あさおねっ ~朝起きたらおねしょ幼女になっていた件~

沼米 さくら

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なのかめ ~そして、ふたりは。

崩壊

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「あおいおねーたん。……どーしたの?」
 舌足らずなしゃべり方で、目の前の少女は言った。幼女の姿をした俺に向かって。
「……うそ、だよね。お、おれのこと、わかる!?」
 俺は叫ぶ。しかし。
「えへへ。わかるもん。あおいおねーたんは、あおいおねーたん!」
 あおい? おねーたん? そんな言葉は知らない。
 ……昨日見た幻覚。白昼夢。その中で遊んでいた少女。見知らぬ女の子は、俺の姿をしていた。そして、その少女は「あおい」と呼ばれていた。
 あの夢の中の、三歳くらいの幼い妹と、目の前で目を丸くした少女。確信めいた嫌な予感が背筋を寒くする。
「…………るり、いまなんさいだっけ?」
 その答えは、あまりにも予想通りだった。
 嫌な予感が、確信に変わった。

「るりちゃんはさんさいだよ? まだおむつのとれない、あかちゃんなるりちゃんなのー」

 ――赤ちゃんというには大きすぎる、大人に近づく発展途上の身体を持った少女は、えへへっと笑いながらそう言った。

**********

「え……るり……?」
「うん、るりちゃんだよぉ。しらないおねえちゃん」
 リビング。キョトンとした顔で瑠璃は、泣きそうな顔をした珊瑚を見つめる。
「……わたし、珊瑚だよ?」
「さんごちゃんはこんなにおっきくないもん! あ、もしかしてさんごちゃんの……おねぇちゃん?」
 朝、着替えさせてもらうためにきたリビング。ついてきた瑠璃と、先に起きていたらしい珊瑚ちゃんが遭遇してしまったのである。
「なるほど、記憶も幼いころに戻ってしまったようだな……。困ったことになった」
 しれっと食卓で牛乳を飲んでいた九条先生が呟く。
 しかし、そのあと。
「おはようございま……わわっ」
 起きてきた翡翠さんに、瑠璃は抱きつき。
「ひすいねーねっ」
 はっきりと呼んだ。
 ……瑠璃が三歳の時、つまり俺が六歳の時。海外にいた頃か、あるいは日本に渡ってきて間もない頃か。少なくとも、その時には翡翠さんとは知り合ってない。というか、一週間近く前にニシマツヤに行った時が初対面のはずだ。
 それ、すなわち。
「正確には、色々と混ぜこぜになっちゃっているみたい」
「そうきたか……。一体、どうして……」
 九条先生が首をひねらせ、俺は肩を震わせた。なぜなら。
「……すべては、俺のせいなんです」

 リビングから出たところの廊下、九条先生と珊瑚ちゃんは、俺の夢の中の話を真剣に聞いていた。
 ちなみに、翡翠さんは瑠璃の相手をしてもらっている。というかもうべったりで離れてもくれないらしい。
「育児などのストレスによる防衛機制、それで幼児退行か……。ちくしょう、その手の専門家たる私が、どうしてその可能性に気付けなかったのだろう!」
「まあまあ落ち着いて」
「落ち着いていられるか……まあ、反省はおいておこう」
 深呼吸する先生。珊瑚ちゃんは笑いながら。
「……でも、気持ちはわからなくもないかも。パパもママもいなくなって、頼みの綱だったお兄ちゃんもちっちゃくなって頼れなくなって。それじゃあ、疲れて甘えたくなっても不思議じゃないよ」
 むしろ、るりはがんばってた。
 言いながら、しかしその頬には一筋、涙。一滴二滴と滴り落ちる。
「泣いてるの」
「好きな子に忘れられちゃって、悲しくならないわけないじゃん……」
 そう言って彼女はうつむいた。
「いったい、どうすりゃいいんだよ……」
 悲哀。絶望感。暗い雰囲気が、廊下に満ち。
「二人とも、しっかりしろ! ……前に進まねば、行動しなければ、何も変わりはしないぞ」
 九条先生が、一喝。その時だった。
「みんな、なにしてるのー?」
 何も知らない瑠璃の声とともに、廊下とリビングを隔てるドアがノックされる音が、廊下に響き渡った。
「あおいたんもいっしょにあーそーぼー」
 見たことのない彼女の笑顔。幼く、純粋な「子供」の笑顔。
 それを浮かべたその少女は、もはや自分の妹とは思えないほどに可愛らしかった。
 幸せそうな顔。脳裏に浮かぶ彼女は、どこか無理をしているような気がしていた。
 ……このまま、戻さなくてもいいかもしれない。
「うん」
 俺は、彼女の笑顔を真似るように笑い顔を作って。
「……おままごと、しよっか」
 提案すると、瑠璃は。
「んっ!」
 首を大きく縦に振った。

「あ、おねぇさんは……ままやく!」
 指さされた珊瑚ちゃんは、戸惑った顔。
「え、自分がおかあさん役やるんじゃなくて……? でわたしがおとうさんとか」
「ままじゃなくって『あかちゃん』がいいのっ! あおいちゃんはおねーちゃんで……あ、ひすいねーねもまま! あ、そこのおばさんはおばあちゃんね」
「なんだと!?」
 ……ああ、なるほど。お母さん役はもうやり飽きてるから……。
 俺は一人で納得した。
 お母さんが二人なのは……たぶん、幼児特有の自由な発想なのかな。
「じゃあ、はじめよ! あおいおねーちゃん!」
 振りまくその笑顔はあまりにもまぶしすぎて、俺はつい目を背けた。
 そのうち、おままごとが始まる。と、その前に「ママ」役の翡翠さんと珊瑚ちゃんが瑠璃のおむつを替える。
 むわっとした、どこか甘みを伴うような臭気。それはここ数日で嗅ぎなれてしまった彼女の臭い。
 だがしかし赤ちゃんのように笑顔を振りまくその少女は、あまりにも『彼女』らしくなくて……
「あら、そうちゃ……あおいちゃんもおむつ?」
「……んえ?」
 いつの間にか出ていたらしい。翡翠さんに指摘され、多少の恥ずかしさで顔面が熱くなり。
「あおいちゃんのおかお、まっかっかー!」
「……」
 にっこりとした笑顔で、高く甘えたような声で、瑠璃は俺を幼稚にからかった。
 ……胸が締め付けられるようだった。目の前の少女はもはや別人になってしまったのである。
「あおいちゃん、どっかいたいの? いたいのいたいの、とんでけー」
 その言葉は、頬を濡らす俺に対するあまりに純粋な好意で。しかし、何の対策にもなってないことは、誰の目から見ても……本人から見てもわかるはずなのに、何度も何度も繰り返して。
 瑠璃なら、きっとこんなことはしない。賢くて生真面目で頑張り屋さんな彼女なら、すぐに何か対策をするはず。
 目の前の、自分の妹の姿をした紛い物を、にじんだ視界でぐっと睨みつけ――

『落ち着いて! 必ず、元に戻せるはずよ。……この子の目を覚ませるのは、蒼にぃだけなんだから……』

 幻聴。喉元まで出かかった怒りを飲み込んで、深呼吸。
「おい、どうしたんだ……?」
 九条先生はいよいよ心配そうに俺に声をかけ、しかし。
「ありがとね、るり……ちゃん。おかげでなおったから、だいじょうぶ」
 俺が微笑むと、瑠璃は花を咲かせたような笑みを浮かべた。
 もはやどうすればいいのかわからない。最適解は、正解は。
 どうすれば、みんなが幸せになるのか。考えろ。考えるんだ。
 胸が締め付けられるような苦悩をなるべく出さないようにして、俺は「お姉ちゃん」を演じるのであった。
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