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それぞれの選択
偶然の偶然は必然①
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◆◆◆
「アケミ先生、ここ真っ直ぐ行ったら、ヒルズにぶつかりますから 」
「ありがとう、吉岡…… 」
吉岡は朱美の大きな荷物を渡しながら、六本木ヒルズの方向を指差した。朱美の自宅へは日比谷線を利用した方が楽なことがわかったので、帰りは六本木駅を目指すことにしたのだが、方向感覚に疎い彼女にとっては少しわかりずらい道のりだった。
「じゃあ、明日に またお伺いしますから、ちゃんとネームを進めておいてくださいね。 」
「っッ…… そんなん、わかってるよ。ほらほら、早く行きなよ。次も詰まってるんでしょ 」
「まあ、それはそうなんですけどね。先生がまた迷子になったら困るから、僕は一応心配してるんですよ。何かあったら、すぐ連絡下さいね。じゃあ 」
「はいはい。じゃあ、また明日ね 」
朱美は若干 面倒臭そうな表情を見せると、吉岡はガッカリした表情を浮かべて 足早に麻布十番の駅に向かった。次の案件が何かは知らないが、隔週キャンディ創刊以来の遅筆な神宮寺アケミを担当するだけでも 編集者として難儀極まりない。それなのに他にも漫画家を二名担当しているらしいし、それ以外にも業務はあるだろうから 吉岡もある意味売れっ子といって違いはないのだろう。朱美は吉岡がある程度 いなくなるのを一人見送ると、回れ右してゆっくりと歩を進めた。
それにしても自分のキャラがしゃべっているのを聞くのは、不思議な感覚だった。
今日の今までは、正直言ってアニメ化の話が進んでいるのかもあまり実感が湧いてはいなかった。それに最近はストーリー展開に苦しんだり週刊誌パパラッチ事件もあったりして、毎日 自宅で締め切りとにらめっこする日々の繰り返しだったから、他のことを考える余裕もほぼなかった。アニメの設定用でイラストを描いたりしたりはしていたが、漫画では体験できなかったキャラクターがしゃべっているのをを目の当たりにすると、身体の深くからワクワクする気持ちが沸々としてくる気がした。
朱美は高級スーパーの脇を通り過ぎ、モダンな服装な洒落た人とすれ違う度に、自分もセレブに見合うような振る舞いをしたくなった。空は相変わらずドンヨリしてはいたが、アニメが成功したら茜みたいに この辺りに越してしまおうかと、飛躍した妄想が駆け巡るくらいには朱美は一人で盛り上がっていた。
そんなテンションがあがった状態でオシャレタウンを歩いていると、あっという間に目的地の六本木ヒルズの敷地内に到着していた。ヒルズをちゃんと訪れたのは就活生のときに企業説明会 以来かもしれない。ビルの雰囲気自体に変化はないが、きっと店の中身はちょくちょく入れ替わってはいるのだろう。
そして朱美はヒルズに着くなり、とある店が目に留まった。ブティックが並ぶ一角ではあったが、店構えは明らかにレストランだった。以前ヒルズを頻繁に訪れていたときはレストランは上の方に集結していた気がしたのだが、ここはそのエリアとは外れた一階に位置している。店の外に置かれたメニューを確認するとチーズ料理専門店と書いてあった。
今日は気分も上がったし、せっかくここまできたのだ。久し振りに一人で外食でもしようか。こういうときに限って吉岡はいないのだから、本当にタイミングが悪い男だ。
朱美はそんなことを思いながら、自分の中に存在する庶民の感覚を封印すると、馴れた体を装って恐る恐るその店に入店した。一人であることを指を立てて示すと、店員が唯一空いていた 通路側の一角を通してくれた。
メニューを開くなり、朱美は今日は多少は飲みながらチーズ料理を堪能する他ないと思った。朱美は一人なことも考慮し 控えめにアペタイザーとパスタ、それに白ワインを注文した。飲酒をしてないでさっさとネームを描きやがれ、と吉岡がキレている表情が一瞬脳裏を掠めはしたが、あまり気にしないことにした。
一人で外食することは殆んどないから、料理を待つ時間はちょっとだけ寂しくはある。
朱美は時間を持て余していたが、ふと思い出したことがありスマホを手に取った。そして、【中野葵】と打ち込むと、すぐさま検索ボタンを押す。
それは一番最後に豊のオーディションを受けたあの声優の彼の名前だった。
「もしかして、おまえ……海蘊……なの……? 」
彼の発した一声聞いた瞬間、豊はこんな声でこんな話し方をする青年なのだと思った。
朱美が知り得なかった正解を、あの中野葵は提示してくれたような気がしてならなかった。それは隣にいた吉岡も感じたようで、彼に至っては手から思わずペンがすり抜ける程の衝撃を受けていた。もちろん参考までにしか意見は聞かれないのだが、朱美も吉岡も豊役は中野さんを推してしまった。そのくらい彼は豊の包容力を自然に演出しているような気がした。
「お待たせ致しました。ラタトゥイユと大根と貝柱のゆずサラダ、カプレーゼの盛り合わせです」
「わあ、美味しそう…… 」
朱美は思わず心の声を口に出すと、暫く皿の上のアペタイザーを見つめていた。そうこうしているうちに白ワインも運ばれきて、朱美は一人で酒宴を始めた。
朱美はスマホで彼の宣材写真や経歴をチェックしながら、もくもくと料理を食べ進めた。彼は声優歴五年くらいの若手声優らしいが、SNSはやっていないらしく、それ以上の情報はネットではリサーチできない。非公認のファンサイトも多数あり、それらをチェックしている限りは彼はラジオやイベントでもクールなキャラであまり発言が多い方ではないと書かれていた。
朱美は場所が変わっただけで、結局いつも通り片手間に食事をしていた。外を歩く人は、明らかに普段自分が暮らす街とは 服装から何から何まで 全然雰囲気が違う。気分転換が出来ただけでも、今日は大きな収穫だろう。朱美は雲行きが怪しい空を横目に、終盤に運ばれてきたラクレットがたっぷり掛かったパスタを堪能した。赤ワインとの相性が抜群でとても美味しかった。
天気も危ないし、長居は止めとくか……
朱美は食事を終えると同時にテーブルチェックを終えると、足早に店を後にした。
しかし少しタイミングが遅かった。
店を出て路上に出たときには、既に雨粒が ポツリポツリと降り注ぎ 地面が少しずつ滲じみ始めていた。
「間に合わなかったか…… 」
朱美がガクリと肩を落とし、店の前で呆然と立ち尽くした。荷物も自分自身も、濡れて困るようなものは今日は持っていない。それならヒルズの本館まで走っても、それほどダメージはないだろう。
朱美はガウチョパンツの裾を上げ、荷物の中からハンカチタオルを取り出し、ダッシュをする準備を整えた。
さぁ、いざ勝負っッ!
朱美が決意を決めて走りだそうかと思った矢先のことだった。
いきなりパタンと店のドアが開くと、
「あの、もしよかったら一緒に…… 」
と聞き覚えのある声に、話しかけられたのだ。
「アケミ先生、ここ真っ直ぐ行ったら、ヒルズにぶつかりますから 」
「ありがとう、吉岡…… 」
吉岡は朱美の大きな荷物を渡しながら、六本木ヒルズの方向を指差した。朱美の自宅へは日比谷線を利用した方が楽なことがわかったので、帰りは六本木駅を目指すことにしたのだが、方向感覚に疎い彼女にとっては少しわかりずらい道のりだった。
「じゃあ、明日に またお伺いしますから、ちゃんとネームを進めておいてくださいね。 」
「っッ…… そんなん、わかってるよ。ほらほら、早く行きなよ。次も詰まってるんでしょ 」
「まあ、それはそうなんですけどね。先生がまた迷子になったら困るから、僕は一応心配してるんですよ。何かあったら、すぐ連絡下さいね。じゃあ 」
「はいはい。じゃあ、また明日ね 」
朱美は若干 面倒臭そうな表情を見せると、吉岡はガッカリした表情を浮かべて 足早に麻布十番の駅に向かった。次の案件が何かは知らないが、隔週キャンディ創刊以来の遅筆な神宮寺アケミを担当するだけでも 編集者として難儀極まりない。それなのに他にも漫画家を二名担当しているらしいし、それ以外にも業務はあるだろうから 吉岡もある意味売れっ子といって違いはないのだろう。朱美は吉岡がある程度 いなくなるのを一人見送ると、回れ右してゆっくりと歩を進めた。
それにしても自分のキャラがしゃべっているのを聞くのは、不思議な感覚だった。
今日の今までは、正直言ってアニメ化の話が進んでいるのかもあまり実感が湧いてはいなかった。それに最近はストーリー展開に苦しんだり週刊誌パパラッチ事件もあったりして、毎日 自宅で締め切りとにらめっこする日々の繰り返しだったから、他のことを考える余裕もほぼなかった。アニメの設定用でイラストを描いたりしたりはしていたが、漫画では体験できなかったキャラクターがしゃべっているのをを目の当たりにすると、身体の深くからワクワクする気持ちが沸々としてくる気がした。
朱美は高級スーパーの脇を通り過ぎ、モダンな服装な洒落た人とすれ違う度に、自分もセレブに見合うような振る舞いをしたくなった。空は相変わらずドンヨリしてはいたが、アニメが成功したら茜みたいに この辺りに越してしまおうかと、飛躍した妄想が駆け巡るくらいには朱美は一人で盛り上がっていた。
そんなテンションがあがった状態でオシャレタウンを歩いていると、あっという間に目的地の六本木ヒルズの敷地内に到着していた。ヒルズをちゃんと訪れたのは就活生のときに企業説明会 以来かもしれない。ビルの雰囲気自体に変化はないが、きっと店の中身はちょくちょく入れ替わってはいるのだろう。
そして朱美はヒルズに着くなり、とある店が目に留まった。ブティックが並ぶ一角ではあったが、店構えは明らかにレストランだった。以前ヒルズを頻繁に訪れていたときはレストランは上の方に集結していた気がしたのだが、ここはそのエリアとは外れた一階に位置している。店の外に置かれたメニューを確認するとチーズ料理専門店と書いてあった。
今日は気分も上がったし、せっかくここまできたのだ。久し振りに一人で外食でもしようか。こういうときに限って吉岡はいないのだから、本当にタイミングが悪い男だ。
朱美はそんなことを思いながら、自分の中に存在する庶民の感覚を封印すると、馴れた体を装って恐る恐るその店に入店した。一人であることを指を立てて示すと、店員が唯一空いていた 通路側の一角を通してくれた。
メニューを開くなり、朱美は今日は多少は飲みながらチーズ料理を堪能する他ないと思った。朱美は一人なことも考慮し 控えめにアペタイザーとパスタ、それに白ワインを注文した。飲酒をしてないでさっさとネームを描きやがれ、と吉岡がキレている表情が一瞬脳裏を掠めはしたが、あまり気にしないことにした。
一人で外食することは殆んどないから、料理を待つ時間はちょっとだけ寂しくはある。
朱美は時間を持て余していたが、ふと思い出したことがありスマホを手に取った。そして、【中野葵】と打ち込むと、すぐさま検索ボタンを押す。
それは一番最後に豊のオーディションを受けたあの声優の彼の名前だった。
「もしかして、おまえ……海蘊……なの……? 」
彼の発した一声聞いた瞬間、豊はこんな声でこんな話し方をする青年なのだと思った。
朱美が知り得なかった正解を、あの中野葵は提示してくれたような気がしてならなかった。それは隣にいた吉岡も感じたようで、彼に至っては手から思わずペンがすり抜ける程の衝撃を受けていた。もちろん参考までにしか意見は聞かれないのだが、朱美も吉岡も豊役は中野さんを推してしまった。そのくらい彼は豊の包容力を自然に演出しているような気がした。
「お待たせ致しました。ラタトゥイユと大根と貝柱のゆずサラダ、カプレーゼの盛り合わせです」
「わあ、美味しそう…… 」
朱美は思わず心の声を口に出すと、暫く皿の上のアペタイザーを見つめていた。そうこうしているうちに白ワインも運ばれきて、朱美は一人で酒宴を始めた。
朱美はスマホで彼の宣材写真や経歴をチェックしながら、もくもくと料理を食べ進めた。彼は声優歴五年くらいの若手声優らしいが、SNSはやっていないらしく、それ以上の情報はネットではリサーチできない。非公認のファンサイトも多数あり、それらをチェックしている限りは彼はラジオやイベントでもクールなキャラであまり発言が多い方ではないと書かれていた。
朱美は場所が変わっただけで、結局いつも通り片手間に食事をしていた。外を歩く人は、明らかに普段自分が暮らす街とは 服装から何から何まで 全然雰囲気が違う。気分転換が出来ただけでも、今日は大きな収穫だろう。朱美は雲行きが怪しい空を横目に、終盤に運ばれてきたラクレットがたっぷり掛かったパスタを堪能した。赤ワインとの相性が抜群でとても美味しかった。
天気も危ないし、長居は止めとくか……
朱美は食事を終えると同時にテーブルチェックを終えると、足早に店を後にした。
しかし少しタイミングが遅かった。
店を出て路上に出たときには、既に雨粒が ポツリポツリと降り注ぎ 地面が少しずつ滲じみ始めていた。
「間に合わなかったか…… 」
朱美がガクリと肩を落とし、店の前で呆然と立ち尽くした。荷物も自分自身も、濡れて困るようなものは今日は持っていない。それならヒルズの本館まで走っても、それほどダメージはないだろう。
朱美はガウチョパンツの裾を上げ、荷物の中からハンカチタオルを取り出し、ダッシュをする準備を整えた。
さぁ、いざ勝負っッ!
朱美が決意を決めて走りだそうかと思った矢先のことだった。
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