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第一話 

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◆◆◆


 すっかり遅くなってしまった。蘭ちゃんはもう寝てしまっただろうか?

 狐太郎は物音を立てないように、静かに鍵を開ける。あやかし達にとっては、深夜零時を過ぎてからがゴールデンタイムであるわけだけど、一般的な人間にとっては睡眠を取る時間帯だ。既に部屋の灯りは消えていて、寝室からは微かに蘭の寝息が響いていた。
 最大限に忍び足で、一歩二歩とベッドに向かう。重なりあう布団の中からは、華奢な手首がはみ出ていて、瞳を閉じた睫毛は無論長い。暗がりの中でも髪は艶やかに輝きを放ち、フワフワのネグリジェからは 白檀を焚き染めたような人間とあやかしの両者を引き付ける香りがした。

 蘭ちゃんと最初にまぐわったとき、あまりの身体の相性に驚いた。でも相性がいいのは、もしかしたら身体だけではないのかもしれない。
 蘭は今まで男性と長く続いたことがないと言っていたけど、人間の男共は本当に見る目がないと言わざるを得ない。それに何より、この穏やかな寝顔が側にいてくれると、自分は至極幸せな気持ちになるのだ。

「ごめん…… 俺はやっぱり、蘭ちゃんのことが好きかもしれない 」

 狐太郎は小声で本音を呟くと、掌を結ぶ。そして蘭の髪を掬うと、静かに頬に唇を落とした。
 蘭ちゃんが、自分のことをどう思っているかは分からない。だけど自分はこれからも蘭ちゃんと一緒にいたいだけなのだ。それなのに、何故自分たちは共に未来を歩む権利すら与えられない? そんなのは、どう考えても不公平ではないだろうか……

 八方塞がりだな。
 狐太郎はグッと奥歯を噛み締めると、深い溜め息を付く。
 外野が煩い。本当に。
 でもどちらにせよ、会ったこともない婚約者はは何とかしなくてはならないはずだ。
 
「んっ……? 狐太郎さん? 」

「あっ、蘭ちゃん。ごめん、起こしちゃった? 」

 蘭は狐太郎の指先に手をやると、ゆっくりと瞳を開ける。漆黒に瞬く黒目は、あやかしとは違う温かさに溢れていて、一瞬でも油断したら吸い込まれてしまいそうな気品があった。

「大丈夫、気にしないで。お帰りなさい…… ご飯はちゃんと食べた? 疲れてない? 」

 蘭は狐太郎の二の腕を掴むと、身体を起こそうと試みる。狐太郎はそんな健気な様子に一瞬驚いたが、直ぐに我に返ったのだった。

「あっ、蘭ちゃん。無理に起きないで大丈夫だよ。もう夜中の二時を過ぎているから 」

「うん…… ごめんね。やっぱり、今はちょっと眠いかも。あのね、お鍋の中に油揚げの煮付けを作ってあるの。もし、お腹が空いているようなら…… 」

「うん。いつも、ありがとう 」

 蘭は か細い声ではあるものの、ゆっくりとした口調で狐太郎に話しかける。もう瞼はくっついてしまうくらいに寝ぼけ眼ではあるのだが、それでも狐太郎の手を決して離そうとはしなかった。
 指先から伝わる温もりに、血が深く 通っている。それは物理的なことだけではなくて、精神的にも満たされるような充足感が否めない。 
 狐太郎は無意識に蘭の指先を自分の手のひらを絡めると、こくりと頭を下げていた。

「参ったな、離したくない…… 」

「えっ? 」

「あっ 」

「狐太郎さん、どうかしたの? 」

「あっ、いや。ごめん、何でもない 」

「……? 」

 狐太郎の突然の呟きに、蘭は思わず目を見開く。
 今、狐太郎さんは確かに『離したくない』って言ったよね? これって私のことなのだろうか。もしかしたら私は少し寝惚けていて、自分の都合よく物事を解釈してるだけ? 

 蘭は絡められた指先を握り返すと、真っ直ぐと狐太郎を覗き込む。そして彼の血赤色の瞳をじっくりと観察すると、静かに口を開いた。 

「狐太郎さん…… 今日は何か、悲しいことでもあったの? 」

「えっ? あっ、いや、そんなことはないはず、なんだけど…… 」

「そう 」

 蘭は静かに目を閉じると、瞼に目一杯の力を込める。
 何だか物凄く嫌な感じがする。今までも幾度となく、不穏な空気が流れて、男性と長続きがしてこなかった。だから今までの経験則からすると、男性が意味の分からないことを言い出した場合は、こちらは知らぬ存ぜぬの振りをして、すべてシャットアウトしてしまう他ない。それが多くの経験から学んできた、この場の模範解答なはずだった……

「蘭ちゃん 」

「えっ? あっ 」

 次の瞬間、蘭は思わず声を上げ、パチリと目を見開いていた。急に吐息が耳を掠めたかと思ったら、狐太郎が蘭を力一杯抱き締めていたのだった。

「こ、狐太郎さん? あの…… 」

「ごめん、蘭ちゃん。もう少しだけ、このままで 」

「…… 」 

「狐太郎さんったら、急に変なの。私は何処にもいかないのに…… 」

「うん。それは知ってる。ごめん。今はまだ理由は言えないんだけど、蘭ちゃんをぎゅっとしたくなったんだ 」

「……言いたくないことは無理に言わなくてもいいよ 」

「えっ? 」

「秘密を共有することだけが、絆を確かめ合う方法じゃないもの 」

「蘭ちゃん…… 」

 いつも身体を合わせているとき以上に、狐太郎の鼓動の早さが伝わってくる。裸と裸で抱き合っているわけではないのに、不思議とそれ以上のときめきが感じられた。

 これ以上は、この幸せを知ってはいけない。
 だって私たちは生きる世界が違うんだもの。
 でも、もう引き返すことは出来ないのかもしれない。だって心臓はバクバク高鳴って とても正直だから。
 蘭は狐太郎の背中に腕を回すと、またゆっくりと瞳を閉じたのだった。
 
 





 
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