ときはの代 陰陽師守護紀

naccchi

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第一章 彼誰時~かはたれとき~

第四話

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 陽が目を開ければそこは、暗い世界だった。
 水面が揺れるどこまでも果てのない、色のない暗い世界。
 水面とはいっても、足裏が浸る程度。進むのに支障はない。

 そこかしこに、物言わぬ骸が転がっている。
 ヒトだけかと思えば、妖らしきものもある。首だけのもの、腕だけのもの、なにかわからないくらいの肉塊。
 布やら武器やらも落ちている。どう見ても今の現代では着ないような着物や、折れた刀なんかもある。
 しかし今は気にしている余裕はない、せめて踏みつけないようにだけ配慮し、慎重に避けつつもただ進む。

 方角も方向も、下手をすれば上下すらもなんだかよくわからない世界だったが、まっすぐに進んだ。

 奥に、うずくまる少女の姿がある。
 姿格好は、和泉にそっくりだった。おそらくこれが、和泉の精神なのだろう。
 しかしその少女には、あの、無数の蜘蛛の糸が絡みついている。
 そして、息がつまるほどに重苦しいくらいの【思念】が、その場にいる思念体の状態の陽にも伝わってきた。

 シ ニ タ イ

「これは…」

 シニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイ
 コロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテ
 キエタイキエタイキエタイキエタイキエタイキエタイキエタイキエタイキエタイ

 希死念慮。
 彼女の、死にたいと願う心に反応して蜘蛛の糸がまるで生きているかのように蠢く。
 そういえば、自分を殺せだの、もういいだの、なんだのさんざん言っていた。

 植え付けられたか、もともとそう感じてしまうほどの何かがあったのかまではわからないが、死にたい感情に反応して追ってくる術がかけられていたことがわかる。

(そりゃあ逃げても結界を張っても、撒けねえわけだわな。)

 なにせ心に作用する力だ。喋ることを制限することはできても、思うことを制限するのは難しい。
 だったらやることは一つだった。和泉に生きたいと思わせる。希死念慮さえなくなれば、術は解けるのだ。

 陽は、少女にゆっくり近づき、腰を下ろした。

 絡んでいる蜘蛛の糸を少しずつはらいのけてやる。陽自身も思念体のはずなのに、蜘蛛の糸はさっき攻撃が当たった時のように痛みを感じた。
 あまり悠長にしていられないことは火を見るよりも明らかだ。
 目線を合わせるように、声をかける。

「なあ。お前、死にたいなんて嘘だろ。」
「嘘じゃない、誰も私のことなんて助けられないから。もう、死にたい。」
「じゃあ、助けられたら死ななくていいんだな。」

 少女は、息をのんだ。見上げた顔は、和泉と同じ顔。
 あの、路地裏で会った時の泣きそうに歪んだ空色の瞳。

「お前が犀破とか呼んだあいつがいなきゃ、死ぬ必要ないんだろ。
 だったらオレがやってやるよ。今までだってそうしてきた、オレらにとったらいつものことだ」
「できるわけない!!そうやって、今まで…みんな、みんな、そう言ってたのに、結局死んでった!!」

 その弱そうな体からは想像できないくらいの叫びが、空間に響く。救ってくれないことへの怒りではなく、諦めた悲しみの叫び声。水面が震え、空間が震え、精神自体が泣いている。

 そこらにある骸は、少女の言うだろうか。
 今まで、彼女に手を差し伸べた人たち。その人たちが皆、奴に殺されたと直感するのに時間はかからない。

「だったらなおさら生きろ。そいつらが、お前を守ったんなら、そいつらの思いを汲んでやれよ」
「うるさい!!助けてなんて頼んでない、頼んでないのに、勝手に。
 偽善で手を差し伸べて、勝手に死んで。
 いつも、一人残されて。
 もうそんな思いしたくない。もう、いいから」
「だったらなんでオレの手をとったんだよ。」

 泣きながらうつむく少女の肩に、左手を置いた。
 少女はその手を引きはがそうとするが、陽はその手をどかそうとはしない。

「なんで、さっき怪我したオレを助けたんだよ。
 少しでも、オレに望みを見出したんじゃないのかよ!
 オレならなんとかできるかもしれないって、思ったんじゃないのかよ!」

 口では拒絶していた。ただあの目は、生きることを諦めた目ではなかった。

「頼んでないだ!?だったら殺せなんて頼むなよ」

 陽の手を放そうとする少女の手の力が、少しゆるむ。

「本当にどうでもいいなら、そもそも逃げねえはずだ。逃げてきたんだろ、それは!
 お前が死にたいって思うような現状を変えようとしてたんじゃねえのか。
 死にたいって思っちまうような状況を、何とか変えようと思ってんじゃねえのか。」
「ち、が…」
「オレには、お前の”死にたい”は”生きたい”にしか聞こえねえよ。」

 少女の否定の言葉は強くは続かない。少女の抵抗の力も。
 陽は、肩に置いたその手を放して、少女の手をつかんでへたり込んだ姿勢から立たせようと引っ張る。少女は、我に返ったかのように、踏ん張って陽に抵抗する。だがその力も、たいして強い拒絶ではなかった。

「中途半端な覚悟で、オレに命、背負わせんな!
 自分の命くらい自分で背負え。」

 今度はもう、少女は抵抗しなかった。
 少女に絡みついていた糸が、まるで解けるように消えていく。周囲に合った骸も、よくわからない肉塊も、何もかもが崩れるようにして消えてなくなっていく。
 果てしなく暗かった世界は、まるで永い夜が明けるように、視界が眩しいくらいに明るくなる。


 和泉にかけられていた術が、解けた。
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