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第一章 聖なる矢
突然の来訪者
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「は? 聖なる矢?」
陸の国境にほど近い集落寂れた教会で、一人の男が素っ頓狂な声を上げた。ひょろひょろした体躯が驚きで揺らめいた。
今朝突然のことだ。
数日前に行われた婚約式で、王子の妃を決めるというお触れが村々の教会や集会所で出されたのは。
教会や集会所に限らず村の各所で、老若男女、村人たちが集まって井戸端会議で花を咲かせていた。朝からどこもかしこもこの話題で持ちきりだ。
こんな辺鄙な農村ですら大騒ぎなのだから、王都に至っては想像に難くない。
「おら、知ってるぞ。子どもの頃ばあさんが言ってたからな。聖なる矢ってのは、精霊様の宿るありがたいもので、それが結婚相手を決めるらしいぞ」
恰幅の良い男が自信たっぷりに胸を張った。
周囲の者もうんうんと頷きながら熱く拳を握った。
この国で『聖なる矢』の話は、決まって大人が子どもにする昔話の一つだ。何せ王太子の婚約式など、人々の一生に多くて二度あるかないかくらいの出来事だからだ。
男の子にとってはあまり面白くないが、女の子にとっては夢見るような昔話の一つだと言える。
「私の家にも刺さらないかしら。王太子のソルヴィ様って、すっごく綺麗な方なんだってねぇ」
また別の集まりでは、頬を赤く染めた女がうっとりした眼差しをどこか遠くへ向けていた。
貴人の姿絵は田舎では出回らない。ましてや姿を合間見えるとも到底考えられないが、王子の美しい出で立ちは伝聞で国中に知られていた。
つまり、この国の年頃の娘なら誰でも憧れの的である王子との結婚を夢見るものだ。
「馬鹿言え。婚約の儀は何日も前の話だし、とっくに誰かんちに刺さってらぁ。それよりお前さんところにはとっくに亭主がいるだろうに! 全くそんなことで騒ぐぐらいなら、おらも今ここで一発矢を放ってやらぁ!」
小太りの男が隣の女をどつくように嘲笑った。
女は口を尖らせて睨み返したが、周囲はどっと笑いに満ちた。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。
真上にいたはずの陽が少し傾いた頃になっても、飽きることなく王子の婚約話は噂されていた。
しかし、しばらくすると、一人また一人と、あちこちの群れから吸い寄せられるように消えていった。
人々は教会の前に一際大きく群れを成していた。
皆が集まるから自分も足を向けた。おおよその大衆心理だろう、村人たちは訳も分からないまま、互いに不思議そうに顔を見合わせた。
「村の者よ」
教会の前に立った壮年の司祭が、ざわつく群衆に向かって合図するように手を挙げた。
どよめきは波のように静かになっていく。
司祭は手にしていた紙の筒を紐解くと、咳払いを一つしてから厳かに読み上げた。
【明朝、グヴズムンドゥル王国王宮魔法使い、近衛騎士団ゲオルグ・ヤンセン団長率いる一個中隊が、聖女を預かりに参上する。ついては、村長は村の奥にある丘まで案内されたし。これは王命である。以上】
司祭が読み終わるのと同時に、群衆は驚愕した。
読み上げていた当人でさえ、思わず震えて羊皮紙を落としてしまった。
「そ、そ、そんな間違いがあるもんか!」
青年が怒りに満ちた目で声を張り上げると、それを皮切りに群衆の叫び声が木霊した。司祭を責めるよう訴える。
「村の奥と言ったら、あそこしかねぇ! あの魔女の住む家だ! あそこには若い娘なんていねぇし、聖女なんていねぇ!」
「あそこにいるのは皴くちゃな陰険クソババアと、何考えてるか分からねぇ澄ましたババアしかいねぇぞ!」
「わたしゃ、あそこの魔女に薬をもらったことがある。薬草なんて言ってたけど、あれはきっと毒に違いない! わたしゃ飲まなかったよ! 恐ろしい!」
「ひでぇことしやがる。あのババアは子どもによく話しかけてるが、きっと子どもを拐って悪魔に捧げるに違いねぇ!」
「おらぁ、魔女が悪魔に祈っているころを見たことがあるぜ!」
「あのクソババアはきっと王子を殺すに違いない!」
まるで堰き止められていた水が決壊したかのように、怒声が沸き上がった。
司祭の読み上げた伝令のいう、村の奥にある丘——とは、暗にシグルンとゾーイの住む場所を指し示していた。辺境の村では、村の奥と言えばあそこしかない。
村人の中には、シグルンの薬草に世話になる者——少し前に薬草を分けた少年ヨウンの姿もあったが、色めき立った群衆の中、さもそれが真であるかのように叫ばれる中で、誰も異義を唱えることはできなかった。
勧善懲悪を叫ぶ群衆は、血走ったように赤い目をしていた。
怖い。賛同できない者は押し黙るしかなかった。
「村長だけに案内させたら、魔女に殺されるかもしれねぇぞ。明日はみんなで武器を持って魔法使いの団長様と行かねばならねぇ!」
誰が言い出したか分からない提案を、群衆は口々にいい考えだと頷いた。
****
翌朝、シグルンは物音で目を覚ました。
締め切られている鎧戸の向こうから、何かが投げつけられているようだった。
起き抜けに状況を飲み込めないシグルンを尻目に、ゾーイはとっくに起き出しており、テーブルに着いては涼しい顔で一人茶を啜っていた。
「え、何?」
シグルンは思考するよりも早く鎧戸を開けた。
「いたぞ、魔女だ!」
途端、シグルンの眼前に小石が迫った。
回避できずに目を瞑るが、いつまで経ってもやってくるであろう痛みは訪れなかった。
「大丈夫だよ、シグルン。目をお開け」
ゾーイの落ち着いた声が聞こえて、シグルンは恐る恐る目を開けた。
目を開けると、ゾーイが相棒の杖を振って、魔法で石を制止させていた。
しかもよくよく見れば、目の前には石だけではない。鎌や鍬を手にした村人たちがいた。その後ろには、シグルンと同じように状況が飲み込めないのか、困惑した面持ちの兵士たちが隊列を乱していた。
シグルンと群衆の間に奇妙な沈黙が流れる。
「馬鹿もん!」
沈黙を先に破ったのはゾーイだった。
家を飛び出すと、大きく杖を振った。
杖からは小さなつむじ風が起きて、地面の草を巻き上げながら群衆に突っ込んでいく。
群衆は悲鳴を上げながら真っ二つに分かれた。
「ゲオルグ! あんた、ここにいるんでしょ!」
そして、ゾーイの怒りの呼びかけに肩を窄ませたのは、群衆の後方、兵士の中でも馬上の中年の男だった。
「はい! ゲオルグはここにおります!」
中年の男——ゲオルグは上擦った声で返事をすると、馬から下りて一目散にゾーイに駆け寄って跪いた。
ゲオルグの黒髪は乱れ、茶色の瞳は怯えたように揺れていた。眉間には刻印のような皺が寄り、太く吊り上がった眉がまるで怒っている風な印象を見せていたが、そんな強面とは正反対に、ゲオルグはぺこぺことゾーイに頭を下げている。
周りの兵士たちは、その光景を信じられないものでも目の当たりにしたかのように驚いて見た。
それもそのはず。ゲオルグ・ヤンセンは王宮魔法使いの中でも筆頭であり、軍においても団長として中枢にいるべき存在なのだから。いつも厳しく檄を飛ばす皆のまとめ役のゲオルグが、みすぼらしい女に頭を下げるなど、自ら威厳を損なうようなものだった。
「この方は私の魔法の師だ。くれぐれも失礼のないように」
ゲオルグは問いかけるような兵士たちの視線に気付いたのか、気まずそうに咳払いをして言った。
兵士だけでなく村人たちもどよめいた。もちろん渦中のシグルンも。
(えっ? お母さんのお弟子さん!?)
「何が失礼のないように、だ。馬鹿もんが! 民の後ろからやってきて!」
ゾーイはふんと鼻を鳴らして、ゲオルグの尻を小突いた。
跪いていたゲオルグはそのまま地面に突っ伏して、短く呻く。
「全く面目ありません。聖女をお迎えに上がったところ、村人たちから何かの間違いか、もしくは陰謀だと言われまして……」
ゲオルグは冷や汗をかきながら、ちらちらと確かめるようにシングルに視線を向けた。
シグルンもそれに気付いたが、ゾーイに頭が上がらない様子を気の毒に思って苦笑した。
どういう経緯でここに来たかは分からないが、きっと誤解か何かだろう。
「何だかよく分かりませんが、ここに聖女なんていませんよ。誰か他の家と勘違いしているのでは?」
シグルンはおずおずとゲオルグに話しかけた。
しかし、ゲオルグは驚きで顔を強張らせた。
「いいえ! 聖なる矢を追跡できる精霊石によると、場所に間違いはないのです! しかし、ここには魔女はともかく年寄りしかいないなんて……」
ゲオルグは頭を振って否定した。口調はだんだん尻窄んでいく。
(ちょっと! 私はおばあさんじゃないんだけど!)
予想外れの失礼な言葉にシグルンはむっとした。心の中で密かに反論する。
「本当にあんたはいつまで経っても青臭い小僧だね! 若い娘ならここにいるだろうに!」
しかし突然、ゾーイは言い淀むシグルンの背中を容赦なく押した。
ゲオルグの前に突き出されたシグルンは小さく悲鳴を上げて、ゲオルグの腕に飛び込むように収まった。
シグルンはもちろん、ゲオルグもゾーイの言葉になぜか言い返すことのできない迫力を感じていた。
そして、黙ったままの老女と王宮魔法使いに兵士も村人たちも静かに固唾を呑んでいた。
「じゃ、そういうわけだから。嫁入りするにはすでにとうが立ってる娘だけど、若いっちゃ若いし、間違いなく聖なる矢が選んだ娘だよ。ゲオルグあんた、何とかしなさいな」
だが更に驚くべきことに、ゾーイはそのまま身を翻した。
「いやいや、おかしいでしょ! お母さん!」
シグルンは焦ってようやく突っ込みの声を上げた。
ゾーイは後ろ向きにひらひらと手を振りながら戸を閉めた。シグルンを泣かせるなとゲオルグへの脅し文句と、もう一眠りするからと自分勝手な理由を付け加え、窓も完全に閉め切ってしまう。
シグルンは目をしばたたかせ、調子外れな驚きの声を上げた。
陸の国境にほど近い集落寂れた教会で、一人の男が素っ頓狂な声を上げた。ひょろひょろした体躯が驚きで揺らめいた。
今朝突然のことだ。
数日前に行われた婚約式で、王子の妃を決めるというお触れが村々の教会や集会所で出されたのは。
教会や集会所に限らず村の各所で、老若男女、村人たちが集まって井戸端会議で花を咲かせていた。朝からどこもかしこもこの話題で持ちきりだ。
こんな辺鄙な農村ですら大騒ぎなのだから、王都に至っては想像に難くない。
「おら、知ってるぞ。子どもの頃ばあさんが言ってたからな。聖なる矢ってのは、精霊様の宿るありがたいもので、それが結婚相手を決めるらしいぞ」
恰幅の良い男が自信たっぷりに胸を張った。
周囲の者もうんうんと頷きながら熱く拳を握った。
この国で『聖なる矢』の話は、決まって大人が子どもにする昔話の一つだ。何せ王太子の婚約式など、人々の一生に多くて二度あるかないかくらいの出来事だからだ。
男の子にとってはあまり面白くないが、女の子にとっては夢見るような昔話の一つだと言える。
「私の家にも刺さらないかしら。王太子のソルヴィ様って、すっごく綺麗な方なんだってねぇ」
また別の集まりでは、頬を赤く染めた女がうっとりした眼差しをどこか遠くへ向けていた。
貴人の姿絵は田舎では出回らない。ましてや姿を合間見えるとも到底考えられないが、王子の美しい出で立ちは伝聞で国中に知られていた。
つまり、この国の年頃の娘なら誰でも憧れの的である王子との結婚を夢見るものだ。
「馬鹿言え。婚約の儀は何日も前の話だし、とっくに誰かんちに刺さってらぁ。それよりお前さんところにはとっくに亭主がいるだろうに! 全くそんなことで騒ぐぐらいなら、おらも今ここで一発矢を放ってやらぁ!」
小太りの男が隣の女をどつくように嘲笑った。
女は口を尖らせて睨み返したが、周囲はどっと笑いに満ちた。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。
真上にいたはずの陽が少し傾いた頃になっても、飽きることなく王子の婚約話は噂されていた。
しかし、しばらくすると、一人また一人と、あちこちの群れから吸い寄せられるように消えていった。
人々は教会の前に一際大きく群れを成していた。
皆が集まるから自分も足を向けた。おおよその大衆心理だろう、村人たちは訳も分からないまま、互いに不思議そうに顔を見合わせた。
「村の者よ」
教会の前に立った壮年の司祭が、ざわつく群衆に向かって合図するように手を挙げた。
どよめきは波のように静かになっていく。
司祭は手にしていた紙の筒を紐解くと、咳払いを一つしてから厳かに読み上げた。
【明朝、グヴズムンドゥル王国王宮魔法使い、近衛騎士団ゲオルグ・ヤンセン団長率いる一個中隊が、聖女を預かりに参上する。ついては、村長は村の奥にある丘まで案内されたし。これは王命である。以上】
司祭が読み終わるのと同時に、群衆は驚愕した。
読み上げていた当人でさえ、思わず震えて羊皮紙を落としてしまった。
「そ、そ、そんな間違いがあるもんか!」
青年が怒りに満ちた目で声を張り上げると、それを皮切りに群衆の叫び声が木霊した。司祭を責めるよう訴える。
「村の奥と言ったら、あそこしかねぇ! あの魔女の住む家だ! あそこには若い娘なんていねぇし、聖女なんていねぇ!」
「あそこにいるのは皴くちゃな陰険クソババアと、何考えてるか分からねぇ澄ましたババアしかいねぇぞ!」
「わたしゃ、あそこの魔女に薬をもらったことがある。薬草なんて言ってたけど、あれはきっと毒に違いない! わたしゃ飲まなかったよ! 恐ろしい!」
「ひでぇことしやがる。あのババアは子どもによく話しかけてるが、きっと子どもを拐って悪魔に捧げるに違いねぇ!」
「おらぁ、魔女が悪魔に祈っているころを見たことがあるぜ!」
「あのクソババアはきっと王子を殺すに違いない!」
まるで堰き止められていた水が決壊したかのように、怒声が沸き上がった。
司祭の読み上げた伝令のいう、村の奥にある丘——とは、暗にシグルンとゾーイの住む場所を指し示していた。辺境の村では、村の奥と言えばあそこしかない。
村人の中には、シグルンの薬草に世話になる者——少し前に薬草を分けた少年ヨウンの姿もあったが、色めき立った群衆の中、さもそれが真であるかのように叫ばれる中で、誰も異義を唱えることはできなかった。
勧善懲悪を叫ぶ群衆は、血走ったように赤い目をしていた。
怖い。賛同できない者は押し黙るしかなかった。
「村長だけに案内させたら、魔女に殺されるかもしれねぇぞ。明日はみんなで武器を持って魔法使いの団長様と行かねばならねぇ!」
誰が言い出したか分からない提案を、群衆は口々にいい考えだと頷いた。
****
翌朝、シグルンは物音で目を覚ました。
締め切られている鎧戸の向こうから、何かが投げつけられているようだった。
起き抜けに状況を飲み込めないシグルンを尻目に、ゾーイはとっくに起き出しており、テーブルに着いては涼しい顔で一人茶を啜っていた。
「え、何?」
シグルンは思考するよりも早く鎧戸を開けた。
「いたぞ、魔女だ!」
途端、シグルンの眼前に小石が迫った。
回避できずに目を瞑るが、いつまで経ってもやってくるであろう痛みは訪れなかった。
「大丈夫だよ、シグルン。目をお開け」
ゾーイの落ち着いた声が聞こえて、シグルンは恐る恐る目を開けた。
目を開けると、ゾーイが相棒の杖を振って、魔法で石を制止させていた。
しかもよくよく見れば、目の前には石だけではない。鎌や鍬を手にした村人たちがいた。その後ろには、シグルンと同じように状況が飲み込めないのか、困惑した面持ちの兵士たちが隊列を乱していた。
シグルンと群衆の間に奇妙な沈黙が流れる。
「馬鹿もん!」
沈黙を先に破ったのはゾーイだった。
家を飛び出すと、大きく杖を振った。
杖からは小さなつむじ風が起きて、地面の草を巻き上げながら群衆に突っ込んでいく。
群衆は悲鳴を上げながら真っ二つに分かれた。
「ゲオルグ! あんた、ここにいるんでしょ!」
そして、ゾーイの怒りの呼びかけに肩を窄ませたのは、群衆の後方、兵士の中でも馬上の中年の男だった。
「はい! ゲオルグはここにおります!」
中年の男——ゲオルグは上擦った声で返事をすると、馬から下りて一目散にゾーイに駆け寄って跪いた。
ゲオルグの黒髪は乱れ、茶色の瞳は怯えたように揺れていた。眉間には刻印のような皺が寄り、太く吊り上がった眉がまるで怒っている風な印象を見せていたが、そんな強面とは正反対に、ゲオルグはぺこぺことゾーイに頭を下げている。
周りの兵士たちは、その光景を信じられないものでも目の当たりにしたかのように驚いて見た。
それもそのはず。ゲオルグ・ヤンセンは王宮魔法使いの中でも筆頭であり、軍においても団長として中枢にいるべき存在なのだから。いつも厳しく檄を飛ばす皆のまとめ役のゲオルグが、みすぼらしい女に頭を下げるなど、自ら威厳を損なうようなものだった。
「この方は私の魔法の師だ。くれぐれも失礼のないように」
ゲオルグは問いかけるような兵士たちの視線に気付いたのか、気まずそうに咳払いをして言った。
兵士だけでなく村人たちもどよめいた。もちろん渦中のシグルンも。
(えっ? お母さんのお弟子さん!?)
「何が失礼のないように、だ。馬鹿もんが! 民の後ろからやってきて!」
ゾーイはふんと鼻を鳴らして、ゲオルグの尻を小突いた。
跪いていたゲオルグはそのまま地面に突っ伏して、短く呻く。
「全く面目ありません。聖女をお迎えに上がったところ、村人たちから何かの間違いか、もしくは陰謀だと言われまして……」
ゲオルグは冷や汗をかきながら、ちらちらと確かめるようにシングルに視線を向けた。
シグルンもそれに気付いたが、ゾーイに頭が上がらない様子を気の毒に思って苦笑した。
どういう経緯でここに来たかは分からないが、きっと誤解か何かだろう。
「何だかよく分かりませんが、ここに聖女なんていませんよ。誰か他の家と勘違いしているのでは?」
シグルンはおずおずとゲオルグに話しかけた。
しかし、ゲオルグは驚きで顔を強張らせた。
「いいえ! 聖なる矢を追跡できる精霊石によると、場所に間違いはないのです! しかし、ここには魔女はともかく年寄りしかいないなんて……」
ゲオルグは頭を振って否定した。口調はだんだん尻窄んでいく。
(ちょっと! 私はおばあさんじゃないんだけど!)
予想外れの失礼な言葉にシグルンはむっとした。心の中で密かに反論する。
「本当にあんたはいつまで経っても青臭い小僧だね! 若い娘ならここにいるだろうに!」
しかし突然、ゾーイは言い淀むシグルンの背中を容赦なく押した。
ゲオルグの前に突き出されたシグルンは小さく悲鳴を上げて、ゲオルグの腕に飛び込むように収まった。
シグルンはもちろん、ゲオルグもゾーイの言葉になぜか言い返すことのできない迫力を感じていた。
そして、黙ったままの老女と王宮魔法使いに兵士も村人たちも静かに固唾を呑んでいた。
「じゃ、そういうわけだから。嫁入りするにはすでにとうが立ってる娘だけど、若いっちゃ若いし、間違いなく聖なる矢が選んだ娘だよ。ゲオルグあんた、何とかしなさいな」
だが更に驚くべきことに、ゾーイはそのまま身を翻した。
「いやいや、おかしいでしょ! お母さん!」
シグルンは焦ってようやく突っ込みの声を上げた。
ゾーイは後ろ向きにひらひらと手を振りながら戸を閉めた。シグルンを泣かせるなとゲオルグへの脅し文句と、もう一眠りするからと自分勝手な理由を付け加え、窓も完全に閉め切ってしまう。
シグルンは目をしばたたかせ、調子外れな驚きの声を上げた。
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