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出発!年末進行!!
目には見えない境界線②
しおりを挟むガラス張りの扉を開けると、店内にはシンプルなBGMが流れていた。時刻はかなり深くなっているが、相反するようにそこには煌々と照明が灯っている。そして息吹がチラリと目の前を見渡すと、裏の方から見慣れたシルエットが出迎えにやってきた。
「いらっしゃいませー お客様、お一人様ですか? 」
「あの 」
「えっ? もしかして…… 息吹? 」
桜は息吹を見るなり、あっさりと仕事モードから通常運転へとスイッチが切り替わったようで、敬語を忘れていつもの口調で話しかける。ピンクを基調とした制服姿は相変わらず全く似合ってはいなかったが、表情だけはいつもの桜だった。
「桜ねぇ、あの…… 」
「珍しいじゃん、息吹がうちの店にくるなんて 」
「うん、その、ちょっとね 」
息吹は言葉を濁すと苦笑いを浮かべる。桜はその息吹の歯切れの悪いリアクションを見るなり腕時計に目をやると、少し考えてから小さな声でこう言った。
「息吹。ちょっと悪いんだけどさ、あそこのカウンターに座って待っててくれる? 」
「えっ? いや、私は何か頼むよ? 」
「ごめんね。でも、うちもうすぐ店閉めちゃうんだ 」
「えっ? ここ、二十四時間じゃなかったっけ? 」
「働き方改革の波が、飲食業界にも来てるのよ。先月から十一時には閉店することになって。息吹は何か用事があって店にきたんでしょ? 夜明かしとかだった? 」
「えっ、うん。まあそのつもりだったけど…… でも、それなら私は今日はお暇するよ 」
「はあ? 」
桜は空返事をしながら、息吹の様子を確認する。息吹は何だかモジモジしていて、少し目を赤くしている。頬が紅潮しているのは 寒暖差から来るものがあるかもしれないけれど、花粉症で目を腫らすには まだ早い。となると、あまり放っておいていい状況でもないように 桜には感じられた。
「ここからだと、朱美の家が近いけど…… 今週は音沙汰もないし、サイクル的に原稿が詰んでそうなんだよね。それに朱美にって感じの話でもないんでしょ? 」
「えっ? それは、その…… 」
息吹はあっさり図星を突かれて、ダンマリする。息吹は元々あまり桜とは絡みがないし、サシで会うことも殆どない。だから急に桜の職場に押し掛けるようなことをすれば、あっさりと魂胆を見抜かれたのだろう。
「あのさ、息吹は明日は仕事なの? 」
「ううん。今のところは休みだけど…… 」
息吹のパッとしない返答を聞くと同時に、桜は腕を組んで何かを考え込む。店先かつ仕事中にも関わらず、その体裁は油断し過ぎではないかとも思うけど、桜はそんなことを微塵も気にしてはいないようだ。
「じゃあさ、息吹。今夜はここに行かない? 」
「えっ? 」
桜はそう言うと、制服のフリフリエプロンのポケットからペラ紙を取り出す。その紙はくちゃくちゃになっていて、一瞬見ただけでは何が書かれているかはまるでわからない。息吹はその紙を受け取り、よくよく内容を確認してみる。
その紙には某温泉施設の優待割引券と書かれていた。
◆◆◆
「ああ、気持ちがいいー 夜中に温泉に入れるなんて贅沢だよね! あー、二十四時間ばんざーい! 」
息吹と桜が撤収作業を無理矢理終わらせ、フルダッシュで終電に飛び込みやって来た場所……
ここは千葉、といっても限りなく東京に近いところにある温泉施設だった。
特に人気なのは数種類の温浴スパで、有り難いことに宿泊施設も兼ね備えている。某有名テーマパークにアクセスが良いことで広く認知されているから、客自体はとても多いのだが、みんな明日に備えて寝てしまうから、夜中は貸しきり状態に近かった。
二人は屋上にある露天風呂に浸かりながら、まばらに光る星を眺めていた。
「たまには温泉もいいでしょ? 」
「うん、そうだね。凄く温まる…… 」
「私ね、たまにここに一人で来るんだ。で、泊まっちゃったりもするの。最近は忙しくて、あんまり来れないけどね 」
桜はそう言うと、慣れた様子で湯船の縁に腰かける。すると湯からはみ出た分、桜のバストが露になって それが息吹の前にチラリと覗く。そのしっかりと丸みを帯びた上半身は、女性の息吹も思わず釘付けになってしまうくらい目を見張るものがあった。
「桜ねぇ…… あの、相変わらずスタイルいいね 」
「あはは、もうそんなこともないけどね 」
桜は息吹の言葉をさらりとかわすと、思いっきり顔に湯をかけた。すっぴんの桜の顔を見ることは殆どないけれど、メイクをしなくても目鼻立ちがハッキリしていて、ロングヘアを束ねたうなじが艶っぽい。一歳しか年は違わないハズなのに 桜の桁違いの色っぽさに、息吹は思わず照れそうになる。
「ただレディースでタイマン張ってたのに、タトゥー入れなかったことだけは、自分を褒めてもいいかもね。お風呂に堂々と入れるのだけは有難いし 」
桜はそう言いながら浴槽内を移動すると、少しだけ泳ぐように勢いをつける。四人の中ではしっかりもので一番の常識派な気がしていたが、時折垣間見える子供っぽい仕草が意外に感じられた。
「息吹こそ、綺麗なお肌をしてる。スベスベって感じだよね。それに何かいいホルモン出てそう 」
「なっ、何だそりゃっッ…… 」
「だって幸せホルモンって、女を美しくするって言うじゃん? 」
「なっ…… 桜ねぇこそ、彼氏とはどうなの? うまくいってる? 」
「私は普通だよ。いい大人だし 」
「私と桜ねぇって、年齢は一個しか違わないけど? 」
「うちは相手が少しお兄さんだから。交際ってなると、息吹と朱美とはちょっと事情が違うんだよ 」
「なにそれ? 」
桜は不適な笑みを浮かべると、また湯船のなかを徘徊する。その水面が揺れる度、冷たくなった空気に湯気がふわりと舞い上がり、辺りは霧で覆われる。
弾力のある豊満な胸、きゅっと括れたウエスト、張りのあるヒップ、もし雑誌のモデルが目の前に現れたらこんな感じだろうかと思える美しい身体……
こんな美ボディを、独り占めに出来る男性の顔を一度拝んでみたいとは思うけど、桜の彼氏が一体何者なのかはイマイチ見えてこない。
息吹は桜のどしゃ降り大号泣事件の詳しい内容は、結局何も聞いていない。それは朱美もしかりだ。でもそのときの人とはスッパリ縁は切れて、今は職場の同僚だった人と交際していることだけは知っていた。
「あのさ、息吹 」
「なに? 」
「息吹は相手は年下だよね? 確か朱美も 」
「うん。まあ、うちは少し離れてるけど。朱美は殆ど同い年みたいな感じなんじゃないかな。学年は一個違うけど、朱美が三月生まれで相手の人は六月生まれ?とからしいから、三ヶ月も違わないみたいだし 」
「でも、年下は年下でしょ? 」
「うん、まあ、それはそうだけど 」
「……年下の男性が年上を口説くって、スゴーク押しが強そうだよね 」
「なっ、いや、別にそんなことはなくもないけど…… 」
息吹は否定なのか肯定なのかよくわからない返事をすると、ブクブク泡を立てながら顔を湯船に沈めた。東京湾に程近いこの辺りの温泉はやや塩気があって、やや口内に味を感じられる。深夜三時に露天にいる客は誰もいないので、こんなお行儀の悪い仕草はマナー違反ではあるけれど多目に見て欲しいところだった。
「桜ねぇの相手は、草食系なの? 」
「ううん、そんなことはないよ。けど…… 」
「けど? 」
「展開が早くて、ちょっと戸惑ってはいるかな 」
「展開が早い? 」
「うん。まあ、うちは二人ともお年頃だし、元々数年来の知り合いだから 」
「……? 」
桜の恋愛事情は見えてこない。そしてそれは昔も今もあまり変わりはない。
そんな中、桜が漏らした些細な単語の一つ一つが、数少ない本音のように息吹は感じた。
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