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真夜中を駆け回れ!
朝方四時の包囲網
しおりを挟む茜には、テレビの世界で働くようになって身につけたことがいくつかある。
例えば 体内時計はとても正確だ。
いわゆる収録前にかかる10カウントは、心の中で唱えても正確に数えられる。もちろん3分2分90秒1分の単位の長さの尺であっても、おそらく1、2秒の誤差で原稿を読みながら時間を把握することが出来る。他にも殴り書きの暗号のような原稿であっても読み上げるし、取材に行けば自分で文章を作ることもある。
もちろんアナウンサーのテクニック的なことだけではなくて、生活リズムに関してもタフになった。
パイプ椅子を三つ並べたら多少の明るいところでも熟睡できるし、緊急事態が起きたときは何日も局に泊まり込んで情報を伝えた。
だから当直をしていて仮眠中であったとしても、ちょっとやそっとじゃ動じない。
それは自分自身でも常にそうあるべきだと思っているし、周囲もそれを求めていると茜はきちんと自覚をしているはずだった……
「御堂、御堂……! 御堂起きてッ 」
「……んん? 」
茜は小さく自分の名前が呼ばれる気配がして、ゆっくりと身体を捩らせた。そしてカプセルベッドのブラインドを引き上げる。暗闇の向こうには先程の西野との会話で話題にも上がった、同期の綾瀬の姿があった。
「綾瀬? 」
「今すぐ来て 」
綾瀬は茜の手を握ると、無理矢理カプセルベッドから引っ張り出す。何があっても仕事中は冷静さを維持できる茜ではあるが、さすがに驚きは隠せない。
「なっ、ちょっと、いきなり何? 」
「……モーニングコールの演者が全員終わった 」
「はあ……? 」
モーニングコールは関東放送が力を入れている朝の情報番組で、同期の西野も出演中の番組だ。少なくとも数時間前まで西野は元気だったのに、一体何があったのだろうか。いつもクールビューティであるはずの綾瀬の挙動は明らかにおかしくて、全く状況が見えてこない。何がどう終わったのかはイマイチ良くわからないけど、ピンチであることだけがわかれば 茜が呼ばれた理由としては十分だった。
「細かいことはわからんけど、西野の差し入れしたケーキのカスタードクリームにあたったらしい 」
「あっ…… 」
さっきのキラキラしたケーキが引き金かいっッ……
茜は思わず頭を抱えて、綾瀬の説明に耳を向けた。
「いま演者全員が、トイレとお友だち状態でさ。救急車呼んでるんだけど上から下から酷くて、出演させたら汚物事故になりそう。あれじゃ画面には出せない。だからあんた、今すぐスタンバって 」
「うん…… って、はいっッ?? 」
茜は一旦承諾の返事をしたあと、声を裏返しながら綾瀬を二度見した。
「えっ、あっ、ちょっッ…… 私は…… 」
茜は声にならない音で、必死に綾瀬に事情を説明しようとした。っていうか私は地上波には出られないし、そもそも8時からの生に出たら飛行機に間に合わないじゃないかっッ……!! だけど綾瀬にも余裕はないらしく、すぐにそこに割って話を一方的に進めた。
「緊急事態だし、あんたを地上波に出すのは上の許可も貰ってるから問題はない。だから何も気にしなくていい。一応、迫田部長もこれから出社するって 」
「あのっ…… 」
私は今、そっちは気にしてないんだけどっッ!
茜は身を乗り出して自分の事情を説明しようとしたが、綾瀬は茜の口を手で塞ぐと 物を言わせない勢いでこう続けた。
「御堂…… 」
「なっ、なに……? 」
茜は少しだけ警戒しながら綾瀬に返事をする。綾瀬の力は華奢な腕からは想像できないほど強くて、呼吸が少し苦しくなる。
「昔のあんたに何があったかは 視聴者は何も知らない。後ろめたいって思うのは勝手だけど、少なくとも画面の向こうの人たちは そんなの知ったこっちゃないから 」
「別に…… 後ろめたいとか思ってない 」
「じゃあ、何で抵抗すんの? 」
「私にも事情があんの。明けで仕事あるからっッ 」
「収録? じゃあ、リスケしてもらってよ 」
「はあっ? そんな簡単に言わないでよ。こっちだって何人も裏で人が動いてるんだから。ライブ班のそういう自分達が一番偉い的なノリは、私はよくないと思う。確かに今の優先順位が一番高いのは目の前の生放送なのはわかるけど、私にとっては仕事は全部重要なのっ! 」
茜は力ずくで拘束を振りほどくと、ギロリと綾瀬を一蹴した。でも綾瀬もこの年齢でアシスタントプロデューサーして第一線で活躍するくらい負けん気は強い。
「そんなのこっちだってわかってるわッ。 けどね、こっちもあんたしか頼みの綱がいないのっッ!!! 」
深夜の仮眠室に綾瀬の怒号が隅々まで響き渡る。他に就寝中の人がこの空間にいるかは定かではないけれど、その声はあまりにも常識の範疇を超えるものだった。
「ちょっと綾瀬、声大きいからっッ 」
「ごめん…… 今のは全部私が悪い。御堂は正論だわ。私、ちょっと焦ってるみたい。謝る…… 」
「いや…… 私も言い過ぎたし…… 」
同期とは言え、将来のプロデューサー候補に派手に楯突いてしまった。今度こそ私の女子アナ人生は終わるかもしれない。けれど仕事の大小に優越をつけるような発言は、どうしても我慢ができなかった。
今だって 棚からぼたもちで地上波復帰の大チャンスだったのに、みすみす自分で棒に振ってしまった自分がいる。本当に 自分は間が悪い人間なのだ。
「あの綾瀬、ごめ…… 」
「AスタAサブだから 」
「えっ? 」
「聞こえなかった? AスタAサブ。さっさと髪直して着替えたらすぐ来て。こっちだって誰でもよくて、御堂推した訳じゃないから 」
誰でもいい訳じゃない、ね……
こんなアナウンサー推したところでメリットなんかないだろうに、綾瀬はとても不思議なことを言う。
だいぶ派手にやり合ったが、どうやら首の皮一枚繋がったらしい。
「すぐ行く。その前に一本、連絡入れさせて 」
「何? こんな時間に電話? 」
「私は これから仕事で台湾なの。8時のフライトだから 」
「……わかった。何かあれば、費用はこっちで持つから 」
当たり前だろ、と茜は突っ込みを入れたかったがそれは寸前のところで飲み込んだ。
まだまだ綾瀬も自分も若気の至りが抜けきっていないらしい。
茜はそう思った。
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