19 / 55
第三章:夕日が沈む
6
しおりを挟む
翌日、午前中のすべき事をいつもより素早く済ませた私は吉原屋の端にある今は使われていない物置小屋が放置されている場所へ向かっていた。そこだけを区切るように(人より少し高い)木塀で囲われたその場所はもう長い間、誰も使ってない忘れられた空間。
そこまで誰にも見られず辿り着いた私は恐らく吉原屋のほとんどが存在を知らない開き戸の鍵を開けた。
すると少し遅れドアは小さく軋みながらゆっくりと開き始めた。
「こうして顔を合わせるのんは久しぶりやな」
開いた戸を通りこの空間に足を踏み入れたのは、
「そうですね」
八助さん。手紙でのやり取りは続いていたがこうやって直接会うのはあの夜以来。だからかどこか初めて会うような少し不思議な感じがした。
「なんもあらへんけどこれぐらいはあるさかい」
そう言って物置小屋の傍に置いてある三人用の腰掛けを指差した私は先に腰を下ろした。でも八助さんはまだそこに立ったまま。
「そいで ずっとそうしていんすのもいいでありんすが、こっちに来るのもいいと思いんせん?」
私はあの時を再現するようにそう言うと隣を手で触れるように叩いた。
「そうですね」
そんな私に八助さんは笑みを零すと足を動かし始め隣に腰を下ろした。あの時よりは近くに。
「でも本当に大丈夫なんですか? こんなこと」
「そないな心配しいひんでも大丈夫。別に仕事をサボってる訳ちゃうし。それより八助はんこそ仕事大丈夫なん?」
「僕は大丈夫ですよ。基本的に忙しいのは夜見世ぐらいからなので。この時間帯はちょっと店に遊客が来るぐらいで。って言っても一番忙しいのは源さんなんですけどね。――それよりこんなところに入口ってあったんですね。知りませんでした」
「多分、知ってる人はいーひんかもしれへん。それぐらい使われてへんさかいね」
「じゃあなんで夕顔さんは知ってるんですか?」
私はそれに答える前に一人頭の中でその人の事を思い出した。今でも鮮明に覚えているあの笑顔を。
「姐はんに教えてもろうてん。姐はんってゆーてもここでの姐はん。わっちに遊女としてここで生きる方法を教えてくれた人。八助はんもずっとここにおるなら知ってる思うで。朝顔姐さんの事は」
姐さんの名前を口にしながら八助さんを見遣ると彼は知っていそうな反応をしていた。
「夕顔さんより前の方ですよね?」
「そう。わっちより前の吉原屋の最高位花魁」
「僕も小さい頃、花魁道中をしている彼女を見た事あります。とても綺麗な人だなって子どもの僕でも思いました」
「身も心も綺麗な人やった。そないな姐はんが一人になりたい時に来とったのがここ。ようこな風に並んで座っとったわ」
私はいつの間にか懐古の情に包み込まれながら八助さんとこの空間を眺めていた。
『ええか夕顔。わっちらはもう年季明けるまで遊女として生きていくしかあらへん。そやさかい一番を目指すんやで。そうしたら少しぐらいはええ暮らしが出来る。この鳥篭から出られへん以上、遊女であり続けなあかん以上、得られるものは少しでも手に入れるやで。あんたにはそれが出来る』
丁度、八助さんの位置に座る朝顔姐さんは私によくそう言っていた。吉原屋の最高級花魁をになって少しでも年季明けまでを良くしろって。
「その方は今どうしてるんですか?」
「――どうやろうな」
「元気にしてるといいですね」
「そうやな」
茶褐色越しに朝顔姐さんを見ながら私は嘘を付いた。本当は彼女が今どうしてるかを知ってる。でもそれを口に出来なかったのは良い思い出との彼女にしか目を向けたくなかったからだろう。それを証明するように心の隅では弱い自分に対する嫌悪感が芽を出していた。
「それより八助はんは歌舞伎って見た事あるん?」
そこまで誰にも見られず辿り着いた私は恐らく吉原屋のほとんどが存在を知らない開き戸の鍵を開けた。
すると少し遅れドアは小さく軋みながらゆっくりと開き始めた。
「こうして顔を合わせるのんは久しぶりやな」
開いた戸を通りこの空間に足を踏み入れたのは、
「そうですね」
八助さん。手紙でのやり取りは続いていたがこうやって直接会うのはあの夜以来。だからかどこか初めて会うような少し不思議な感じがした。
「なんもあらへんけどこれぐらいはあるさかい」
そう言って物置小屋の傍に置いてある三人用の腰掛けを指差した私は先に腰を下ろした。でも八助さんはまだそこに立ったまま。
「そいで ずっとそうしていんすのもいいでありんすが、こっちに来るのもいいと思いんせん?」
私はあの時を再現するようにそう言うと隣を手で触れるように叩いた。
「そうですね」
そんな私に八助さんは笑みを零すと足を動かし始め隣に腰を下ろした。あの時よりは近くに。
「でも本当に大丈夫なんですか? こんなこと」
「そないな心配しいひんでも大丈夫。別に仕事をサボってる訳ちゃうし。それより八助はんこそ仕事大丈夫なん?」
「僕は大丈夫ですよ。基本的に忙しいのは夜見世ぐらいからなので。この時間帯はちょっと店に遊客が来るぐらいで。って言っても一番忙しいのは源さんなんですけどね。――それよりこんなところに入口ってあったんですね。知りませんでした」
「多分、知ってる人はいーひんかもしれへん。それぐらい使われてへんさかいね」
「じゃあなんで夕顔さんは知ってるんですか?」
私はそれに答える前に一人頭の中でその人の事を思い出した。今でも鮮明に覚えているあの笑顔を。
「姐はんに教えてもろうてん。姐はんってゆーてもここでの姐はん。わっちに遊女としてここで生きる方法を教えてくれた人。八助はんもずっとここにおるなら知ってる思うで。朝顔姐さんの事は」
姐さんの名前を口にしながら八助さんを見遣ると彼は知っていそうな反応をしていた。
「夕顔さんより前の方ですよね?」
「そう。わっちより前の吉原屋の最高位花魁」
「僕も小さい頃、花魁道中をしている彼女を見た事あります。とても綺麗な人だなって子どもの僕でも思いました」
「身も心も綺麗な人やった。そないな姐はんが一人になりたい時に来とったのがここ。ようこな風に並んで座っとったわ」
私はいつの間にか懐古の情に包み込まれながら八助さんとこの空間を眺めていた。
『ええか夕顔。わっちらはもう年季明けるまで遊女として生きていくしかあらへん。そやさかい一番を目指すんやで。そうしたら少しぐらいはええ暮らしが出来る。この鳥篭から出られへん以上、遊女であり続けなあかん以上、得られるものは少しでも手に入れるやで。あんたにはそれが出来る』
丁度、八助さんの位置に座る朝顔姐さんは私によくそう言っていた。吉原屋の最高級花魁をになって少しでも年季明けまでを良くしろって。
「その方は今どうしてるんですか?」
「――どうやろうな」
「元気にしてるといいですね」
「そうやな」
茶褐色越しに朝顔姐さんを見ながら私は嘘を付いた。本当は彼女が今どうしてるかを知ってる。でもそれを口に出来なかったのは良い思い出との彼女にしか目を向けたくなかったからだろう。それを証明するように心の隅では弱い自分に対する嫌悪感が芽を出していた。
「それより八助はんは歌舞伎って見た事あるん?」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ラブ・ソングをあなたに
天川 哲
ライト文芸
人生なんて、何もうまくいかない
どん底に底なんてない、そう思っていた
──君に出会うまでは……
リストラ、離婚、借金まみれの中年親父と、歌うたいの少女が織り成す、アンバランスなメロディーライン
「きっと上手くなんていかないかもしれない。でも、前を向くしかないじゃない」
これは、あなたに
ラブ・ソングが届くまでの物語
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
愛しくて悲しい僕ら
寺音
ライト文芸
第6回ライト文芸大賞 奨励賞をいただきました。ありがとうございます。
それは、どこかで聞いたことのある歌だった。
まだひと気のない商店街のアーケード。大学一年生中山三月はそこで歌を歌う一人の青年、神崎優太と出会う。
彼女は彼が紡ぐそのメロディを、つい先程まで聴いていた事に気づく。
それは、今朝彼女が見た「夢」の中での事。
その夢は事故に遭い亡くなった愛猫が出てくる不思議な、それでいて優しく彼女の悲しみを癒してくれた不思議な夢だった。
後日、大学で再会した二人。柔らかな雰囲気を持つ優太に三月は次第に惹かれていく。
しかし、彼の知り合いだと言う宮本真志に「アイツには近づかない方が良い」と警告される。
やがて三月は優太の持つ不思議な「力」について知ることとなる。
※第一話から主人公の猫が事故で亡くなっております。描写はぼかしてありますがご注意下さい。
※時代設定は平成後期、まだスマートフォンが主流でなかった時代です。その為、主人公の持ち物が現在と異なります。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる