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第四章 王子様と結婚します
4-3 殿下と一緒にいるときだけは自然体でいられるような気がする
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「……妃? いやいや、いくら殿下でも冗談がすぎるでしょう」
そこでようやく我に返ったのか、父がディアルムドに驚愕の目を向けた。
ただ父と違ってディアルムドはまだ冷静さを保っているように見える。相手を睨みつけながらも言葉遣いに乱れがない。
「冗談ではありません。貴殿も自分の娘をぜひ王子妃にと望んでいたではないですか。あなたは娘を妃にしたい。私はバーベナが欲しい。お互いに好都合でしょう」
ディアルムドが摑んでいた手を脇に戻すと、父はよろめきながらバーベナから離れた。
「好都合? とんでもない! 私が望んでいるのは――」
「バーベナは今日から王城で暮らします。もはや一分一秒たりともこの家に置いておきたくありませんから」
ディアルムドの激励に感動したのも束の間、バーベナの目が点になる。
――王城で暮らす!? 今日から!?
寝耳に水の話である一方、やっぱりねという思いもある。
お花やらお菓子やらディアルムドのサプライズは今に始まったことではないからだ。
説明不足は否めないが、なんだかんだ言ってディアルムドはバーベナが嫌がることをしない。
今日のために贈られたドレスも、驚きこそすれ嫌な気持ちにはならなかった。
『この家に置いておけない』というのも、おそらくバーベナを心配してのことだろう。
そう思うと憎めなかった。
それどころか、またしても心が痺れるような心地よさを感じてしまう。
「な、何を急に!」
父の顔に焦りの色が浮かんだ。
「式はまだですが、書類のほうは受理されています。今朝連絡をもらったところなんです。大神官の印章を見せましょうか?」
「勝手なことをされては困ります! そもそも私は許可など出した覚えはありませんぞ!」
「無礼だと何度言わせるつもりですか? 貴殿の許しなどいらない。これは決定事項で、アラガン神もお認めになっていること。バーベナはすでにこの国の王子妃です」
「い、いいえ! 陛下であれば決してこのようなことをお許しにならなかったはず! 神など関係ない!」
「陛下の病も魔物の襲撃も予断を許さない状況です。立太子するには一刻も早く妃が必要なのです。貴殿も今の地位を守りたいのなら、ここは黙って私に従っておくのが賢明ですよ。残念ながら私はそれほど辛抱強い人間ではありませんので。貴殿に義父として礼節をもって接しているだけ感謝してください」
ディアルムドの顔に微笑みが戻った。
要は『ゴチャゴチャうるさい。大人しく俺の言うことを聞け。さもなくば……』という脅しだ。
父の肩がビクッと跳ねたかと思いきや、みるみるうちに顔が蒼白になる。
――お父様って……もともとこんな人だったのかしら?
これほど狼狽する父を見るのは初めてかもしれない。
いつも感じていた威厳が、今日に限って虚勢を張っているようにしか見えなかった。
また大きいと思っていた体も、ディアルムドを前に比べてみればずいぶん小さい。
「バ、バーベナは出来損ないです。娘のブリギットこそ殿下の妃に……」
「くどいですよ、公爵。バーベナとて貴殿の娘に変わりないでしょう。第一ブリギット嬢が本当に優秀な魔女だというのならば、グロー家の当主に据えてはどうです? まさかこの期に及んでバーベナを後継にするつもりだったとは言わないでしょうね」
「あり得ません! それは……」
バーベナはディアルムドと父、ときどき家族の間で視線を往復させた。
口を挟む隙がなかったというより、守られていたといったほうがいいのかもしれない。
以前『面倒事は俺が引き受けます』と言ったように、ディアルムドは厄介な父の相手をしてくれているのだ。
「そういうわけですから、我々は失礼しますよ」
父が青い顔でなおもみずからの都合を言い立てたが、ディアルムドはまったく相手にしなかった。
ブリギットも母もなすすべもなく呆然と立ち尽くしている。
結局のところ、挨拶は極めて短時間で打ち切られ、バーベナはディアルムドと一緒に退席することになった。
――これで、もう家に帰らなくていいのね。
家族の動転した様子に、バーベナはいくらか胸がすく思いだった。
ようやく家から解放されたのだ。嬉しいに決まっている。
だが同時に、悲しい気持ちにもなった。
彼らにとって自分は愛すべき家族の一員ではなかったのだと再認識させられてしまったからだ。
王家の所有する四頭立ての立派な馬車の待つ玄関には、見送りの家族はおろか使用人すらいない。
嬉しいのに悲しいなんて、ひどく矛盾している。めちゃくちゃだ。
密かに激情を押し殺していると、隣を歩いていたディアルムドが歩みを止めてバーベナの顔を覗き込んできた。
「泣かないでください」
ディアルムドはバーベナに手を差し出した。
大きな手の中には、綺麗に折り畳まれたハンカチーフが一枚。
可愛らしい小花が刺繍されているところをみると、なんとも彼らしいセンスだなと思ってしまう。
「馬車ではなく転移しましょうか? 少し待ってくれたら魔法陣を用意しますから」
「私、泣いてなんかいません……」
大丈夫ですとバーベナは笑って返事をしようとして、途中でくしゃりと顔を歪める。
彼の優しさに触れて、かろうじて保たれていた感情の堤防が決壊し、目に涙が浮かんだ。
もう子どもではないのに。
二十年も生きてきて、涙などとうに枯れ果てたと思っていたのに。
「あなたに泣かれると、俺はどうしたらいいのかわからなくなります……」
ディアルムドは頬を濡らすバーベナを見て焦ったようだ。伸ばした手でバーベナの肩を素早く抱くと、まわりの従者たちに見られないようにして馬車までエスコートする。
馬車に乗り込んだあとも、肩に腕を回されたまま。
なかなか泣きやまないバーベナをディアルムドは心配そうに見つめている。先ほどまで父の前で見せていた余裕ぶりが嘘のようだ。
「殿下、あの……」
一国の王子が簡単に隙を見せてはいけないと言い返したかったが、うまく言葉にできなかった。
だけど彼の腕の中で熱に包まれていると、大切にしてもらっていると感じ、このままずっと身を預けていたくなる。
それは、どうしてなのか。
彼と出会ってからそれほど時間がたったとは思えない。
バーベナの本当の力を知っているから? ほかに理由があるから?
――わからない。でも、殿下と一緒にいるときだけは自然体でいられるような気がする。
言いたいことを我慢しなくてもいい。
自分をよく見せようと変に取り繕う必要もない。
泣いて、怒って、喜んで……。
「……王城へ行きましょう。あなたは身一つで俺のもとに来てくれればいい。今日から王城があなたの家になります。俺もいますから、いつでも頼ってください」
真摯に告げられて、今度は違う意味で泣きそうになった。
――私の、家……。
この男は少々強引なところがあるが、今みたいにさりげなく望む言葉をくれる。
――ずっと外国へ行くものだとばかり思ってたのに……。本当にお城が私の家に……?
いまだに信じられない。
けれども、そういってもらえたことがありがたかったのも事実で。
バーベナはまばたきで涙を散らしてから、感謝の気持ちを込めてディアルムドの頬にキスをした。
いつの間にか疑問は霧散し、代わりにバーベナの中には安心感にも似た不思議な幸福感が満ちている。
そっと唇を離すと、ひどく驚いた様子のディアルムドと至近距離で目が合い、今さらながら恥ずかしさが込み上げてくる。
「バーベナ」
「殿下、えっと、これは、その……」
慌てて腕の中から逃れようとする。
しかしディアルムドはバーベナをきつく抱きしめて、その手を緩めようとはしなかった。おまけにお返しとばかりにキスをする。
「んんっ……」
頬ではなく、唇に。
そこでようやく我に返ったのか、父がディアルムドに驚愕の目を向けた。
ただ父と違ってディアルムドはまだ冷静さを保っているように見える。相手を睨みつけながらも言葉遣いに乱れがない。
「冗談ではありません。貴殿も自分の娘をぜひ王子妃にと望んでいたではないですか。あなたは娘を妃にしたい。私はバーベナが欲しい。お互いに好都合でしょう」
ディアルムドが摑んでいた手を脇に戻すと、父はよろめきながらバーベナから離れた。
「好都合? とんでもない! 私が望んでいるのは――」
「バーベナは今日から王城で暮らします。もはや一分一秒たりともこの家に置いておきたくありませんから」
ディアルムドの激励に感動したのも束の間、バーベナの目が点になる。
――王城で暮らす!? 今日から!?
寝耳に水の話である一方、やっぱりねという思いもある。
お花やらお菓子やらディアルムドのサプライズは今に始まったことではないからだ。
説明不足は否めないが、なんだかんだ言ってディアルムドはバーベナが嫌がることをしない。
今日のために贈られたドレスも、驚きこそすれ嫌な気持ちにはならなかった。
『この家に置いておけない』というのも、おそらくバーベナを心配してのことだろう。
そう思うと憎めなかった。
それどころか、またしても心が痺れるような心地よさを感じてしまう。
「な、何を急に!」
父の顔に焦りの色が浮かんだ。
「式はまだですが、書類のほうは受理されています。今朝連絡をもらったところなんです。大神官の印章を見せましょうか?」
「勝手なことをされては困ります! そもそも私は許可など出した覚えはありませんぞ!」
「無礼だと何度言わせるつもりですか? 貴殿の許しなどいらない。これは決定事項で、アラガン神もお認めになっていること。バーベナはすでにこの国の王子妃です」
「い、いいえ! 陛下であれば決してこのようなことをお許しにならなかったはず! 神など関係ない!」
「陛下の病も魔物の襲撃も予断を許さない状況です。立太子するには一刻も早く妃が必要なのです。貴殿も今の地位を守りたいのなら、ここは黙って私に従っておくのが賢明ですよ。残念ながら私はそれほど辛抱強い人間ではありませんので。貴殿に義父として礼節をもって接しているだけ感謝してください」
ディアルムドの顔に微笑みが戻った。
要は『ゴチャゴチャうるさい。大人しく俺の言うことを聞け。さもなくば……』という脅しだ。
父の肩がビクッと跳ねたかと思いきや、みるみるうちに顔が蒼白になる。
――お父様って……もともとこんな人だったのかしら?
これほど狼狽する父を見るのは初めてかもしれない。
いつも感じていた威厳が、今日に限って虚勢を張っているようにしか見えなかった。
また大きいと思っていた体も、ディアルムドを前に比べてみればずいぶん小さい。
「バ、バーベナは出来損ないです。娘のブリギットこそ殿下の妃に……」
「くどいですよ、公爵。バーベナとて貴殿の娘に変わりないでしょう。第一ブリギット嬢が本当に優秀な魔女だというのならば、グロー家の当主に据えてはどうです? まさかこの期に及んでバーベナを後継にするつもりだったとは言わないでしょうね」
「あり得ません! それは……」
バーベナはディアルムドと父、ときどき家族の間で視線を往復させた。
口を挟む隙がなかったというより、守られていたといったほうがいいのかもしれない。
以前『面倒事は俺が引き受けます』と言ったように、ディアルムドは厄介な父の相手をしてくれているのだ。
「そういうわけですから、我々は失礼しますよ」
父が青い顔でなおもみずからの都合を言い立てたが、ディアルムドはまったく相手にしなかった。
ブリギットも母もなすすべもなく呆然と立ち尽くしている。
結局のところ、挨拶は極めて短時間で打ち切られ、バーベナはディアルムドと一緒に退席することになった。
――これで、もう家に帰らなくていいのね。
家族の動転した様子に、バーベナはいくらか胸がすく思いだった。
ようやく家から解放されたのだ。嬉しいに決まっている。
だが同時に、悲しい気持ちにもなった。
彼らにとって自分は愛すべき家族の一員ではなかったのだと再認識させられてしまったからだ。
王家の所有する四頭立ての立派な馬車の待つ玄関には、見送りの家族はおろか使用人すらいない。
嬉しいのに悲しいなんて、ひどく矛盾している。めちゃくちゃだ。
密かに激情を押し殺していると、隣を歩いていたディアルムドが歩みを止めてバーベナの顔を覗き込んできた。
「泣かないでください」
ディアルムドはバーベナに手を差し出した。
大きな手の中には、綺麗に折り畳まれたハンカチーフが一枚。
可愛らしい小花が刺繍されているところをみると、なんとも彼らしいセンスだなと思ってしまう。
「馬車ではなく転移しましょうか? 少し待ってくれたら魔法陣を用意しますから」
「私、泣いてなんかいません……」
大丈夫ですとバーベナは笑って返事をしようとして、途中でくしゃりと顔を歪める。
彼の優しさに触れて、かろうじて保たれていた感情の堤防が決壊し、目に涙が浮かんだ。
もう子どもではないのに。
二十年も生きてきて、涙などとうに枯れ果てたと思っていたのに。
「あなたに泣かれると、俺はどうしたらいいのかわからなくなります……」
ディアルムドは頬を濡らすバーベナを見て焦ったようだ。伸ばした手でバーベナの肩を素早く抱くと、まわりの従者たちに見られないようにして馬車までエスコートする。
馬車に乗り込んだあとも、肩に腕を回されたまま。
なかなか泣きやまないバーベナをディアルムドは心配そうに見つめている。先ほどまで父の前で見せていた余裕ぶりが嘘のようだ。
「殿下、あの……」
一国の王子が簡単に隙を見せてはいけないと言い返したかったが、うまく言葉にできなかった。
だけど彼の腕の中で熱に包まれていると、大切にしてもらっていると感じ、このままずっと身を預けていたくなる。
それは、どうしてなのか。
彼と出会ってからそれほど時間がたったとは思えない。
バーベナの本当の力を知っているから? ほかに理由があるから?
――わからない。でも、殿下と一緒にいるときだけは自然体でいられるような気がする。
言いたいことを我慢しなくてもいい。
自分をよく見せようと変に取り繕う必要もない。
泣いて、怒って、喜んで……。
「……王城へ行きましょう。あなたは身一つで俺のもとに来てくれればいい。今日から王城があなたの家になります。俺もいますから、いつでも頼ってください」
真摯に告げられて、今度は違う意味で泣きそうになった。
――私の、家……。
この男は少々強引なところがあるが、今みたいにさりげなく望む言葉をくれる。
――ずっと外国へ行くものだとばかり思ってたのに……。本当にお城が私の家に……?
いまだに信じられない。
けれども、そういってもらえたことがありがたかったのも事実で。
バーベナはまばたきで涙を散らしてから、感謝の気持ちを込めてディアルムドの頬にキスをした。
いつの間にか疑問は霧散し、代わりにバーベナの中には安心感にも似た不思議な幸福感が満ちている。
そっと唇を離すと、ひどく驚いた様子のディアルムドと至近距離で目が合い、今さらながら恥ずかしさが込み上げてくる。
「バーベナ」
「殿下、えっと、これは、その……」
慌てて腕の中から逃れようとする。
しかしディアルムドはバーベナをきつく抱きしめて、その手を緩めようとはしなかった。おまけにお返しとばかりにキスをする。
「んんっ……」
頬ではなく、唇に。
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