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第七章(最終章) 王子様の寵姫の座に収まっています

7-1 私、もう……すっかりあなたに惚れてしまったみたいです

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 ふたたびバーベナの意識が浮上したとき、焼けつくようなあの痛みも一緒にやってきた。
 どうやら自分はまだ死んでおらず、謎の症状と戦っているようだ。
 目を開けることはおろか指一本すら動かせず、できることといえばせいぜい息を乱すことくらいだった。

 ――痛い……。いったいいつまでこれは続くの? なんで私がこんな目に遭わなければいけないの……?

 しばらく痛みに耐えていると、どこからともなく声が聞こえてくる。

〈だから、何度も公爵をぶち殺そうって言ったのに。ヤられる前にヤらなきゃ駄目よ〉

 突き放したようにも聞こえる物言いだが、その声音は不思議と親愛の響きを帯びていた。
 心細かったバーベナの心がふんわりと温かくなる。
 心配そうな声が、まるで痛みまで癒やしてくれるように浸透していく。

 ――ミアン、心配をかけてごめんね。

 バーベナは心の中で、どんなときでも寄り添ってくれた大事な友達に謝った。それから「でも」と続ける。

 ――誰かを傷つけるのは……私には難しいみたい。誰かを苦しめるくらいなら、自分が苦しむほうがよっぽどいい。だからといって、死にたいわけではないけど。

 すると、ふふ、と笑い声が返ってきた。

〈ご主人様ったら、本当にお人好しなんだから。外国へ行くって話はどうなったのよ。私を船に乗せてくれるんじゃなかったのかしら?〉

 こんなことになるなんて思ってもみなかった。
 ずっと父と母だと思っていた人たちが、愛してほしいと願っていたやまなかった人たちが、本当は叔父、叔母だったなんて滑稽すぎる。
 おまけに殺されそうになってるのだから、とんだお笑い草だろう。
 だけど、あのときディアルムドの求婚を断ってさっさと外国へ行っておけばよかったとまでは思わなかった。

 ――そうね……そうだったわね。私、ずっと外国へ行くものだと思ってたけど、ただ、自分の居場所が欲しかっただけなのだわ。

『ここから遠く離れた場所なら、あなたらしく生きられると?』

 ふと思い出したのは、かつてディアルムドに問われた言葉だった。
 今ならハッキリと答えられる。
 心から望んでいたのは、ここから遠い場所などではなかったのだ。
 自分らしく生きられるとしたら、それは彼の隣しか考えられない。

 ――実は、私、ディアルムド様を支えてあげたいと思っているの。私と違ってディアルムド様は逃げずにずっと戦い続けてきた人だけど、つらいときだってあったはずよ。だって、同じ人間なんだもの。私、ディアルムド様を笑顔にしてあげたいのよ。

〈……それって、ちょっと好きとかっていうレベルじゃなくてもう完全に『愛』だわ〉

 ――『愛』……そうかもしれない。だけど、純粋で綺麗なものでもないわ。だって私、完全にお人好しってわけじゃないんだもの。ディアルムド様の隣をほかの誰かに譲るなんてできそうにないわ。

 この気持ちは物語のような、あるいは、恋の詩に出てくるようなものとは違う。
 彼を独り占めしたいと思うくらいには醜く、意地汚い面もあるからだ。

〈そう思っているなら、さっさと目を覚ましてちょうだいよ。人間ってひ弱ですぐ死んじゃう生き物なんだから、いちいち格好つけてないで、王子様にちゃんと自分の気持ちを伝えなきゃ〉

 ハハッとミアンが心底おかしそうに声を上げて笑った。ひとしきり笑ったあと、耳元で囁くように言う。

〈ねえ、ご主人様。早く起きて〉

 その懇願めいた声に突き動かされるように、バーベナはゆっくりと目を開けた。
 驚いたことに、あれだけ痛かったはずの症状が消えている。

 ――あれ? もしかして私、死んで……?

 けれども真っ先に目に飛び込んできたのは、ディアルムドの秀麗な顔だった。
 いったいどれほど泣き腫らしたのか、やけに目が赤い。その下にもくっきりと隈が浮かび上がり、疲労困憊といった感じがありありと伝わってくる。

「……ッ!? バーベナ!!」
「ディアルムド様……?」

 バーベナの手にきつく食い込む骨張った指から、彼の恐怖や悲しみが伝わってきた。
 今にも泣きそうに顔を歪めている彼を見て、つられるようにバーベナの視界も滲む。

 ――いいえ。死んでいないわ。私は生きている……!

 生きているなら、伝えなければと思った。
 自分の気持ちを。今すぐに。

「よかった! やっと目を覚ましたんですね! 今すぐ治療師を呼びましょう!」
「好きです」
「ですが、その前に言わせてください。俺が守ると言っておきながらこんなことになってしまい申し訳……って、え?」

 唐突すぎる愛の告白に、ディアルムドが目を見開いた。
 バーベナはゆっくりと上半身を起こすと、ディアルムドを見据えて頷く。

「……本当はもっと早く言うつもりでした。ディアルムド様と釣り合いが取れるように、もっと自分に自信をつけてから言おうって……。てきるだけ早く……パーティーのあと格好よく告げるつもりでした」
「それって……例のサプライズというやつですか?」

 数拍ほど遅れて状況を理解したらしいディアルムドが、戸惑いも露わに尋ねてくる。
 バーベナはうう、と唸り声を上げて俯いてしまう。
 改めて自分の想いを口にするとなると、やっぱり恥ずかしい。
 何度か口を開きかけたが、やがて意を決したように顔を上げた。

「そ、そうです。びっくりさせたかったというのもありますが、一番はディアルムド様を笑顔にしてあげたかったんです。それがまさかこんなことになるなんて……私の考えが足りませんでしたが……。きっとたくさん心配をかけてしまいましたよね。申し訳ありませんでした」

 大きな手に自分の手を重ねながら言った。
 きっとディアルムドだけではない、ミアンにも、ソーラスにも、王城にいるほかの人たちにも迷惑をかけてしまっただろう。
 そう思うと、だんだんいたたまれない気持ちになってくる。

「バーベナ」

 不意に、優しく腕を引かれた。
 そのままぎゅう、と抱きしめられる。

「……あの、よく聞こえなかったようで、もう一度お願いできますか?」
「え? もう一度? 申し訳……」
「違います。『笑顔にしてあげたい』より前――『もっと早く言うつもりでした』の内容をもう一度聞かせてください」

 どうやらディアルムドは謝罪を聞きたいわけではないらしい。
 それは、つまり――。

 ――もう一度、『好き』って言ってほしいってこと?

 その瞬間、ただでさえ熱いバーベナの頬がボッと燃え上がった。
 ディアルムドが甘えるように肩口に頭をつけてくる。

「俺は……てっきり……あなたは扉のために仕方なく結婚したのであって、用が済めば結婚生活を終わりにしてどこか遠くへ行くつもりなんだと思っていました。正直、驚いているんです。あなたが俺と同じ気持ちだなんて……」

 いつもの自信満々なディアルムドにしては珍しく弱気な発言だ。
 心配になってそっと彼の顔を覗き込むと、美しいアクアブルーの瞳が不安そうに揺れていた。

「あ、あの……確かに初めのほうは、形だけの夫婦になるものだと私も思っていましたが、ディアルムド様はそれを望んでいないようですし……私たち、すごく夫婦っぽいことたくさんしましたよね……?」
「そうです。俺が一方的にあなたを好きすぎて囲っているんですよ。もしかして……これは夢なんでしょうか? あなたの回復を願うあまり夢を見ている? 現実世界のあなたは本当は死んでいて、俺もそのあとを追って死んでしまった……とか……?」

 何やら不穏なことを口にするディアルムドに、バーベナはすかさず待ったをかける。
 このままでは闇堕ちしてしまうかもしれない。

「な、何を言っているんですか!? 勝手に殺さないでください!! 私は生きています!! ディアルムド様の前にちゃんといます!!」

 ポンポンと優しく宥めるように背中を叩いた。
「私の大事な人まで死んだことにしないでください」と付け加えれば、大きな背中がビクリと跳ね上がる。

「私、もう……すっかりあなたに惚れてしまったみたいです。だから……今さら妃をやめろだなんて言われても無理です。ディアルムド様のそばにずっといたいんです」
「バーベナ……」

 感極まったように名前を呼ばれ、キュン、と胸が痛くなる。

「愛しています、バーベナ」

 告白したのは自分のほうだというのに、ディアルムドの想いに触れて心の奥まで震えた。
 おまけに背中を反るほどぎゅうぎゅうと抱きしめられて、ちょっと苦しいくらい。
 だが不快な気持ちは少しも湧いてこなかった。
 その力強さに、自分は生きているのだと改めて感じることができた。

「私も……」

 バーベナは背中に回した手に力を込め、彼の言葉に何度も何度も頷いた。
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