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第三章:夕日が沈む

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「まさかあんたがねぇ」

 それは私が戸を開け少し進んだ所だった。気にしていなかったというのもあるが誰かいるとは思ってもみなかった後方から声が聞こえた。その瞬間、喫驚が胸中で爆発し、遅れてきた鬼胎を抱きながら声後ろを振り返る。
 そこには木塀に凭れた蛍がいた。何が入っているのかも(または入っていたのか)分からない箱が幾つか放置された傍で煙管を片手に持ちながら立っている。そんな彼女の姿に私は抱いていた鬼胎を手放し胸を撫で下ろした。

「蛍……。吃驚させんといてや」
「別に驚かすつもりはなかったって」
「いつからそこにおるん?」
「ちょっと前。そしたら夕顔と男の人の声が聞こえたから」
「盗み聞きなんてええ趣味しとるなぁ」
「最初は悪いかなって思ったんだけど、好奇心に勝てなくて――ごめん」

 意外と素直に非を認め謝罪した彼女をこれ以上責める事は出来るはずもなく(もとより責めるつもりはないけど)私は安堵も含めた溜息をもう一度零した。

「別にええで。むしろ蛍で安心してるわ。にしても何でここにおるん?」
「朝顔姐さん。よくここで一服してたんだよね。あんたも知ってるでしょ?」
「そやけどそら向こう側やろ?」
「そうだけど。中はちょっと姐さんの事思い出しちゃうからここに来る時はこの場所でね。あんたは大丈夫なの?」
「わっちはむしろ思い出して姐はんを近くに感じたいから。そやけどそのたんびに思うんやんな――また会いたいって」

 それに対し蛍は何も言わず煙管を口へ。そしてゆっくりと煙を吐き出す。
 私たちの共通の感情が溶け込んだその沈黙はどこか懐かしくも悲しいものだった。

「それより今のがあの手紙の相手?」

 するとそんな空気ごと変えるように蛍は話題を別のものへ。

「そや」
「ふーん。聞くだけじゃなくて覗けばよかった。でも夕顔にも間夫がいるなんてね」
「あの人はそないなんちゃうで」
「別に隠さなくてもいいって。あたしも行灯部屋で隠れて何回も会ってるし」
「そやさかいちゃうゆーてるやん」
「はいはい。でもそういうのっていいもんだよ。その人と一緒に居る間は心が自由になって、自分がこんな場所で興味もない男たちの相手をしてるってことも、こんな場所から抜け出せないってことも忘れられるし。ずっとこの時間が続けばいいのにって思う」
「その人とは今も続いてるん?」
「今はたまーに。ほんとは少しでも一緒にいたいしその気持ちが苦しいんだけど。でも見つかるのは避けたいから。我慢してるの。でも会って別れる時、最近はいつも思うんだよね。こんな場所でこんな形で出会わなければもっと好きなだけ一緒にいられたのかなって。どんな形でもいいからこんな場所抜け出してずっと二人でいたいなって」

 私には蛍のように思いを寄せる人はいないけど、何となく彼女のその気持ちは分かるような気がした。何故かは分からないけど彼女の言葉や表情から伝わってくる気がした。

「まっ、それも仕方ないよね。あたしたち遊女なんだし」

 蛍は開き直るようにそう言うと私の方へ足を進めてきた。

「それよりこの事はちゃんと秘密にしとくから気にせず今まで通り会って楽しんでいいからね」
「おおきに」
「その代わり今度――」
「そらあかん」

 言葉を聞く前に彼女が言わんとしている事を察した私は斬り捨てるように断った。

「えぇー。じゃあもっと詳しい話を聞かせてくれるって事でいいよ」
「そらまた今度な」

 そしてなんとか蛍をあしらった私は部屋へと戻り着付けを始めた。
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