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第113話「ネーミングセンス」

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 ホワイトラビット号 ――

 ゴルティアス号から飛び降りて、ホワイトラビット号の甲板に戻ったシャルルは、黒兎を下ろすと即座に出航の指示を出していく。

「急いで離脱するよっ! 魔導衝角ラム解除っ!」
「にゃ~」

 魔導衝角ラムを解除すると、固定されていたホワイトラビット号がガクンと揺れた。

 そして、魔導衝角ラムが消えたスペースに海水の浸水が開始した。船員たちは全員脱出を試みている最中で、修理する者も水を掻き出すものもいない、程なくしてゴルティアス号は海の底に沈むことになるだろう。

 離脱したホワイトラビット号は、魔導航行で反転するとイタリスに向かって急発進する。シャルルは周囲を確認して、甲板にマギたちの姿がないことに気が付いた。

「マギはヴァル爺を連れて船室? ハンサムは大丈夫?」
「おいおい、大丈夫なわけねぇだろ。左手がボッキリ逝ってるんだぞ」

 片手で舵を握っているハンサムが、呆れた様子で答えが、意外と余裕そうに見える。それに対してシャルルは空元気で笑った。

「あはは、わたしと一緒だね」

 ハンサムもシャルルも倒れている黒兎に左手を砕かれていた。この船で治癒術を使えるのはマギだけだが、姿が見えないので治療は後回しである。

「暴れると面倒だから、その子は縛り上げておいて! あばらを痛めているはずだから、手足だけでいいわ」
「任せるニャ!」

 黒兎のことを黒猫たちに頼むと、シャルルは見張り台に向かって跳躍する。着地時の振動で折れた腕に痛みが走り、涙目を浮かべながら周囲の状況を確認する。

 ゴルティアス号はまだ沈んでおらず、周りでは海賊たちがボートを浮かべて脱出を試みている。南側ではアクセルたちと戦っていたゼロン=ゴルダ大海賊団が降伏し、帆を絞って停船を始めているようだ。予想以上に早く終わったからか、双方とも損害はそこまで出ていないように見える。

 逆にロイス王国艦隊は、予想通り半数以上を失い完全に瓦解しており、海域から離脱を始めていた。ローニャ公国艦隊の損害も決して少なくなかったが、旗艦であるアルバトロス号を除き追撃戦を始めていた。

「とりあえず、勝ったみたいね。でも……自分でパパの仇は討てなかったし、ヴァル爺は重傷で死にそう。それに左手も折れてて痛い、碌な勝利じゃないわね」

 シャルルが自虐的に呟いていると、急に甲板上が騒がしくなっていた。シャルルは怪訝そうな顔で首を傾げると、そのまま甲板に飛び降りる。

 そこでは手足を後ろで縛られた黒兎がジタバタと暴れており、膝蹴りを喰らったと思われる黒猫が完全にノックアウトされていた。

「そんなに暴れると、折れたあばらが内臓に刺さって死ぬよ?」
「……縄を解け」
「暴れないって約束するなら解いてあげてもいいけど、解いたら海にでも飛び込むつもり? 陸まで結構距離あるけど泳げるの?」

 驚いた黒兎が周りを確認すると、ようやく自分が乗っていた船でないことに気が付いたようだった。そして逃げれないと悟ったのか、それ以上は暴れずに大人しく座り込む。

 その様子にシャルルはクスッと笑うと、ナイフ状のカニィナーレでロープを切って拘束を解いた。

「大人しくしていれば危害は加えないわ。キャプテンゼルスは死んでしまったし、契約の首輪の効果も切れたんじゃない?」
「奴は死んだのか?」

 黒兎はそう言いながら、首に巻いている布を引っ張った。その布に隠れていた契約の首輪がパッキリと割れており、甲板にゴトリと落ちる。魔術的な効果で縛っていた制約が、契約者の死亡で解除されたのだ。

 少女は落ちた首輪をは見つめながら首を傾げる。

「……これで自由?」
「うん、貴女は自由よ。イタリスまでは乗せてあげるから、あとは好きにすればいい……うわぁ!?」
「自由だぁ!」

 少女が急に抱きついてきたので、咄嗟に身を強張らせるシャルル。その時不幸な事故が起こった。抱きついてきた黒兎が胸に、シャルルの左肘がめり込んだのだ。砕けているあばらと折れている左手の衝突である。

「痛ぁぁぁ~」
「うぐぐぐ……」

 当然の結果として、二人とも痛みのあまりその場で崩れ落ちて悶えることになった。そこに戻ってきたマギが呆れた様子で尋ねてくる。

「うさぎちゃん、何やってるの?」
「良いから治癒術を……」
「仕方ないわねぇ。怪我人を増やさないでよ、私も疲れてるんだから」

 マギは文句を言いながらも杖を振って、風属性の治癒術『癒しの風』を発動させた。緑色の光がシャルルと少女を包み、彼女たちの傷を治していく。

 しばらくして痛みが和らいでいき、苦悶の表情を浮かべていた二人も、何とか立ち上がることができた。

「それで、その子は誰なの? どうやら兎人族のようだけど……」

 黒兎はローブのファスナーを閉めフードを被りなおすと、そのまま何も言わなくなってしまった。

「相変わらず無口な子ね。マギ、この子はゴルティアス号にいたの。契約の首輪で服従させられていたから保護したのよ」
「契約の首輪? ……また悪趣味な物を」

 マギもその魔導具の存在は聞いたことがあるのか、嫌悪感を隠していない。

「とりあえず、イタリスまで連れて行くつもりなんだけど」
「ふぅん、まぁよろしくね。私のことはマギと呼んで」
「名前なんて無い、どうしても呼びたいなら黒兎と呼べ」

 見た目とは違い、愛想のない返事にマギは苦笑いを浮かべた。その会話を聞いていて、シャルルは少し考え込む。

「でも名前がないと不便よね。イタリスに戻った後とか困りそうだし、何か付けてあげよっか?」
「別に好きにすればいい」

 あまり興味のなさそうな黒兎だったが、耳がピコピコと動いている。シャルルが何か良い名がないかと思案していると、マギが若干皮肉を込めて提案する。

「名前がない黒兎……それじゃ、名無しの黒兎ネームレス・ブラックラビットね」
名無しネームレス……悪くない」
「えっ!? それでいいの?」

 満更でもない様子の黒兎に、シャルルは驚いて声を荒げる。そこに船尾甲板のハンサムからマギを呼ぶ声が聞こえてきた。

「お~い、マギ! こっちにも治癒術を掛けてくれっ!」
「え~……ハンサムなら唾でも付けとけば治るんじゃない? 舐めてあげよっか?」
「治るかっ!」

 ハンサムも怒鳴っているが、マギが本気で言っているわけではないことはわかっている。彼女はカラカラと笑いながら、ハンサムのもとへ治療に向かうのだった。

◇◇◆◇◇

 マギが適当に付けた名前を気に入った様子の黒兎を、何とか説き伏せたシャルルは念押しでもう一度その名を復唱する。

「良い? ネムレ・ブラックラビットよ。名乗るなら、そう名乗りなさい」
「ネムレ・ブラックラビット。さっきの方が洒落が利いてるけど……まぁ別に何でもいい」

 やや不服そうだが、名前が出来たことを自体は嬉しそうだ。

「そう言えば、お前の名前もちゃんと聞いてなかった」
「そうだっけ? シャルルよ、シャルル・シーロード」
「シャルル……ネムレの方が格好良い」

 鼻を鳴らしながら胸を張るネムレに、シャルルは少し呆れた様子で微笑んだ。そんな話をしていると、見張り台から報告が飛んでくる。

「正面からアルバトロス号が接近中にゃ~、接舷を求める旗を掲げてるにゃ」
「ナーシャには悪いけど、接舷なんてしてる暇はないわ。なるべく早くイタリスに向かわないといけないんだから」

 シャルルは少し考えたあと、ネムレと共にチャートルームに向かった。そこで紙とペンを用意すると、アナスタジアに伝えないといけないことを手早く書いていく。書き終えると矢文のために弓矢を探し始めた。

「弓はあんまり得意じゃないんだけどなぁ」
「それをあの船に届ければいいのか?」
「まぁそうだけど、ひょっとして弓得意なの?」
「そんなもの撃ったことない」

 抑揚のない返答に肩透かしを食らったシャルルは、ガクッと膝を落とす。しかしネムレは手紙を寄越すように手を差し伸べた。

「向こうの船に届けばいいんだろ、貸せ」
「うん、でも本当に大丈夫?」
「余裕……これ貰うよ」

 ネムレはテーブルの上に置いてあったペーパーナイフを拾い上げて、手紙をそれに括りつける。そして舷側まで出ると、丁度アルバトロス号の横を通り過ぎようとしていた。アルバトロス号の甲板からは、アナスタジアが手を振っている。

「おねーさまー!」
「ナーシャ、ごめん! ちょっと急いでるの」
「あの子に届ければいいの?」
「うん……って!?」

 シャルルが返事をした瞬間、ネムレは大きく振りかぶっていた。そしてシャルルが止める間もなく、先程のペーパーナイフをアナスタジアに向かって投げつけた。

「きゃぁ!?」

 ネムレが投げたペーパーナイフは、アナスタジアが立っていた船縁に寸分違わぬ精度で突き刺さった。アナスタジアは驚いて後ろに転んでいた。

「凄い……でも、人に向かってナイフを投げちゃダメでしょ!」
「シャルルが届けろって言ったんだろ?」
「まったく、もう……ナーシャ! 訳はそれに書いといたから読んでおいて! またイタリスで会いましょう!」

 そしてホワイトラビット号は止まらずにアルバトロス号の横を通りすぎ、一路公都イタリスを目指すのだった。
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