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第三章 王子様が求婚を諦めてくれません

3-4 これじゃあ結婚してほしいと言われて、まるで私が喜んでいるみたいじゃない

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「理由、ですか?」

 おそるおそる尋ねると、ディアルムドが神妙な面持ちで頷いた。
 ただ店の前は人目があるからか、少し離れた路地裏まで連れていかれる。

「ここのところ、魔物が頻繁に出没しているのはあなたも知っているでしょう?」
「まさかとは思いますが、それを私に倒せと?」
「いいえ、そこまでは。けれど、ある意味同じかもしれませんね。あなたの力が必要なのですから」

 ディアルムドの表情が見るからに暗くなった。

 ――大丈夫かしら……?

 バーベナが話の接ぎ穂を探している間に、ふたたびディアルムドが話し始めた。「今から話すことはくれぐれも口外しないように」と前置きしたうえで続ける。

「……王家は代々魔界を隔てる『扉』を守ってきましたが、どうやら封印に限界がきているようなんです。魔物の出没はその兆候です。今は俺がなんとか対処していますが、じきに制御不能に陥るでしょう。このままでは多くの犠牲者が出てしまう。以前あなたが助けた子どもも、もしかしたら明日、あるいは一週間後には死んでいるかもしれない」

 そんなふうに言われては、自分には関係ないことだと返すのが難しくなる。
 墓地で魔物に追いつめられて泣き叫んでいた子どもの顔が目に浮かんだ。
 あのときは都合よく助けられたが、その次は……? ほかの人たちは? バーベナの手の届かない、知らない場所でたくさんの犠牲が生まれてしまうのか。
 ディアルムドがなぜ必死になって自分を口説こうとしているのか、今になって理解できたような気がする。

「その扉は……どうすれば……?」
「俺とあなたの魔力を合わせれば、おそらく持ち堪えるはずかと」

 王子として民を守りたい。彼はそう言いたいのだ。
 バーベナはディアルムドの真剣な眼差しを見て確信するとともに、胸がチクリと痛むのを感じた。

 ――なんで胸を痛めているのよ。純粋な好意からくるものじゃないってことくらい、最初からわかっていたでしょう?

 花も、お菓子も。
 そして、可愛いと褒めてくれたことも。

 ――これじゃあ結婚してほしいと言われて、まるで私が喜んでいるみたいじゃない。

 嬉しいのに悲しいような、自分の中でおかしな感情が湧き上がってくる。
 バーベナは震えそうになる唇をキュッと結び、懸念を口にした。

「だけど……殿下にはブリギットがいるはずです」
「あくまで妃候補の一人に過ぎません。それに彼女では無理です。魔力が弱すぎる」
「そもそも……父が黙っていませんよ。父はブリギットを愛しているんです。ブリギットを妃にするためならなんだってするでしょう。そういう人です」
「俺があなたの父親におもねるとでも? 逆に俺は命ずることができるんですよ。叛意はんいがあるのなら話は別ですが、あなたの父親くらいどうにでもなります。面倒事は俺に任せてください。俺が黙らせますから。説得してそれでもまだ文句を言うようなら、物理的に黙らせることもできます」

 一つずつ結婚できない理由を挙げていくと、同じように一つずつ問題を潰されていく。

「でも、私は出来損ないの魔女ですから!」
「いいえ、素晴らしいと――」

 駄目なものは駄目なのだと、バーベナは半ばヤケクソに言った。ディアルムドの言葉を遮るようになおも言い募る。

「そういうことが言いたいのではなく……私は生まれたときからずっと駄目人間なんだって、そんなふうに刷り込まれて生きてきたんです。今さら……今になって素晴らしい魔女だなんて無理に決まっています。そんな器じゃありません!」

 最後のほうは悲痛な声になっていた。
 もちろんバーベナとてディアルムドの言い分がわからないわけではい。
 けれどもろくに教育を受けていない、平民も同然の自分には、王子妃という役は荷が重すぎやしないだろうか。
 何より己を卑下するような女と一緒にいるなど、彼だって嫌だろう。
 不快そうに眉を寄せる彼を見て、バーベナはまたしても胸が痛んだが、精一杯の虚勢を張って彼を睨みつける。

「なるほど……」

 しかしディアルムドは怒鳴り返すことなく、ほんの数拍黙り込んでから静かにこう問いかけてきた。

「だから外国に行きたいのですか? ここから遠く離れた場所なら、あなたらしく生きられると?」
「そ、それは、」

 ――私らしく? 私らしさって何?

 その問いにうまく答えられないでいると、彼はさらに尋ねてくる。

「ギャフンと言うところを見たくありませんか?」
「え?」

 いったい誰をギャフンと言わせたいのか、気づくのにしばらく時間がかかった。
 見返してやる、そういった気概を持つことがバーベナにとってあまりにも馴染みがないものだったから。

「『出来損ない』? 『駄目人間』? 『そんな器じゃない』? どれもあなた自身の言葉ではないでしょう、あなたの家族のものでは? そんなことを言うあなたの家族の前で、もし俺があなたを妃にすると宣言したら? はたして彼らはどんな顔をするんでしょうね?」

 正直に言うと、心が揺れた。
 愛してほしいといってもこちらを見向きもしない両親と、駄目な姉として見下す妹の顔がどう変わるのか、見てみたいと思った。
 ふざけるなと激昂する? それとも悔しさに顔を歪める? はたまた今まで申し訳なかったと泣いて縋りつく?
 どれだけたくさんの魔力を持っていても、心までもが強いわけではない。
 ずっと暗闇の中で過ごしてきた自分が、突然陽の当たる世界に足を踏み入れるなんて。
 恐ろしすぎて、そんなことなど考えもしなかった。
 
「私は見たい」

 そのとき、ポケットから声がした。ミアンだ。

「すごーく見たい。あいつらがギャフンって言うところ」

 ミアンが顔を出して言った。

「ちょっとミアン? 突然何を……」
「いいんじゃない? 王子様との結婚。あいつらに一泡吹かせてやりましょうよ」
「そんなことをしたら、あなた……! あの竜の子と顔を合わせなきゃならないのよ……!」
「我慢する。というか、私のことなら大丈夫。私はご主人様の幸せが一番なの。お願いよ、『出来損ないだから』なんてもっともらしいことを言って自分で自分を傷つけないでほしい」
「ミアン……」

 そうだ。ミアンは昔からこうだった。
 誰よりもバーベナの心に寄り添ってくれる。家族よりも家族らしい、頼もしい友。子どものころから何度彼女に助けられただろうか。
 痛みとは別の、温かなものがバーベナの胸に込み上げてくる。

「思わぬ加勢が入って嬉しいです」

 すると、ディアルムドが先ほどよりも歩み寄ってバーベナの前に立った。視界いっぱいに彼の姿が広がる。
 そうでなくても美しい顔を直視して緊張するのに、こんなすぐそばに立たれたら威圧感が増してしまう。
 だけど、バーベナはアクアブルーの瞳から目が離せなくなった。
 まるで燃えているような強い光が瞬いている。
 吸い込まれそうなほど綺麗だ。

「……確か、あなたは自由気ままな人生を送りたいんでしたよね。お金が必要なら言ってください。ドレスでも宝石でもなんでも買ってあげます。そうだ、シェルデールの島をプレゼントしてもいい。余生を過ごすにはとてもよさそうです」
「シェルデール?」

 シェルデールとは、南国にある常夏の島のことだ。
 王室が私的に離宮や邸宅を所有しているという話はしばしば耳にするが、まさか遠い外国の地にまで及んでいるとは思わなかった。
 興奮を隠しきれないバーベナの声音に、ディアルムドの口角がニッと上がる。

「砂浜にパラソルを立てて、その下でエメラルドグリーンの海を眺めながら優雅にカクテルを楽しむ――なんていうのはどうでしょう?」

 それはつまり、魔物への脅威がなくなるようディアルムドに協力さえすれば、あとは自分の好きなように生きてもいいということなのか。
 お互い愛し合っての結婚ではない。そういう点では引っかかりを覚えてしまうものの、そもそもディアルムドはバーベナにとって過ぎた人間だ。
 押しが強すぎるのが玉にきずだが、裏を返せば民を守りたいという責任感からくるもの。本当は優しい人なのだろう。
 お花とお菓子が好きな、ちょっと可愛らしい面も持っている。
 探せばもっといいところも出てくるに違いない。
 そんな人とほんのわずかな間でも夫婦になり、なおかつ至れり尽くせりの見返りをもらえるというのだから決して悪い話ではないはず。
 もしかしたら夢を見ているのかもしれない。バーベナにとって都合のいい夢だ。

 迷いを見せるバーベナに、ディアルムドはここぞとばかりに追撃してくる。

「もちろんお望みとあらば、毎日花とお菓子を贈ります」

 バーベナはうっとりと溜息を漏らすも、慌てて我に返った。口元が緩みそうになるのを堪えて真面目腐った顔を作る。

「本当に……自由気ままな人生を、のんびりとした余生を送らせてくれるんですか?」
「ええ。妃としての重責を担ってもらうんですから、これぐらい当然です」

 ディアルムドの唇がさらに上向いた。先ほどまでの淡い微笑みではない、誘いかけるような極上の笑みだ。
 こんな笑顔の彼は、初めて見た。

「俺の妃になってください、バーベナ」

 ディアルムドがバーベナを見つめながら地面に跪いた。

「で、殿下……」

 ――これは……契約。きっとそうよ。だけど。

 心臓は今、馬鹿みたいにドキドキと脈打っている。
 笑顔に加えて『バーベナ』と、親しげに名前を呼ばれたせいもある。不意打ちもいいところだ。

「私は――」

 バーベナはゆっくりと息を吸い、ディアルムドをひたと見据えたまま返事をした。
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