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第四話 それぞれの今の事
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今年も元気に育ったラベンダーの鉢植えと向かい合い、愛用のはさみを手に取る。そして、まずは土に近い傷んだ枝や古い枝を切っていった。ある程度切り終えたところで一旦手を止め、今度は新芽の位置を確認しつつ慎重に枝を切り落としていく。
「それにしても、随分立派なラベンダーですね」
切り落とした枝や葉を拾って片づけてくれているローヌが、感心したように呟いた。この子は私が手塩にかけて育てている自慢のラベンダーだ。褒めてもらえるのは嬉しい。
「ハーブ栽培を始めた頃に育て始めた子だから、数年物なのよね。初代は枯らしてしまったから、二代目ではあるのだけど」
「それでも大したものですよ。つぼみは収穫されましたか?」
「ええ。ハンドクリームを作ったりポプリにしたりお茶にして飲んだりで、四分の一くらいは使ったかしら」
私達が暮らしていた村は寒さが厳しかったので、冬場は乾燥や手荒れに悩まされる事が多かった。だから、私がハーブを育て始めてからは毎年ハンドクリームを自作していたのだ。私用にラベンダー、シトロン用にカモミール、ガレット用にカレンデュラの三種類を作っていて……ガレットやシトロンが水回りの仕事の後や寝る前に使ってくれているのを見る度に、嬉しくて顔がにやけていた。
「以前も鉢植え栽培のみでしたか? 専用の花壇等は?」
「直植えの花壇も憧れたけれど、敷地がなかったから出来なかったの。鉢植えなら大丈夫だったから、私の部屋には所狭しと鉢植えが並んでいたわ」
「それらは持参されなかったのですか?」
「うん。食材や香辛料として使えるものも多かったから、置いていった方が二人のためになるかなって思ってね。でも、この子は思い入れが強かったからここまで持って来ちゃった」
剪定したばかりの枝を撫でながら、彼女の質問に答えていく。粗方片付け終えたらしいローヌは、少し考える素振りを見せた後でおもむろに口を開いた。
「少し前に、うちの庭師達が中庭の花壇をどうしようかって話していたのを聞いた事があるんです」
「ここの?」
「はい。水はけも日当たりも良いから活用したいけれど、他の花壇に比べると小さいから何を植えたものかと困ったように言っていて……もし、庭師達がまだ迷って決めかねているならば、いっそエクレール様のハーブガーデンにして頂くのも良いのかなと」
「……それはすごく魅力的な話だけれども、良いのかしら」
果たして、ノワール様が許して下さるだろうか。許して下さったとして、貴族としてのリトレーニングを頑張らないといけない私に、そんな余裕と資格があるのだろうか。
「お伝えするだけはしてみます。活用されないままの花壇も勿体ないですから」
「それはそうね。ありがとう」
そんな会話をしていたら、こんこんとドアをノックする音が聞こえてきた。どうぞと返事をすると、ブランが一礼して入ってくる。
「ウエディングドレスを作る仕立て屋が到着しましたので、呼びに参りました」
「ありがとう。はさみを片づけてくるわね」
「ノワール様はまだ執務中ですので、多少遅くなっても大丈夫ですよ……へぇ、これがエクレール様のラベンダーですか」
はさみの手入れをしていると、ブランが興味深げに私のラベンダーを眺めていた。もしかして、植物やハーブに興味があるのだろうか。
「私が手塩にかけて育てている、数年物のラベンダーよ。今年も質の良いつぼみを沢山取らせてくれたから、綺麗にしてあげて来年に備えるの」
「なるほど」
はさみを保管用の袋の中にしまい、道具を並べている棚に片づける。剪定のために移動していたラベンダーを窓際に戻した後で、ブランの後についていった。
***
「ノワール様? どうなさいました?」
仕立て屋との打ち合わせを終えて、彼女達を見送った後で。傍らにいらっしゃるノワール様からの視線を感じたのでそう尋ねてみた。
「いや……相変わらず決断が早いなと。前もそうではあったが、今回は一生に一度の事だから、もう少し悩むかと思っていたんだ」
「そういう事ですか。でも、彼女達が持ってきてくれた布のサンプルは良い物ばかりでしたし……結婚願望のある女性ならば、大なり小なり自分が着たいウエディングドレス像と言うものは持ち合わせておりますから」
「そうか? 義姉上は希望のドレスというのがこれといって無かったから、選ぶ際に難航したと聞いているぞ」
「ノワール様の義姉上という事は王太子妃様ですよね? それならば、王家の威信とか伝統を考えないといけないでしょうから、選ぶのは難航すると思います……本当は御希望があったのだとしても、その通りに出来ない可能性も十分あるでしょうし」
「どうだろうな……父上は色々と口出しをしてきたらしいが、母上を始めとした王妃方が結託して突っぱね、義姉上に選ぶよう進言したと聞いているんだ」
「そうでしたか。相変わらず、王妃様方は仲が良いのですね」
近隣国でも王家の血を絶やさないよう国王が正妃の他に側妃を娶る文化があるが、この国でも存在する。過去には十数人の妃を抱えていた好色な王もいたらしいが、ノワール様の父親である現国王の妃は正妃一人に側妃二人の三人体制だ。巷でよく聞く、王の寵愛を求めて泥沼の関係に……みたいなものも無く三人仲良くされているので、私は三人全員を心から尊敬している。私なら、ノワール様に自分以外の妻が出来る……だなんて、必要があったのだとしても絶対に耐えられないだろう。
「本人達や子供同士は仲が良いが、周りが相変わらずだ。母上も、三人だから均衡が取れて仲良く出来ているのだろうと言っていた」
「……いつの世も、野心というのは面倒なものですね」
公爵家出身でノワール様と第三王子様の母である正妃様、商家出身で王太子様と第二王女様の母である第二妃様、伯爵家出身で第一王女様と第三王女様の母である第三妃様。確かに、誰か一人いなくなって二人になれば、対立構図になるからそれぞれの実家が暴走する可能性がある。三人が仲良くしているのは、単純に気が合う部分もあるのだろうが、実家を抑えるためというのもあるのだろう。
「そうだな。だから、もうエクレールを探さない方が良いのかもしれない、陰謀渦巻く貴族社会に連れ戻さない方が良いのかもしれないと、思う事もあったが……」
そこで言葉を切ったノワール様が、私の方へ腕を伸ばした。抵抗する事無く彼を受け止め、背中から抱き締められる体勢になる。
「それでも諦められなかった。俺の隣にいるのはエクレールが良かった。エクレールだけが良いと思った」
「……ノワール様」
「奴らから、エクレールを絶対に守るから。だから、これから一生、俺の唯一の妻で居てほしい」
熱烈な愛の告白に、感激して足が震えてくる。嬉しい、そこまで想って下さるなんて。守ると言って下さるなんて。
「勿論です。その覚悟がないならば、貴方の隣で一緒に生きていく覚悟がないならば、あの日貴方に付いていくとは言いませんでした」
それだけ答えて、回されている彼の手の上に自分の手を重ねる。軽く握ってみせると、ノワール様がはっと息を呑んだ音が聞こえてきた。
「エクレール」
回されていた腕が、私の両頬を包む。真剣なライムグリーンに視線を縫い留められて、近づく吐息に歓喜して。実に七年ぶりの、彼の熱を受け止めた。
(……ここに来た事を、後悔はしていない。彼の事を愛して信じているから、私も彼の隣で彼の事を守って支えたい)
何をしていても時間は平等に過ぎていくものだから、自分で決められる事は後悔のないように決断している。決断のための自分なりの軸があるから、私は決断そのものが早いのだろう。だから、彼に告げた言葉も彼への愛情も心からの本心で、それに従ってここにいる事を決めたのだから、迷いようがない筈なのだ。
それなのに。
今も胸の内に燻っている、言いようのない不安は。
一体、何なのだろう。
「それにしても、随分立派なラベンダーですね」
切り落とした枝や葉を拾って片づけてくれているローヌが、感心したように呟いた。この子は私が手塩にかけて育てている自慢のラベンダーだ。褒めてもらえるのは嬉しい。
「ハーブ栽培を始めた頃に育て始めた子だから、数年物なのよね。初代は枯らしてしまったから、二代目ではあるのだけど」
「それでも大したものですよ。つぼみは収穫されましたか?」
「ええ。ハンドクリームを作ったりポプリにしたりお茶にして飲んだりで、四分の一くらいは使ったかしら」
私達が暮らしていた村は寒さが厳しかったので、冬場は乾燥や手荒れに悩まされる事が多かった。だから、私がハーブを育て始めてからは毎年ハンドクリームを自作していたのだ。私用にラベンダー、シトロン用にカモミール、ガレット用にカレンデュラの三種類を作っていて……ガレットやシトロンが水回りの仕事の後や寝る前に使ってくれているのを見る度に、嬉しくて顔がにやけていた。
「以前も鉢植え栽培のみでしたか? 専用の花壇等は?」
「直植えの花壇も憧れたけれど、敷地がなかったから出来なかったの。鉢植えなら大丈夫だったから、私の部屋には所狭しと鉢植えが並んでいたわ」
「それらは持参されなかったのですか?」
「うん。食材や香辛料として使えるものも多かったから、置いていった方が二人のためになるかなって思ってね。でも、この子は思い入れが強かったからここまで持って来ちゃった」
剪定したばかりの枝を撫でながら、彼女の質問に答えていく。粗方片付け終えたらしいローヌは、少し考える素振りを見せた後でおもむろに口を開いた。
「少し前に、うちの庭師達が中庭の花壇をどうしようかって話していたのを聞いた事があるんです」
「ここの?」
「はい。水はけも日当たりも良いから活用したいけれど、他の花壇に比べると小さいから何を植えたものかと困ったように言っていて……もし、庭師達がまだ迷って決めかねているならば、いっそエクレール様のハーブガーデンにして頂くのも良いのかなと」
「……それはすごく魅力的な話だけれども、良いのかしら」
果たして、ノワール様が許して下さるだろうか。許して下さったとして、貴族としてのリトレーニングを頑張らないといけない私に、そんな余裕と資格があるのだろうか。
「お伝えするだけはしてみます。活用されないままの花壇も勿体ないですから」
「それはそうね。ありがとう」
そんな会話をしていたら、こんこんとドアをノックする音が聞こえてきた。どうぞと返事をすると、ブランが一礼して入ってくる。
「ウエディングドレスを作る仕立て屋が到着しましたので、呼びに参りました」
「ありがとう。はさみを片づけてくるわね」
「ノワール様はまだ執務中ですので、多少遅くなっても大丈夫ですよ……へぇ、これがエクレール様のラベンダーですか」
はさみの手入れをしていると、ブランが興味深げに私のラベンダーを眺めていた。もしかして、植物やハーブに興味があるのだろうか。
「私が手塩にかけて育てている、数年物のラベンダーよ。今年も質の良いつぼみを沢山取らせてくれたから、綺麗にしてあげて来年に備えるの」
「なるほど」
はさみを保管用の袋の中にしまい、道具を並べている棚に片づける。剪定のために移動していたラベンダーを窓際に戻した後で、ブランの後についていった。
***
「ノワール様? どうなさいました?」
仕立て屋との打ち合わせを終えて、彼女達を見送った後で。傍らにいらっしゃるノワール様からの視線を感じたのでそう尋ねてみた。
「いや……相変わらず決断が早いなと。前もそうではあったが、今回は一生に一度の事だから、もう少し悩むかと思っていたんだ」
「そういう事ですか。でも、彼女達が持ってきてくれた布のサンプルは良い物ばかりでしたし……結婚願望のある女性ならば、大なり小なり自分が着たいウエディングドレス像と言うものは持ち合わせておりますから」
「そうか? 義姉上は希望のドレスというのがこれといって無かったから、選ぶ際に難航したと聞いているぞ」
「ノワール様の義姉上という事は王太子妃様ですよね? それならば、王家の威信とか伝統を考えないといけないでしょうから、選ぶのは難航すると思います……本当は御希望があったのだとしても、その通りに出来ない可能性も十分あるでしょうし」
「どうだろうな……父上は色々と口出しをしてきたらしいが、母上を始めとした王妃方が結託して突っぱね、義姉上に選ぶよう進言したと聞いているんだ」
「そうでしたか。相変わらず、王妃様方は仲が良いのですね」
近隣国でも王家の血を絶やさないよう国王が正妃の他に側妃を娶る文化があるが、この国でも存在する。過去には十数人の妃を抱えていた好色な王もいたらしいが、ノワール様の父親である現国王の妃は正妃一人に側妃二人の三人体制だ。巷でよく聞く、王の寵愛を求めて泥沼の関係に……みたいなものも無く三人仲良くされているので、私は三人全員を心から尊敬している。私なら、ノワール様に自分以外の妻が出来る……だなんて、必要があったのだとしても絶対に耐えられないだろう。
「本人達や子供同士は仲が良いが、周りが相変わらずだ。母上も、三人だから均衡が取れて仲良く出来ているのだろうと言っていた」
「……いつの世も、野心というのは面倒なものですね」
公爵家出身でノワール様と第三王子様の母である正妃様、商家出身で王太子様と第二王女様の母である第二妃様、伯爵家出身で第一王女様と第三王女様の母である第三妃様。確かに、誰か一人いなくなって二人になれば、対立構図になるからそれぞれの実家が暴走する可能性がある。三人が仲良くしているのは、単純に気が合う部分もあるのだろうが、実家を抑えるためというのもあるのだろう。
「そうだな。だから、もうエクレールを探さない方が良いのかもしれない、陰謀渦巻く貴族社会に連れ戻さない方が良いのかもしれないと、思う事もあったが……」
そこで言葉を切ったノワール様が、私の方へ腕を伸ばした。抵抗する事無く彼を受け止め、背中から抱き締められる体勢になる。
「それでも諦められなかった。俺の隣にいるのはエクレールが良かった。エクレールだけが良いと思った」
「……ノワール様」
「奴らから、エクレールを絶対に守るから。だから、これから一生、俺の唯一の妻で居てほしい」
熱烈な愛の告白に、感激して足が震えてくる。嬉しい、そこまで想って下さるなんて。守ると言って下さるなんて。
「勿論です。その覚悟がないならば、貴方の隣で一緒に生きていく覚悟がないならば、あの日貴方に付いていくとは言いませんでした」
それだけ答えて、回されている彼の手の上に自分の手を重ねる。軽く握ってみせると、ノワール様がはっと息を呑んだ音が聞こえてきた。
「エクレール」
回されていた腕が、私の両頬を包む。真剣なライムグリーンに視線を縫い留められて、近づく吐息に歓喜して。実に七年ぶりの、彼の熱を受け止めた。
(……ここに来た事を、後悔はしていない。彼の事を愛して信じているから、私も彼の隣で彼の事を守って支えたい)
何をしていても時間は平等に過ぎていくものだから、自分で決められる事は後悔のないように決断している。決断のための自分なりの軸があるから、私は決断そのものが早いのだろう。だから、彼に告げた言葉も彼への愛情も心からの本心で、それに従ってここにいる事を決めたのだから、迷いようがない筈なのだ。
それなのに。
今も胸の内に燻っている、言いようのない不安は。
一体、何なのだろう。
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