記憶の中に眠る愛

吉華(きっか)

文字の大きさ
上 下
19 / 24
第四章

それはどちらも、愛ゆえに②

しおりを挟む
(母さんは事故死じゃなかった。忘れていたのは、父さんのせいだった)
 告げられた事実に眩暈がしてくる。今の今までずっと信じてきた事が真実ではなかった、真実と思っていた事がまやかしだった……こつこつと培ってきたものが崩れ落ちる瞬間というのは、こんな感じなのだろうか。
「事……事故死じゃないなら、私の母さんは、どうして」
「……ごめん、俺も両親から聞いた概要しか知らないんだ。確かに、事故と言えなくもないと思うし衝動的なものだったんだろうけど、それでも、罪は罪だ」
 そこで一旦言葉を切った雪人さんは、もう一度私の体を抱え直した。体に直に触れる体温を以てしても、逸る鼓動は収まらなかったけれど。
「……母さんは、何かの事件に巻き込まれたという事ですか?」
「そうなるね。春妃のお母さんは……」
「母さんは?」
「……春妃を誘拐しようとした犯人によって殺されたと、聞いているよ」
 聞こえてきた甲高い叫び声は、自分の口から発せられたものだった。雪人さんが抱き締める腕の強さを強めてくれたけど、溢れる嗚咽は止まらない。
「そんな、そんな。それなら、母さんは、わた、わたしの、せいで」
「違う。それは、断じて違う」
「だけど、かあさんは、とうさんは、いつだって私に周りに気を付けるようにって言ってた。それを、わたしは、やぶったんじゃないの? だから」
「違うよ。研究所の庭の中で遊んでいた春妃を、犯人が正面から押し入って連れて行こうとしたらしいんだ。それで、春妃の悲鳴に気づいたお母さんが駆け付けて、娘を返してって言って犯人に縋り付いた瞬間渾身の力で突き飛ばされたって」
「それなら、わたしが悲鳴を上げたせいだ!」
「違う! 春妃のお母さんは、ご自身の額を切っても、青あざが出来ても、それでも返せって言って揉み合いになって犯人の顔をはっきり見たからだ! だから、犯人は春妃を置いて逃げようとした際に、警察への通報や逮捕を恐れて、春妃のお母さんを」
「いやあああああああ!」
 それ以上聞いていられなくて、今度は自分の意志で叫び声を上げた。もうやめて、言わないで、ごめんなさい、母さん、どうして……脈絡のない言葉が、浮かんだ端から消えて、消えた端から浮かんでいく。
「春妃! そこにいるのか!?」
 混乱を極めていた頭の中に、聞き慣れた声が響き渡った。どうして、ここに来られたのだろうか。分からないけれど、でも、少しだけ言葉の海に溺れそうになっていたのから意識が救い上げられる。
「父さん!? どうしてここが!?」
「説明は後だ! 今助けるから!」
「……させるか!」
 唸るように叫んだ雪人さんが、私を離して布団の中から出て行ってしまった。ぽっかり空いた空間が寂しくて、一人は心細くて、彼を追いかけるため私も布団の中から抜け出して彼の元へ行こうとする。
「っ!?」
 薄暗くて温かい布団の中から出て蛍光灯の光を浴びた瞬間、脳裏でちかちかと何かが瞬いた。一瞬の内にたくさんの映像が流れ込んできて、目の前が回るような感覚に立っていられなくなる。
 遠くの方で、大きな物音がした。ばたばたと走る足音が、たくさん聞こえてくる。
「春妃、もう大丈夫だ! さあ、これを」
「だめだ! 飲んじゃいけない! もう飲まなくても大丈夫だ!」
「お前は春妃を苦しめたいのか!? 身勝手な欲望に、この子を巻き込むな!」
「あんたに何が分かる! 俺が、どんな、どんな思いで、この十年を過ごしてきたと!」
 二人が争う声が、だんだん遠くなっていった。頭の中に溢れる大量の情報が、私の自我をゆっくりと眠らせていく。これが、いわゆるキャパオーバーってやつだろうか。
「思い出してくれ!」
 薄れゆく意識の中で、彼の叫びだけがくっきりと鮮明に響いた。落ちかけていた意識が、少しだけ現実に引き戻される。
「思い出したせいで戻ってきた恐怖は、トラウマは、乗り越えられるように俺がずっと一緒にいるから!」
 ずっと一緒にいてくれるの? 私は、あなたの事を、欠片も覚えていなかった大罪人なのに?
「だから、もう一度、僕の事を……僕が好きだったって、お互い好きだったって、僕らは両想いの恋人同士だったって思い出してくれ!」
 愛する人の絶叫がこだました。愛するあなたが、こんなにも悲痛な様子で願いを叫んでいる。ああ、そうだ……あの時もあなたは泣いていたから。だから、励ましたくて、笑ってほしくて、縁が途切れないように、紙に想いを綴って贈り合おうと、やくそくした。
 そんな約束を思い出した瞬間、ぱしんと軽快な音が鳴り響いて、すべてすべてが戻ってきた。初めて会った時の緊張したような面持ちも、自分よりも年下の女の子の相手をどうすればいいのかと戸惑っていたような顔も、笑って見せたら笑い返してくれた初めての笑顔も、この人のそばにいたいと強く強く願ったことも。
「……ゆきひとさん」
 これだけは、あなたに伝えたくて。必死に声を絞り出して、心と記憶をずっと大事に持っていてくれていたあなたの名前を呼んだ。
「春妃?」
「ゆきひとさん、どこ?」
「ここにいるよ」
 霞んでいる視界の中に貴方を探す。ぼんやりとした影しか分からなかったけれど、私の手を握ってくれている温かさは、間違いなく彼のものだ。
「ゆきひとさん」
 そっと彼の手を解いて、彼の顔に触れた。少しだけ熱くなった頬をこちらにぐっと引き寄せて、その中心辺りに唇で触れる。
「え、あ、春妃!?」
「……ずっと忘れていて、ごめんなさい」
 視界に鮮やかな赤が映ったのと意識の限界が来たのは、同時だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら

夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。  それは極度の面食いということ。  そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。 「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ! だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」  朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい? 「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」  あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?  それをわたしにつける??  じょ、冗談ですよね──!?!?

もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~

泉南佳那
恋愛
 イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!  どうぞお楽しみいただけますように。 〈あらすじ〉  加藤優紀は、現在、25歳の書店員。  東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。  彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。  短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。  そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。  人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。  一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。  玲伊は優紀より4歳年上の29歳。  優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。  店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。    子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。  その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。  そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。  優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。  そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。 「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。  優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。  はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。  そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。  玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。  そんな切ない気持ちを抱えていた。  プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。  書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。  突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。  残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……

地味で根暗で残念ですが、直視できないくらいイケメンで高スペックな憧れの先輩に溺愛されそうなので、全力で逃げています。

藤 慶
恋愛
好きだけど、好かれたいとは思ってない。 何されたって、私は、抱かれたりしないよ?……多分 筋金入りの地味で根暗で残念な女子。石崎 誠は、地味で根暗で残念なオタク系女子。 そんな彼女が想いを寄せる人。 冬野 由貴は、すれ違うと立ち止まる位秀麗な容姿で、仕事も出来て、友達も多くて、絵に描いた様な好青年系男子。 二人は、同じ会社の営業部で、まるでモブと王子様のようでした。 モブは、ずっと王子様の事が好きでしたが、極度の面倒臭がりで、王子様を好きな事をずっと隠して生きて来ました。 王子様は、生まれて初めて好きになった女性がモブでしたが、自分から女性に告白した事のない彼は、モブに好きと言う以外何も出来ずにいました。 そんな二人は、同じ会社に3年勤めていたのですが、ある日、王子様は会社を辞めてしまいモブと王子様は会社と言う唯一の接点を失ってしまいました。 もう、二度と会うことがないなら、いっそのこと『無かった事にしてしまえば良い』。 モブは、潔く王子様の事をあきらめて、一生地味で根暗で残念な一生を送りました。 モブは、みんなの前でそう語りました。 「これは、これでめでたしめでたしだよ」 満面の笑みで、一縷の迷いもなく、それはそれは、晴れやかな表情でした。 「ばっかじゃないの。姉ちゃん」 モブは、妹に叱られました。 妹は、王子様がモブの事が好きだとわかっていたからです。 そして、我が姉だけに、彼女の考える事が手に取る様に分かるのです。 モブが王子様と面倒臭さを天秤にかけて、面号臭さが勝ったんだと思い、ドン引きでした。 「えっ、石崎さん。正気ですか?なんで告白しないんですか?」 モブは、新人教育をした後輩女性社員に突っ込まれました。 後輩は、王子様がモブに会いたくて、毎日彼女のデスクに通っていうと思っていたからです。 この人、変り者だと思っていたけど、誰かハリセン持ってきて!!と、息をのみました 「ふ~ん。じゃぁ、次は僕との事をちゃんとしてくれますか?  酔っ払って僕に何したと思ってるんですか。あいつ、あきらめるんなら、責任取って僕と付き合って貰いますからね」 モブは、唯一仲の良い、男性後輩社員と人には言えない秘密の過去がありました。 彼はモブが王子様を好きな事を唯一知る人間でした。 一目惚れで好きになったモブに初対面で、王子様が好きな事を告白され、モブが王子様を好きな事を知りました。 告白とは、好きな相手にするもので、自分を好きな別な相手にするものではない。 彼は、その時そう思っても、口には出せませんでした。 この物語は、変わり者のモブが、王子様から全力で逃げる。強制シンデレラストーリー全力回避系ラブストーリーです。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

【完結】その男『D』につき~初恋男は独占欲を拗らせる~

蓮美ちま
恋愛
最低最悪な初対面だった。 職場の同僚だろうと人妻ナースだろうと、誘われればおいしく頂いてきた来る者拒まずでお馴染みのチャラ男。 私はこんな人と絶対に関わりたくない! 独占欲が人一倍強く、それで何度も過去に恋を失ってきた私が今必死に探し求めているもの。 それは……『Dの男』 あの男と真逆の、未経験の人。 少しでも私を好きなら、もう私に構わないで。 私が探しているのはあなたじゃない。 私は誰かの『唯一』になりたいの……。

処理中です...