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神は彼女に新しい日常を与えた

神は彼女を不調にした

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◆◆◆


 流石に連日働いていると、作業の感覚は体に馴染んでくるが、体力がそれに比例するとは限らない。

 僕と彼女はこれから始まる戦いに備えて、リネン室でシーツの整理をしていた。彼女は枚数を確認すると、いつも以上にテキパキと仕訳けをしている。

「ゴールデンウィークも明日までか。今年も何だかあっという間だったな。結局バイトと部活しかしなかったし 」

「そうだね。でも、私は楽しかったよ 」

「そう? 」

「仕事を楽しいって言ったら怒られちゃうかもしれないけど。お金を貰うことの尊さがわかると、物の見方も変わるというか……  」

 彼女はそう言うと、忙しそうにあちこち動き回り、隣の倉庫に備品を取りに向かった。その頬は少し赤らんでいるような気もするが、彼女にはいつも隙がない。それに彼女はこの数日の間に他のバイトたちとも打ち解けていて、フレンドリーに会話を交わすまでになっていた。そうなってくると、別に僕とペアを固定しなくてもいい気がしてくる。今度助っ人を頼まれたときは配置替えも含めて提案してみようかと、僕の頭を飛躍した考えが過っていた。 

リンリンー! リンリンー!

 僕は一人でシーツの束と格闘していると、突然部屋の内線が響いた。未だに黒電話を使っているなんて珍しいかもしれないけど、この大型老舗旅館では現役バリバリで運用されているのだから物持ちが違う。

「もしもし……? 」

「あっ、恒星? どう? は順調? 」

「……犯人はお前かよッ。ったく、変なこと麻愛に吹き込みやがって 」

 アッハッハッ、バレちゃったかー
 という椿のおどけた声が受話器の向こうから聞こえてきて、僕は一気に落胆する。
 アイツらがグルなのかは否かは、もはやどうでもよかったが、あの二人の頭の構造が似ていることは間違いがなさそうだ。 

「ごめんごめんって。でも、ちょっと和んだでしょ? 」

「いや、和んじゃないよ。全然っ…… 」

 僕は椿の発言を全力で否定すると、自然とため息をついていた。 
 この前は危うくパブリックスペースで、観光客の視線を独占するところだった。だがこれ以上遊ばれる訳にもいかないので、詳しい辱しめに関しては黙っておくことにした。

「でさ、恒星…… そこに麻愛はいる? 」

「ああ、いま外してるけど…… 側にはいるよ。どうかしたの? 」

「悪いんだけどさ、麻愛ちょっと貸してくれない? 」

「別にいいけど…… 」

 貸すも何も、彼女はそもそも僕の専有物ではない。確かに業務の人手が不足するのは困るけど、そもそも僕はバイトという立場だし、命令に逆らう権利など持ち合わせてはいない。
 
「外国のお客さんがフロントに来てるんだけど、白川郷ツアーを申し込みたいとかでちょっとやり取りに困ってて…… 麻愛に通訳を頼みたくて 」

「わかった。けど本人が断ったら諦めろよ。彼女は布団係で雇われてるんだから 」

「まあ、そう言われたら諦めるよ。じゃあ、恒星もモロモロ宜しくね 」

「ちょっ…… 何でもう彼女がオーケーする前提なんだよっッ 」

「麻愛は断らないよ、多分だけど。悪いけど急ぎで宜しくね。じゃーね 」

 椿はそう言うと、いきなりガチャリと電話を切った。急ぎなら無駄話をしないで本題をさっさと言えよと思ったが、もしかしたらそこまで逼迫していないのかもしれないし、詳しい事情はわかりかねた。
 リネン室のから外に出ると、温度差のせいか空気がヒヤリと感じて新鮮に感じる。
 僕は隣の部屋の倉庫をノックすると、中で作業中の彼女にこう声をかけた。

「麻愛…… ちょっといい? 」

「ん……? コーセー? 」

 彼女は数人のスタッフと話をしていたようで、その人たちに声をかけて、こちらへと歩いてきた。向こうで彼女が話をしていた人たちは年齢も性別もバラバラで、彼女の順応力というのが垣間見えた気がした。

「ごめん、麻愛、作業中に…… 」

「ううん、別に大丈夫。どうかしたの? 」

「何か椿から電話があって。外国のお客さんが来ててフロントだけじゃ言葉が通じないらしいんだ。麻愛に通訳を頼めないかって 」

「通訳……? 」

「ああ。椿は麻愛のことは普通の帰国子女だと思ってるし、英語の授業も得意なの知ってるからだと思うケド…… 」

僕は言葉を選びながら、彼女に事情を説明した。やっぱり僕も彼女はそういうことを拒否はしないと思っていた。

「うん、わかった。フロント行けばいいんだね 」

「ああ。場所わかる? 」

「うん、大丈夫。初日に行ったし。じゃあ、コーセー悪いけど、続き宜しくね 」

「えっ……? 」

 彼女はそう言うと、手に持っていたリネンの束を僕にゴッソリ押し付けた。
 まあ、それはそうなんだけど……
 僕は何だか拍子抜けしたような気分になる。

 そんなに気合いを入れなくても良さそうなのに、彼女はいつも何事にも真摯だ。
 彼女は初日こそ履き物をパタパタさせていたが、今はそんなこともなく、慣れた足裁きでエレベーターへ向かって歩いていく。
 何だかその光景は、ちょっとだけ寂しいような気もしてしまった。

 僕はそんな彼女の後ろ姿を見送ると、リネン室に戻るために部屋のドアに手を掛けた。
 そのとき、足元からシャリッという音がした。
 その音は、薬局を生業とする者の息子ならば聞き慣れた響きだった。
 床には、銀に光るクズが落ちている。

 なんだ……? これ…… 

 僕は抱えたリネンを落とさないように、床に手を伸ばす。

 んっ……?
 それは、薬のゴミだった。
 僕は思わず拾い上げ、そのパウチの裏側を確認した。

 そこにはアルファベットで、イブプロフェンと書いてあった。
 イブプロフェン…… と言えば解熱鎮痛剤……
 何で、こんなところに落ちてるんだ?
 よく父さんと母さんの会話でもよく耳にする薬の名前だから、僕もその存在は知っている。落ちていたのは錠剤の中身が入っていない使用済みだから、これはただのゴミだ。おそらく、外国の観光客の落とし物か何かだろう。

「ったく、ポイ捨てか何かか……? 」

 僕は独り言を呟きながらそれを拾うと、作務衣のポケットにしまった。
 落ち着いて考えたら、お客さんが廊下にごみを捨てるなんてことなんてあるわけないのに、何となく自分に言い聞かせていた。

 そして一瞬だけ、ある可能性が頭を過った。
 いや、まさかね……
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