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3.蓮に会いたい……
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6月上旬。
仕事はハードなまま日々定時で上がることが厳しくなっていた。平社員のジェイたちは帰れても課長職は残業が続いている。会議に次ぐ会議。昨今のシステム開発分野は出遅れれば花が枯れるように会社が萎んでいく。
ジェイは最近帰りの遅い蓮が気がかりでならなかった。前に蓮が言っていたように帰ってくると首筋に熱いタオルを当ててやる。酷い時にはワイシャツを脱ぐ前にソファに座り込んでそのまま倒れるように眠ってしまう。チームに誰か欠員が出れば蓮は必ずそこに入る。当たり前のようにどのチームの状況も全て把握し、業務の遅滞を許さない。顧客の情報分析の精度は高く、手早い。
「心配するな、この時期はこんなもんなんだ」
そう言われても疲れ切っている蓮を見ていると心配でたまらない。朝起きるのもかなり辛そうだ。
そして、ある朝……
「連! どうしたの? 時間だよ!」
「悪い、先に行っててくれ。俺はバイクで行く」
「え、大丈夫?」
「ああ、その方が早いし」
起こしても起きられなかった蓮が慌てて支度をしている。
「俺、1時間遅れていくよ。支度、手伝う」
「大丈夫だから行け。もう終わる。今日は朝からミーティングだからな、のんびりしてられないし」
「分かった。じゃ、行くよ」
自分が心配かけちゃいけない。そう思ってジェイは家を出た。空を見上げると今にも雨が降り出しそうな気配だ。
(蓮、大丈夫かな)
雨が心配だから帰りはバイクじゃなくて電車で帰って来てほしい。そう思った。会社に近づく頃には本格的に雨は降っていた。
会社に着いて30分。蓮の姿がなかなか見えない。
(どうしたんだろう?)
廊下でこっそり電話をしてみた。もしバイクに乗っていれば気がつかないだろうが。
(渋滞、バイクも引っかかってんのかな)
蓮がミーティーングに遅れるなんて今までに一度も無い。少なくともジェイは知らない。
さらに20分過ぎてみんなも騒ぎ始めた。
「おかしくない? 課長が連絡も無しで遅れるなんて」
「そうだな、こんなこと初めてだ」
池沢や野瀬でさえ驚くほどだ、やはり過去にもそんなことは無かったということだろう。
「こんなことをしててもしょうがない。携帯は繋がらないし、チーフだけで集まってミーティングをしよう。案件のスケジュールを立て直さないとならないからな」
ベテランの田中が野瀬と池沢を連れて会議卓で打ち合わせを始めた。
「ちょっと」
三途川がジェイを部屋の隅に呼んだ。
「どうしたの? 課長、何か言ってた?」
ジェイは首を振った。
「先に行けって言われて。すぐ行くからって」
電話が鳴る。いくつも鳴っていた電話の中でその電話に出た野瀬チームの橋田菜美の顔が徐々に固まっていった。
「分かりました! ご連絡、ありがとうございます!」
声が大きかったからみんなの手が止まった。
「課長、事故!!」
「え!?」
「バイクがスリップしたらしいの。詳しいことはまだ分からないけど実家のお母さんからの電話でした!」
ジェイは橋田が言っていることが呑み込めなかった。池沢が飛び出してきた。
「病院はどこだ!」
「北浦総合病院です、今ご家族がいらしてて手術中だと言ってました!」
「俺が行ってくる! みんなは落ち着いて仕事していてくれ。三途! チームは頼んだぞ!」
「俺も行くよ!」
野瀬も上着を掴んだ。
「田中さん!」
「ああ、大丈夫だ。こっちは任せてくれ。連絡を待ってる」
二人は飛び出して行った。
思わず上着を掴もうとしたジェイの腕を哲平が掴んだ。
「池沢さんが行ったんだから大丈夫だよ。俺たちは仕事を進めながら連絡を待とう」
(なにがおきたの? れん、くるよね? そう、あさいってたよ、くるって)
ただ呆然とするジェイを三途川が廊下に連れ出した。
「しっかりなさい! 今あんたは何も出来ないの。ご家族はみんな病院に行ってるはずよ。みんなには上手いこと言っておくから今の内にマンションに行って目につく自分の物、片づけてらっしゃい。きっと家の人が課長の身の回りの物を取りに行くわ。その前に家の中を整理するのよ。いいわね? その後会社に戻っておいで。様子が分かれば連絡してあげるから」
(おれ、おれ……)
病院にも行けない。部屋にもいられない。平気な顔をして仕事を……
(おれ……れん、おれ、どうしたらいい? どうしたら……)
言われるままに会社を出て傘を広げていつもの電車に乗った。
(あ、あれも片づけなきゃ。あ、あれもだ……)
三途川の言った言葉だけを繰り返して自分に言い続けた。
マンションに着いて大きな袋に自分の物をただ突っ込んでいった。
――目につく自分の物を
三途川はそう言った。
(バスルーム)
シャンプーとボディソープ。枕はクローゼットにでも突っ込んでおけばいいだろう。食器はいくつかあったとしてもきっと平気だ。靴は持って行く。そうだ、下着、どう見ても蓮が着そうにない服、あ、ジェルはまずい、そうだった、ハンカチ無いと困る、歯ブラシ2本立ってちゃだめだ……
動くのを止めると崩れそうだった。結構増えていた自分の物を何袋にも分ける。
「タクシー、呼ばないと」
携帯でタクシー会社に連絡した。鍵をかけようとドアを開けて部屋を振り返った……
「れん れん れん……!」
思わず寝室に飛び込んだ。蓮の枕を持つ。これを持って行かないと死んでしまうと思った。ベッドにはクローゼットに突っ込んだ自分の枕を置いて、大きなゴミ袋で蓮の枕を包んで袋に無理やり入れた。
もう渋滞の時間は過ぎていて、タクシーは呆気なくアパートに着いた。ちょっと待っててもらって2回に分けて荷物を運び入れた。
雨だから部屋が暗い。蛍光灯を点ける。ぼんやりとした灯り。くすんだ色の部屋。陰気臭い匂い。
ジェイは蓮の枕を取り出した。いつものように顔を埋める……涙が…… 顔を枕に押しつけたままジェイは声をあげて泣いた。
(れん しんじゃいやだ しんじゃいやだ れん! しんじゃいやだ!!)
もう、大切な人に置いて行かれたくはなかった……
どれくらい時間が経ったのか分からなかった。いや、そもそも時間のことなど念頭に無かった。携帯の着信バイブに我に返った。三途川からだ。
『課長、無事よ。手術って言っても足の裂傷が酷かったからその処置だった。左脚が骨折。右肩の脱臼は治したからしばらくすれば大丈夫。脳震盪起こしてるから今は安静に。会社に来なさい。みんなにはあんたがショック受けたから休憩取らせたって言ってある。とにかく来なさい』
あまりにも心配と不安に包まれて悪いことしか思い浮かばなかったから、メールを何度も読み直しなてやっと涙ぐっしょりの笑顔になった。
「蓮、良かった……良かったね……良かった……」
携帯を握りしめて、良かった を何回も繰り返す。自分にも良かったのだと分からせたかった。
落ち着いてきて顔を洗った。もう一度枕を抱きしめる。身なりをきちんと整えて靴を履き枕に振り返った。
「蓮、行って来ます」
「ごめんな、俺気遣い足りなかったよ」
入るなり哲平が謝ってきた。
「お前にとって課長は特別な存在なんだよな。ここに溶け込まさせてくれたの、課長だし」
「ジェロームにとって課長はお兄さんみたいなものかしら」
千枝の言葉に三途川がジェイに向かってウィンクを投げて寄越した。
「すみません、ご心配をおかけしました。仕事します」
華が肩をポンっと叩いた。
それから少しして池沢が帰ってきた。
「脇の公園から何か飛び出してきて咄嗟に避けようとしてスリップを起こしたらしい。周りの話じゃ猫に見えたらしいが。危なかったよ、引っ繰り返った反対側はトラックだったからな。その運転手が救急車を手配してくれたんだ」
「疲れてたから反応が遅れたんじゃないの? このところの課長の残業、半端ないもの。もし彼女や奥さんいたら放っとかないでしょうけど。関さんなら絶対に栄養あるもの作ってあげただろうに何で別れちゃったのかしら」
何気ない菜美の言葉はジェイの心を抉った。
(俺……してもらうばっかりでなにも蓮にしてなかった……)
後悔が生まれる。熱を出した時に蓮はちゃんと看護してくれた。なのに……
「菜美ちゃん! 二人はもう終わってるし関さんは結婚前なのよ。変なこと言いださないでちょうだいね」
「ごめんなさい……」
三途川の鋭い叱責に菜美は慌てて口を閉じた。
「とにかくしばらく課長不在が続く。上からの指示を待たなきゃならないが多分田中さんが業務を引き継ぐだろう。みんないろいろ心配だろうがいつも通り仕事をこなしていこう。課長が戻った時に呆れられないようにな」
「はい!」
その返事の中にジェイの声は入っていなかった。
(蓮、今どうしてるの?)
そばに来た三途川がジェイをちょっとこずいて池沢に聞いた。
「それで課長は今どうなんですか?」
「今日は多分眠りっぱなしだろう。大丈夫さ、ご家族がいるんだし。お母さんがつきっきりで世話するんじゃないか?」
(それじゃそばには行けない……)
「たまに俺が見舞いに行って様子を見てくるよ。あんまり大勢で行くわけには行かないからな」
残酷な現実が次々と突きつけられてくる。
――陽は当たらないぞ
蓮の言った言葉。自分は『その他』の一人に過ぎない……
その夜も、その次の夜も蓮の枕を抱いて過ごした。食べられない、眠れない。蓮に何もしなかったという後悔。蓮に何も出来ないという苦しい思い。全てがジェイの感情に突き刺さり、持っている心の砦を剥ぎ取っていく。
母の葬式を遠くから眺めていたのと同じ。そばにいることも何をすることも出来ない。残ったのは空しい自分だけ。
そして防衛本能が働く。存在するために。一度剥がれた殻が徐々に再生されて行く。
仕事はハードなまま日々定時で上がることが厳しくなっていた。平社員のジェイたちは帰れても課長職は残業が続いている。会議に次ぐ会議。昨今のシステム開発分野は出遅れれば花が枯れるように会社が萎んでいく。
ジェイは最近帰りの遅い蓮が気がかりでならなかった。前に蓮が言っていたように帰ってくると首筋に熱いタオルを当ててやる。酷い時にはワイシャツを脱ぐ前にソファに座り込んでそのまま倒れるように眠ってしまう。チームに誰か欠員が出れば蓮は必ずそこに入る。当たり前のようにどのチームの状況も全て把握し、業務の遅滞を許さない。顧客の情報分析の精度は高く、手早い。
「心配するな、この時期はこんなもんなんだ」
そう言われても疲れ切っている蓮を見ていると心配でたまらない。朝起きるのもかなり辛そうだ。
そして、ある朝……
「連! どうしたの? 時間だよ!」
「悪い、先に行っててくれ。俺はバイクで行く」
「え、大丈夫?」
「ああ、その方が早いし」
起こしても起きられなかった蓮が慌てて支度をしている。
「俺、1時間遅れていくよ。支度、手伝う」
「大丈夫だから行け。もう終わる。今日は朝からミーティングだからな、のんびりしてられないし」
「分かった。じゃ、行くよ」
自分が心配かけちゃいけない。そう思ってジェイは家を出た。空を見上げると今にも雨が降り出しそうな気配だ。
(蓮、大丈夫かな)
雨が心配だから帰りはバイクじゃなくて電車で帰って来てほしい。そう思った。会社に近づく頃には本格的に雨は降っていた。
会社に着いて30分。蓮の姿がなかなか見えない。
(どうしたんだろう?)
廊下でこっそり電話をしてみた。もしバイクに乗っていれば気がつかないだろうが。
(渋滞、バイクも引っかかってんのかな)
蓮がミーティーングに遅れるなんて今までに一度も無い。少なくともジェイは知らない。
さらに20分過ぎてみんなも騒ぎ始めた。
「おかしくない? 課長が連絡も無しで遅れるなんて」
「そうだな、こんなこと初めてだ」
池沢や野瀬でさえ驚くほどだ、やはり過去にもそんなことは無かったということだろう。
「こんなことをしててもしょうがない。携帯は繋がらないし、チーフだけで集まってミーティングをしよう。案件のスケジュールを立て直さないとならないからな」
ベテランの田中が野瀬と池沢を連れて会議卓で打ち合わせを始めた。
「ちょっと」
三途川がジェイを部屋の隅に呼んだ。
「どうしたの? 課長、何か言ってた?」
ジェイは首を振った。
「先に行けって言われて。すぐ行くからって」
電話が鳴る。いくつも鳴っていた電話の中でその電話に出た野瀬チームの橋田菜美の顔が徐々に固まっていった。
「分かりました! ご連絡、ありがとうございます!」
声が大きかったからみんなの手が止まった。
「課長、事故!!」
「え!?」
「バイクがスリップしたらしいの。詳しいことはまだ分からないけど実家のお母さんからの電話でした!」
ジェイは橋田が言っていることが呑み込めなかった。池沢が飛び出してきた。
「病院はどこだ!」
「北浦総合病院です、今ご家族がいらしてて手術中だと言ってました!」
「俺が行ってくる! みんなは落ち着いて仕事していてくれ。三途! チームは頼んだぞ!」
「俺も行くよ!」
野瀬も上着を掴んだ。
「田中さん!」
「ああ、大丈夫だ。こっちは任せてくれ。連絡を待ってる」
二人は飛び出して行った。
思わず上着を掴もうとしたジェイの腕を哲平が掴んだ。
「池沢さんが行ったんだから大丈夫だよ。俺たちは仕事を進めながら連絡を待とう」
(なにがおきたの? れん、くるよね? そう、あさいってたよ、くるって)
ただ呆然とするジェイを三途川が廊下に連れ出した。
「しっかりなさい! 今あんたは何も出来ないの。ご家族はみんな病院に行ってるはずよ。みんなには上手いこと言っておくから今の内にマンションに行って目につく自分の物、片づけてらっしゃい。きっと家の人が課長の身の回りの物を取りに行くわ。その前に家の中を整理するのよ。いいわね? その後会社に戻っておいで。様子が分かれば連絡してあげるから」
(おれ、おれ……)
病院にも行けない。部屋にもいられない。平気な顔をして仕事を……
(おれ……れん、おれ、どうしたらいい? どうしたら……)
言われるままに会社を出て傘を広げていつもの電車に乗った。
(あ、あれも片づけなきゃ。あ、あれもだ……)
三途川の言った言葉だけを繰り返して自分に言い続けた。
マンションに着いて大きな袋に自分の物をただ突っ込んでいった。
――目につく自分の物を
三途川はそう言った。
(バスルーム)
シャンプーとボディソープ。枕はクローゼットにでも突っ込んでおけばいいだろう。食器はいくつかあったとしてもきっと平気だ。靴は持って行く。そうだ、下着、どう見ても蓮が着そうにない服、あ、ジェルはまずい、そうだった、ハンカチ無いと困る、歯ブラシ2本立ってちゃだめだ……
動くのを止めると崩れそうだった。結構増えていた自分の物を何袋にも分ける。
「タクシー、呼ばないと」
携帯でタクシー会社に連絡した。鍵をかけようとドアを開けて部屋を振り返った……
「れん れん れん……!」
思わず寝室に飛び込んだ。蓮の枕を持つ。これを持って行かないと死んでしまうと思った。ベッドにはクローゼットに突っ込んだ自分の枕を置いて、大きなゴミ袋で蓮の枕を包んで袋に無理やり入れた。
もう渋滞の時間は過ぎていて、タクシーは呆気なくアパートに着いた。ちょっと待っててもらって2回に分けて荷物を運び入れた。
雨だから部屋が暗い。蛍光灯を点ける。ぼんやりとした灯り。くすんだ色の部屋。陰気臭い匂い。
ジェイは蓮の枕を取り出した。いつものように顔を埋める……涙が…… 顔を枕に押しつけたままジェイは声をあげて泣いた。
(れん しんじゃいやだ しんじゃいやだ れん! しんじゃいやだ!!)
もう、大切な人に置いて行かれたくはなかった……
どれくらい時間が経ったのか分からなかった。いや、そもそも時間のことなど念頭に無かった。携帯の着信バイブに我に返った。三途川からだ。
『課長、無事よ。手術って言っても足の裂傷が酷かったからその処置だった。左脚が骨折。右肩の脱臼は治したからしばらくすれば大丈夫。脳震盪起こしてるから今は安静に。会社に来なさい。みんなにはあんたがショック受けたから休憩取らせたって言ってある。とにかく来なさい』
あまりにも心配と不安に包まれて悪いことしか思い浮かばなかったから、メールを何度も読み直しなてやっと涙ぐっしょりの笑顔になった。
「蓮、良かった……良かったね……良かった……」
携帯を握りしめて、良かった を何回も繰り返す。自分にも良かったのだと分からせたかった。
落ち着いてきて顔を洗った。もう一度枕を抱きしめる。身なりをきちんと整えて靴を履き枕に振り返った。
「蓮、行って来ます」
「ごめんな、俺気遣い足りなかったよ」
入るなり哲平が謝ってきた。
「お前にとって課長は特別な存在なんだよな。ここに溶け込まさせてくれたの、課長だし」
「ジェロームにとって課長はお兄さんみたいなものかしら」
千枝の言葉に三途川がジェイに向かってウィンクを投げて寄越した。
「すみません、ご心配をおかけしました。仕事します」
華が肩をポンっと叩いた。
それから少しして池沢が帰ってきた。
「脇の公園から何か飛び出してきて咄嗟に避けようとしてスリップを起こしたらしい。周りの話じゃ猫に見えたらしいが。危なかったよ、引っ繰り返った反対側はトラックだったからな。その運転手が救急車を手配してくれたんだ」
「疲れてたから反応が遅れたんじゃないの? このところの課長の残業、半端ないもの。もし彼女や奥さんいたら放っとかないでしょうけど。関さんなら絶対に栄養あるもの作ってあげただろうに何で別れちゃったのかしら」
何気ない菜美の言葉はジェイの心を抉った。
(俺……してもらうばっかりでなにも蓮にしてなかった……)
後悔が生まれる。熱を出した時に蓮はちゃんと看護してくれた。なのに……
「菜美ちゃん! 二人はもう終わってるし関さんは結婚前なのよ。変なこと言いださないでちょうだいね」
「ごめんなさい……」
三途川の鋭い叱責に菜美は慌てて口を閉じた。
「とにかくしばらく課長不在が続く。上からの指示を待たなきゃならないが多分田中さんが業務を引き継ぐだろう。みんないろいろ心配だろうがいつも通り仕事をこなしていこう。課長が戻った時に呆れられないようにな」
「はい!」
その返事の中にジェイの声は入っていなかった。
(蓮、今どうしてるの?)
そばに来た三途川がジェイをちょっとこずいて池沢に聞いた。
「それで課長は今どうなんですか?」
「今日は多分眠りっぱなしだろう。大丈夫さ、ご家族がいるんだし。お母さんがつきっきりで世話するんじゃないか?」
(それじゃそばには行けない……)
「たまに俺が見舞いに行って様子を見てくるよ。あんまり大勢で行くわけには行かないからな」
残酷な現実が次々と突きつけられてくる。
――陽は当たらないぞ
蓮の言った言葉。自分は『その他』の一人に過ぎない……
その夜も、その次の夜も蓮の枕を抱いて過ごした。食べられない、眠れない。蓮に何もしなかったという後悔。蓮に何も出来ないという苦しい思い。全てがジェイの感情に突き刺さり、持っている心の砦を剥ぎ取っていく。
母の葬式を遠くから眺めていたのと同じ。そばにいることも何をすることも出来ない。残ったのは空しい自分だけ。
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