私にとっては、それだけで

吉華(きっか)

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秘めた覚悟

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「お父様! どういう事ですか!?」
 うららかな昼下がりに、姉の珍しい怒鳴り声が響いた。あの温厚な姉が怒る程の事を父におねだりした自覚はあるので、黙って成り行きを見守ってみる。
「どうしたもこうしたもない。マキアス王子にはシャルロットを嫁がせるから、お前はアトラス伯に嫁ぐように」
「何故今になって!? もう婚約式まで済ませましたのに……今更別の子女にするとなれば、シャルロットが好奇の目に晒される事になりますのよ!」
 通常のご令嬢ならば、きっと、相手が王子から辺境伯になった事に憤慨するのだろうけれど。でも、この姉は、本気で私の方を心配してくれているのだ。それが自惚れでも盲目でもなくて、真実であると分かるくらいには……私は、この人の事をずっと眺めてきた。
「見縊らないでくれませんか?」
 カップを置いて、父に詰め寄っている姉へと言葉を投げかけた。じろりと睨んでみせると、彼女は産みの母と同じ色をしたサファイアブルーの瞳を、おろおろと彷徨わせて始める。そんな動きに合わせて、ウェーブのかかっているココアブロンドの髪がふわふわと揺れた。
「私はそんなに柔な女ではありません。それとも何です? 男爵とはいえ貴族の母を持つ自分の方が王子には相応しいから、辺境伯に嫁ぐなんて嫌だとでも?」
「そ、そんな……そういう、意味では」
「それなら黙っていてくれませんか。そもそも、この話は私の方からお父様にお願いした話です。私が良いと言っているのだから、貴女に拒否権はありません」
「でも……婚約者の事をこう言うのも失礼ですが、王子にはあまり良い噂がありません。お義母さまだって、きっと反対」
「誰が誰の母親ですって? 自惚れるのも大概になさって!」
 辛辣な言葉を突き刺すと、姉は口を閉じて項垂れた。ああそうだ、どうせ、私は姉にそんな表情しかさせられないのだ。だから、せめて。
「王子は私には優しいですよ。私は国でも一、二を争うくらいの大商人の娘を母に持ちますし、国立女学院の成績も優秀ですし、美貌でもある母の容姿をそっくり受け継ぎましたからそこいらの女優なんかよりも余程見目も良いですし。何の後ろ盾もない弱小貴族を母に持って、地方にある何の変哲もない学校を普通の成績で卒業して、この国にはありふれた色の髪と目しか持たない貴女とは違いますから」
 自分の色彩……ストロベリーブロンドの髪とワインレッドの瞳自体は気に入っているけれど、好奇の目に晒されるのは嫌だった。成金の娘と侮られたくなくて、同級生が遊んでいた時間を全て勉学に充てていたから姉みたいに心を許した学友なんていない。王子が私に優しいと言っても、それは物珍しい見た目をしている私を傷つけるのは得策ではないという事で、見える暴力には訴えない……というだけのものだ。精神的な暴力ならば、嫌というくらい受けてきた。
(……それでも、目の前のこの人があんな王子に殴られ蹴られ、理不尽に痛めつけられるくらいならば)
 自分が心身をすり減らした方が良い。心を凍らせて、微笑みを武器として顔に張り付けて、何でもないように笑いながら相手を手玉に取るのには慣れている。
「お話はそれだけですか? それでしたら、もう部屋に戻らせて頂きます」
「シャルロット!」
 必死な姉の声を背後に聞きながら、ドレスの裾を翻してこの場を辞した。涙がこぼれ落ちそうになるのを、ぐっと唇を噛み締める事で耐える。
(あんなに突き放しても、まだ気に掛けてくれている)
 こんな……こんな風に高慢で生意気で、姉を姉とも思わない言動をしている私の事を、それでもあんなに心配してくれた。

 大丈夫……大丈夫。私にとっては、それだけで十分だから。

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