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臆病者ゴートゥヘル(3)
しおりを挟む四時間目、体育。
僕はまたため息を吐く。
体育は大っ嫌いだ。個人的に要らないと思う科目の最上位だ。青少年の体力造成だか何だかの理由で必要らしいことは理解しているが、苦手であることに変わりはない。
一部の男子にとってはボーナスタイムだろう。しかし実際にそうなのは体力馬鹿どもだけである。僕みたいなもやしにはただの地獄なのである。
準備運動で早々に息を切らす程度、そしてテニスのボールを一切打ち返せない程度の運動神経な僕には、体育なんて地獄なのである。
「シキ、シキってどうしてこんなに運動音痴なの?」
「それは僕が来宮シキだからだ……あっ」
また振るったラケットの横をテニスボールがすり抜けていく。一切掠ることすらなく。
たいていのことにおいてラリーがうまくいかないのはもはや僕の特性と言えるのかもしれない。テニスも、卓球も、バトミントンも……そして会話も、なにもうまくいったためしはないのである。
「なら、教えてあげようか?」
結構かっこいい男声が僕に話しかけた。わずかに胸がキュンとして……まずい、心まで女子に染まりかかってんじゃねぇ!
傾きかかった心を振り払うように声のした方向に振り返ると、そこには巨大タコがいた。
「タァーコタコタコ。僕はオクトパース。魚介人類だよ。キミが精霊と人間の融合した女の子かい? どうかな、僕のところに来てくれる気にはなったかい? タコ? そうか、そんな気は一切ないんだね。やっぱりだ。僕は」
「うるせえよ!」
オタク特有の早口を気持ち悪いほどのイケボで告げる巨大タコ。なんだこのカオス。
しかし、いままでとは状況が違っていた。
「キャァァァァァ! なにこの……なにこれ!!」
「生理的に嫌悪感なんですけど!!」
「触手が……触手あああああ!!」
体育は男女別で行われている。そして僕は女子である。心はほぼ男だが女子である。
故に、この場には女子しかいない。
「ウォ? 人間のメス……若いメス……何故か、腕で巻き取ってしまいたい……」
このタコは性癖が歪んでいたらしい。無駄すぎるイケボで気持ちの悪い文言を口走って。
「イヤァァァァァァ!!!!!」
誰かが全力で悲鳴を上げた。というか僕もさすがにこれには悪寒を隠し切れなかった。
「ちょ、みんな逃げよ? せんせー呼んでこよう!?」
「いやアレ先生たちの手にも負えなくない? 多分人知超えちゃってる系じゃね?」
「やばやばやばこんなのやばたにえんじゃん」
言ってることは実際に正しいのである。あれは人知を超えてる。人間の手には負えないし、逃げたほうがいいのは確かだ。やばたにえん。
そんな少女たちの悲鳴を聞いて、そのタコのような怪物はニタァ……と気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「ふふ、そこの君かわいいねぇ……」
そう言って、誰も動けない僕たちの中で何故か一人この騒動にも気付かずに壁打ちをやっていた白い髪の女の子に触手を伸ばした。
「し、霜田さん!?」
さっき現代文ですごい演説してた子だ。
その触手はその小さな体をつかみ上げ、縛り上げ――。
「人間から出ちゃいけない音がしてる……」
クラスメイトのその言葉が、一番正しかった。
静まり返った空間。小さな少女の壊れる音と、誰かのすすり泣く声。生徒たちは跪いて誰も動けず、その空間はただただ静まり返っていた。
いつも僕を突き動かす彼女さえも、目の前で命が奪われる光景にただ茫然としていて。
ああ、怖い。この子が死んでしまえば、次にやられるのは僕かもしれない。
いや、僕はいい。次はハルかもしれない。ほかの誰かかもしれない。
体をへし折られている少女。その首がぼとりと落ちて、また悲鳴が上がる。
その光の失せた瞳は、微かに僕を見た、ような気がした。
自分は死んでいないと。早く自分を助けるんだと。あなたにはその力があるのだろうと。
思い込みだろう。怪物を倒せる力を持つのはこの場には自分しかいないということを知るのは、きっとハルと僕だけだから。まして、首を失って動ける人間なんて知らない。人間じゃない可能性は……ひとまず置いておくとして。
その挑戦的な目に答えてやろう。本当に生きてたのなら、それはまた面白いことだ。
僕は立ち上がった。そして、深く息を吸って。
「ヴァルキリー・スクルド」
光が爆ぜた。
「その子を……放せェェェッ!」
光の粒子の中から出てきた僕は、すぐさま巨大な出刃包丁を現出させる。その太い触手を断ち切るために。
もはや有無を言わせない。
宙を舞い、邪魔をする触手をありえないほどの切れ味で以て断ち切る。
「ヒィッ!?」
恐怖するタコの姿を横目に、最後の触手――霜田さんの体を縛っていた触手を切り落とす。
どさりと落ちた触手。地面に降りて触手をほどく。……見るも無残な姿だ。詳しい描写は避けるが、目を背けたくなった。合掌。
斬られたタコの足からは一気に青い血が噴き出す。
包丁にもついたそれをさっと振り払い。
「一気に片を付ける。……友達には、一切手を触れさせない」
口にしたその言葉。僕の決意。
向けられた視線に恥じぬように、僕は駆けた。
駆けて、飛翔。腕を動かせなくなったタコの頂上に、かかと落とし。
そのまま、出刃包丁を突き刺し――
「タコォ……こんなの、あんまりだよ……」
泣き声が聞こえたのも一瞬。
「き……え、ろッ……!」
躊躇を振り払い。
ピンク色の閃光が、爆裂した。タコの身体を巻き込んで。
跡形もなく消滅したタコ。砂埃の舞うそこに、僕は佇み振り返る。
被害はないようだ。……一人の犠牲を除いて。
否、その一人の犠牲者はいつのまにか少女たちの中に混ざって、ただ一人立っていた。
「ど、どういう――」
白い髪の少女。その人外は、ただただ何も言わずに僕を見つめていた。
「えっと……来宮さん、でいいのかな」
そんなところに、クラスメイトの一人がおずおずと話しかけてきた。
「なに?」
「その服、可愛いなって」
「……あっ」
ピンク。フリフリ。すごくガーリーで女の子女の子している感じの魔法少女風の衣装。
今まで戦いの高揚感にも似た感覚によって忘れ去られていたこの服の存在。
……冷静になってみると、クッソ恥ずかしいなこれ。
小学生、それも低学年程度までならともかく、高校生にもなってこれははっきり言ってめちゃくちゃ痛い。
僕は一瞬悟る。高校生活、また終わったな……と。
しかし、それが間違いだったこともまたすぐに悟ったのである。
「……助けてくれて、ありがと」
「うん。守ってくれて、ありがとうございます!」
「ありがとう! ほら、霜田さんも!」
「……感謝、する」
口々にお礼の言葉を告げる女子高生たち。
悪くない感覚だ。否、うれしいという感情なのかもしれない。
感謝されるということがこれほどまでに心地いいことだとは知らなかった。これまで感謝されたことなどなかったのだから。
しかし。
「でも可愛いね……ちょ、この子可愛すぎない?」
「可愛いってか小動物的な?」
「そうそう、猫ちゃんみたいな!」
「霜田ちゃんに続くマスコット枠決定??」
「うわわわわ……」
またもみくちゃにされるのだった。変身を解除させてくれる暇もなく。
ああもう恥ずかしい! もう忘れてくれ!!
一瞬、ツンと耳鳴りがした。
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