9 / 55
第二章:三好八助
2
しおりを挟む
きっとこれを口にしても源さんは否定するかもしれないが、彼が独り身なのは僕の所為なんじゃないかって思ってる。まだ幼い僕の世話の所為で彼の人生の時間をあっという間に奪ってしまった。そう考えると心が咎める。でもそれは言わない。どうせ関係ないと言われるだけだから。
だから僕は少しでも彼に恩返しがしたい。今でも十分助かってると彼は言うけどもっと出来る事があるって思ってる。その為にはやっぱり料理を手伝えないと。引手茶屋や妓楼の酒宴は複数の店から出前を取ってるとは言えその量は凄い。だから今の仕事をこなしつつもそっちも手伝えるようになりたい。だから明日もう一度、頼んでみよう。
「料理?」
「うん。僕も手伝いたいんだよ」
「今のままで十分助かっとる」
「でももっと楽にしてあげられる」
「それでそのままこの店でも継ぐつもりか?」
「それでもいい」
僕の迷いない返事にまず源さんの溜息が返ってきた。
「別にここで育ったからといって継ぐ必要はない。お前さんもそろそろ江戸でも好きな所に行ってやりたい事をやれ。何人かは儂のツテも紹介してやれるぞ」
「別にやりたい事なんて。それにそうしたら源さん一人になっちゃうじゃん」
「今までもそうじゃったから別に変らん。それに人手が必要な時は鶴ノ慧《つるのえ》の婆さんに言って借りるさ」
「でも……」
「少しでも手伝いたいなら口じゃなくて手を動かせ。ほら、止まっとるぞ」
結局こうなる。いつもそうだ。でもこんなやり取りも、もう既に変わらない日々の一部になりつつあるのかもしれない。
でもそんなある日の夜。突然、源さんがこんな事を言い出した。
「そんなに気になるのなら一度行ってみるといい」
「どこに?」
「吉原屋にだ」
その瞬間、何が言いたいのかすぐに分かったが、同時に僕は思わず呆れたような声を出してしまった。
「源さん。自分だって言ってじゃん相手はここの頂点で住む世界が違うって。それに彼女に呼ぶにはまず引手茶屋を通さないといけないし、認められるには最低でも三回は通わないといけない。何より莫大な量のお金が必要になる。今の僕じゃその半分も支払ないよ。全部知ってるでしょ?」
「分かっておる。なら直接行ってお願いしてみろ。お前さんもよく配達に行っるしもう顔馴染みだろ。もしかしたら予約してくれるか一夜とはいかなくとも少しぐらいなら会わせて貰えるかもしれんぞ?」
「全く。冗談はよしてよ。無理に決まってるじゃん。それにまだ一夜分も払えないよ」
すると源さんはテーブルに巾着袋を投げた。着地音を聞く限り重そうだ。
「何これ?」
「まずは駄目元で行ってみろ。今はもう新規の客もおらんから迷惑にはならんはずだ」
僕は彼の顔から巾着に視線を落とすと中を覗いてみた。そこにはそれなりの額のお金が入っていた。
「足りない分は貸しといてやる」
「急にどうしたの?」
「ただのきっかけだ。全てに望みがあるとは言わんが、人生においては思っても無い事が起きる事もある。良くも悪くもな。だがそれに関わっていなければ何も起こらん。絵を描かぬ者に絵師になる機会はこないし、俳句を詠まぬ者に俳人になる機会はこない。空に身を晒さぬ者は陽光を浴びる事も雨に打たれる事もないように行動は必要だ。それでどうする? 行かんのか?」
もう一度巾着袋へ視線を落とし中のお金を見下ろした。どうせ無理だという事は分かってる。行ったところで意味はない。だから別に行かなくても同じ事。
「無理にとは言わん。行く気がないのならこれは――」
源さんはゆっくりと巾着袋へと手を伸ばした。だが彼が手に取る前に僕は巾着袋の口を閉じた。
行っても行かなくても一緒なら行ってみよう。こんな僕が通常の手段であの夕顔さんに一度でも会える確率なんて無い。こういう賭けというにはあまりにも勝率の無い事でもしない限り。
「分かったよ」
「ならさっさと行ってこい」
僕は巾着袋を手に立ち上がると戸へ歩き始めた。
「朝はゆっくりしてきていいぞ」
「朝どころかすぐに戻ってくるよ」
それだけを言い残し僕は吉原屋へ。
だから僕は少しでも彼に恩返しがしたい。今でも十分助かってると彼は言うけどもっと出来る事があるって思ってる。その為にはやっぱり料理を手伝えないと。引手茶屋や妓楼の酒宴は複数の店から出前を取ってるとは言えその量は凄い。だから今の仕事をこなしつつもそっちも手伝えるようになりたい。だから明日もう一度、頼んでみよう。
「料理?」
「うん。僕も手伝いたいんだよ」
「今のままで十分助かっとる」
「でももっと楽にしてあげられる」
「それでそのままこの店でも継ぐつもりか?」
「それでもいい」
僕の迷いない返事にまず源さんの溜息が返ってきた。
「別にここで育ったからといって継ぐ必要はない。お前さんもそろそろ江戸でも好きな所に行ってやりたい事をやれ。何人かは儂のツテも紹介してやれるぞ」
「別にやりたい事なんて。それにそうしたら源さん一人になっちゃうじゃん」
「今までもそうじゃったから別に変らん。それに人手が必要な時は鶴ノ慧《つるのえ》の婆さんに言って借りるさ」
「でも……」
「少しでも手伝いたいなら口じゃなくて手を動かせ。ほら、止まっとるぞ」
結局こうなる。いつもそうだ。でもこんなやり取りも、もう既に変わらない日々の一部になりつつあるのかもしれない。
でもそんなある日の夜。突然、源さんがこんな事を言い出した。
「そんなに気になるのなら一度行ってみるといい」
「どこに?」
「吉原屋にだ」
その瞬間、何が言いたいのかすぐに分かったが、同時に僕は思わず呆れたような声を出してしまった。
「源さん。自分だって言ってじゃん相手はここの頂点で住む世界が違うって。それに彼女に呼ぶにはまず引手茶屋を通さないといけないし、認められるには最低でも三回は通わないといけない。何より莫大な量のお金が必要になる。今の僕じゃその半分も支払ないよ。全部知ってるでしょ?」
「分かっておる。なら直接行ってお願いしてみろ。お前さんもよく配達に行っるしもう顔馴染みだろ。もしかしたら予約してくれるか一夜とはいかなくとも少しぐらいなら会わせて貰えるかもしれんぞ?」
「全く。冗談はよしてよ。無理に決まってるじゃん。それにまだ一夜分も払えないよ」
すると源さんはテーブルに巾着袋を投げた。着地音を聞く限り重そうだ。
「何これ?」
「まずは駄目元で行ってみろ。今はもう新規の客もおらんから迷惑にはならんはずだ」
僕は彼の顔から巾着に視線を落とすと中を覗いてみた。そこにはそれなりの額のお金が入っていた。
「足りない分は貸しといてやる」
「急にどうしたの?」
「ただのきっかけだ。全てに望みがあるとは言わんが、人生においては思っても無い事が起きる事もある。良くも悪くもな。だがそれに関わっていなければ何も起こらん。絵を描かぬ者に絵師になる機会はこないし、俳句を詠まぬ者に俳人になる機会はこない。空に身を晒さぬ者は陽光を浴びる事も雨に打たれる事もないように行動は必要だ。それでどうする? 行かんのか?」
もう一度巾着袋へ視線を落とし中のお金を見下ろした。どうせ無理だという事は分かってる。行ったところで意味はない。だから別に行かなくても同じ事。
「無理にとは言わん。行く気がないのならこれは――」
源さんはゆっくりと巾着袋へと手を伸ばした。だが彼が手に取る前に僕は巾着袋の口を閉じた。
行っても行かなくても一緒なら行ってみよう。こんな僕が通常の手段であの夕顔さんに一度でも会える確率なんて無い。こういう賭けというにはあまりにも勝率の無い事でもしない限り。
「分かったよ」
「ならさっさと行ってこい」
僕は巾着袋を手に立ち上がると戸へ歩き始めた。
「朝はゆっくりしてきていいぞ」
「朝どころかすぐに戻ってくるよ」
それだけを言い残し僕は吉原屋へ。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
ずっと君のこと ──妻の不倫
家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。
余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。
しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。
医師からの検査の結果が「性感染症」。
鷹也には全く身に覚えがなかった。
※1話は約1000文字と少なめです。
※111話、約10万文字で完結します。
極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。
あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。
そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。
翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。
しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。
**********
●早瀬 果歩(はやせ かほ)
25歳、OL
元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。
●逢見 翔(おうみ しょう)
28歳、パイロット
世界を飛び回るエリートパイロット。
ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。
翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……?
●航(わたる)
1歳半
果歩と翔の息子。飛行機が好き。
※表記年齢は初登場です
**********
webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です!
完結しました!
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる