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終章

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 ある夜、ベッドで寝支度をしていると、ノアが明日の公務の予定を報告してきた。これは夫婦として部屋を共にするようになってからの日課だった。

 さくらは公務を共にできない分、ノアの身の周りの世話を申し出ていた。せめて妻として、一般家庭と同じように夫を支えたいと思ったのだ。

 ノアの翌日の予定を聞いて、それに合わせた装いを準備する。最初の頃は、ノアの公務の話を聞いてもチンプンカンプンだったが、だんだんとノアの仕事内容が分かるようになり、自ずとふさわしい装いを準備できるようになっていった。

 また仕事の内容から、簡単な執務なら自分でもできそうだと思うと、それを引き受けることも申し出た。ノアは渋っていたが、さくらの熱意にほだされ、簡単な仕事を渡してみると、想像以上の仕事の速さに驚いた。それだけではない。簿記二級保持者のさくらは決算書が読める。たまたま目にした決算書から、さりげなく無駄な経費を指摘され、ノアはますます驚かされた。

 それ以外にもさくらは、ノアの体調管理を兼ねて、毎日の食事の献立にも気を遣うようになった。よく厨房に足を運び、料理長と献立を話し合った。料理長も最初はノアと同じく渋っていたが、さくらの楽しそうな姿に流され、二人で一週間の献立を考えることが日課になってしまった。たまに、その場でさくらが即興で作った料理を試食し、料理長のお眼鏡に叶うと、再現されてテーブルに並ぶこともあった。

 目に見えてさくらの生活は充実していった。仕事をこなす中、公務を理解するためにこの国の歴史や現在の社会情勢を勉強し、ノアの健康のために栄養学の知識を蓄えていった。周りは、さくらが忙しくても毎日楽しそうに過ごしていたので、不妊で悩んでいることに気が付かなかったのだ。しかし今は、その呪縛からも解き放たれ、本当に生き生きしている。
 
 ノアはベッドに入りながら、いつものように明日の予定を話し始めた。

「明日は離れの城の工事具合を視察する」

「わかりました」

 先に横になっていたさくらは、自分の隣に横になったノアを見て返事をした。

 離れの城は、あの事件で大半部分が火事で消滅していた。それを新たに療養施設として修復している最中であった。これは、ほとんど使用していない城ならば公共施設として国民に提供したらどうかという、さくらの提案だった。これが受け入れられたということは、プライベートだけでなく、仕事上でもさくらが信頼を得た証だった。

「お帰りになったら進捗状況を教えてくださいね。すっごく気になります」

 さくらは微笑みながらノアに言った。ノアは黙ったまま暫くさくらを見つめていたが、

「・・・一緒に行くか?」

そう言って、さくらの頬を優しく撫でた。さくらは目を丸くした。

「いいんですか!? でもご公務でしょう?」

「発案者はお前だ。状況を把握する権利はあるだろう」

 さくらは目を輝かせた。ノアはそんなさくらを愛おしそうに見つめながら、相変わらず頬を優しく撫でている。さくらはその手を取ると、悪戯っぽく笑った。

「では、お礼に陛下に良い事を教えてあげますね」

「良い事?」

 さくらはノアの顔に近づくと、小声でささやいた。

「お月様が終わりましたよ」

 途端にノアはさくらを自分の下に組み敷いた。

「それは確かに良い事を聞いた」

 ニッと笑うと、すぐにさくらに口づけを落とした。それはあっという間に深くなる。さくらにとって長い夜の始まりだった。


☆彡


 翌日、さくらはノアと一緒に馬車に揺られて、離れの城に向かった。王家の馬車を使っているため、中が見えないようにカーテンを引いている車内は薄暗い。昨日まともに眠れなかったさくらは、あっという間に睡魔に襲われた。

(こ、これは、まずい・・・)

 同乗しているのはノアだけではない。ノアの秘書が一緒だった。ノアの執務を手伝うようになってから、『異世界の王妃』と面会を許された一人だ。流石に彼の前で居眠りするわけにはいかないと、必死でこらえていたが、限界が来た。

「着くまで寝ていろ。昨夜は無理をさせたからな、ろくに寝てないだろう?」

(・・・っ! 人前で何を!)

 さくらは真っ赤になって、意地悪っぽく笑うノアを軽く睨んだ。

「お気になさらず、王妃様。・・・もう流石にこちらも慣れました」

 毎日のように、さくらへの溺愛っぷりを見せつけられている秘書には、もはやこのやり取りは日常だった。書類に目を通しながら、若干呆れ気味に言う秘書に、さくらはますます顔が赤くなるのを感じた。
 さくらはわざと頬を膨らませて拗ねた顔をすると、ポスッとノアの肩に寄り掛って、目を閉じた。ノアが優しくさくらの髪を撫でる。その心地よさにすぐに眠りに落ちていった。
 
 城に着くと、護衛の近衛隊と一緒に修復中の建物の中を視察した。その中にイルハンもいた。さくらが同伴のため、作業員はすべて外され、案内係は責任者の初老の官僚一人だけだった。
「あの方には私の存在がばれてもいいんですかね・・・?」

 さくらは小声で、横に並んでいるイルハンに聞いた。

「あのお方は重鎮でございます。さくら様の挙式にも同席しております」

「あー、なるほど・・・」

 一通りの視察を終えた後、さくらは帰る前に庭園を散歩したいとノアに願った。責任者の官僚も、被害に遭っていない表の庭園は美しいと、二人に散策を進めた。

 手を繋ぎながら、二人きりでゆっくり庭園に行ってみると、奥の方に一本、とても見慣れた美しい花を満開にさせた大木があった。風に吹かれて美しい花びらが宙に舞っている。さくらは思わず、ノアの手を離し、その大木に向かって走り出した。

 下から見上げると、美しい淡いピンクの花びらをした花が枝を埋め尽くしている。自分がよく知っている種類とは少し違うようだ。花の色が少し濃い気がする。それでもさくらの胸は大きく高鳴った。

(もうそろそろ五月になるのに、満開だ!)

 さくらは降り注ぐ花びらに両手を広げた。

 ノアはゆっくり近くまで来ると、さくらの横に並んで、大木を見上げた。

「この木はドラゴンがとても好きな木だ。この花の香りがドラゴンを呼び寄せる。ドラゴンが住んでいる聖なる山にはたくさん生えているが、この近くでこれほど立派なものはこの木だけだ」

 ノアはそう話すと、風に舞う花びらに向かって片手を伸ばした。

「俺もドラゴンだった時、この花の香りに誘われて、何度もこの庭園に来ていた」

 手に取った花びらを懐かしそうに見ながら、さくらに振り向いた。

 さくらはとても感動した様子で、ノアを見つめていた。その目は輝いていた。今までノアが見てきた瞳の中で一番美しく輝いていた。

「陛下。この木は、私の世界で『さくら』って言うんです!」

 そう言うと、ノアに抱きついた。桜の花が舞い踊る中、さくらはいつまでもノアを抱きしめていた。

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