その白兎は大海原を跳ねる

ペケさん

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第44話「戦利品」

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 いくら当てる気がない砲弾であっても、飛んでくる弾は怖いものだ。時々船の近くに着水して甲板が大きく揺れる。それでもホワイトラビット号は針路を変更することはなく、艦隊に向かって直進していた。

 しかし砲撃の音に驚いたカイルが、厨房から飛び出てきた。

「せ……船長さん、何事ですか?」
「そこの船と遊ぶことになったのよ。ちょっと揺れるだけだから安心して」
「そうなんですか? なんかバンバン撃ってきてますけど」
「大丈夫だって、君は心配性だな~……面舵一杯! フォアマスト、風を抜け!」

 不安そうなカイルの頭を撫でながらも、的確に指示を出していくシャルル。前方の帆を調整して風を抜くと、流れされるように右側に旋回を開始する。その瞬間、旋回前の進行方向に着弾し大きな水柱を打ち立てた。

「戻せっ! あはは、今のはちょっと危なかったね」
「あははじゃないぜ、姫さん。だいぶ近付いてきたがどうするんだ? 旗艦と右舷の船の間か? それとも逆か?」

 笑って誤魔化すシャルルに、ハンサムは呆れた様子で尋ねてきた。

 現在東南東から西に向かって風が吹いており、ホワイトラビット号は近衛艦隊の旗艦に向かって進んでいる。艦隊は旗艦を中心に前後を挟むように戦列を組んでおり、前も後ろも抜けれないようにピッタリと距離を維持していた。

「さすが近衛艦隊、これだけ密集しておいて接触すらしそうもないわ」
「ふむ、なかなかの練度ですな」

 ヴァル爺も感心した様子で頷いている。シャルルは少し考えながら艦隊を見つめて指示を飛ばす。

「そうだね……それじゃ後ろを抜こう! 模擬戦だし多少接触しても大丈夫でしょ」
「後ろだな、了解だ」

 ハンサムは指示を聞き逃さないように集中すると、舵を握る手に力を込める。このまま直進すれば近衛艦隊側も、致命的な損傷を受ける体当たりラムアタックを警戒して、砲撃を当ててくる可能性が高い。模擬戦とは言え、やりすぎは禁物なのだ。

「取舵七度!」

 事前に話して方向とは逆方向の指示だが、ハンサムが即座に反応して舵を調整する。ホワイトラビット号の針路はやや左に傾き、接近しながら艦隊と併走する形になる。

◇◇◆◇◇

 海賊船に艤装中の近衛艦隊 ――

 艦隊と併走する形に舵を切ったホワイトラビット号に、コッラデッティ提督は目を細めた。砲戦に持ち込むなら併走するのも頷けるが、ホワイトラビット号は砲門を開けてなかったのだ。そもそも砲門らしいものが見当たらず、甲板にも砲台が置いてなかった。

「なぜ併走する? このまま艦隊の後ろを抜けてくれれば良いものを……」

 提督の目論見としては砲撃を躱しつつ、艦隊の後方を抜けてイタリスに向かって貰えれば問題なかった。船足あしが違うのだ、逃げてくれさえすれば追い付けない言い訳もつく。そうすれば、こんな茶番も終ると思っていたのだ。

 しかし、提督は海賊というものを理解してなかった。シャルルは理知的な人物だが海賊なのだ。例え相手が軍であっても、売られた喧嘩は買うのが海賊である。

 提督やシャルルの思惑を他所に、近付いてきたホワイトラビット号を望遠鏡で覗き込みシャルルの姿を確認したアナスタジアが、黄色い声を上げながら騒いでいる。

「きゃー、お姉さまだわ! お姉さま、いつもても凛々しいですわ!」
「アナスタジア様、はしたないですよ!」

 侍女のベッラも窘めるが、アナスタジアは興奮さめやらぬ感じである。そんな時、見張り台から報告が飛んできた。

「提督、海賊船が転舵、北に舵を切りました! 艦隊後方を抜けるつもりのようです」
「やっとか……よし、面舵一杯! 僚艦にも合わせるように伝えよ」
「はっ!」

 提督の号令のもと、近衛艦隊は右旋回を開始した。再び風下に落ちることになるが、軍艦のサイズでは上手回し風上方向に動けば、裏帆を打って船足あしが止まってしまうかもしれない。艦隊としては舷側を変更して右舷から砲撃するのがセオリーなのだ。

 しかし、その途中で慌てた様子の見張りが声を荒げた。

「海賊船、転舵! 本艦の後方に突っ込んできますっ!」
「なにぃ!?」

 驚いた提督が左舷後方を見ると、転舵したホワイトラビット号が迫ってきていたのだった。

◇◇◆◇◇

 ホワイトラビット号 ――

 後方に抜けると見せかけてから再び転舵したホワイトラビット号は、相手の旗艦と後続の僚艦の間に向かって進んでいた。相手の艦隊は右旋回中なため、僅かに艦と艦の間に乱れが生じている。しかし、それでも船が抜けるには狭すぎる道だった。

「うわっ!? あそこを抜けるなんて無理ですよ!」

 迫ってくる相手艦に驚いてカイルが叫ぶ。このまま無理に抜けようとすれば、ホワイトラビット号の横腹に後続艦が突っ込む形になる。

「取舵一杯、フォア、メイン、裏打たせ! けつを回せっ!」
「ニャー!」

 舵を回しつつフォアマストとメインマストの帆を裏打たせる。船首側が減速したことで艫が流れてホワイトラビット号が曲芸のように左方向へ急速に旋回を開始した。そして流れた船尾は後続艦の船首に接触した。

 後続艦も避けるために舵を切っていたため、両船の損害はないだろうが、甲板には大きな衝撃が走った。

「うわぁぁぁ!?」
「危ないから、捕まってて!」

 シャルルはそう言うとカイルを抱き寄せて、自分の腰にしがみ付かせる。船首を横殴りされたのとホワイトラビット号を重ねられたことで、風上を完全に押さえられた後続艦は行き足を失い失速する。

「適帆! 敵旗艦に右舷後方に接舷するよ!」
「おいおい、マジかよ? 乗り込むつもりか?」
「わたしだけね。ちょっと挨拶してくるだけだから、すぐに離脱できるように魔導航行の準備をしといて」
「了解だ」

 風に対して帆を合わせたホワイトラビット号は再び進み始め、相手の旗艦の後方に取り付いた。シャルルは抱き付いているカイルの頭を撫でるとニッコリと微笑む。

「それじゃ、ちょっと行ってくるね」
「は……はい、気をつけてくださいね!」

 シャルルは船尾甲板から飛び降りて、一気に船首に向かって駆け出す。そして船首から旗艦の船尾に乗り込んでいくのだった。

◇◇◆◇◇

 近衛艦隊旗艦 船尾甲板 ――

 まさか乗り込んでくるとは思ってなかった海兵たちは混乱していた。それでも反射的にアナスタジアを守るために武器を抜いて周りと堅めており、よく訓練された海兵であるのが窺える。

 シャルルは敢えて武器を持たずに彼らに近付いていくと、海兵の一人が斬りかかろうと前に出た。そこに提督の声が響き渡る。

「やめろ、武器を下ろせ!」
「し……しかし、提督!」
「この方は殿下のお知り合いだ」

 シャルルはニッコリと微笑むと、帽子を脱いで提督に会釈をする。

「話がわかる人が居てよかったわ。わたしはキャプテンシャルルよ」
「私はジャンパオロ・コッラデッティだ。この艦隊を指揮する提督である」

 如何にも軍人然としているコッラデッティ提督にシャルルは微かに笑う。

「もう海賊の真似事はいいの? あと模擬戦はわたしの勝ちってことでいいのかな?」
「貴女の操船は見事なものだ。あくまで模擬戦なのだ、旗艦に乗り込まれてまで戦う必要はないだろう」
「そう……それなら戦利品を貰っていこうかな?」
「戦利品だと?」

 コッラデッティ提督が首を傾げると、シャルルは海兵たちに守られているアナスタジアを指差した。

「えぇ、ナーシャをいただいていくわ」
「なっ!? そんな要求は受け入れられないっ!」
「安心して、別に危害を加えるつもりはないわ。後ろから撃たれないための保険みたいなものね」
「しかし……!」

 あまりの突飛な要求に提督が更に食い下がろうとすると、アナスタジアは海兵たちを退かせて前に出た。

「その要求受けますわ。わたくし、お姉さまに付いていきます。これは命令よ、提督」

 提督は反論をグッと飲み込む。上位であるアナスタジアの命令だし、彼女が一度決めたことを易々とは変えないことを知っているからだ。アナスタジアは帽子と船長服を脱ぎ捨てると、シャルルの前まで歩き両手を広げる。

「さぁお連れください、お姉さま。わたくしはどこまでも付いていきますわ」
「はぁ……とにかく行きましょうか」

 シャルルはアナスタジアを抱き上げると、お姫様抱っこの状態になった。小柄なこともあり、ドレスの分を差し引けばかなり軽い。彼女を抱き上げたままシャルルが船舷に足に掛けると、後ろから侍女のベッラに呼び止められた。

「お嬢様、私めもお供致します!」
「大丈夫よ、ベッラ。お姉さまが、わたくしを傷つけるわけないわ」
「それは分かっておりますが、お嬢様の側に侍るのが侍女の役目ですから」

 強い意思を感じたシャルルは、少し呆れた様子で答える。

「付いて来れるなら、どうぞ。さすがに二人は抱えられないわよ」
「大丈夫です。私、風魔法が得意なので!」
「そう? じゃ、行きましょ!」

 シャルルはそう言いながらホワイトラビット号の甲板に飛び降り、ベッラも同じように飛び降りるのだった。
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