ときはの代 陰陽師守護紀

naccchi

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第ニ章 水天彷彿~すいてんほうふつ~

第十話

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 鏡の中の世界は暗かった。暗がりの中、さらに黒い水が和泉を拘束しようと襲う。

(変な空間。でも、あの犀破のところに比べたらマシ。)

 現実世界から見たのと同様に、同じような鏡が並び、女性が閉じ込められていた。和泉は、まず世羅を助けようと、鏡の中に手を入れる。鏡の表面はまるで水のように波紋を刻んで揺れる。世羅の身体は触ることができそうだった。
 
 触ると同時に景色が脳裏に流れ込んできた。

 「世羅の過去」だと直感する。あの男性が見せられたのも過去だったことを思い出す。
 そしてその「世羅の過去」は、まるで追体験するかのようにはっきりと和泉の方に迫ってきた。



――――――――――



 しとしとと、雨が降っていた。
 激しく振る中をふらふらとした足取りで歩く、1匹の狐。ただの狐ではなく、妖狐だ。通常の妖狐よりも長く生き、その毛並みと瞳は本来金色に輝く、金狐という妖怪だった。

 世羅は、金狐である。
 
 しかしその金の美しさは泥と血の汚れに塗れ、見るも無惨な姿である。

 人里が近いのはわかっていたが、人間の体に擬態するほどの力は残っていなかった。無用な争いを生まないようにと、少しは人目が避けられそうな森林に入る。
 ちょうど雨をしのげそうで、かつ休むのに十分なスペースのある洞穴を見つけ、そこに横たわった。

 唐突に気配感じて目があければ、世羅のまわりはぐるりと人間に囲まれていた。しかし取り囲む人間たちには悪意も敵意もなかった。
 それどころか、手当まで施され、身体が冷えないよう毛布までかけられている。

 聞けば、この村は狐の神の信仰が厚いらしく、世羅のことをその信仰する神だと思ったらしい。もちろん、世羅は怪我をしてたまたまここに行き着いただけで、村の信仰する神とはなんら関わりもないのだが。怪我さえ治ればすぐに立ち去るつもりだったことと、村民の気持ちを考えると正直に話す必要も無いかと、このとき、あえて何も言わなかった。

 怪我をしていたとはいえ、村人の世話もあり、妖としての丈夫さゆえに、数日もたてばすっかり元気になった。人に擬態もできた故に、村の子供たちと遊んでやったりもした。

 だが、村からは出られなかった。
 腕のある術士がいたのか、自分という存在がこの土地に縛られてしまったのか、理由は定かではないものの、世羅はその村から出られなくなってしまったのだ。
 周囲を深い森に囲まれた小さな村。その森をどうやっても抜けられず村の入口にあるあの洞穴に戻ってきてしまう。これも自分に課せられた罰かと嘆いた。村人に相談したり、一緒に連れ出してもらったりと色々試したものの、状況は変わらなかった。

 一体どれくらい、村にいただろうか。
 はじめに世羅を救った人間たちはとっくにこの世から去ってしまった。村人からの信仰は世代が代わっても続いた。畑仕事を手伝い、子供と遊び、村のお祭りに参加する。春夏秋冬、いつも村人に寄り添い過ごす日々。
この村から出られない…それでもこうしてただ穏やかな日々が続くだけなら、もういっそこれでもいいのかもしれないと思っていた。

 ある時、村で大規模な水害が起こり、たくさんの死傷者がでた。
 世羅は、狐火を使って夜間の灯りを確保したり、暖をとらせることくらいしかできなかった。それでも村人は大層に喜んだ。しまいには「おきつねさまが村を救ってくれた」とまで言う有様だった。

 村の様子がおかしくなったのは、そこからだった。やれ日照りだ洪水だなんだと災害が起こる度に村人か世羅に懇願する。

「おきつねさま、なんとかしてください」

 なにも、できない。

 疲弊し、焦燥した村人、親を亡くして泣きわめく子供…そんな痛ましい姿の村人たちを見る度、なにかしてあげたくても。本当に何も出来ない。何度言っても、村人も縋る存在が世羅しかいなかったからか、まるで聞く耳を持たない。

 その日は、もうひと月以上も続く日照りの中、「雨をふらせて欲しい」と頼みに来た村人を追い返した後だった。狐の信仰だったら雨乞いはおかしいだろうに、やはり何度追い返してもやってくる。
 たまたま、世羅が住み着いたその洞穴の近くで、村に住む女の子が死んでいた。飢えか脱水症状かはわからないが、茂みの影でひっそりと息を引き取っていた。
 いくらそこまで人目につかない場所だとはいえ、そのままにしておくわけにもいかず、かと言って村のどこの子だと聞きに行くのもまた何かを頼まれそうで、埋めてやることにした。
 ここのところ、村人は世羅の姿を見かけては何かを頼み込んでくるのであまり村人に会わないようにしていたのだ。なんならこの洞穴の場所も周知の事実なので、住処をどこか変えようかすら思っていた。

 ところが、よりにもよってその、世羅が女の子を埋める瞬間を見ていた村人がいた。


『生贄だ』

『言葉ではダメだ、生贄が必要なんだ』

『生贄を捧げればおきつねさまが何とかしてくださる。』


 女の子を埋めた次の日、あんなに日照り続きだったのに急に雨が降ったのがまたよくなかった。
 
『女の子を生贄に、おきつねさまが雨をふらせてくださった』

『今までわたしたちの願いが叶わなかったのは、生贄がいなかったからだ』

 そんな噂が村中に広まるのにさして時間はかからない。
 冗談じゃない。生贄なんぞ捧げられたところで何も出来ないのは変わらない。人間を喰うことはできるが喰ったところで、気候変動を左右するほどの力はない。無理だと強く言っても、狂信的な村人は、やはり聞いてくれなかった。一種のパニック状態に近かったように思う。

 定期的に村から若い女性が世羅のいる洞穴の元へやってくる。
 若い女性を届けられても何も出来ない。そのうち、村に若い女性がいなくなったのか、どんどん送られてくる女性の年齢も下がっていく。満足に食わしてやることも出来ずに、病に、飢えに倒れ、皆死んだ。
 洞穴の周りに墓だけ増えていく。墓と言っても、埋めて少し盛り土をして、多少形の整った石を置くだけだ。それでも世羅には、十分、墓だったのだ。

 帰りたいと泣く女の子の1人を家に返してやった。わざわざ世羅も付き添って。
「頼むからもう生贄なんてやめてくれ」と念までおして。女の子は両親にすがって泣いていたし、両親も声にならない声をあげて泣いていた。
 しかし、翌日その子は物言わぬ骸と化した姿で、世羅の住処の入り口に放置されていた。

『おきつねさまを満足できなかった罰である』

 同じ人間の手にかかって死んでしまったその子の濁った瞳を見てしまってからは、生贄としてやってきた子を送り返すことも出来なくなる。
 ここにいても苦しんで死ぬ、送り返しても同じ人間に殺される。だったらせめて、苦しまないようにひとおもいに。生贄の子たちは、やってきたその日の夜、世羅に喰われることとなる。


 こんな、こんな村、残してはいけない。

 世羅の脳裏にそんな考えが思い浮かぶのに、さして時間はかからなかった。いや、かかっていないと思いたかったのかもしれない。喰った子の数は、もう、おぼえていない。
 すっかり子供の減った、過疎化した、小さな村など、一瞬だった。もう長い間、振るっていなかった狐火の業火は、村ごと荼毘に付してしまう。

 村を燃やす一匹の金狐の背中は広くて大きいのに、和泉の目にはひどく小さく見える。



――――――――――



 違う、殺したかったんじゃない。傷だらけの自分を治してくれた村の人たちに報いたかったのはだれよりも世羅なのに。
 こんなことを、したかったんじゃないのに。

「世羅…!」
 和泉の手が世羅の背中に触れた。
 
 いてもたってもいられずに、世羅の腕をひくと、ガシャンとガラスが割れるような音がして、目の前の映像が崩れていく、世羅を覆っていた鏡が壊れた。

「人の過去を覗き見とは。また随分趣味が悪い妖だね。」

 世羅の低い声が響く。真っ暗な水底のような世界で、世羅は和泉を支えるように立っていた。
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