21 / 55
第三章:夕日が沈む
8
しおりを挟む
「まさかあんたがねぇ」
それは私が戸を開け少し進んだ所だった。気にしていなかったというのもあるが誰かいるとは思ってもみなかった後方から声が聞こえた。その瞬間、喫驚が胸中で爆発し、遅れてきた鬼胎を抱きながら声後ろを振り返る。
そこには木塀に凭れた蛍がいた。何が入っているのかも(または入っていたのか)分からない箱が幾つか放置された傍で煙管を片手に持ちながら立っている。そんな彼女の姿に私は抱いていた鬼胎を手放し胸を撫で下ろした。
「蛍……。吃驚させんといてや」
「別に驚かすつもりはなかったって」
「いつからそこにおるん?」
「ちょっと前。そしたら夕顔と男の人の声が聞こえたから」
「盗み聞きなんてええ趣味しとるなぁ」
「最初は悪いかなって思ったんだけど、好奇心に勝てなくて――ごめん」
意外と素直に非を認め謝罪した彼女をこれ以上責める事は出来るはずもなく(もとより責めるつもりはないけど)私は安堵も含めた溜息をもう一度零した。
「別にええで。むしろ蛍で安心してるわ。にしても何でここにおるん?」
「朝顔姐さん。よくここで一服してたんだよね。あんたも知ってるでしょ?」
「そやけどそら向こう側やろ?」
「そうだけど。中はちょっと姐さんの事思い出しちゃうからここに来る時はこの場所でね。あんたは大丈夫なの?」
「わっちはむしろ思い出して姐はんを近くに感じたいから。そやけどそのたんびに思うんやんな――また会いたいって」
それに対し蛍は何も言わず煙管を口へ。そしてゆっくりと煙を吐き出す。
私たちの共通の感情が溶け込んだその沈黙はどこか懐かしくも悲しいものだった。
「それより今のがあの手紙の相手?」
するとそんな空気ごと変えるように蛍は話題を別のものへ。
「そや」
「ふーん。聞くだけじゃなくて覗けばよかった。でも夕顔にも間夫がいるなんてね」
「あの人はそないなんちゃうで」
「別に隠さなくてもいいって。あたしも行灯部屋で隠れて何回も会ってるし」
「そやさかいちゃうゆーてるやん」
「はいはい。でもそういうのっていいもんだよ。その人と一緒に居る間は心が自由になって、自分がこんな場所で興味もない男たちの相手をしてるってことも、こんな場所から抜け出せないってことも忘れられるし。ずっとこの時間が続けばいいのにって思う」
「その人とは今も続いてるん?」
「今はたまーに。ほんとは少しでも一緒にいたいしその気持ちが苦しいんだけど。でも見つかるのは避けたいから。我慢してるの。でも会って別れる時、最近はいつも思うんだよね。こんな場所でこんな形で出会わなければもっと好きなだけ一緒にいられたのかなって。どんな形でもいいからこんな場所抜け出してずっと二人でいたいなって」
私には蛍のように思いを寄せる人はいないけど、何となく彼女のその気持ちは分かるような気がした。何故かは分からないけど彼女の言葉や表情から伝わってくる気がした。
「まっ、それも仕方ないよね。あたしたち遊女なんだし」
蛍は開き直るようにそう言うと私の方へ足を進めてきた。
「それよりこの事はちゃんと秘密にしとくから気にせず今まで通り会って楽しんでいいからね」
「おおきに」
「その代わり今度――」
「そらあかん」
言葉を聞く前に彼女が言わんとしている事を察した私は斬り捨てるように断った。
「えぇー。じゃあもっと詳しい話を聞かせてくれるって事でいいよ」
「そらまた今度な」
そしてなんとか蛍をあしらった私は部屋へと戻り着付けを始めた。
それは私が戸を開け少し進んだ所だった。気にしていなかったというのもあるが誰かいるとは思ってもみなかった後方から声が聞こえた。その瞬間、喫驚が胸中で爆発し、遅れてきた鬼胎を抱きながら声後ろを振り返る。
そこには木塀に凭れた蛍がいた。何が入っているのかも(または入っていたのか)分からない箱が幾つか放置された傍で煙管を片手に持ちながら立っている。そんな彼女の姿に私は抱いていた鬼胎を手放し胸を撫で下ろした。
「蛍……。吃驚させんといてや」
「別に驚かすつもりはなかったって」
「いつからそこにおるん?」
「ちょっと前。そしたら夕顔と男の人の声が聞こえたから」
「盗み聞きなんてええ趣味しとるなぁ」
「最初は悪いかなって思ったんだけど、好奇心に勝てなくて――ごめん」
意外と素直に非を認め謝罪した彼女をこれ以上責める事は出来るはずもなく(もとより責めるつもりはないけど)私は安堵も含めた溜息をもう一度零した。
「別にええで。むしろ蛍で安心してるわ。にしても何でここにおるん?」
「朝顔姐さん。よくここで一服してたんだよね。あんたも知ってるでしょ?」
「そやけどそら向こう側やろ?」
「そうだけど。中はちょっと姐さんの事思い出しちゃうからここに来る時はこの場所でね。あんたは大丈夫なの?」
「わっちはむしろ思い出して姐はんを近くに感じたいから。そやけどそのたんびに思うんやんな――また会いたいって」
それに対し蛍は何も言わず煙管を口へ。そしてゆっくりと煙を吐き出す。
私たちの共通の感情が溶け込んだその沈黙はどこか懐かしくも悲しいものだった。
「それより今のがあの手紙の相手?」
するとそんな空気ごと変えるように蛍は話題を別のものへ。
「そや」
「ふーん。聞くだけじゃなくて覗けばよかった。でも夕顔にも間夫がいるなんてね」
「あの人はそないなんちゃうで」
「別に隠さなくてもいいって。あたしも行灯部屋で隠れて何回も会ってるし」
「そやさかいちゃうゆーてるやん」
「はいはい。でもそういうのっていいもんだよ。その人と一緒に居る間は心が自由になって、自分がこんな場所で興味もない男たちの相手をしてるってことも、こんな場所から抜け出せないってことも忘れられるし。ずっとこの時間が続けばいいのにって思う」
「その人とは今も続いてるん?」
「今はたまーに。ほんとは少しでも一緒にいたいしその気持ちが苦しいんだけど。でも見つかるのは避けたいから。我慢してるの。でも会って別れる時、最近はいつも思うんだよね。こんな場所でこんな形で出会わなければもっと好きなだけ一緒にいられたのかなって。どんな形でもいいからこんな場所抜け出してずっと二人でいたいなって」
私には蛍のように思いを寄せる人はいないけど、何となく彼女のその気持ちは分かるような気がした。何故かは分からないけど彼女の言葉や表情から伝わってくる気がした。
「まっ、それも仕方ないよね。あたしたち遊女なんだし」
蛍は開き直るようにそう言うと私の方へ足を進めてきた。
「それよりこの事はちゃんと秘密にしとくから気にせず今まで通り会って楽しんでいいからね」
「おおきに」
「その代わり今度――」
「そらあかん」
言葉を聞く前に彼女が言わんとしている事を察した私は斬り捨てるように断った。
「えぇー。じゃあもっと詳しい話を聞かせてくれるって事でいいよ」
「そらまた今度な」
そしてなんとか蛍をあしらった私は部屋へと戻り着付けを始めた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説


淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ひまわり~好きだと、言って。~【完結】
水樹ゆう
ライト文芸
どうしても忘れられない光景がある。社会人になっても恋人が出来ても、忘れられないもの。心の奥に残る微かな痛みを抱えたまま、今年も又、忘れられない夏が訪れる――。25歳のOL・亜弓には、忘れられない光景があった。それは高三の夏祭りの夜の出来事――。年上の恋人と初恋の人。気の置けない従弟と親友。恋と友情。様々な想いの狭間で揺れ動く、OL視点の恋と友情の物語。
★2019/04/4 連載開始
★2019/04/17 完結
★2022/4 ライト文芸大賞にエントリーしました。
★6万文字ほどの中編です。短い連載になるかと思いますが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
★今作の主人公・亜弓のいとこの浩二視点の物語『ひまわり~この夏、君がくれたもの~』も同時連載中です。そちらは、浩二と陽花のラブストーリーになっていますので、よろしければ覗いてみてください。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる