上 下
48 / 55
第五章:遊女と私

7

しおりを挟む
「大井勝蔵。お前の客から身請けの話が来た。まだ正式には返事をしないが断る理由はない。準備しておけ」

 それは八助さんとの関係が終わってから突然の事だった。秋生に呼び出されたかと思うと彼は淡々とそう告げた。

「そないな! わっちの意見は?」
「ない。あっちがそれ相応の金を出せばお前を渡す。それだけだ。もう戻っていいぞ」

 そんなの納得できるはずはなかったが彼にとって私の納得など眼中にすらないのだろう。そう言うとすぐに手元の仕事に顔を落とした。
 結局、私は何かを言い返すことも無く(というかどうせ無駄に終わるだけ)部屋へと戻った。

         * * * * *

 お客のいない部屋で窓際に腰掛けた私は煙管を片手に秋生から身請けの話を言い渡された時の事を思い出しながら月夜の吉原遊郭を眺めていた。
 八助さんとの別れに泪を枯らしても泣き続けたあの日から三日。もう私の中に流せる泪は一滴も残っておらず、悲しみの暴虐によって傷だらけだった。立ち直れたというにはまだほど遠いが今の私は悲嘆にくれている場合じゃない。
 私は明日、身請けされるのだから。
 そして今夜は私にとってこの吉原遊郭で過ごす最後の日。私は遊郭の夜景色《よげしき》を眺めながらいつの間にか想い出に耽っていた。あまり思い出したいものは無いが朝顔姐さんやひさ、妹分たちを。そしてもちろん八助さんの事も。数少ない想い出越しに夜景色をただ無心で眺めていた。
 すると突然、下の方から飛んできた何かが部屋の中へと投げ込まれた。私の脚の上を飛び越えたそれは部屋の中腹へ。まるで本能がそうさせたように私は最初、その何かに視線を吸い込まれたがすぐにその何かが飛んできた方――下を見下ろした。
 満月の月明りを浴びそこには人影がひとつ。その姿に私は目を瞠った。

「八助はん?」

 彼は何も言わず少しの間じっと私を見上げると視線を外しどこかへ歩いて行ってしまった。その姿と行動に戸惑いながらも私は部屋に投げ込まれた何かへ顔を戻しそれを手に取ろうと近づいた。小さく丸いそれは紙だった。だが一体何だろうと未だ頭上には疑問符が浮かぶ。そんな疑問を頭に乗せながらも私はそれを拾い上げてみた。
 見た目よりは少し重く硬いそれを解いてみると中には石。それだけじゃ何も分からなかったけどその紙の方を広げてみると頭の疑問はすっかり消え去った。

『あの場所に来てください』

 一言それだけが書かれた紙。
 正直、私は迷った。今更会っても何も変わらない。むしろ更に辛さが増すだけかもしれない。もし口頭で言われてたら断っていたかもしれない。
 でも紙越しに伝えられたそれを断るという事は無視してしまうという事。それでもいいのかも、なんて事も頭を過ったがそれを行動に移すにはまだ私も彼に会いたいと切望していた。空腹の人が目の前の食べ物を我慢できないように私も意思よりも先に足が動き始める。
 そしてこっそりと部屋を出て下へと下りあの場所へ。
 そこには(また木塀を乗り越えたんだろう)八助さんの姿があった。

「夕顔さん。急にすみません」

 私の姿を見ると彼はそう言いながらこちらへ歩み寄った。

「でも僕やっぱり忘れられなくて。もし夕顔さんが僕に気持ちが無かったら何も出来なかったかもしれないけど、あなたの想いを知ってしまったから無理でした。片想いも辛いけどそれよりも互いに想い合ってるのに一緒に居られない方が僕には辛くて……」

 その気持ちは痛い程に分かる。でも同時に私はやっぱり想いを伝えてしまったのは間違いだったんじゃないかと頭の隅で思ってしまった。

「そらわっちもおなじ。そやけどどうにもできひん。――わっちは明日ここを出るさかい吉原屋から大門までの最後の晴れ姿、ちゃんと見てな」
「えっ? 明日?」
「そや。明日」

 顔を逸らし動揺した様子の八助さん。もうそろそろ別れよう。その姿を見つめながら私はそう思った。これ以上一緒にいたらより一層離れるのが辛くなる。もし触れられでもしたら余計――。
 すると八助さんは顔をこちらに向け目と目を合わせると一気に近づき、私の手を取り両手で包み込んだ。その感覚に心の中で溜息を零した私。

「愛してます」

 追い討ちを掛けるように言われた言葉。

「八助はん――」
「逃げましょう」

 私はその言葉がすぐには理解できなかった。彼が何を言ってるのか全く分からなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ラブ・ソングをあなたに

天川 哲
ライト文芸
人生なんて、何もうまくいかない どん底に底なんてない、そう思っていた ──君に出会うまでは…… リストラ、離婚、借金まみれの中年親父と、歌うたいの少女が織り成す、アンバランスなメロディーライン 「きっと上手くなんていかないかもしれない。でも、前を向くしかないじゃない」 これは、あなたに ラブ・ソングが届くまでの物語

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

愛しくて悲しい僕ら

寺音
ライト文芸
第6回ライト文芸大賞 奨励賞をいただきました。ありがとうございます。 それは、どこかで聞いたことのある歌だった。 まだひと気のない商店街のアーケード。大学一年生中山三月はそこで歌を歌う一人の青年、神崎優太と出会う。 彼女は彼が紡ぐそのメロディを、つい先程まで聴いていた事に気づく。 それは、今朝彼女が見た「夢」の中での事。 その夢は事故に遭い亡くなった愛猫が出てくる不思議な、それでいて優しく彼女の悲しみを癒してくれた不思議な夢だった。 後日、大学で再会した二人。柔らかな雰囲気を持つ優太に三月は次第に惹かれていく。 しかし、彼の知り合いだと言う宮本真志に「アイツには近づかない方が良い」と警告される。 やがて三月は優太の持つ不思議な「力」について知ることとなる。 ※第一話から主人公の猫が事故で亡くなっております。描写はぼかしてありますがご注意下さい。 ※時代設定は平成後期、まだスマートフォンが主流でなかった時代です。その為、主人公の持ち物が現在と異なります。

処理中です...