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10.お願い……
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「ジェイ、おい、起きろ」
一瞬何がなんだか分からなかった。そうだ、ドライブだった。
「着いたの? ここ、ど……」
(え? 見たことが……え? なんでここに?)
「今小学校から真っ直ぐの道を来た。どうやってって思ってるんだろ? 履歴書に卒業した小学校が書いてあったからな、だから調べた。10分位ってこの辺だろう? どこだ、お前が住んでいた家って」
蓮を見た顔が真っ青で固まっていた。
「どうして? どうして……ここ……どうして、ここに来たの!?」
「ジェイ、余計な真似してると思ってるよな。これは俺が踏み込んじゃいけないことなんだろう。でももう辛い思いにはさよならした方がいいんだ。お前一人じゃ出来ないだろ? 俺が手伝う。これで俺を嫌になるならそれでも構わないよ。でもこのままじゃお前はダメになる」
蓮の伸ばす手を振り払った。
「ここには……まだ来るの早いんだ! もっと偉くなってもっと大人になって、もっと相応しい人間になって……」
「それまで自分を許さない気か? 誰に対して相応しい人間になりたいんだ? お前、どうしてそんなに臆病になってるんだよ。今日はお母さんに会って帰るんだ。それまではこの町を出ない」
(お母さんに会って……)
突然心臓が走り始める。
(母さん……母さんに会いたい!)
涙が……零れる、一つ零れて、また零れて。
「俺……まだ母さんの望む俺になってないんだ……」
立派な人間になると、誇れるような、母の自慢の息子になると、そう誓った。
「まだ早い……」
「早くなんかないよ、ジェイ。息子が母親に会いたい。それに早いも遅いもあるか。会いたい時に会うんだ。それだけだ、それでいいんだ。お前は立派な息子だよ。亡くなってからもこんなに大切に思われて、お母さんはきっと幸せだと思ってる。やっと会いに来てくれた そう思ってくれるよ」
蓮の言葉が解きほぐしてくれる。優しく包んでくれる。会っていいのだと。
「俺……俺、会いたい、母さんに会いたい、会いたい、れん、あいたい……」
ほとばしる言葉。ずっと我慢して来ただろう願望。
「ああ、会って帰ろうな。ちゃんとお母さんにご挨拶しよう、一緒に」
「でも」
あのキツい祖父母を思い出す。自分に向けて発せられる氷のような言葉。体が竦む。
「だから行くんだ。お前、許可が欲しいんだろ? 俺は必要無いって思ってる。墓参りは誰かに断ってするようなもんじゃない。けどそれじゃお前は納得出来ないんだよな。それじゃ済まないって。一緒に行く、きちんとしよう」
「あのやつでの生えてる家」
古めかしい、入り口が引き戸になっている家。その内側にささやかな木立が並んでいる。
(こんなに小さかったっけ? もっと厳めしくてもっと大きくて)
幼い頃の記憶が自分の中に根を下ろしていた。自分を拒む家だった。小さな自分を見下ろすような、睨みつけているような。
「行くぞ」
小さく頷いて、蓮と共に車を下りた。構えていない。心の準備も出来ていない。だからこそ行けるのかもしれない。恐ろしくて堪らなかった祖父母の元へ。
――カラカラカラカラ
綺麗な音がする。でもこの音にいい思い出が無い。いつも何度も息を継いで、そしてこの引き戸を開けた。迎えてくれるのが鈴の音のような母の声か、凍った声か。引き戸の奥の扉を開けなければ分からなくて、だから手がいつも止まった。
「ごめんください」
蓮の声が響きわたる。扉が変わっていた。前はきしむような音のする、重くて古びた茶色っぽい暗い扉。今は明るいベージュだ。家が自分を拒んでいないような気がした。
「はい」
奥から聞こえたのは若い女性の声だった。ジェイは戸惑った、この声を知らない。きしむことも無く、ドアが開く。
「どちらさまでしょうか?」
「私は河野といいます。突然伺ってすみません。今日は彼の付き添いで来ました」
ちょっと言い淀んだ。声が震えそうだ。でも、これは知らない人。
「ジェローム・シェパードです。あの、祖父と祖母に会いに来ました」
彼女は驚いた顔をした。
「ちょっとお待ちください!」
玄関で二人をそのままに奥へと入っていった。
「大丈夫か? ちゃんと挨拶出来そうか?」
蓮は思っていた。当然歓迎されないだろう。きっとジェイは自分から引いてしまう。
ジェイが答える間もなく、奥から足音が聞こえた。
「どの面下げてこの家に来た!? お前が敷居を跨げるとでも思っているのか!」
久し振りに聞く、この辛らつな声。最初から含まれている怒気。頭から否定し、決して聞いてはくれない拒否。
「お祖父さま、お久しぶりです。どうしてもお話したくて来ました」
(ジェイ、頑張れ! お母さんはきっとお前を待ってる)
なるべく落ち着いた声で話そうとしているのが分かる。それでも震えている声。握り拳がぎゅっと握られている。
「帰れ! 聞くような話は無い!」
「あなた……」
聞き間違いかと思った。針のような声のはずの祖母の声が柔らかかった。ゆっくりと引きずるような足音。さっきの女性に抱えられながら年老いた老女が出てきた。あの祖母の面影は無かった。
「入れてあげてください。私のお願いです。ジェローム、よく来ましたね。上がりなさい。まず仏壇の前で手を合わせない」
「静江!」
「親子を切り離す……私たちは間違っていたと思いませんか?」
その言葉にぷいと横を向くと足音高く奥へ入ってしまった。
「お祖母さま……」
「いいんです、入りなさい」
女性に付き添われたまま祖母はゆっくりと右側の襖を開けた。
「ジェイ」
蓮の声に押されるように靴を脱いだ。蓮は服を用意してくれていた。ジェイはちゃんとスーツ姿で中に上がった。
「どうぞ。何も無い家ですが」
祖母は蓮にも丁寧に頭を下げてくれた。
「失礼します」
後ろに蓮がいてくれる。仏壇に手を合わせられる。ジェイは唇を強く噛んでいた。そうしないと声が漏れそうだった。
「母さん……」
目を閉じることが出来なかった。そこには綺麗な母の写真があった。自分の持っている小さな写真ではなく、ちゃんとした額に入った写真。閉じない目から……涙が落ちた。
「ジェローム、手を」
祖母に促されて手を合わせた。そのまま古めかしい時計の針の音だけが部屋に響く。
長いこと合わせた手が膝の上で拳となった。祖母に向き合う。
「お祖母さま。どうか墓参りをさせてください」
「こっちへ」
足が悪く自分からは動けないのだろう、ジェイをそばに呼んだ。ジェイは素直に祖母の前に座った。祖母はその手を取って両手に挟んだ。
「許しておくれ……酷いことをしました。本当にひどいことを……もう謝ることなど出来ないだろうと思っていました。よく……よく訪ねてくれ……」
後は言葉にならない。ぽたぽたと涙が垂れている。あまりにも変わってしまった祖母の姿にジェイはどうしていいか分からずに蓮を振り返った。
「きちんとお話するんだ」
蓮はそれだけを言った。
一瞬何がなんだか分からなかった。そうだ、ドライブだった。
「着いたの? ここ、ど……」
(え? 見たことが……え? なんでここに?)
「今小学校から真っ直ぐの道を来た。どうやってって思ってるんだろ? 履歴書に卒業した小学校が書いてあったからな、だから調べた。10分位ってこの辺だろう? どこだ、お前が住んでいた家って」
蓮を見た顔が真っ青で固まっていた。
「どうして? どうして……ここ……どうして、ここに来たの!?」
「ジェイ、余計な真似してると思ってるよな。これは俺が踏み込んじゃいけないことなんだろう。でももう辛い思いにはさよならした方がいいんだ。お前一人じゃ出来ないだろ? 俺が手伝う。これで俺を嫌になるならそれでも構わないよ。でもこのままじゃお前はダメになる」
蓮の伸ばす手を振り払った。
「ここには……まだ来るの早いんだ! もっと偉くなってもっと大人になって、もっと相応しい人間になって……」
「それまで自分を許さない気か? 誰に対して相応しい人間になりたいんだ? お前、どうしてそんなに臆病になってるんだよ。今日はお母さんに会って帰るんだ。それまではこの町を出ない」
(お母さんに会って……)
突然心臓が走り始める。
(母さん……母さんに会いたい!)
涙が……零れる、一つ零れて、また零れて。
「俺……まだ母さんの望む俺になってないんだ……」
立派な人間になると、誇れるような、母の自慢の息子になると、そう誓った。
「まだ早い……」
「早くなんかないよ、ジェイ。息子が母親に会いたい。それに早いも遅いもあるか。会いたい時に会うんだ。それだけだ、それでいいんだ。お前は立派な息子だよ。亡くなってからもこんなに大切に思われて、お母さんはきっと幸せだと思ってる。やっと会いに来てくれた そう思ってくれるよ」
蓮の言葉が解きほぐしてくれる。優しく包んでくれる。会っていいのだと。
「俺……俺、会いたい、母さんに会いたい、会いたい、れん、あいたい……」
ほとばしる言葉。ずっと我慢して来ただろう願望。
「ああ、会って帰ろうな。ちゃんとお母さんにご挨拶しよう、一緒に」
「でも」
あのキツい祖父母を思い出す。自分に向けて発せられる氷のような言葉。体が竦む。
「だから行くんだ。お前、許可が欲しいんだろ? 俺は必要無いって思ってる。墓参りは誰かに断ってするようなもんじゃない。けどそれじゃお前は納得出来ないんだよな。それじゃ済まないって。一緒に行く、きちんとしよう」
「あのやつでの生えてる家」
古めかしい、入り口が引き戸になっている家。その内側にささやかな木立が並んでいる。
(こんなに小さかったっけ? もっと厳めしくてもっと大きくて)
幼い頃の記憶が自分の中に根を下ろしていた。自分を拒む家だった。小さな自分を見下ろすような、睨みつけているような。
「行くぞ」
小さく頷いて、蓮と共に車を下りた。構えていない。心の準備も出来ていない。だからこそ行けるのかもしれない。恐ろしくて堪らなかった祖父母の元へ。
――カラカラカラカラ
綺麗な音がする。でもこの音にいい思い出が無い。いつも何度も息を継いで、そしてこの引き戸を開けた。迎えてくれるのが鈴の音のような母の声か、凍った声か。引き戸の奥の扉を開けなければ分からなくて、だから手がいつも止まった。
「ごめんください」
蓮の声が響きわたる。扉が変わっていた。前はきしむような音のする、重くて古びた茶色っぽい暗い扉。今は明るいベージュだ。家が自分を拒んでいないような気がした。
「はい」
奥から聞こえたのは若い女性の声だった。ジェイは戸惑った、この声を知らない。きしむことも無く、ドアが開く。
「どちらさまでしょうか?」
「私は河野といいます。突然伺ってすみません。今日は彼の付き添いで来ました」
ちょっと言い淀んだ。声が震えそうだ。でも、これは知らない人。
「ジェローム・シェパードです。あの、祖父と祖母に会いに来ました」
彼女は驚いた顔をした。
「ちょっとお待ちください!」
玄関で二人をそのままに奥へと入っていった。
「大丈夫か? ちゃんと挨拶出来そうか?」
蓮は思っていた。当然歓迎されないだろう。きっとジェイは自分から引いてしまう。
ジェイが答える間もなく、奥から足音が聞こえた。
「どの面下げてこの家に来た!? お前が敷居を跨げるとでも思っているのか!」
久し振りに聞く、この辛らつな声。最初から含まれている怒気。頭から否定し、決して聞いてはくれない拒否。
「お祖父さま、お久しぶりです。どうしてもお話したくて来ました」
(ジェイ、頑張れ! お母さんはきっとお前を待ってる)
なるべく落ち着いた声で話そうとしているのが分かる。それでも震えている声。握り拳がぎゅっと握られている。
「帰れ! 聞くような話は無い!」
「あなた……」
聞き間違いかと思った。針のような声のはずの祖母の声が柔らかかった。ゆっくりと引きずるような足音。さっきの女性に抱えられながら年老いた老女が出てきた。あの祖母の面影は無かった。
「入れてあげてください。私のお願いです。ジェローム、よく来ましたね。上がりなさい。まず仏壇の前で手を合わせない」
「静江!」
「親子を切り離す……私たちは間違っていたと思いませんか?」
その言葉にぷいと横を向くと足音高く奥へ入ってしまった。
「お祖母さま……」
「いいんです、入りなさい」
女性に付き添われたまま祖母はゆっくりと右側の襖を開けた。
「ジェイ」
蓮の声に押されるように靴を脱いだ。蓮は服を用意してくれていた。ジェイはちゃんとスーツ姿で中に上がった。
「どうぞ。何も無い家ですが」
祖母は蓮にも丁寧に頭を下げてくれた。
「失礼します」
後ろに蓮がいてくれる。仏壇に手を合わせられる。ジェイは唇を強く噛んでいた。そうしないと声が漏れそうだった。
「母さん……」
目を閉じることが出来なかった。そこには綺麗な母の写真があった。自分の持っている小さな写真ではなく、ちゃんとした額に入った写真。閉じない目から……涙が落ちた。
「ジェローム、手を」
祖母に促されて手を合わせた。そのまま古めかしい時計の針の音だけが部屋に響く。
長いこと合わせた手が膝の上で拳となった。祖母に向き合う。
「お祖母さま。どうか墓参りをさせてください」
「こっちへ」
足が悪く自分からは動けないのだろう、ジェイをそばに呼んだ。ジェイは素直に祖母の前に座った。祖母はその手を取って両手に挟んだ。
「許しておくれ……酷いことをしました。本当にひどいことを……もう謝ることなど出来ないだろうと思っていました。よく……よく訪ねてくれ……」
後は言葉にならない。ぽたぽたと涙が垂れている。あまりにも変わってしまった祖母の姿にジェイはどうしていいか分からずに蓮を振り返った。
「きちんとお話するんだ」
蓮はそれだけを言った。
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