2 / 33
第一章 王子様のお妃選びの舞踏会に参加します
1-1 腐っちゃダメよ、大丈夫
しおりを挟む
「お姉様って本当に地味よね。ドレスを着ているというより着られている感じだわ」
お姉様――と言いつつ小馬鹿にしたような口調で言ったのは、バーベナの向かいに座った妹だった。
乙女のように頬を染めながら手鏡で己の姿を入念にチェックしていたかと思えば、急に苛立ったように目を吊り上げながら柄の先をバーベナに向けてくる。
あまりの変わり身の早さに二重人格を疑うほどだ。
――ああ……またなの……。
バーベナはこっそりと息を漏らした。
そんなふうに嫌味ったらしく言われるのは日常茶飯事だけど、いつまでたっても慣れない。
ズキズキと痛むこめかみを押さえながら、バーベナはこちらを睨み据える少女を見返した。
サラサラと流れるシルクのような白金の髪に、エメラルドのようにきらめく双眸。
ほんの少しの幼さを残しつつも人形のように整った顔立ちを見れば、誰もが口を揃えて美少女だと賞賛するだろう。
腕を組んで人をあしざまに笑う姿は決して褒められたものではないにもかかわらず、ちっとも美しさが損なわれていないから驚きだ。
パッとしない容姿のバーベナと比べれば天と地ほどの隔たりがある。
妹に言わせると、バーベナのくすんだ金髪は『砂』で、オリーブ色の瞳は『草』のように見えるらしい。
もっとも、この少女があからさまに人を見下すときは家族の前だけと決まっているが。
「ブリギット、仕方ないじゃない。お父様の命令だもの」
バーベナは笑みを貼りつけてやっとの思いで返事をすると、素早く馬車の外に目をやった。
自分にだって自分の都合があると言い返してやりたいのが本音だったが、そんなことをすれば倍になって返ってくるだけ。
挑発に乗れば相手の思う壺だ。何より口論とは存外疲れるものだと身をもって知っている。
バーベナは小さく肩を竦め、蜂蜜色の石で造られた建物を見上げた。
切り立った崖の上に建っているのは、尖塔が特徴的な王城。
馬車の列が長いことから、峡谷と城を繋ぐ橋で渋滞が起きているのだろう。先ほどからゆっくりとしか進まない。
「文句を言うんじゃない。ブリギットの言う通りだろう」
すると、ブリギットの隣に座った父が強い口調で言った。
「大馬鹿者めが」
優しさなど微塵も感じさせない、棘のある言い方だった。
思わずバーベナの肩がビクリと跳ね上がる。
またか……という諦めの気持ちとは別に、悲しみが胸の奥から込み上げてくるのはどうしようもないことだった。
仮にも家族なのだ。親に罵られて喜ぶ子どもがどこにいるだろうか。
ブリギットの嫌味に慣れないように、父の高圧的な態度にも慣れないでいた。
「申し訳ありません、お父様」
バーベナは震えを悟らせまいと唇を噛みながら、深緑のイヴニングドレスを飾るレースを握りしめた。
無難に謝っておけば、険しい目でバーベナを見ていた父がブリギットに視線を戻す。先ほどとは打って変わって思いやりに満ちた目で。
馬車の中が沈黙に包まれたのはほんの一瞬で、すぐにブリギットが水を得た魚のようにグチグチと言い始める。
「そうよ、お父様のせいにしないで。お姉様なんて魔女としての資質もないばかりか、貴族として教養もないくせに。庶民に交じって汗水流してあくせく働くようなお姉様には、お城なんてふさわしくないわ」
「ブリギット、落ち着きなさい。バーベナが魔女として出来損ないなのは知っている」
「だったら、どうしてですの……?」
「王家からの要請で、年頃の娘を漏れなく参加させよ――とのお達しなのだ。私にもどうしようもないことなのだよ。わかったら、そんなに興奮するんじゃない。可愛い顔が台無しじゃないか」
「まあ、お父様ったら」
うふふとすっかり機嫌の直ったブリギットが、これ見よがしに父の腕に自分の腕を絡ませる。
和気あいあいとした雰囲気の中、目に見えて暗くなったのはバーベナただ一人。
ブリギットの言ったすべてが嘘というわけではなかった。
それだけに、バーベナは気まずい気持ちになって俯いてしまう。
バーベナ・ウア・グローはエアネルス王国の三大公爵グロー家の長女である。
ところが生まれながらに魔女の資質が下級貴族並みに低く、『グロー家の出来損ない』と呼ばれている。
家族や使用人たちから、二つ下の優秀な妹と比べられて苦しみ続けたのは想像にかたくない。
令嬢らしく美しく着飾るなどもってのほか。
世話をする側仕えはなく、身の回りのことはすべて自分でやらなければならない。
当然自由に使えるお金もないので、毎日外に出て働き、平民と変わらない生活を送っていた。
おかげで自立志向だけは人一倍強くなったが、今さら淑女として完璧な所作を求められても困るというもの。
所詮は名ばかりの公爵令嬢だ。
「おまえはしゃしゃり出るんじゃないぞ。今日の主役はブリギットなのだ」
父が誇らしげに、そして尊大に言った。
魔法学校に行かせることさえ渋々だった父からしてみれば、出来の悪い娘を城に上げたくないのが本音だろう。納得なんていくものかと顔にありありと書かれていた。
ブリギットもうんうんと頷いている。
「そうそう、これまで私はお姉様の分まで人一倍頑張ってきたのよ。いくら王命で仕方ないといっても、出来損ないのお姉様と一緒に並ぶなんて……恥ずかしくてたまらないわ」
ブリギットは頬をふくらませながら、バーベナ以上に『頑張っている』ことをことさら強調して言った。
事実ブリギットは家族の中で一番愛情をかけられるのと同時に、次期当主としてまわりの期待を一身に背負っている。
昔から『お姉様ばかり自由でずるい』とよく怒りをぶつけられたものだ。
先日隣国の留学から帰国した際も、『なんで私ばっかり苦労しなきゃならないの』と小言を言われたくらい。
バーベナからしてみれば、妹ばかりえこひいきされてずるいというものだが。
「おまえは壁の花に徹しろ――いいな? おまえと本当の家族とは思われたくないのだ。ボロが出て困るのはおまえだけではない。我々に恥をかかせるなよ」
父が唾棄するように付け加えた。
――いつものことじゃない、バーベナ……。我慢できるわ……。
父の言葉によって頭どころか胸まで痛んだが、バーベナは己を奮い立たせてツンと顎を持ち上げた。
どうして父は我が子に対して怒りの眼差しを向けるのか。
床に臥しがちでこの場にいないものの、母にしたってそうだ。底冷えのするような鋭い目でバーベナを見る。
しかし考えたところで――ましてや尋ねたところで答えは得られないだろう。火に油を注ぐだけだとわかっている。
――腐っちゃ駄目よ、大丈夫。
バーベナは何度も自分に言い聞かせた。
どんな絶望的な状況でも、打開策はあるというもの。自分にならできるはずだ――と。
「今宵は王子殿下の妃を選ぶ大事な舞踏会。くれぐれも殿下に慈悲を乞うような馬鹿な真似をするんじゃないぞ。殿下のお心を射止めるのはこのブリギットだと心得ておけ」
なおも釘を刺そうとする父に、バーベナは溜息を押し殺して頷いた。
ブリギットが王子妃に選ばれた場合、後継はどうするのかということはあえて聞かない。
おそらくどこか遠い親戚から養子でも連れてくるのだろう。
――舞踏会なんてどうでもいいわ……。
習ってもいないダンスなど踊れるわけがない。
そもそも王子ほどの高貴な人間が、自分になど目を留めるはずがないのに。
今日という日をどうやってやり過ごそうか、バーベナは頭を抱えながら思案する。
「殿下ももうじき立太子される。そうなれば、美しく魔女として優秀な妃が必要とされるのだ。おまえ以上にふさわしい娘はいないよ、ブリギット」
「王太子妃……私にピッタリの称号ですわね、お父様」
浮かれる父と妹とは正反対に、バーベナの鬱々とした気分はなかなか晴れなかった。
やがて馬車が王城にたどり着くと、父は当たり前のように妹をエスコートして玄関に向かっていく。
「バーベナ」
そのまま二人して会場入りするかと思いきや、突然父が後ろを振り返った。
「え?」
――どうしたのかしら?
バーベナは小さく息を詰める。
「平手打ちを食らわせられたくなければ、おまえは一人で来るように」
けれど、なんてことはない。いつものように暴言を浴びせられて、バーベナはムカムカしだしたお腹に拳を押しつけた。
一瞬でも気にかけてくれたのかもしれないと思った自分が嫌になる。
〈…………ねえ、ご主人様〉
必死に深呼吸を繰り返していると、重苦しい空気を破るように声をかけられた。
スカートのポケットの中がガサゴソと動いている。
〈大丈夫?〉
ポケットから姿を現したのは、使い魔のミアンだった。ちょこんとバーベナの肩に飛び乗る。
父曰く、『魔法使いの使い魔が爬虫類であるのは前代未聞』とのこと。ブリギットからもトカゲ呼ばわりされている。
だが実際は手のひらサイズの可愛らしい見た目に反して、その正体は火竜という上位精霊であることを誰も知らない。
使い魔として猫やフクロウが多いところを見ると、精霊の使役は珍しいことなのかもしれない。
〈公爵をぶち殺してもいい?〉
ミアンが低く唸りながら尋ねてくる。
安堵のあまり使い魔を抱きしめたい思いに駆られたのも束の間、彼女の恐ろしい言葉によってバーベナは体じゅうから血の気が引いてしまった。
〈駄目、絶対〉
慌てて念話で呼びかける。
近くにいた衛兵から不思議そうな顔を向けられるものの、まわりに聞かれるという心配はいらない。
彼らの目には、主人の肩の上でトカゲが鼻息を荒くしているくらいにしか見えないはず。
〈もう少ししたらお金を貯めて屋敷を出るつもりだから……〉
〈だけど、平手打ちよ! ご主人様ならあんな人達なんて一瞬で消せるのに。ちょっとだけでも仕返ししたい! 命令してくれれば髪の毛だけでも燃やせるわ。ハゲ散らかしましょうよ〉
〈いやよ。いちいち喧嘩をふっかけていたら疲れちゃうじゃない〉
しかしながらバーベナは争うのが苦手だ。
心が疲弊するのはもちろん、傷つくのが怖い。
子どものころは愛されたいあまりに泣きながら縋っていたが、さすがに成人してからは諦めの気持ちのほうが大きくなった。
つらいときに寄り添ってくれたのは、父でも母でも妹でもない――ほかならぬミアンだ。
自身もブリギットの使い魔に散々いじめ抜かれていたというのに、『大丈夫だよ』とそっと涙を拭ってくれた。
それが子ども心にどれだけ嬉しかったことか。
もし彼女という存在がいなければ、バーベナはとっくにグレていたかもしれない。
〈もし手のひらを返されたらどうするの?〉
バーベナは痛むお腹をさすりながらミアンを見下ろした。
えへんとミアンが胸を張り、お見通しとばかりに指を立てる。
〈絶対にいいように利用されるでしょうね。ご主人様が本当は王族にも引けを取らない魔女だってバレたら大変だわ!〉
無視されようが邪険に扱われようが、最悪我慢すれば済む話。
一番まずいのは、『本当の力』が露見してしまうこと。
〈今さら当主になんて興味ないわ。王子様と結婚? どちらも冗談じゃないわよ〉
バーベナは首を横に振った。
出来損ないと呼ばれていたバーベナに本当の力が覚醒したのは、十八の成人を迎えた二年前。
誰からも祝われたことのない誕生日――バーベナは熱を出して寝込んでしまった。
今まで病気一つまともにかかったことがなかったが、このときばかりは一週間以上もベッドの住人と化してしまったのだ。
『このまま死ぬのなら、それまで』と吐き捨てるように言った父とは反対に、いつもは嫌味たっぷりのブリギットが顔を真っ青にしていたことを今でも覚えている。
結局無事に回復したわけだったが、まさか莫大な魔力に目覚めてしまうとはいったい誰が想像しただろう?
念話によってミアンと言葉を交わせるようになったのもこのころからだ。
〈だから――ね? ミアン、力を抑えて。変に目立ってバレてしまっては困るわ〉
〈ご主人様がそう言うなら……。だけど、仕返ししないとしてどうするの?〉
〈そうね、私は……〉
このまま城に乗り込んでいいものかと逡巡する。
今になってまわりから認められたいとは思わない。
むしろ魔女だの貴族だの、ややこしいしがらみから解放されたい。
そう――いつか外国で悠々自適な暮らしをするのがバーベナの夢だから。
〈今夜はお城のデザートを食べまくるつもりよ!〉
呆気に取られるミアンをよそに、バーベナは顎を上げつつ扉の横に立った衛兵に微笑みを向けた。
お姉様――と言いつつ小馬鹿にしたような口調で言ったのは、バーベナの向かいに座った妹だった。
乙女のように頬を染めながら手鏡で己の姿を入念にチェックしていたかと思えば、急に苛立ったように目を吊り上げながら柄の先をバーベナに向けてくる。
あまりの変わり身の早さに二重人格を疑うほどだ。
――ああ……またなの……。
バーベナはこっそりと息を漏らした。
そんなふうに嫌味ったらしく言われるのは日常茶飯事だけど、いつまでたっても慣れない。
ズキズキと痛むこめかみを押さえながら、バーベナはこちらを睨み据える少女を見返した。
サラサラと流れるシルクのような白金の髪に、エメラルドのようにきらめく双眸。
ほんの少しの幼さを残しつつも人形のように整った顔立ちを見れば、誰もが口を揃えて美少女だと賞賛するだろう。
腕を組んで人をあしざまに笑う姿は決して褒められたものではないにもかかわらず、ちっとも美しさが損なわれていないから驚きだ。
パッとしない容姿のバーベナと比べれば天と地ほどの隔たりがある。
妹に言わせると、バーベナのくすんだ金髪は『砂』で、オリーブ色の瞳は『草』のように見えるらしい。
もっとも、この少女があからさまに人を見下すときは家族の前だけと決まっているが。
「ブリギット、仕方ないじゃない。お父様の命令だもの」
バーベナは笑みを貼りつけてやっとの思いで返事をすると、素早く馬車の外に目をやった。
自分にだって自分の都合があると言い返してやりたいのが本音だったが、そんなことをすれば倍になって返ってくるだけ。
挑発に乗れば相手の思う壺だ。何より口論とは存外疲れるものだと身をもって知っている。
バーベナは小さく肩を竦め、蜂蜜色の石で造られた建物を見上げた。
切り立った崖の上に建っているのは、尖塔が特徴的な王城。
馬車の列が長いことから、峡谷と城を繋ぐ橋で渋滞が起きているのだろう。先ほどからゆっくりとしか進まない。
「文句を言うんじゃない。ブリギットの言う通りだろう」
すると、ブリギットの隣に座った父が強い口調で言った。
「大馬鹿者めが」
優しさなど微塵も感じさせない、棘のある言い方だった。
思わずバーベナの肩がビクリと跳ね上がる。
またか……という諦めの気持ちとは別に、悲しみが胸の奥から込み上げてくるのはどうしようもないことだった。
仮にも家族なのだ。親に罵られて喜ぶ子どもがどこにいるだろうか。
ブリギットの嫌味に慣れないように、父の高圧的な態度にも慣れないでいた。
「申し訳ありません、お父様」
バーベナは震えを悟らせまいと唇を噛みながら、深緑のイヴニングドレスを飾るレースを握りしめた。
無難に謝っておけば、険しい目でバーベナを見ていた父がブリギットに視線を戻す。先ほどとは打って変わって思いやりに満ちた目で。
馬車の中が沈黙に包まれたのはほんの一瞬で、すぐにブリギットが水を得た魚のようにグチグチと言い始める。
「そうよ、お父様のせいにしないで。お姉様なんて魔女としての資質もないばかりか、貴族として教養もないくせに。庶民に交じって汗水流してあくせく働くようなお姉様には、お城なんてふさわしくないわ」
「ブリギット、落ち着きなさい。バーベナが魔女として出来損ないなのは知っている」
「だったら、どうしてですの……?」
「王家からの要請で、年頃の娘を漏れなく参加させよ――とのお達しなのだ。私にもどうしようもないことなのだよ。わかったら、そんなに興奮するんじゃない。可愛い顔が台無しじゃないか」
「まあ、お父様ったら」
うふふとすっかり機嫌の直ったブリギットが、これ見よがしに父の腕に自分の腕を絡ませる。
和気あいあいとした雰囲気の中、目に見えて暗くなったのはバーベナただ一人。
ブリギットの言ったすべてが嘘というわけではなかった。
それだけに、バーベナは気まずい気持ちになって俯いてしまう。
バーベナ・ウア・グローはエアネルス王国の三大公爵グロー家の長女である。
ところが生まれながらに魔女の資質が下級貴族並みに低く、『グロー家の出来損ない』と呼ばれている。
家族や使用人たちから、二つ下の優秀な妹と比べられて苦しみ続けたのは想像にかたくない。
令嬢らしく美しく着飾るなどもってのほか。
世話をする側仕えはなく、身の回りのことはすべて自分でやらなければならない。
当然自由に使えるお金もないので、毎日外に出て働き、平民と変わらない生活を送っていた。
おかげで自立志向だけは人一倍強くなったが、今さら淑女として完璧な所作を求められても困るというもの。
所詮は名ばかりの公爵令嬢だ。
「おまえはしゃしゃり出るんじゃないぞ。今日の主役はブリギットなのだ」
父が誇らしげに、そして尊大に言った。
魔法学校に行かせることさえ渋々だった父からしてみれば、出来の悪い娘を城に上げたくないのが本音だろう。納得なんていくものかと顔にありありと書かれていた。
ブリギットもうんうんと頷いている。
「そうそう、これまで私はお姉様の分まで人一倍頑張ってきたのよ。いくら王命で仕方ないといっても、出来損ないのお姉様と一緒に並ぶなんて……恥ずかしくてたまらないわ」
ブリギットは頬をふくらませながら、バーベナ以上に『頑張っている』ことをことさら強調して言った。
事実ブリギットは家族の中で一番愛情をかけられるのと同時に、次期当主としてまわりの期待を一身に背負っている。
昔から『お姉様ばかり自由でずるい』とよく怒りをぶつけられたものだ。
先日隣国の留学から帰国した際も、『なんで私ばっかり苦労しなきゃならないの』と小言を言われたくらい。
バーベナからしてみれば、妹ばかりえこひいきされてずるいというものだが。
「おまえは壁の花に徹しろ――いいな? おまえと本当の家族とは思われたくないのだ。ボロが出て困るのはおまえだけではない。我々に恥をかかせるなよ」
父が唾棄するように付け加えた。
――いつものことじゃない、バーベナ……。我慢できるわ……。
父の言葉によって頭どころか胸まで痛んだが、バーベナは己を奮い立たせてツンと顎を持ち上げた。
どうして父は我が子に対して怒りの眼差しを向けるのか。
床に臥しがちでこの場にいないものの、母にしたってそうだ。底冷えのするような鋭い目でバーベナを見る。
しかし考えたところで――ましてや尋ねたところで答えは得られないだろう。火に油を注ぐだけだとわかっている。
――腐っちゃ駄目よ、大丈夫。
バーベナは何度も自分に言い聞かせた。
どんな絶望的な状況でも、打開策はあるというもの。自分にならできるはずだ――と。
「今宵は王子殿下の妃を選ぶ大事な舞踏会。くれぐれも殿下に慈悲を乞うような馬鹿な真似をするんじゃないぞ。殿下のお心を射止めるのはこのブリギットだと心得ておけ」
なおも釘を刺そうとする父に、バーベナは溜息を押し殺して頷いた。
ブリギットが王子妃に選ばれた場合、後継はどうするのかということはあえて聞かない。
おそらくどこか遠い親戚から養子でも連れてくるのだろう。
――舞踏会なんてどうでもいいわ……。
習ってもいないダンスなど踊れるわけがない。
そもそも王子ほどの高貴な人間が、自分になど目を留めるはずがないのに。
今日という日をどうやってやり過ごそうか、バーベナは頭を抱えながら思案する。
「殿下ももうじき立太子される。そうなれば、美しく魔女として優秀な妃が必要とされるのだ。おまえ以上にふさわしい娘はいないよ、ブリギット」
「王太子妃……私にピッタリの称号ですわね、お父様」
浮かれる父と妹とは正反対に、バーベナの鬱々とした気分はなかなか晴れなかった。
やがて馬車が王城にたどり着くと、父は当たり前のように妹をエスコートして玄関に向かっていく。
「バーベナ」
そのまま二人して会場入りするかと思いきや、突然父が後ろを振り返った。
「え?」
――どうしたのかしら?
バーベナは小さく息を詰める。
「平手打ちを食らわせられたくなければ、おまえは一人で来るように」
けれど、なんてことはない。いつものように暴言を浴びせられて、バーベナはムカムカしだしたお腹に拳を押しつけた。
一瞬でも気にかけてくれたのかもしれないと思った自分が嫌になる。
〈…………ねえ、ご主人様〉
必死に深呼吸を繰り返していると、重苦しい空気を破るように声をかけられた。
スカートのポケットの中がガサゴソと動いている。
〈大丈夫?〉
ポケットから姿を現したのは、使い魔のミアンだった。ちょこんとバーベナの肩に飛び乗る。
父曰く、『魔法使いの使い魔が爬虫類であるのは前代未聞』とのこと。ブリギットからもトカゲ呼ばわりされている。
だが実際は手のひらサイズの可愛らしい見た目に反して、その正体は火竜という上位精霊であることを誰も知らない。
使い魔として猫やフクロウが多いところを見ると、精霊の使役は珍しいことなのかもしれない。
〈公爵をぶち殺してもいい?〉
ミアンが低く唸りながら尋ねてくる。
安堵のあまり使い魔を抱きしめたい思いに駆られたのも束の間、彼女の恐ろしい言葉によってバーベナは体じゅうから血の気が引いてしまった。
〈駄目、絶対〉
慌てて念話で呼びかける。
近くにいた衛兵から不思議そうな顔を向けられるものの、まわりに聞かれるという心配はいらない。
彼らの目には、主人の肩の上でトカゲが鼻息を荒くしているくらいにしか見えないはず。
〈もう少ししたらお金を貯めて屋敷を出るつもりだから……〉
〈だけど、平手打ちよ! ご主人様ならあんな人達なんて一瞬で消せるのに。ちょっとだけでも仕返ししたい! 命令してくれれば髪の毛だけでも燃やせるわ。ハゲ散らかしましょうよ〉
〈いやよ。いちいち喧嘩をふっかけていたら疲れちゃうじゃない〉
しかしながらバーベナは争うのが苦手だ。
心が疲弊するのはもちろん、傷つくのが怖い。
子どものころは愛されたいあまりに泣きながら縋っていたが、さすがに成人してからは諦めの気持ちのほうが大きくなった。
つらいときに寄り添ってくれたのは、父でも母でも妹でもない――ほかならぬミアンだ。
自身もブリギットの使い魔に散々いじめ抜かれていたというのに、『大丈夫だよ』とそっと涙を拭ってくれた。
それが子ども心にどれだけ嬉しかったことか。
もし彼女という存在がいなければ、バーベナはとっくにグレていたかもしれない。
〈もし手のひらを返されたらどうするの?〉
バーベナは痛むお腹をさすりながらミアンを見下ろした。
えへんとミアンが胸を張り、お見通しとばかりに指を立てる。
〈絶対にいいように利用されるでしょうね。ご主人様が本当は王族にも引けを取らない魔女だってバレたら大変だわ!〉
無視されようが邪険に扱われようが、最悪我慢すれば済む話。
一番まずいのは、『本当の力』が露見してしまうこと。
〈今さら当主になんて興味ないわ。王子様と結婚? どちらも冗談じゃないわよ〉
バーベナは首を横に振った。
出来損ないと呼ばれていたバーベナに本当の力が覚醒したのは、十八の成人を迎えた二年前。
誰からも祝われたことのない誕生日――バーベナは熱を出して寝込んでしまった。
今まで病気一つまともにかかったことがなかったが、このときばかりは一週間以上もベッドの住人と化してしまったのだ。
『このまま死ぬのなら、それまで』と吐き捨てるように言った父とは反対に、いつもは嫌味たっぷりのブリギットが顔を真っ青にしていたことを今でも覚えている。
結局無事に回復したわけだったが、まさか莫大な魔力に目覚めてしまうとはいったい誰が想像しただろう?
念話によってミアンと言葉を交わせるようになったのもこのころからだ。
〈だから――ね? ミアン、力を抑えて。変に目立ってバレてしまっては困るわ〉
〈ご主人様がそう言うなら……。だけど、仕返ししないとしてどうするの?〉
〈そうね、私は……〉
このまま城に乗り込んでいいものかと逡巡する。
今になってまわりから認められたいとは思わない。
むしろ魔女だの貴族だの、ややこしいしがらみから解放されたい。
そう――いつか外国で悠々自適な暮らしをするのがバーベナの夢だから。
〈今夜はお城のデザートを食べまくるつもりよ!〉
呆気に取られるミアンをよそに、バーベナは顎を上げつつ扉の横に立った衛兵に微笑みを向けた。
4
お気に入りに追加
585
あなたにおすすめの小説

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
獣人公爵のエスコート
ざっく
恋愛
デビューの日、城に着いたが、会場に入れてもらえず、別室に通されたフィディア。エスコート役が来ると言うが、心当たりがない。
将軍閣下は、番を見つけて興奮していた。すぐに他の男からの視線が無い場所へ、移動してもらうべく、副官に命令した。
軽いすれ違いです。
書籍化していただくことになりました!それに伴い、11月10日に削除いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる