ガールズ!ナイトデューティー

高城蓉理

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アナグラム①

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 昨日の雨は何だったのかと思うほど、今日は蒸し暑さが広がる天気に恵まれた一日だ。
 桜はサイズの合わないTシャツとホットパンツ姿で、六本木から勤務先を目指していた。

 わからないことだらけだった。
 昨日の自分の涙の意味、凌平が自分を求めた理由、そして彼が万由利の浴衣を貸してくれた本心も、整理したいことは山積みだった。
 だけど今一つだけ言えることは、自分はもう市原家の敷居は跨がないということだけだ。あんな形で離脱するのは、正直愛郁と美羽に対しては不本意ではある。だけど男女の友情が成立しない以上は、その線引きは必要不可欠なのだろう。

 やっぱり私は詰めが甘かったんだろうか…… 
 日比谷線の中で様々なことを巡らせているうちに、桜はあっと言う間に職場の最寄り駅に到着した。

「っていうか、この格好で職場とか。割りとヤバいよね…… 」

 桜は小声で独り言を呟きながら、店の裏口に向かっていた。オフィス街なので日曜日の昼時は辺りは敢然としている。そのわりには珍しく店は混んでいて、これなら従業員にも気づかれずに目的を果たせそうな気がしていた。そもそも自分で蒔いた種なのだから、こうなったら覚悟を決めるしかない。桜はカードキーをかざしボタンロックで裏口を解錠すると、恐る恐るバックヤードへと足を進めた。派手な足音が立たないように慎重かつ大胆に、桜はロッカールームに足早に向かった。 

 誰もいない……?
 客がいつもの土日の想定より来店しているから、みんなホールに出ているのか?

 なんにせよ、好都合だ。
 桜はロッカールームのパーティションに手を掛けた。だが次の瞬間、その向こう側に人の気配があることに気がついた。

「げっっッ、何で店長がいるのっッ!? それに……織原? 」

 桜は慌てて壁に隠れると、そっとロッカールームの中を覗いた。そこには店長と織原が向かい合って腰かけていて、何やら話をしている。表情を見る限りは、何だか込み入った話をしているようにも見えた。

 うーん、これはあとで出直すか……
 桜がそう思い、勝手口に向かおうとしたそのとき、背後から声をかけられた。

「……遠藤さん? 」

  話、唐突に終わったんかいっッ。
 桜は少ししどろもどろになりながら、咄嗟に足元を鞄で隠していた。 

「おっ……織原? 今日は……出勤? だったっけ? 」

「ええ…… ちょっと店長と面談があって。シフトではないんですが。そういう遠藤さんこそ、早くないですか? っていうか、今日シフトに入ってましたっけ? 」

「あはは、忘れ物というかなんというか。ロッカーに用事があって。でも店長がいるのに、さすがにこの格好じゃ不味いから出直すよ 」

「じゃあ僕が、取ってきましょうか? 」

「えっ……? 」

「遠藤さんが、嫌でなければですけど 」

「あっ、うん、ありが……とう…… あのね、私のロッカーに入ってるランチトート持ってきて欲しくて 」

「わかりました 」

 何はともあれ、それなら助かる。
 実は部屋の鍵を店に忘れていたことに、さっき電車の中で気づいたのだ。昨日は茜の家に保護されたから良かったものの、このまま自宅に帰ったらセルフ閉め出しになるところだった。

「織原…… ありがとう…… 」

「いいえ。どういたしまして 」

 桜はトートの中身を確認すると、ハアと小さく溜め息をついた。鍵は無事に回収できた。ここには一日ぶりに来たはずなのに、昨日からいろんな事があり過ぎた。桜は無事に店長に見つからずに店を後にすると、今一度織原に礼を言った。

「ありがとう…… 」

 桜は安堵の表情を浮かべると、織原にお辞儀をした。織原にこの大して綺麗でもない足を晒してしまったのは申し訳なかったが、彼は大人だ。何も言わずとも きっと水に流して忘れてくれるだろうと、桜は勝手に解釈していた。

「あの、遠藤さん。この後って、空いてます? 」

「えっ? 」

 「よかったら、一杯飲んでいきません? 日曜なら昼間からでも飲めると思いますし 」 

 思いがけない織原の誘いに、桜は素直に驚いた。今まで何年か同僚としてほぼペアで仕事をしてはいるが、飲みに行くことは数えるほどしかなかったし、彼から誘われたことなどあっただろうか。

「うん。そうね、たまには 」 

 自分でも何故断らなかったのか、理由はよくわからなかった。疲れていたし昨日あんなことがあったのに、私は何事もなかったように振る舞っている。
 そうか……
 これが、忘れるということなのか。

「何か食べたいものとかありますか? っていうか、昼は食ったばかりですか? 」

「ううん。そんなことはない。お腹も空いてるし。この格好でも入れるとこなら、どこでもいいよ 」

 二人は時折 沈黙を共有しつつも、炎天下の中を歩き 八重洲の地下街に足を運んだ。休日といえども、普段 夜行性生活をしている人間には直射日光は堪えるものがある。
 二人は適当に昼から飲めそうな焼き鳥屋に入ると、ビールで軽く乾杯した。

 酒の力は絶大だった。
    店長の娘は何かの競技の国体選手で、家計が火の車とか、バイトのあいつとあの子はデキテルだとか、あることないこと店のゴシップで話題は尽きなかった。

「遠藤さん、今日けっこう飲んでますね。珍しい 」

「あっはっは、そうだね。職場関係だと、普段はあんまり飲まないようにしてるから。でも今日は別。明日の仕事まで二十四時間が以上空いてるし、うん 」

「そう……ですね…… 」

「それに、こうしてると気も紛れるし 」

「気……? 紛れる? 」

「あっ、いや、こっちの話。昨日はちょっと凹むことがあったんだけど、何だか今は忘れられてるというか…… 」

「そう……でしたか…… 」

「だけど私には仕事もあるし、たまに飲みに行ける同僚もいるし、恵まれてるなーと思ってさ 」 

 桜はつまみには手を殆ど付けることなく、ひたすら焼酎をチビチビと煽っていた。若干世界が回っているような気もしたが、何だかそれはそれで今日は自分を甘やかしてもいい気がしていた。別に今さらそこまで落ち込む話でもないような気がした。

「あの、遠藤さん 」

「なに……? 」

 桜は織原のハッキリとした口調を感じ、思わず彼の横顔に振り返った。

「この前の話を覚えてますか? 」

「この前……? 」

「ええ、川相晴臣の本…… 読みましたか? 」

「……あっ、うん。最終章の手前までは。ちょっと本を水没させちゃって、最後までは読めてなくて 」

「水……没……? 」

「あっ、うん。昨日、雨が酷かったから……ね。続きは気になってるんだけど 」

「そうですか 」

「ん? どうかした? 」

「いいえ、何でも 」

「……? 変なの 」

 織原は口を固く結んでいた。それを見た桜は、少し考えてから こう話を続けた。

「織原は川相晴臣が、めっちゃ好きなんだね…… 」

「いや、そういう訳じゃ…… 」

「ううん、羨ましい。あの世界に出てくる人たちは、みんな暖かくて綺麗だから。私も小説の主人公みたいな前向きに物事を捉えられる人生を歩んでみたかった 」

「遠藤さん? 」

「なーんちゃってね。人生はいろんなことがあるから面白いんだってことも知ってるんだけどね。結局は自分がどうしたいかだもん 」

 桜は無理やり笑顔を浮かべると、また焼酎を口に運んだ。
  自分で言っておいて思った。
 私は本当は、凌平とどんな関係を望んでいたのかと。



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