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神は僕たちを加速させた

神はまつりの前の静けさを印象づけた

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彼女がこの街にやってきて、僕の生活は一変した。
少なくとも以前の僕は、自分という存在に価値をつけたことはなかったし、自分ではない他の人間のことで、頭をいっぱいにすることなんてなかった。

こうして少しずつ、自分以外の人間が優先されていく感覚が研ぎ澄まされていく。
それは大人になるためには必要な通過儀礼なのかもしれないけど、目に見えないこの支配に僕はついていくだけで精一杯だ。

僕は元来、お人好しではないと思う。
だけど今回ばかりは、最大限 私利私欲のためにお節介を演じたいと思う。相手がそれを求めているかは、もうこの際どうでもいい。そうしないと、僕はいずれ とても後悔をする。

堂々と口にできる勇気はまだ持ち合わせてはいないけど、やっぱり彼女は僕にとってはとても重要な人物だ。
だからこの際、綺麗事は止めにする。

僕はやっぱり、彼女のことが好きだから……






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「恒星 」

「…… 」

「恒星っ 」

「…… 」

「ゴラッ、このバカ息子っッ 」

「な゛っ? 」

「……もういい加減に起きなさいっッ。寝てるの、アンタだけよ!? それに九時過ぎてるからねっッ 」

「ウゲッっっ 」


僕は母さんの喚き声で目を覚ますと、夢と現の余韻を感じる間もなく、そそくさと着替えを急いだ。
明日からの四日間は、夏の風物詩でこの街最大の夏のイベント、下呂温泉まつりが開幕する。街を挙げての行事だから、自然とみんな気合が入る。うちの薬局家業は直接何か出店をするわけではないけれど、父さんも母さんも救護班のボランティアに出たりするものだから、完全に臨戦態勢になっていた。

「……母さん、麻愛は? 」

「さあ。椿ちゃんのところに行くって、どこかに行っちゃったわよ。あんたも何時までもダラダラしてないで、さっさと準備をしなさい。今日から、雄飛閣の手伝いにいくんでしょ? 」

「ああ、別に旅館の仕事ではないけどね。今年も祭りで、朴葉味噌の焼おにぎりを出すんだってさ 」

「へー そうなの。あれ、美味しいわよね 」

「ああ、だけど作るのはメッチャ大変なんだよな。屋外で炙るのは灼熱だし、しかも今年は具に飛騨牛のしぐれ煮を入れるんだって 」

「あら。じゃあお祭りの間に、お土産に少し買ってきてよ。それは、絶対に食べておきたいわ。じゃあ、ちゃんと戸締りは宜しくね 」

「……余ったらね 」

「あと、出掛ける前に、洗濯物干すの宜しくね 」

「……了解 」

母さんはそう言い残すと、薬局の方へと消えていく。仕事があるのに、わざわざ僕を起こすために自宅に舞い戻らせてしまったことに関しては、素直に申し訳なさを感じていた。
僕は朝食もそこそこに顔を洗うと、雄飛閣の制服である作務衣に袖を通す。明らかに屋外作業に向いていない通気性のなさそうな生地の厚さには、一瞬絶望を覚えそうになる。だけど文句を言ったところで変わらないから、ここはあまり気にしないのが一番だと、僕は無意識に割り切っていた。

どんなことがあったとしても、日々の流れは滞りなく進んでいく。
逆瀬川さんから送られたマーガレットの花束は、すっかり綺麗なドライフラワーに変わっていた。



ーーーーーー



に、してもだな……
何で、僕が彼女の服まで干さなきゃならんのだ。
しかも、彼女も彼女だ。
普通に、下着が混ざっているじゃないか。
っつたく、下着くらい自分で洗ってくれよ。
僕が洗濯当番なことも、あるんだからさ……


僕は手のひらに残っているレースの余韻を噛み締めながら、とてもがっかりした気分で飛騨川の側道を歩いていた。
彼女との距離感は、ここのところ確実に近くなっている。彼女は最近、大胆というか何と言うか、パーソナルスペースを割ってくる行動が多いように思う。
別に、何か特別なきっかけがあったとも思えないのだけど、稽古のときも僕が触ったりすることに抵抗感をみせないし、それどころか自らハグしたりしてくるのだ。
あの日、彼女が僕の気持ちに寄り添ってくれたお陰で、姉貴と先生の件に関しては、何とか両親に嫌悪感を抱くことなく、まだ何も知らない体で日常を送れている。それに関しては、本当に感謝だ。
だけど最近の彼女の思い切りの良さには、僕は驚きを隠せない。
イギリスでは、交際もしていない思春期の男女がこんなに近くにいるものなのだろうか。それとも彼女の精神が成熟していて、大人の世界の常識ではこんなものなのだろうか。
あらゆる可能性が、僕の脳内を駆け回る。
そして、その中で僕が唯一、恐れていることがある。
もしかして、彼女の中で僕は完全に家族の域に達してしまっているのだろうか。
もし、そうなのであれば……
僕が本心で願う、彼女紡いでいきたい家族の形と、彼女が僕に求めている家族像は、完全に乖離している可能性があるということだ。
彼女が下着まで露わにしている現状では、どう考えても後者が優勢だよな……
ここまで来ると、僕に勝機など全くないような気さえしてくる。

まあ、思いを伝えないと決めている時点で、どちらにせよチャンス何て最初っからないのだけれど、いざ全く脈なしと突きつけられるのも地味にシンドイものだ。



ーーーーーー





もう、そんなシーズンか……

僕は阿多野谷沿いに並んだ狂俳きょうはい行灯を横目に、目的地を目指していた。
狂俳とは、お題に続き【五・七】もしくは【七・五】の十二文字で表される俳諧の一種で、僕も中学生の頃は、授業で句を詠んだことがある。
この夏の時期になると、地元の有志の団体と下呂中学校三年生に詠まれた作品が、挿し絵と共に行灯に書かれて、阿多野谷の川縁に等間隔に並ぶのだ。その数は百八十二句に及び、ゆっくり見ようとすると、一日では巡り尽くせない数になる。

狂俳の始まりは江戸時代中期、無為庵樗良翁むいあんちょらいおうという歌人が、東海地方を訪れた際、この辺りに広まったことが始まりと言われている。狂俳は、世界一短い文芸とも呼ばれているらしい。この狂俳行灯で詠まれる句の内容は多岐にわたり、中には思わず吹き出してしまうものなどバラエティーに溢れている。
また夜になると、灯りが焚かれるので、阿多野谷沿いには幻想的な暖色の光が川を照らす。
その風景は下呂温泉のシンボル的な光景にもなっていて、観光パンフレットの表紙にも採用されている。この夏の風物詩は、僕らの街を代表する、大切な景色の一つなのだ。


僕が街の中心地、白鷺橋の辺りまでやってくると、嵐の前の静けさでもないけど、町中のみんなが屋台の設営作業に追われていた。
雄飛閣がこの組合の中で、どんなポジションなのかは良くわからないけれど、毎年なかなかのベストポジションに出店している。景気がいいことだ。

「遅くなって、すみません 」

「おっ、恒星、待ってたよ。バックレられたらどうしようかと思ったよ 」

「そんなことはしないよ 」

匡輔は脚立の頂点に跨って、片手にスパナを握りしめ、まるで大工の棟梁みたいな顔つきで、僕を見下げていた。

「わかってるよ。冗談冗談。ところで来て早々悪いけど、そこのパイプ取ってもらっていい? 」

「ああ 」

屋台には数人のスタッフと匡輔がいて、既に骨組み作業を始めていた。ガスボンベとか鉄板とか備品もしっかり運び込まれていて、本格的な出店そのものだ。店の土台となる鉄パイプは、午前中にも関わらず既に熱を帯びていて、如何に夏場の暑さが過酷なのかが思い知らされる。

「コーセー。悪いけど、そこにある金具を取って貰ってもいい? 」

「了解。これのこと? 」

「ああ。それと脚立を押さえて貰っていいかな? 」

「オッケー 」

炎天下の作業は、やっぱり堪えるものがある。
時間が経つにつれて汗が滝のように流れ出て、太陽が低く感じる。川沿いだというのに、その恩恵がわからないくらい、日差しの強さが目に染みた。

「……恒星 」

「どうかした?  」

「いや、この音…… あの二人が帰ってきたかなって 」

「音? 二人? 」

作業も佳境、汗が滴った地面が乾いてきた頃、いでゆ大橋の向こうから、聞き馴染みのない重低音が響いていた。
台車で何かを運んでいるのか、ゴーゴーとタイルに車輪がつまずく度に、ガタンガタンと大きな音が鳴り響き、飛騨川の流水音に負けないくらい勢いを轟かせている。
そしてよくよく目を凝らしてみてみると、それは僕にとって非常に近しい女子二人組だった。

「んんっ? あれって、もしかして麻愛と椿? 」

「ああ、そうそう。恒星が来ないから、女子二人が運搬に回ってくれたんだよ 」

「えっ? マジで? つーか、なんで麻愛がやってんの? 」

「何でって。人手不足だから、椿が声を掛けたんだよ。本当は椿と麻愛ちゃんは午前中はしぐれ煮の仕込みの予定だったんだけど、お前が来ないから米の運搬してんの 」

「ヤッバ! それじゃあ、椿は絶対に怒ってるじゃんか 」

僕は鉄パイプを匡輔に託すと、慌てて台車チームの元を目掛けて駆け出した。

「恒星! 今さら取り繕っても、手遅れだと思うけど? 」

「いや、それでも早いに越したことはないっ 」

背後で匡輔が声を上げているのはわかったけど、それに取り繕っている暇はない。
っていうか、何で彼女が祭りの手伝いに参加しているんだ? 
相変わらず、事情は全く見えてこない。
でもとにかく、今は傷を広げないように、少しでも誠意を見せるのが最優先で、それは僕の凝り固まった頭でもわかることだった。


「あれ? コーセー? 」

「なっ、なんで麻愛がここにいるの? 」

「えっ? 何でって言われても…… 私もお祭りの手伝いするって、伝えてなかったっけ? 」

「……いや、別にいちいち僕に言う必要はないけどさ 」

知らなかった……
何だか疎外感も否めないけど、もうこの際細かいことはどうでもいい。

「ちょっと、恒星。来るの、遅すぎー! 寝坊したんでしょ? 」

「いや、その。家事の手伝いラッキースケベとかをしてて 」

「……そう。それなら、まあ、仕方ないかぁ 」

もっと、ブーブーと文句を言われるかと思ったが、椿は意外なことに、あっさりと怒りを鞘に納めてくれた。僕の、嘘と真実が入り混じった言い訳に納得してくれたのは助かった。まあ、本気で怒ることはないだろうけど、椿は友達だから出来ることならばいつも穏便でありたい。

「椿、ごめんな。悪かった。もうあんまり距離もないけど、せめてここからだけでも台車引くの代わるよ 」

「そうね。ここまでの道のりも、女子のパワーじゃ、けっこう重かったから。それじゃあ、宜しく頼むわ 」

椿はそう言うと、あっさりと台車の主導権を僕に譲ってくる。その持ち手は彼女たちの手汗が滲んでいて、人が一人その上に乗っているようなずっしりとした重量感がある。台車には車輪がついているにも関わらず、かなりの重さが腕に伝わってくる。

「ねえ、コーセー。お米を下ろすのを、手伝ってくれる? 」

「ああ、もちろん 」

僕の男手は台車を引き終わって、あっさりと終了という訳にはいかなかった。もちろんそれでいいのだけど、この米を下ろすのが意外と重労働だ。
米袋には見たことがない名前が書かれている。新しい米の種類か何かだろうか?

「このお米、見たことない品種だね。【ほしじるし】っていうの? 」

「あっ、そうそう。恒星、良いところに目をつけるね。これはね、最近でた品種なんだよ。美味しいし、炊飯しやすいから業務用にもピッタリなの。和・洋・中なんでもオッケーだから、今回の焼おにぎりにも採用したんだって。もちろん地産地消の岐阜産だよ 」

「へー 」

僕は椿の解説に感心しながら、お米を屋台の裏手にどんどんと下ろしていた。四日間の祭りでこれだけあれば十分だろ、と思える量のお米だったけど、まだまだこれで半分にもいっていないらしいから恐れ入る。

「じゃあ、私と麻愛は第二便を取りに行ってくるね 」

「あっ、それなら僕が行くよ 」

「へーきへーき。運ぶのだけなら、女子でも何とかなったもん。どちらにせよ向こうで積むのは、男手があるしね。ねっ、麻愛 」

「うん、そうだね 」

椿と彼女は目を合わせて、ニコリと歯を見せるとまた二人で台車を持ってUターンする。彼女は珍しく髪の毛を束ねていて、その毛先が左右にふわりふわりと揺れている。
そんな、あり触れた光景を見ていたときだった。



「いっっ…… 痛っ 」


僕は一瞬、何が起きたのかわからなかった。
屋台から数メーター離れたところで、椿が突然胸を押さえながらうずくまったのだ。


「えっ、ツバキ? 大丈夫? 」

「……椿? 」

「おい、大丈夫か? 」

椿がうずくまるなんて、珍しい。
僕も驚いたけど、匡輔も珍しく慌てる様子を振り撒くと、脚立を降りて椿の元に駆け寄った。もちろん近くにいた大人たちも、大丈夫かと椿の周りに集まってくる。辺りはあっという間に、人だかりが形成されていた。

「ツバキ? 」「椿? 」

「…… 」

椿はその場で二、三回深呼吸をしている。そしてその背中を、彼女が優しく擦っていた。
体感的には長く感じたけど、それはほんの一瞬の出来事だった。
何秒かして呼吸が整ったところで、椿がゆっくりと立ち上がる。そして自分の周りに集まったギャラリーを見渡すと、アワアワと慌て始めた。

「……うわあ、みんな、ごめんなさい! 」

椿はいつの間にか出来上がった集客に、驚いたのだろう。いつもよりも、少しだけ早口だ。
そして一回息を飲み込むと、今度はこう話を続けた。

「多分、もう大丈夫。一瞬、胸がキュっとしたんだけど、治まったみたい。心配かけてごめんなさいっ 」

椿はそう言うと、ピシャリと笑顔を浮かべる。
その対応の仕方は、いつもの椿らしいと言えばそうなんだけど、昔から一緒にいる僕の立場からすると、その言葉は真意ではないような気もしていた。

「ツバキ、本当に大丈夫? 胸がギュッは、良くない病気の サインかもよ 」

彼女は椿の様子に視線を張り巡らせると、さりげなく首元へと手を添えていた。
脈でも、測っているのだろうか……? 
僕は彼女がお医者さんだと知っているから、その光景に不思議はない。だけど、彼女の事情をよく知らない人間から見れば、少し違和感を覚えるような風景かもしれない。

「へーきへーき。多分ね、女子のサイクル的なやつだから。最近はいつもなるの。私は肋間神経痛ろっかんしんけいつう持ちだから 」

「あっ、そうなんだ……? じゃあ、それなのかな? 」

「多分ね。何かもう落ち着いてきたし、神経痛って波があるからさ。女子の日が明けたら、ちゃんと温泉に浸からないとね 」

女子のサイクル? ……って何のことだ?
それに、ろっかん神経痛? も初めて聞く。僕と匡輔には事情が読めず、ポカンとなるしかない。だけど、そんな二人の会話を聞いていた大人たちは事情がわかったのか、みんな安堵した表情をして、あっさりと元の持ち場に退散していった。


「……そっか。でも、変だなって思ったら、すぐに病院に行かなきゃダメだよ? 」

「そうだぞ、椿。お前、すぐに無理するから 」

「あはは、大丈夫! 若様たちに言われなくても、わかってるって。私、健康診断は毎年ちゃんと受けてるもん 」

椿はそう言うと、力こぶを見せるようなポーズをして、謎の元気アピールを始めた。
椿は、すぐに復活したように見えた。だからこのときの僕たちは、椿の体調不良をあまり深刻には捉えてはいなかったのだ。






ーーーーーーー


結局、匡輔の采配もあり、椿は肉体労働は免除になって、雄飛閣に戻って飛騨牛のしぐれ煮部隊の陣頭指揮を取ることで落ち着いた。
というわけで、僕と彼女は炎天下の中、ひたすら いでゆ大橋を往復する作業に従事していた。キャラにも合わず、僕は濡らした手拭いを頭に巻いてみたり工夫はしてはみてはいたが、如何せん暑すぎで、努力の甲斐は全く現れてはくれなかった。

最近、僕は彼女と二人でいることが多い。
まあ、一つ屋根の下で暮らしているから当たり前なんだけど、それにしても二人きりになることが少しだけ増えた。

だけど、肝心なこと……
例えばアルバートとは本当はどういう関係性なのか、とか、逆瀬川さんのことはどう思っているのか、とか、聞いてみたいことは何一つ踏み込めてはいない。まあ、どちらも僕が知らなくて良いことと言えば、それまでだ。特に後者は親子の問題だから、僕が介入すること必要なんて全くない話し、ただの興味本意の域を過ぎない。

彼女は下呂温泉この街での暮らしを楽しんでいる。
その瞬間を共有出来るだけで、僕は良かった。
良かったハズだったんだ。

だけど……
彼女が時折放つ温もりが、僕の欲という名の感情を加速させている。
家族のような存在になれれば、それでいいと思っていたはずのに、それすら無下にしたくなるのだ。

僕は、彼女の何になりたい?
彼女は僕の何なんだ?
僕にはそんな簡単な結論が、未だに出せずにいた。


「コーセー? 」

「…… 」

「コーセー? 」

「…… 」

「んっ! ゴーゼーっッ!! 」

「えっ、あっ、ゴメン! 呼んだ? 」

「さっきから、何回も呼んでるよ。ずーっと、何回もっっ! 」

「ああ、ごめんごめん。ちょっとボーとしてた 」

「ちょっとっ、台車にもっと集中して! 油断すると、すぐ加速したり減速しちゃうからね。それと、次の横断歩道を渡るところ、さっき運んでたときに少し傾斜がついてて危なかったの。だから気をつけて 」

「ああ、わかった。気を付けるよ 」

僕は慌てて取り繕うと、台車の捌きに集中する。つーか、隣に本人がいるのに、頭のなかを彼女のことでいっぱいにするなんて、僕も大概だし どうかしている。もう、ここまでくると、我ながらアッパレの領域だ。

「コーセー? どうかした? 私の顔に、何か付いてる?  」

「えっ? あっ、いや、何でもない。気にしないで…… 」

「……? 」

僕の挙動不審は、なかなかな具合なのだろう。彼女は怪訝な表情をして、こちらを見ている。お願いだからそんな顔をしないでくれと思うけど、非があるのは完全に僕の方だから、仕方がない。こうなってしまったら、残された手段は話題を変えるしかないので、僕は仕方なく彼女に当たり障りのない質問を投げ掛けた。

「あのさ。今さらだけど、麻愛は良かったのか? 」

「えっ? 急に、何のこと? 」

「その…… えっと祭りの間、一日中、バイトに駆り出されて…… 」

「わたし? 私は大丈夫だよ。それに手伝うのは、初日と二日目だけだから 」

「でも、せっかくなら楽しめばいいのに 」

「三日目と最終日は浴衣着て、遊びにいくよ。 それに一人でお祭り巡っても、楽しくないしね。 」

「まあ、それもそうか…… 」

僕は祭りの間は殆ど雄飛閣の手伝いだし、父さんと母さんは救護係に駆り出される。もちろん匡輔と椿も色んな場所で引っ張りだこだから、必然的に彼女は一人になってしまうのだ。

「それにね、土曜日にはマリコが帰ってくるって 」

「えっ? 」

「だからね、土曜日は目一杯遊んでもらうつもり 」

「…… 」

そうだ。完全にノーマークだった。
忘れかけてはいたけれど、温泉まつりがあるならば、必然的に姉貴が帰ってくるではないか。

「コーセー、大丈夫だよ? 」

「あっ…… いや、そうじゃないんだ。ちょっと吃驚しただけだから 」

僕は無意識に、台車を引くのを止めていた。
彼女もそれにつられて、その場で立ち止まっている。
こんなに姉貴と顔を会わせたくないと思ったのは、初めてのことだった。

「コーセー、心配しないで。マリコは一人で帰ってくるって、言ってたから 」

「うん…… 」

「切り替えるのは大変だと思う。だけど一旦は水に流して、いつも通りに接してあげて 」

「ああ、そうだね 」



さて、この場合……
僕は平常心かつ何も知らない振りを押し通して、姉貴に接することが出来るのだろうか?
科された難題の優先順位は、今の僕にはとても判断が出来そうにはなかった。




    



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