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第一章:夕顔花魁

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「少しそこで待っとれ」

 実質この吉原遊郭を支配する妓楼、吉原屋。その吉原屋の最上階に位置する個室を与えられた花魁である私が吐き出したただの煙を羨んでいると、下の方から嗄れ声が聞こえ、それに釣られて視線を空から地面へと落とした。
 そこには夜回りをする吉原独自の警備隊と老夫が会話をしており、その少し後ろでは若男がそれを眺めていた。双方共に足元には何か荷物が置いてある。私は何となくその様子を見下ろしていた。
 すると若男が視線に気が付いたのか不意に私を見上げた。月明りに照らされながら偶然に合った目。私は挨拶の意を込め(見えてるかは分からないけど)微笑みを浮かべながら手を振った。

「行くぞ」

 だけどその直後、老夫が荷物を持ち上げながらそう言うと若男は私へ手を振り返す事はなくそのまま自分の分を持ち上げ行ってしまった。

「わっちも反応を貰えへん時があるんやねぇ」

 いつもならむしろ男たちは私からの反応を貰おうと躍起になるのに。別にそこには何の感情も無かったけど私はただ一人呟いた。いつからだろう、男たちが私に対してどんな想いを持とうともどうでもよくなったのは。その全てが単なる偽りだと分かっているからなのか。ただ吉原屋の遊女、夕顔として生きるしかないと諦めたからなのか。私には分からない。気が付けばこうなっていた。吉原遊郭の女王。そんな地位まで上ってきた私が自由と引き換えに得られたのはこの景色と御馳走だけ。あとは欲に塗れた視線も、か。
 そんな思いと共に見上げた夜空に煌めく星々は酷く輝いて見えた。

 私の一日はお客を起こすところから始まる。

「またおいでなんし」

 そして早朝、開いた遊郭の大門前まで奉公人を連れお客を見送る。

「あぁ。また来るよ」

 私はお客の耳元まで口を近づけると昨夜のように囁いた。

「主さんとまた楽しい夜を過ごせるのを心待ちにしていんすよ」

 顔を離すと表情の緩んだお客と目を合わせその胸に軽く手を触れさせる。

「お仕事頑張ってくんなまし」
「あぁそうだな。ありがとう」

 言葉と共に体に伸びた私の手にこちらをじっと見つめるお客の手が触れる。そして別れを惜しむようにそのままの状態がほんの少しの間だけ続いた。

「それじゃあ残念だがもう行くよ」
「またおいでなんし」

 後朝の別れを済ませた私は吉原屋へと戻り、仮眠の後いつもと変わらぬ一日を再開した。化粧や着付け、お客からの手紙の返事や妹分の教育。時間になればお客の元へ。
 毎日、毎日。この吉原遊郭の中で同じ日を繰り返しているようなそんな日々。でも悲しくもそんな日々にすっかり慣れ疑問すら持たなくなってしまった自分がいる。これが当たり前なんだと。受け入れている自分がいる。
 だけどそんなある日。私の日常に一つの変化が起きた。それはその日、同衾するはずだったお客が直前で急用により帰ってしまい(それに加え他の客も今日はいなかった)、いつぶりかの静かな夜を一人過ごしていた時の事。時刻は子ノ刻ぐらいだろうか。
 煙管を片手に窓際へ腰掛けていると戸の向こうから声が聞こえ返事の後この吉原屋の楼主、吉田秋生が部屋へと入ってきた。彼は父親でもある前楼主が亡くなり若くしてこの吉原屋の経営者となった。それは同時にこの吉原遊郭の主という意味でもある。
 そんな秋生は鋭い双眸を真っすぐ私に向けながら目の前まで足を運んできた。

「客だ」
「折角、今夜はゆっくりできる思っとったのになぁ。わざわざ稼がせる為に大門も閉まってるゆうのに探してきたん?」
「いつも通り選択権はお前にある。一夜限りだが嫌なら帰らせろ。そうなるのも了承済みだ。それと。今夜の客の事は一切口外するな。吉原屋の信用に関わる」
「そないな危ない橋渡ってええんか?」

 そう質問を返しながら私は傍にある煙草盆に灰を落とし煙管を戻した。

「問題ない。もし漏れたとしてもお前が認めさえしなければどうとでも出来る。だが面倒はごめんだ」
「ならそもそもその客を取らなええんちゃうん?」
「稼げる内に稼げ」

 それだけを言い残して秋生は部屋を後にした。そんな彼と入れ違うように一人の男が部屋へ。私はその間に窓際から立ち上がり簡単に着物を直した。

「ようこそ……」

 私はその姿を目にした瞬間、一驚を喫し言葉が止まると同時に秋生の言葉の意味を理解した
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