忘れた

凛ちゃん

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祖父が亡くなったのは、母が小学3年の秋だった。スキルス性の肺癌。出来物がレントゲンに写り見つかる肺癌とは異なり、レントゲンを撮っても何も映らず、血液検査をしても必ずいつでも癌細胞が見つかるわけではないこの癌は、2万人に1人と言われる難治性の高い癌だ。
祖父は、転勤先から故郷仙台に戻り、大学の友人の元に入院した。市立病院に勤務していた永沼は、病名の特定をしかねていた。祖父の両肺には幼少期に患った結核による傷があった。
宮城県では他府県に先駆け当時珍しかった県立がんセンターが造られた。永沼はそこに祖父を転院させた。友人である久野に託したのだ。
しかし、そこでも祖父の病名は特定されなかった。
祖父は、東京女子医大に転院し、その後国立がんセンターで偶々、血液検査の際、癌細胞が見つかった。が、繰り返し行われる血液検査では見つからず、困難を極めた。
当時最も画期的と言われた丸山ワクチンなるものすら受けた。
その後、東京医科歯科大学に転院し、癌だと診断が確定したのは、夏だった。そうして、余命宣告と、末期癌の診断を下された祖父は、故郷仙台に戻った。
一日中こぽポポと言う酸素吸入の音しかしない静かな個室の中で、祖父に為される初めてで、最後の治療は、ただ、溜まった腹水を抜く事だけだった。
毎日、バケツ満杯の腹水が溜まる。毎日、食べられない食べたいものを皆にリクエストする。祖父は、マスクメロンが好きで、マスカットがすきで、。
毎朝病院には、贔屓の魚屋さんから市場でせったばかりのなめたが届けられた。カレイが食べたい。ハワイで飲んだ椰子の実のジュースが飲みたい。今、木からもいだ林檎が食べたい。
今より、50年以上前の事だ。
ネットで購入できる訳もなく、季節外れのものや、異国の食べ物がそう簡単に手に入る筈もない。
だのに、友人達は、凡ゆる伝手をたどり、祖父の為に手を尽くし、手に入れてくれた。たった一口、口にできるかどうかの、祖父のために。
「ああ、うまい。有難う」祖父は、いつも、そう、言うのだ。友人達は、涙を堪え、
「もっと、食えよ。いつだって、何だって買って来るから、もっと食べなきゃだめだろう。」そう、言ってくれるのだ。
そうして、
「また、来るよ」と、早々に病室を出る。そう、泣く為に。
余命宣告を受け、故郷に戻った祖父は、間も無く、友人のもとを離れ、曾祖母の実家の病院に転院するのだ。
全ての治療から見放された祖父は、サナトリウムの様な、幼い頃過ごした慣れ親しんだ場所で静かな終わりを臨んだのかも知れない。
ただ、病名を探るだけに繰り返された検査の数々。費やされた長い時間と、莫大な費用。跡取りであるが故、そう、何もかもが、跡取りで、あるが故。
傍らで穏やかな寝息をたてる母を、祖父は、どんな想いで見つめたろう。
母には、後にも先にも、祖父だけだったのだ。
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