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第五章:遊女と私

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「夕顔さん?」

 朝顔姐さんと八助さんとの想い出のあの場所は秋生の宣言通り打ち付けた板で入れなくなっていた。だから私は代わりにその前で時折、煙管を咥えてる。ひさがそうしてたように。
 するとそれは突然の事だった。私が自分よりも自由な煙を空に吐き出していると、後ろに建てられた木塀の向こう側から耳馴染みのある声が聞こえた。一瞬会いたい気持ちが聞かせた幻聴か単なる聞き間違えかとも思ったが確かに聞こえた。でもどうして? そんな疑問が頭に浮かぶが答えなど見つかるはずもない。
 私は咄嗟に後ろを振り返り少しの間、唖然としながらただ木塀を見つめていた。だがこのままだといるかもしれない彼がこの場を去ってしまうかもしれない。
 ――でもその方がいいのかも。声を出さずいない振りをする方がいいのかもしれない。だってあんな手紙を勝手に送り関係を絶った今、今更何を話せばいいのか分からないから。それにもし話しをしてるところを見つかりでもしたらまだ短い間だけど必死に耐えてきた意味がなくなる。
 だけどそんな私へ問いかけるように脳裏で再生される想い出。
 気が付けば私は自分の感情を抑えきれず声を出していた。

「――は、八助はん?」

 言葉と共に一歩塀へ近づく。
 するとすぐに彼の声が返ってきた。

「夕顔さん!」
「なんでこないなとこに?」

 未だ戸惑いを隠せないその声は小さい。でもちゃんと届いたようでまた彼の声が聞こえる。

「僕。その……。手紙受け取りました」
「……そうなんや」

 すぐにでも訂正したかったが秋生の言葉がそれを止めた。そうと知れば八助さんはまた会おうって言ってくれそうで、それを断る自信がなくて。
 それにあんな手紙を読んで彼がどう思ってるのかを知るのが少し怖かったっていう気持ちもそこにはあった。

「正直、信じられなくて。だから直接、夕顔さんから聞きたいんです。本当にもう会えないですか? 手紙も終わりですか?」

 そうだと、言わなければいけなかったんだろうが私は何も言えなかった。心に引き留められたようにその言葉は私の中に留まり続けた。

「僕、夕顔さんが手紙を返してくれた時すごく嬉しかったんです。まさか返ってくるとは思ってなくて。それからの日々はずっと夢の中にいるような気分でした。一日の内のほんの少しだけしか変わらないのに全部が一変したみたいで最高の日々でした。あなたと別れた後なんかもう次が楽しみで手紙の返事を書く時も待ってる時でさえ楽しくて仕方なくて。でももう終わりですか? あなたがもし終わりって言うならそれでもいいです。本当はどうにかして続けたいけど、この気持ちより僕はあなたの気持ちを優先したい。だからもしそうなら言ってください。あなたの声で別れを聞きたいんです」

 私だって。その気持ちはまるで自分の事のように分かる。だからこそ終わらせたくはなかった。年季が明けるまで続いて欲しかった。
 でも終わらせずを得ない。そうしないと彼だけじゃなく三好も犠牲になってしまうから。
 私は彼が諦めざるを得ないあの事を口にした。出来れば終わりだなんて言いたくないから。

「わっち、身請けされんねん。まだ正式に公にされた事じゃありんせんけど、もう決められてる事。でありんすからどちらにせよもう会う事はあらへんな」
「話が来たのは知ってましたけど、決まったんですね」
「そうやな」
「でも僕は知りたいんです。夕顔さんはあの日々をどう思ってるのか。この場所で見せてくれた笑顔は心からのものだったのか。僕はあなたの言葉を本心としてこの心に留めてていんですか? それともあれは全て――」
「そらちゃう」

 それは気付いたら声に出ていて反射的にした否定だった。もしそれを肯定したり無言で聞き逃せば自分で自分の気持ちを否定するような気がした。彼に言った言葉や彼に伸ばした手。確かにそれは遊女としてお客にしてきた夕顔と重なって感じたけど、でもちゃんと心の奥底で求める気持ちも感じてた。ただ拭えない遊女がその気持ちに覆い被さりそれを私はどうにも出来ないでいただけ。
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