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第二章 王子様に秘密がバレました
2-4 諦めませんよ、絶対に
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◆◆◆◆
『俺の妃になってください』
それは、ディアルムドにとって一世一代のプロポーズだった。
花もデザートも、自身が丹精込めて作って用意したものだ。
これで相手に真心が伝わるに違いない。そう思ったが――。
「お断りします」
「少しは悩んでください」
目の前の女性、もといバーベナは青い顔をしながら即答した。胸の前で腕をクロスしてブンブンと首を振っている。
説得を試みようとするが、取りつく島もない。
「これで用件は済みましたよね。もうお帰りください」
しまいには背中をグイグイと押されて、店の外にまで押し出された。
あとからニヤけ顔のソーラスもついてくる。せっかく主人のもとに呼び戻してやったというのに、お調子者も相変わらずだ。
もちろん抵抗しようと思えばできた。しかしそうしなかったのは、これ以上彼女に避けられたくなかったから。
先ほどの脅迫めいた言葉も、話を聞いてもらうための口実にすぎない。
いつもなら女性のほうから誘われる。追いかけられることはあっても、袖にされたことなど一度もない。いいや、正確に言うと、女性に迫った試しなど一度もないのだが。
ただ自分の容姿や地位が優れていることを知っているだけに、まったく迷う素振りすら見せずに求婚を断ってくる彼女が信じられない。
――ここは……二つ返事で頷くところでは?
バーベナ・ウア・グロー。あの日近くにいた神官を捕まえて問えば、意外なほど呆気なく彼女の名前を知ることができた。
家名を伏せているとはいえ、バーベナという名は偽名ではなく本名だ。そこからあっさりと素性が判明したのだ。
同年代の間では『出来損ない』として噂されているらしい。表向きグロー家の長女は魔法学校を卒業後、病気がちで屋敷に引きこもってばかり。社交界にはまったく顔を出さないという。
だが蓋を開けてみれば、舞踏会そっちのけでデザートを頬張り、そして恐るべき魔力を秘めた女性であった。
なぜあれほどの実力を隠すのか、理由はわからないが、どうやら結婚はもとよりみずからの力が明らかになることを望んでいないようだ。
出来損ないという噂や町で働いていることを考えれば、彼女自身これまで肩身の狭い思いをしながら生活してきたのかもしれない。
「もうすぐ開店の時間なんです。申し訳ありませんが、お引き取りください」
「無礼ですね」
「無礼なのはいったいどちらのほうです? 押しかけてきて脅迫したかと思えば、突然の求婚ですよ。淑女として教育は受けていませんが、これでも常識くらいは持ち合わせているつもりです。しつこい男は嫌われますよ?」
嫌われる、その言葉にディアルムドの胸の奥がざわついた。
魔界へと通じる扉がきちんと封印されなかった場合、真っ先に血を流し、地獄を見るのは力のない民だ。
平和のためにディアルムドには優れた魔力をもった花嫁が必要だ。なんとしてでも彼女に諾と言わせなければならない。
嫌われてしまうのは困る。困るのだが――利益とは別の部分で嫌だと思う自分がいた。
そんな自分にわずかに戸惑いを感じていると、先ほどまでバーベナの髪に隠れていたらしい使い魔が、肩の上からひょっこりと顔を出した。
主人思いとでも言うべきか、彼女の使い魔が猫のように歯を剥き出しにしながら威嚇してくる。
「めっちゃ美人……メス……?」
後ろにいたソーラスがぽそりと呟いた。
ソーラスは可愛らしいなりをしているが少年ではない。小動物のように見えるがウサギでもない。
カーバンクルとは竜の一種だ。
滅多にお目にかかれない同族の存在に、胸をときめかせるのは無理もない。
だがそっぽを向かれたところを見ると、主従ともにフラれてしまったという意味だろうが。
「それは……昨日の火竜ですか?」
ディアルムドは動揺をおくびにも出さず尋ねた。
「わかるの、ですか? この子がなんなのか……」
バーベナが目を丸くする。
「見た目は小さなトカゲですが、立派な竜ですね。まったく信じられません。なぜまわりはあなたの力に気づかないのでしょうか? 間違いなく馬鹿です」
呆れたように答えてみせると、バーベナの顔が曇った。今度は下を向いてプルプルと震え出す。
「それは……みんなが私を出来損ないだと言うから……そう見えるのだと思います。ある種のフィルターと言いますか……」
「なるほど、思い込みですか。やっぱり馬鹿です」
「馬鹿馬鹿って……」
「あなたのことではありません。あなたはきっと素晴らしい魔女になります。それに気づかず……出来損ない? 勝手なことを言うやつもいたものですね。そいつらみんなまとめて馬鹿だと言っているんですよ」
ディアルムドは正直な気持ちを伝えた。
するとその言葉があまりにも意外だったのか、バーベナは顔を上げて零れんばかりに目を見開く。
「……昨日の私を見たからそんなふうに言えるのでは? 力がなければ――」
「いいえ、あなたは可愛い」
ディアルムドは自信たっぷりに言い切った。
「舞踏会のとき、デザートに夢中だったでしょう? 可愛かったです。礼儀作法はこの際置いておくにしても、大事な家族が貶められているというのに、なぜあなたの父はそばにいないんですか? 妹も黙っているんですか? 俺は不思議でしようがない」
「え……? かわっ!?」
みるみるうちにバーベナの頬が薔薇色に染まった。パクパクと魚のように口を動かしている。
ディアルムドが求婚を決めたのは、間違いなく昨日の一件があったからだ。彼女が信じられないと言うのも当然といえば当然のこと。
けれどもバーベナを可愛いと思う気持ちに嘘はなかった。
もしディアルムドが王子ではなく一介の貴族だったら? 誰でも自由に結婚相手を選べる立場だったら?
「竜……可愛いな可愛いな可愛いな」
後ろのほうでソーラスが何やらブツブツ言っているが、ディアルムドも大して違わないことを考えていた。
――舞踏会のとき、誰よりも早くダンスに誘っていただろうな。
心の赴くままそうしていたはず。
「……だ、だとしても! 無理なんです!」
バーベナは顔を真っ赤にしたまま抗議の声を上げた。
店の前を通りかかった人々が、ディアルムドとバーベナを見て「痴話げんかか?」と投げかけるほどの勢い。
バーベナはハッとして、次は声を潜める。
「みんなも見ていますから。これ以上は……もう帰ってください」
「俺は諦めません」
ディアルムドはなおも食い下がった。
差し当たって結婚するのに彼女の身分に問題はないはずだ。魔力だって申し分ない。
貴賤の別なく他者を思いやる優しさがあり、おまけに可愛いとまできた。
――完璧……いや、礼儀作法はいささか不安だが、教師をつければ解決する。そんなことは瑣末な問題だ。
思えば、望むことよりも諦めることのほうが多い人生だった。
昨日彼女の本当の力を知ることができたのは、ある意味運がよかった。
神などというものに精神的な拠り所を感じたことはないが、もし神が本当に存在するならば、これは生きづらい自分に与えられたチャンスかもしれない。
「ですが……」
困惑を募らせるバーベナとは反対に、ディアルムドは俄然やる気になった。
簡単に諦めてたまるものか。そう思うと、自然と口の両端が持ち上がる。
「諦めませんよ、絶対に」
ディアルムドは自分に言い聞かせるようにキッパリと申し渡すと、ようやく店をあとにすることにした。
何はともあれ花とデザートは渡せたのだ。突き返されなかっただけでも今日の成果はじゅうぶんだ。
ソーラスも頬を染め、どことなくやる気に満ちている。
しかし帰路につこうとしたところで嫌な気配を感じてしまい、ディアルムドは剣の柄に手をかけながらやれやれと溜息をついた。
『俺の妃になってください』
それは、ディアルムドにとって一世一代のプロポーズだった。
花もデザートも、自身が丹精込めて作って用意したものだ。
これで相手に真心が伝わるに違いない。そう思ったが――。
「お断りします」
「少しは悩んでください」
目の前の女性、もといバーベナは青い顔をしながら即答した。胸の前で腕をクロスしてブンブンと首を振っている。
説得を試みようとするが、取りつく島もない。
「これで用件は済みましたよね。もうお帰りください」
しまいには背中をグイグイと押されて、店の外にまで押し出された。
あとからニヤけ顔のソーラスもついてくる。せっかく主人のもとに呼び戻してやったというのに、お調子者も相変わらずだ。
もちろん抵抗しようと思えばできた。しかしそうしなかったのは、これ以上彼女に避けられたくなかったから。
先ほどの脅迫めいた言葉も、話を聞いてもらうための口実にすぎない。
いつもなら女性のほうから誘われる。追いかけられることはあっても、袖にされたことなど一度もない。いいや、正確に言うと、女性に迫った試しなど一度もないのだが。
ただ自分の容姿や地位が優れていることを知っているだけに、まったく迷う素振りすら見せずに求婚を断ってくる彼女が信じられない。
――ここは……二つ返事で頷くところでは?
バーベナ・ウア・グロー。あの日近くにいた神官を捕まえて問えば、意外なほど呆気なく彼女の名前を知ることができた。
家名を伏せているとはいえ、バーベナという名は偽名ではなく本名だ。そこからあっさりと素性が判明したのだ。
同年代の間では『出来損ない』として噂されているらしい。表向きグロー家の長女は魔法学校を卒業後、病気がちで屋敷に引きこもってばかり。社交界にはまったく顔を出さないという。
だが蓋を開けてみれば、舞踏会そっちのけでデザートを頬張り、そして恐るべき魔力を秘めた女性であった。
なぜあれほどの実力を隠すのか、理由はわからないが、どうやら結婚はもとよりみずからの力が明らかになることを望んでいないようだ。
出来損ないという噂や町で働いていることを考えれば、彼女自身これまで肩身の狭い思いをしながら生活してきたのかもしれない。
「もうすぐ開店の時間なんです。申し訳ありませんが、お引き取りください」
「無礼ですね」
「無礼なのはいったいどちらのほうです? 押しかけてきて脅迫したかと思えば、突然の求婚ですよ。淑女として教育は受けていませんが、これでも常識くらいは持ち合わせているつもりです。しつこい男は嫌われますよ?」
嫌われる、その言葉にディアルムドの胸の奥がざわついた。
魔界へと通じる扉がきちんと封印されなかった場合、真っ先に血を流し、地獄を見るのは力のない民だ。
平和のためにディアルムドには優れた魔力をもった花嫁が必要だ。なんとしてでも彼女に諾と言わせなければならない。
嫌われてしまうのは困る。困るのだが――利益とは別の部分で嫌だと思う自分がいた。
そんな自分にわずかに戸惑いを感じていると、先ほどまでバーベナの髪に隠れていたらしい使い魔が、肩の上からひょっこりと顔を出した。
主人思いとでも言うべきか、彼女の使い魔が猫のように歯を剥き出しにしながら威嚇してくる。
「めっちゃ美人……メス……?」
後ろにいたソーラスがぽそりと呟いた。
ソーラスは可愛らしいなりをしているが少年ではない。小動物のように見えるがウサギでもない。
カーバンクルとは竜の一種だ。
滅多にお目にかかれない同族の存在に、胸をときめかせるのは無理もない。
だがそっぽを向かれたところを見ると、主従ともにフラれてしまったという意味だろうが。
「それは……昨日の火竜ですか?」
ディアルムドは動揺をおくびにも出さず尋ねた。
「わかるの、ですか? この子がなんなのか……」
バーベナが目を丸くする。
「見た目は小さなトカゲですが、立派な竜ですね。まったく信じられません。なぜまわりはあなたの力に気づかないのでしょうか? 間違いなく馬鹿です」
呆れたように答えてみせると、バーベナの顔が曇った。今度は下を向いてプルプルと震え出す。
「それは……みんなが私を出来損ないだと言うから……そう見えるのだと思います。ある種のフィルターと言いますか……」
「なるほど、思い込みですか。やっぱり馬鹿です」
「馬鹿馬鹿って……」
「あなたのことではありません。あなたはきっと素晴らしい魔女になります。それに気づかず……出来損ない? 勝手なことを言うやつもいたものですね。そいつらみんなまとめて馬鹿だと言っているんですよ」
ディアルムドは正直な気持ちを伝えた。
するとその言葉があまりにも意外だったのか、バーベナは顔を上げて零れんばかりに目を見開く。
「……昨日の私を見たからそんなふうに言えるのでは? 力がなければ――」
「いいえ、あなたは可愛い」
ディアルムドは自信たっぷりに言い切った。
「舞踏会のとき、デザートに夢中だったでしょう? 可愛かったです。礼儀作法はこの際置いておくにしても、大事な家族が貶められているというのに、なぜあなたの父はそばにいないんですか? 妹も黙っているんですか? 俺は不思議でしようがない」
「え……? かわっ!?」
みるみるうちにバーベナの頬が薔薇色に染まった。パクパクと魚のように口を動かしている。
ディアルムドが求婚を決めたのは、間違いなく昨日の一件があったからだ。彼女が信じられないと言うのも当然といえば当然のこと。
けれどもバーベナを可愛いと思う気持ちに嘘はなかった。
もしディアルムドが王子ではなく一介の貴族だったら? 誰でも自由に結婚相手を選べる立場だったら?
「竜……可愛いな可愛いな可愛いな」
後ろのほうでソーラスが何やらブツブツ言っているが、ディアルムドも大して違わないことを考えていた。
――舞踏会のとき、誰よりも早くダンスに誘っていただろうな。
心の赴くままそうしていたはず。
「……だ、だとしても! 無理なんです!」
バーベナは顔を真っ赤にしたまま抗議の声を上げた。
店の前を通りかかった人々が、ディアルムドとバーベナを見て「痴話げんかか?」と投げかけるほどの勢い。
バーベナはハッとして、次は声を潜める。
「みんなも見ていますから。これ以上は……もう帰ってください」
「俺は諦めません」
ディアルムドはなおも食い下がった。
差し当たって結婚するのに彼女の身分に問題はないはずだ。魔力だって申し分ない。
貴賤の別なく他者を思いやる優しさがあり、おまけに可愛いとまできた。
――完璧……いや、礼儀作法はいささか不安だが、教師をつければ解決する。そんなことは瑣末な問題だ。
思えば、望むことよりも諦めることのほうが多い人生だった。
昨日彼女の本当の力を知ることができたのは、ある意味運がよかった。
神などというものに精神的な拠り所を感じたことはないが、もし神が本当に存在するならば、これは生きづらい自分に与えられたチャンスかもしれない。
「ですが……」
困惑を募らせるバーベナとは反対に、ディアルムドは俄然やる気になった。
簡単に諦めてたまるものか。そう思うと、自然と口の両端が持ち上がる。
「諦めませんよ、絶対に」
ディアルムドは自分に言い聞かせるようにキッパリと申し渡すと、ようやく店をあとにすることにした。
何はともあれ花とデザートは渡せたのだ。突き返されなかっただけでも今日の成果はじゅうぶんだ。
ソーラスも頬を染め、どことなくやる気に満ちている。
しかし帰路につこうとしたところで嫌な気配を感じてしまい、ディアルムドは剣の柄に手をかけながらやれやれと溜息をついた。
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