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第三章

10.ノアの恋人

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 ノアと対峙している美しい女性はリリーだった。そして、この場所はノアとリリーの密会場所だった。二人はなるべく城下で会うようにしているが、城内で密会するときはこの場所でいつも落ち合っていた。

 リリーは、ノアが長い間自分と連絡を取らなかったことを攻めていた。どんなに心配したかを優しく穏やかな口調で訴えるリリーに対し、ノアは素直に詫びた。

「でも、こうしてお会いできて本当によろしゅうございました。体調もお戻りのようですね。以前は少しお窶れのようで、本当に心配いたしました」

 リリーは本当に心底安心したように言うと、少し首をかしげて微笑んだ。

「何か私に落ち度があって、会ってくださらないのかもっていう心配もしましたのよ」

「リリーに落ち度など・・・」

 ノアは口ごもった。リリーはそんなノアの手を取ると、

「またすぐに城下でお会いできますわよね? ご一緒したい場所がありますの」

 にっこりと笑った。ノアは少し困惑した顔でリリーを見た。

「・・・そうしたいが、最近忙しい。そう簡単に時間が取れそうにない・・・」

 ノアは言葉を濁した。それを聞いてリリーはとても悲しそうな顔をして俯いた。ノアは後ろ暗い気持ちになって、

「九月のフェスタもある。それまではどうしても仕事が立て込んでしまう。すまない」

と咄嗟に言い訳した。リリーは掴んでいるノアの手をぎゅっと握ると、顔を上げた。

「では、九月のフェスタは絶対ご一緒してくださいね! ずっと前から楽しみにしていましたもの。今年も一緒に花火を見たいって!」

 普段は穏やかで物腰が柔らかいリリーの強い口調に、ノアは驚いて、つい、

「分かった」

と答えてしまった。

 その言葉がさくらにも聞こえ、思わず息を呑んだ。そして無意識に木の陰から二人を伺うと、ノアの返事に喜んだリリーが、軽く背伸びをして、ノアに口づけをしているところだった。


☆彡


 突然の口づけに驚いているノアに、リリーはにっこりとほほ笑んだ。丁度その時、庭園の方からリリーを探している声が聞こえた。

「約束ですよ」

 リリーは微笑みを絶やさないままそう言うと、その声の方にゆっくりと歩いて行った。

 リリーの背中を見送りながら、ノアは小さく溜息をついた。フェスタはさくらと行くと決めていたのに、リリーの誘いを断れなかったことが悔やまれた。できるのであれば、さくらと行きたかったのだ。

 今のノアの心はほとんどさくらで占領されていた。リリーのことを忘れたわけではなかったが、ドラゴンでいる間、真っ黒な暗闇の世界を、一気に明るく照らしてくれたさくらの存在は、ノアの中であまりにも大きかった。

 リリーには二か月以上の間、まともに会うこともできず、不安にさせていたにも関わらず、人の姿に戻ってからも、今日まで自ら会おうとは思い至らなかった。今日もリリーからの伝書鳩の伝言で会うことになったのだ。それほどまでに、今のノアにはさくらしか見えていなかった。

 しかし、リリーを邪険にすることは絶対にできなかった。彼女は自分の恋人であり、第二王妃に迎えるつもりの女性であることには変わりない。それに自分をどれだけ想ってくれているかも知っている。今まで彼女を放っておいたことを、今更ながら申し訳なく思うと、もう一度大きく溜息をついた。

 その時、後ろで何か物音がして振り返った。何も見当たらなかったが、よく見ると木の陰から、ドレスの裾が見えて息を呑んだ。さくらが思わずしゃがみこんだ音だった。

 そこには木に寄りかかるように座り、ボーっと空を見ているさくらがいた。ノアは一瞬言葉が出なかった。黙ったままさくらを見ていると、そんなノアに気付いたように、チラッと目を向けた。だが、さくらはすぐに目をそらし、無言で立ち上がると、箱庭の方へ戻って行った。ノアは慌てて追いかけた。

 追いかけてくるのが分かったさくらは、足を引きずりながら走った。

(だめだ。今は顔を見れない!)

 さくらは必死に走ったが、痛めた足はだいぶ良くなったとはいえ、流石に無理があった。とうとう、噴水の近くで躓いて転んでしまった。追い付いたノアがすぐにさくらを抱えて起こそうとするが、さくらはそれを無言で振り払った。そして立ち上がると、ノアに向かい深く頭を下げた。

「第一の宮殿から出てしまったことと、そのつもりはなくても、お二人のお話を盗み聞きした形になってしまったこと、謝ります。申し訳ありませんでした」

 そう言うと、ノアの顔を見ることなく、歩き出した。ノアはその他人行儀な態度に、一瞬固まったが、すぐに我に返り、さくらの腕を掴んだ。

「触らないで!」

 さくらは叫んで、ノアの手を振り払った。そして今度はしっかりとノアを見つめた。その目には涙が溜まっていた。さくらの涙にノアは再び固まった。

「てっきり陛下も私と同じ気持ちでいてくれると思っていたのに・・・。浮かれていたのは私だけだったなんて・・・。ホント、バカみたい」

 さくらの頬を溜まっていた涙が流れ落ちた。

「私なんて・・・、あの方の前では、あっさり約束を破られてしまう程度の・・・、そんな程度の存在だったんですね・・・」

 最後の方は声も掠れて、言葉にならなかった。そんなさくらにノアは完全に言葉を失い、立ち尽くした。

「陛下のお顔は、もう見たくありません・・・」

 さくらは顔を背けると、ゆっくりは箱庭から出て行った。ノアは足が地面に縫い取られたように身動きが取れず、立ち尽くしたまま、さくらを見送った。
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