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第四章:消えぬ想い

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 一方で僕は空になった丼鉢と残された代金を視界に捉えながらも全く見ていなくて頭では幸十郎さんの先ほどの言葉を思い出していた。夕顔さんに身請けの話が。もし受ければ彼女はここを立ち去り本当の意味でもう会えなくなる。心のどこかではこの状態が続きここを離れるかどうかの選択肢をするのは自分だと思っていた。自分がここを離れるかどうか。本当の意味での別れを選ぶのは自分だと思っていた。だけどまたしても別れは強制かつ唐突的に訪れた。
 僕はこのまま自分の決意によってではなく訪れる運命によって夕顔さんと永遠の別れを果たしてしまうのか。そうは思いつつもどうする事も出来ない現実にただ頭を抱えるしかなかった。

「出来るならもう一度だけでも……」

 次の日の昼前。僕はあの場所の前へと来ていた。いつもなら鍵が開くのを待つか既に空いている戸から中へ入るのだが当然今回はそうじゃない。それに戸には鍵どころか板が打ち付けられていた。
 先日、幸十郎さんから聞いた身請けの話。それが何も出来ないのにも関わらずこの場所へ足を運ばせた理由なんだろう。そこで僕はただ木塀越しにあの夕顔さんとの想い出の場所を感じるしかなかった。近くに居るからか木塀に凭れるだけであの日々が鮮明に思いだせる。自然に零れる笑み。
 すると、塀の向こうからふーっと息を吐く声が微かに聞こえた。僕はハッとし木塀を見遣る。でも塀の向こうに居るのが本当に彼女かは確信がない。
 でもそんな僕の心の揺らぎを聞いたかのように声が一つ聞こえてきた。

「身請けなぁ……」

 それは確かに夕顔さんの声だった。この木塀の向こうに夕顔さんがいる。僕の胸は思わず高鳴ったがなんて声を掛ければいいか分からず、ただ彼女を想いながらその木塀に手を添えるしかなかった。ここにいる事を気付いて欲しいと思いながら秋生さんの言葉が脳裏を過り声は出せずにいた。掌に感じる木の感触。口は開けど声は出ない。
 結局、僕は逃げるようにその場を立ち去り三好へと帰った。
 その夜。中々寝付けず水でも飲もうと店に行ってみると行灯の静かな灯りに照らされ源さんがお酒を呑んでいた。

「まだ起きてたのか?」
「ちょっと眠れなくて」

 僕は一度、台所に寄ってから源さんの向かいの席に腰を下ろした。そして持って来た猪口を差し出す。

「僕もいい?」
「呑まないのにか?」
「そうだけど、こういうのもいいじゃん」

 口元に更に皺を寄せた源さんは僕の猪口にお酒を注ぎ自分のにも注いだ。そして軽く乾杯をして僕らは同時にそれを呷った。鏡映しのように猪口が口から離れると源さんはそのまま猪口を机へ。だけど僕は喉をお酒が通り過ぎると咳き込んでしまった。

「大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。次はゆっくり呑むから」

 僕はそう言って差し出した猪口に少し遅れてお代わりが注がれた。
 それからも僕と源さんはお酒を酌み交わしながら色々な話をした。今思えばこういうのは初めてだ。こうやってお酒を呑みながらゆっくりと話しをするのなんて。僕もそうだけど源さんもそうなんだろう昔の話をするその表情は嬉々としていた。しかも話はほとんど僕の話だ。懐古するものもあれば思い出したくないようなものもあって、僕が覚えてないようなのも。でも源さんはどの話でも決まって楽しげ。全てが良い想い出だと言う表情を浮かべていた。
 そしてそれはお酒が回ったからなんだろう、いつの間にか最初と違ってお酒が喉を通るのにも慣れ、大き目の徳利(中は以前から源さんが呑んでいて多少は減っていた)が空になったのはほんの一瞬の出来事のように感じた。まるでぼーっとしてたみたいに一瞬で気が付けば時間が経っていたけど、そこには楽しい時間だっという確かな感覚だけはちゃんと残っている。他に何を考えてたのかは分からないけど。
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