく生きてきたような気がするのに。そうだよな……そう簡単に割り切れやしないだろう、僕の中の僕には。

 そんな風に他人事のように考えていた。リッキーの顔には疲れが見えて、また夕べも困らせたのかとそれにも落ち込む。あの1回でこれほどダメージを受けるんだ、リッキーはどれだけの傷を抱えているんだろう。『数じゃない』そうお前は言ったけどやっぱり数だよ。そう思う。

 お前が頑張れたのに僕が頑張れないわけ無いよな。起きたことは受け入れ難いことだったけど、もう僕には前に進む準備が出来たはずだ。意外に今日は冷静に思い返しているじゃないか。思い出したあいつの言葉は確かに僕を切り刻んだ。けど、あいつにはもうそれ以上何も出来やしない。

 今は昨日程苦しくない。少しずつ自信が沸き上がってくる。まだリッキーとも浅いキスしか出来ない。けれど徐々に落ち着いてくるだろう。きちんと自分の中に吸収していけるはずだ。大丈夫。やっていける。長いことバイトも休んでいるし。

 現実が徐々に見え始めて、頭から飛んでいた生活費や授業料のことが浮かんだ。そうだ、こんなことにかまけてる場合じゃない。入院費や治療費、そしてこれからの通院に関わる費用は全て病院側で持ってくれると聞いた。シェリーとリッキーが病院に談じ込んだんだ。今は慰謝料の話が進んでいるらしい。

 それでもバイトには戻ろうと思った。これまでの生活スタイルを保っていくことが今の僕にはきっといい薬になる。もう自分をコントロールして行かなくちゃ。

 そっとベッドを下りて時計を見ると結構な時間だった。軽くシャワーを浴びようと歩き出した時。まるで『ガンッ!』とぶん殴られたような衝撃が身体中に走った。
 止めどもなく溢れ出す記憶。その中で必死に自分を掴んでおこうとするのに両手の隙間からこぼれていく……

思い出した……

『もっと気持ちよくなるよ』

言葉が浮かぶ
耳に忍び込む声
そして次に襲ってきたデカい芋虫みたいに蠢く生温かい舌の感覚


「フェル!」

振り向いた自分が揺れているのが分かった

「リッキー……僕は………」

そこまで言うのがやっとだった

感触が口の中を這い回る ざらりと舐め上げられた自分の顔
頬に口に粘り気のあるモノがかかる
自分の体に食い込む歯  握り込み容赦なく上下に動く手

僕は……動けない……動けないんだリッキー動けない……

​「りっきー   やめさせ……て……」

耳を塞いだ 聞きたくない粘る音 聞こえるんだ音が声が、動いてる口の中で芋虫が、
張ちきれる僕を見てあいつが笑う 僕が   イく…………

「 りっき……  」

正気を保つことなんて出来やしない 目を閉じてただ繰り返した
魔法の呪文 あの中で繰り返した呪文 ただ一つ 縋ることが出来た呪文

「…きー  りっきー … りっきー どこ …りっきー ……」

「ここにいる、フェル、俺はここだ! しっかりしろ!」
「りっきーやめさせてくれ……ころしてくれ……ころし……てくれおねがいだやめさせてぼくをころしてくれりっきーぼくを……」
「あいつはいない!  いいか、ここにいるのは俺だけだ、今お前を掴んでるのはこの俺だ!  あいつはもういない、お前に何も出来やしねぇんだ!」

 抱きしめられる。手の温度が伝わってきた。リッキーの声が届く……。

そうだよ、今抱きしめてくれてる手はあいつじゃない。リッキーの手だ。
あいつは僕を抱きしめやしなかった、僕はただの物だったから。
この手を握ってさえいれば安全なんだ。​



「言うのが遅過ぎたかもしんねぇ」
ベッドに横たわった息を吸うのに必死な僕を抱きながらリッキーが髪を撫でてくる。
「違う 、僕がだらしないんだ、こんなに自分が弱いと思わなかった」
「そんなことねぇ。フラッシュバックだ、事故の後じゃ誰にでも起きる。もっと早く対処するべきだったんだ」

ぴくっと小さく体が跳ねた。現実に戻ってきたはずなのに、まだ口の中に芋虫が入り込んでくる生の感触がする……

「フェル、俺には何も隠すな。辛い時は言えよ……芋虫のこと、知ってる」
「え  なんで知ってる……」
「お前は時々覚えてる限りのこと、うなされて言うんだ。起きてる間は頭が上手に記憶に蓋をしてんだよ、防衛本能から」
「それを……全部聞いてたのか?」
「俺にはそれしかしてやれなかった。だから全部知ってる。お前がどれだけ苦しんで俺に助けを求めたか。俺の名前を呼び続けるお前にずっとここにいるって言い続けてた」

だからカウンセリングに連れて行ったのか。

「お前ん中でいつかこんな風に夢と現実がごっちゃになるんじゃねぇかって怖かった……あの手術ん時の医者には早くカウンセリング受けさせるべきだって言われてた。でも俺が怖かったんだ、お前ん中じゃ無かったことになってたから」
「僕は……」

どう言っていいか分からない。

「リッキー、僕と一緒に戦うって言ってくれたね。僕は現実が見えてなかった。すぐにもこんなこと乗り越えられると思ってた。こんなんでリッキーとやっていけるか……すごく不安だ、迷惑かけてるばかりで」

抱きしめてくる腕に力が入った。
「俺は離れねぇよ。フェル、いつまでもそばにいたいんだ」
額にキスが落とされる。
「自分を取り戻したい、リッキー。傷も早く治したい」
「フェル、それな……」
躊躇う声が消えかかる。
「なんだよ、今さら何も隠すなよ」

もう全てを知らなければ。前に進むために。

「お前は中を3か所も縫った。医者は目を背けたくなるほど酷かったって言ってた。薬を塗るのも消毒するのもホントに大変だったよ。いつも俺にしがみついてた。酷い痛みに何度も局所麻酔をした。もう一度手術しなきゃなんないとも言われた。経過を見てやらなくても済んだけどな」

僕の顔に手を添えてしっかりと言う。

「ファントムペイン って知ってるか?」
「ファントムペイン?」
「ああ、よく足を切断されたりした後に感じる痛みのようなもんだ。無いはずの足の先が痛むような」

イヤな予感がした。

「今はもう治ってんだよ、お前の傷」

​ 精神的な問題。退院してから実際に通院が必要だったのは一週間に一度くらい。その内それも必要じゃなくなっていたという。けど僕は頻繁に通い続けた、痛むから。病院側は余計なことを突っつかれたくないせいで痛み止めを出し続けた。騒がれたら困る。
 こんなに痛むのは、脳に刷り込まれた痛みなのか? あの取り違えた記憶みたいに。生々しい痛みがここにあるのにこれは嘘か?


 今リッキーは眠っている。『もう一度寝たい』と、じっとしてたら安心して眠った。天井に目をやりながらぼんやりと考える。これからどうなっていくんだろう。

 前はもっと単純明快だった。好きだから一緒にいる。お互いを守り、守られる。セックスを楽しんで、リッキーにイヤなことを全部忘れさせたい。

 もっと堂々としていた、何もかも吹き飛ばすように。

​ 傍を見る。何か食べさせなきゃ。よほど疲れているのかさっきと変わらぬ体勢で寝ているのを見ると、とても起こす気にはなれない。買い物に行って来ようか。リッキーに何かしてやりたい。

 病院から戻って、買い物はリッキーがしてくるようになった。固い椅子に長くは座れなかった僕は、すっかり部屋から出ることに臆病になっていたから。

 病気から来ている痛みじゃないことが分かった今、自分を甘やかす理由はなくなったような気がする。食事もオートミール一辺倒はさすがに飽きた。リッキーは排泄に苦しんでる僕の食事にはすっかり神経質になっていてそんなものしか買ってこなかった。オートミールとスープとミルクの3点セット。これにフルーツとかチキンとかちょっとしたものがつくだけ。
 内臓は何ともないんだ、実際には傷さえ回復している。久し振りに自分で買いに行って来よう。歩くことをしたかった。

『飯、買ってくる』 そうメモを残して僕は出かけた。



「あんた何やってんのよ!」
(この声は)と振り返ると、そこにシェリーが立っていた。
「買い物だよ。テイクアウト。たまには自分で買いたくてさ」

よくこの広い中でばったりと出くわしたものだ。何だか悪戯を見つかって怒られてるような気分。

「リッキーはどうしたの?」
「寝てる。疲れてるんだよ、僕が厄介かけてばっかりいるから」
「かけられたい厄介だってあるわよ」
いつもながらシェリーの言葉は奥が深い。
「でも、かけたくないっていうのも分かるだろ?」
「分かるけど。あんた、一人で出歩いちゃだめよ」
「なんで?」

そう言えばどこに行くのにもリッキーが一緒。最近一人になることなんてなかった。

「あんたにケンカ吹っかけたい連中、結構多いのよ。入院前あちこちでかなり暴れ回ったでしょ? 元気な時なら放っておくけど、今はそんなわけには行かないわ。どうしても買い物したいなら私も一緒よ」

 シェリーは こう! と決めたら絶対引かない。ま、僕もそうだ。双子だから変な所が一緒なのか。ため息ついて僕は1人歩きを諦めた。



「何を食べるつもりだったの?」
「オートミール以外」
「リッキーが可哀そう! あんなにあんたのために色々考えてるのにそんな我が儘言うなんて罰当たりもいいとこよ」

早速お説教。これじゃきっと健康的なもの以外は買えそうにない。ささやかながら冒険的食事をしてみたかったのに。

「スープとバケットとオレンジジュース。あとマッシュドポテトとヨーグルト。朝食なんだからこれでいいわね?」
「それ、疑問形になってないよね、決定事項じゃん!」
「当たり前でしょ! これであんたがバカみたいなもの食べたらリッキーに合わせる顔無いじゃない!」
ちょっと不貞腐れてみる。こんなとこ、シェリーにしか見せられないけど。
「あのね、大事にされてること、もっと自覚しなさいね。元気になったらいくらでも好きなことしたらいいわ。けど今はリッキーの言うことをちゃんと聞いて。そして一人では絶対に出歩かないこと。分かった?」

 僕は子どもなんだ……きっとシェリーから見たらそうなんだろうな。同じ年じゃなくて、うんと年下の弟に見えてるんだろう。

「分かってるよ、リッキーが心配してくれてること。でもいつまでも甘えていられない」
「まだ……早いわよ、現場復帰は」
シェリーの声が小さかった。
「いつまでも立ち止まってるわけには行かないんだ。僕はもう知ってるよ、何もかも。だから今、何とかしなきゃならないんだ。じゃないとホントにダメになってしまう。僕はあのことをきちんと終わりにしたいんだよ」

シェリーの目が大きくなった。
「リッキーに聞いたの?」
頷く僕を見てみるみる涙が溢れ始める。僕は焦った。だって、これは僕の知ってるシェリーじゃない。
「シェリー、僕ハンカチ持ってない」
我ながらなんてとんちんかんなこと、言ってるんだろう!
「バカね。ああ、みっともない!」
指で涙を払ってにっこりと笑う。
「そう、知っちゃったの。で、一人で買い物に来たのね?  偉いじゃない!」

バン! と肩を叩かれた。シェリー、今の台詞はすっかりお姉ちゃんだよ。でもそこまで僕は小っちゃくないよ。

「じゃ、話が早いわ。ホットドッグ食べなさい、あんた好きでしょ?  栄養つけなきゃ。コーヒーも飲むといいわ」
話、早過ぎだろ! でも今の提案はとっても魅力的だ。リッキーにも同じものを買って行こう。
「トイレもね、力入れずに自然体で入ってなさい。ちゃんと普通に出るようになるから」
「シェリー!! それ以上はたくさんだ!」

僕があたふたしてるのを見てシェリーは笑い転げた。まったくもう、たまんない。しまいには僕まで笑い出していた。さすがシェリーだよ、沈鬱な気分が飛んでいく。
 落ち着いてシェリーと話すのは久しぶりだ。あのせっかちなシェリーが、僕のテンポに合わせてゆっくり歩く。
「元気じゃないあんたなんて面白くもなんともない。早く元の生意気なただの馬鹿に戻んなさいよ」
憎まれ口で励ましてくれるシェリーにはこれでも感謝してるんだ。

「そう言えばお礼言ってなかった。所々ならちゃんと覚えてるんだ。ナースたちにクッキーをありがとう」
「あれ? 気にしなくていいわよ、気が向いただけ」
「でもあのお陰でリズが……」



 リズが?  リズがなんだっけ

「あんた、真っ青! こっちいらっしゃい!」

 僕の目の前であの病室のドアがころしてくれ開く、中を覗いたリズと目が合った、ころしてあいつの揺れる肩越しに……驚愕した顔が部屋をころしてくれ出て行……まって……まってころし



「フェル! 後ろ!」

 シェリーの叫び声がした時には、僕は地面に倒れていた。
「悪い、悪い。こんなとこでボーッと突っ立ってちゃ危ないぜ」
駆け寄ろうとするシェリーの足が見えた。
「いい身分だな、リッキーがいないとシェリーか。ど っちもってのは欲張りだと思わないか?」

 蹴る、蹴る、蹴る。頭と腹を庇うのが精一杯。すっかり体がなまっていてケンカにもならない。あっという間に丸くなった僕の背中はサッカーボールになっていた。こうなったら無抵抗にやられるしかない。その方が安全だ。蹴られる中で考えてたのは、最後にケンカに負けたのいつだっけ? ってこと。

 でもそんなことを考えていられたのは、今の僕の一番弱いところを蹴られるまでだった。突き抜けていく痛み……
『傷は治ったんだ』
頭でそう分かっていても、まだ僕には準備が出来ちゃいない。全てのことが頭から吹っ飛んだ。

――痛ぇな! この野郎ッ!!

 頭も腹も晒して目の前の足を掴んだ。力の限り引っ張って引きずり倒す。腹の虫が収まらない、蹴ったのが誰だっていい、コイツは倒してやる。

 僕は死なない! 死んでたまるか!
 あんなヤツの幻影にこのまま殺されてたまるか!!
 こんな幻に殺されてたまるか!
 殺されるために生きてるわけじゃないっ!



 尻もちをついたコイツのもう片方の足が死に物狂いに抵抗する。顔面に飛んでくる蹴り。それでも抱き込んだ足を違う方向に向けていく。何がなんでも折ってやる!
「離せ! 離せっ」
誰が離すか! これは、折る!
 僕の中で溜まっていた何かが吹き荒れて、コイツの足は限界点を越えていい音を立てた。

 いつの間にか後ろの蹴りが止んでいる。誰かが背中に抱きついていた。腹に回った手を見る。
「シェリー!」
「どけ! 女を蹴る趣味はない!」
「いやよ、どかない!」

僕はシェリーの小さな体を自分の下に抱え込んだ。でも覆い被さった背中に来た蹴りは1発だけだった。倒れる音がする。

「殺されてぇか?」
低くて唸るような声。リッキーだ。
「ってか、俺殺す、お前を」
静かな殺気を帯びた声。誰かが叫んだ。

「警察、呼んだぞ!」
足が折れて転げ回る仲間を抱えて、連中は逃げ始めた。
「覚えてろよ!」
「こっちの台詞だ、バカヤローッ! 次会ったら絶対てめぇ殺す!」

 シェリーが這いずり出る。

「遅いじゃない!」
「これでも連絡もらってすっ飛んで来たんだ!」
抱き起こされて僕は呻いた。
「フェル、どこ蹴られた! 一番痛いのはどこだ!?」
リッキーが僕の体をまさぐる。
「大丈夫だ……」
なんとか焦りまくるリッキーを落ち着かせたかった。

「起きたらお前いなかったから……どんだけ心配したと思ってんだよ!」
「ごめん……」
「シェリーからリンチされてるって聞いて俺は心臓止まるかと思った……間に合わねぇかと……」
リッキーがしがみついてきてキスの雨を降らす。
「ごめん」
僕はまたそう呟いた。本当にごめん、リッキー。

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