【完結】ホウケンオプティミズム

高城蓉理

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第四章 肖像に関して

第二条

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◆◆◆


「鶏肉十キロに、玉ねぎが六ネット分、ニンジン三キロに、コンソメストックは四箱分と 」

「あっ、桃佳さん。ここにホワイトシチューのルーがありますよ。買っていきましょうよ 」

「いや、それは駄目だよ。食材費の節約のために、ホワイトソースは 小麦粉から作った方が安上がりなんだって 」

「はあ? シチューって、ルーを使わないで作れるんですか? 」

「それは私もかなり疑問なんだよね。シチューが無事に作れる成功イメージは、私も全然湧いてない 」

 文化祭を翌日に控え、桃佳は有紗と一緒に 大学近所のスーパーに買い出しに来ていた。文化祭の期間中は 部員全員が各種イベント(といっても裏方)に引っ張りダコになるにも関わらず、放研は放研でキチンと屋台を出すらしい。毎年 メニューはクリームシチューと固定されていて、気候の変化が多いこの時期は吉と出るか凶とでるかは賭けに近い。もちろん出店の売り上げは百パーセント放研の懐に入れて良いので、部活の運営資金を稼ぐために 各団体が総力を上げて挑むのだった。

「そういえば一部のテニサーテニスサークルは、学園祭の出店の売り上げで 一年間の活動費を賄っているらしいですよ 」

「えっ? それって、かなり凄くない? 」

「ええ。三年連続売上トップのテニサーは、毎年 唐揚げ屋を出店するらしいんですけど、味もなかなかいけるらしいですよ。何でも大分出身の先代部員から受け継いだ中津からあげなんですって。四日間で数十万を売り上げるから、飲み会も何回かは タダ飲みが出来るらしいですよ 」

「へー それじゃあ 燃える甲斐もあるよね 」

 桃佳と有紗は自転車の荷台いっぱいに重量級の食材を積み上げると、ゆっくりと歩き始める。有紗はダンス部と掛け持ちな分、放研への参加率は高くはない。放研は女子部員の比率は少なめなので、同性とゆっくり喋る機会は貴重な時間に感じられた。

「有紗ちゃんはダンス部では学園祭は何かするの? 」

「ええ。何回かですが、中庭のステージで踊らせて頂きます。でもそれ以外は特にやることがないので、放研でバッチリ活動をしようかと 」

「そうなんだ。もしかして依頼裏方も やったりするの? 」

「はい。ナレーションや司会は出来ませんけど、機材担当なら顔は見えませんので。本当はアナウンスも出来たらいいのですが、やっぱりそこは慎重に進めたくて。桃佳さんは声が綺麗だし、アナウンスも上手だし、本当に羨ましいです。田町先輩が絶賛したくなるのが良く分かりますもん 」

「ハアっ? 田町先輩が私を絶賛? 」

「ええ。練習熱心でガッツがあって、日に日に上達してるって言ってましたよ。あっ、でもこれって本人には内緒な話だったのかも 」

 有紗はニコリと笑みを浮かべると、真っ直ぐと前を向いていた。見た目は華やかで、人当たりも穏やかなのに、有紗は一貫して初心を覆さない。その芯の強さは いまの桃佳にとっては、ある意味羨望の対象だった。 

「あの、桃佳さん。突然ですけど、外郎ういろう売りを言いながら学校まで戻りませんか? 」

「えっ? ここで外郎売りを? でも周りには、けっこう人がいるけど 」

「大丈夫ですよ。他人が何を話しているかなんて、興味を抱いたりはしませんから。それにせっかく時間があるのだから、練習したいじゃないですか。一人で練習をしていても、イントネーションとか細かいミスに気付きにくくなっているんですよね 」

 有紗は ふっと一息付くと、外郎売りの有名な冒頭部分である「拙者 親方と申すは、お立合いの中うちにご存知のお方もござりましょうが…… 」と喋り始めた。

 外郎売りは、現代においては滑舌法として知られているが、元々は享保三年の正月に二代目市川團十郎によって初演された歌舞伎十八番の一つだ。外郎売りを全て喋ると、およそ五分間は掛かる。外郎売りは幅広いジャンルの喋り手の登竜門的な題材で、アナウンサーは勿論のこと、芝居を生業にする役者たちも日々練習されているのだった。
 歌舞伎の題材であるから、内容は物語仕立てになっていて、簡単に言うと「外郎」という薬を実演販売するための口説き文句になっている。後半に連続する早口言葉の数々は、薬の効能で滑舌まで良くなるアピールになっていて、特に意味のない単語の連続に苦労をするのだった。

盆豆ぼんまめ盆米ぼんごめ盆牛蒡ぼんごぼう摘蓼つみたで摘豆つみまめ摘山椒つみざんしょう書写山しょしゃざん社僧正しゃそうじょう。小米の生噛み、小米の生噛み、こん小米のこ生噛 」

 後半の早口言葉パートに差し掛かると、ペースダウンするのはご愛敬だ。有紗は週に一回くらいしか部活に顔は出さないが、自主練習はしっかりと行っているらしい。一部口が回っていないところもあるが、気付いたときには 概ね最後まで外郎売りを読みきっていた。

「あーあ。滑舌が良くなる薬があるなら、相州小田原一色町いっしきまちを過ぎて 青物町をさらに進んで、欄干橋虎屋の藤右衛門とうえもんこと円斎さんを訪ね歩きたいですよ 」

「そうだね。もしもそんな妙薬があったら、喋り手たちで局地的な争奪戦になりそうだけど 」

 桃佳と有紗は 端から見れば終始呪文みたいなやり取りをしていたが、本人たちは まるで構う様子はない。桃佳たちが構内に到着する頃合いには、既に屋台の骨組みは男子部員たちが粗方組んでいて、リースの鍋や業務用のガスコンロが運び込まれていた。

「おっ、二人とも戻ってきたか。買い出し、お疲れさん 」

「高輪先輩、先にお釣りを渡しておきます 」

「ああ、サンキューな。じゃあ悪いけど二人は先に仕込みを始めてもらってもいいかな? 」

「分かりました 」

 桃佳と有紗は野菜一式を段ボールに詰め込むと、掛け声を合わせながら仮設の炊事場まで移動する。屋台用の仮設シンクは学内の至るところに臨時で配置され、その様はまるでいつもの大学とは違う場所のような光景が広がっていた。

「野菜を担いで構内を歩き回るなんて、何だか青春みたいですね。文化祭は高校で終わりだと思ってましたけど、大学生もバッチリはっちゃけるものなんですね 」

「それは確かに。こんなふうにいつもと違うことをしていると、少しだけ青春みたいだね 」

 そういえば……
 今までに文化祭とか体育祭に、自ら積極的に参加したことなどあっただろうか。出席しない訳にはいかないから、学校には一応は登校はしていたけど、クラスでどんな出し物をしたとか、細かい記憶は殆どなかった。

「んっ? 桃佳さん、どうかしました? 」

「ううん、何でもない 」

 桃佳は一瞬 足を止めたが、何事もなかったように歩き出す。今までの自分は人と仲良くしなくても不自由は無かったし、逆に単独行動が気楽だった。大学に入学してからは、さらに自由に伸び伸びと出来ていた気がしていたのに……

 こんな筈ではなかったのに、と思っても もう遅い。そして桃佳は今更ながらに噛み締める。
 人と一緒に何かをすること。何の忖度無しに 共通の目的を持った人に出会えるのは、きっと至極 尊いことなのかもしれないと思い始めていた。


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