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第二章

20.脱出

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 正直に言って、さくらは足が遅い。その上、運動不足で長く走り続ける自信など全くなかった。
 しかし、俗に言う「火事場の馬鹿力」だろう。命がけの逃亡という重圧が、さくらの通常の運動能力を飛躍的に高めた。おかげで何とか無事に忍び込んだ城壁まで走りきることができた。

 イルハンが城壁を伺うと、監視役に扮した近衛兵が『来るな』と合図を送ってきた。見回りが来たようだった。三人は急いで茂みに隠れた。

 さくらは緊張のあまり吐きそうだった。見回りの兵士の足元が見えたときは、恐怖で悲鳴を上げそうになった。そんなさくらをノアは後ろから抱きかかえ、片手でさくらの口をふさいだ。

 見回りがいってしまうのを見届けると、さくらはノアに引きずられるように城壁前まで連れて行かれた。
 まずノアが塀に登ぼると、次にイルハンがさくらを下から持ち上げ、塀の上からノアが引っ張りあげた。監視役に扮した近衛兵の一人が、先に塀の外側で待っており、下からさくらを迎え、塀から降ろした。

 三人が無事に塀の外に下りたとき、遠くからまた見回りの兵士が来た。ノアとイルハンはさくらを抱えるように、森の中に飛び込んだ。
 近衛兵がその場をやり過ごしている間に、三人は森の奥へ消えていった。


☆彡


 三人はひたすら小舟の待つ入江に急いでいた。ノアはさくらの手首をしっかり握り、走っていた。転びそうになる度に、逞しい腕に支えられ、さくらは何とか二人について行った。  

 しかし、想像以上に早く気が付かれたようで、遠くでざわめきが聞こえた。

(追手だ・・・!)

 さくらは不安に駆られ二人を見たが、二人は意に介さないようにどんどん前へ進んでいく。追手の怒号がどんどん近づいて、さくらは生きた心地がしなかった。だが、突然、その怒号が違う方向に向かい、そのままどこかに消えてしまった。

「おそらく近衛兵二人が囮となって、引き寄せているのでしょう」

 不安そうにしているさくらにイルハンが耳打ちした。

 三人は奥へと急いだ。しかし、暫くすると、一度消えた追手の声がまた聞こえ始めた。
 チッ!という舌打ちがノアの口から漏れた。

 どんなに頑張ってもさくらはノア達と同じ速度で走るのは無理なところに、そろそろ体力の限界が見えてきていた。ノアとイルハン二人だけなら難なくかわせる追手も、今はどんどん近づいており、追い付かれるのは時間の問題だった。

「イルハン!」

 ノアは彼を見た。それだけでイルハンは自分のすべきことを察知した。

「はっ! 陛下。では後ほど!」

 そう言ったかと思うと、イルハンは一人、まったく別方向に走り出した。

「・・・イルハンさん?」

 突然のイルハンの行動にさくらは立ち止まりかけたが、ノアに手を掴まれているため、振り返ることしかできなかった。振り返った時には、イルハンの姿はもう見えなかった。しかし、少しすると遠くで追手の怒号が聞こえたと思ったら、まったく違う方向に消えていった。

 イルハンが追手をうまく巻いたと思ったのも僅かな時間だった。当然、相手は数組に分かれて進んでいた。一組の追手がさくら達を捉えた。

「いたぞー!」

 その雄叫びが背後に聞こえた時、さくらは心臓が止まりそうになった。

(もう無理だ・・・)

そう断念したが、ノアは走りを一向に止めない。さくらを引っ張りながら、どんどん奥へ入っていった。

「!!」

 何かに気が付いたのか、ノアは足をやっと止めた。
 さくらは膝から崩れ落ち、ゼイゼイと肩で息をした。そして前を見上げると、そこは崖だった。傍には川が流れており、その崖から滝に変わり、水が下に一気に流れ落ちている。

 追手をかわそうと身を隠せるような場所ばかり走っていたため、進路から外れてしまったのだ。周りはほのかに白み、夜明けが近づいてきている。
 ノアは滝つぼを覗いた。そしてある一点を確認すると、さくらに振り向き、力強く見つめた。もう時間がなかった。

 明るくなりかけているので、さくらにはノアの顔がはっきり分かった。彼の姿形をしっかりとこの目で捉えたのは初めてだった。

 年齢は自分と同じくらいだろうか。端正な顔立ちで黒い髪、イルハンほどの長身ではなく、体つきも彼ほど逞しくはないが、無駄な肉のない引き締まった体系。
 その彼がゆっくり近づいてくる。

 さくらはノアが言わんとしていることに気が付いた。青ざめて、しりもちをした状態のまま、じりじり後ずさりした。ノアが手を取ると、さくらは抵抗するように顔を横にブンブン振った。

 しかし、ノアはさくらを無理やり立たせると、

「大丈夫だ」

と力強く言った。そして、崖の淵まで連れていくと、

「絶対に手を離さないから。俺を信じろ!」

 さくらの耳元で囁いた。

 次の瞬間、さくらをきつく抱きめると、一緒に滝つぼに飛び込んだ。


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