14 / 15
後編 望めるならばあなたと
(6)
しおりを挟む
「私を、このままここに置いて下さいませんか」
そう告げた瞬間、一瞬だけ秋満さまの赤紫がぱっと輝いたように見えた。しかし、すぐにその煌めきは鳴りを潜め、彼は慎重そうに口を開く。
「それは……神界には戻らずこのまま地上にいる事を希望する、という事か?」
「はい。秋満さまがお許し下さるなら」
「心春は俺の恩神だ。そんな心春が望むというのならば、勿論叶えるさ」
「ありがとうございます」
ひとまず彼の傍にはいられそうだ。その事にほっとしていたら、目の前の秋満さまが急にそわそわし出した。手を握ったり離したり、視線を左右にさ迷わせたり、いつになく落ち着かない素振りだが、どうしたのだろう。
「……部屋はどうする?」
「どうする、とは?」
「心春がこのまま俺の妻でいてくれるならば、部屋を今の場所から移動する必要はない。だが、婚姻関係は解消するというのならば、本邸から離れの方に移動してもらう必要があるんだ。勿論、どちらを選んだとしても不自由の無い様に計らうが……」
揺れていた赤紫の瞳が、真っすぐに私の方を向いた。なるほど、今、私は大きな決断を迫られているのか。
「きっと、気楽でいられるのは離れで居候として暮らす方だ。こちらから要求する事は特にないから、思う存分医術の勉強をしたり町に行ったり好きにしていい。だが、このまま本邸に……俺の妻のままでいるなら、当主夫人として家の管理とか来客の相手とか、そういう事を心春にしてもらう必要がある。確実に、居候より大変だ」
口ではそう言っているけれど。だから無理をせず婚姻関係を解消して気ままな居候を選んでいいと、そういう流れにしようとしている気がするけれど。
でも、私の覚悟はとっくの昔に決まっていた。
「……秋満さまが了承して下さるのならば」
必死に息を整えて、声が震えないように言葉を紡ぐ。口にするのは怖いけれど、でも、心から望むのならばきちんと伝えなければならない。
「私は、このまま貴方の妻でいたいです。妻として、貴方の隣に立って、一緒に生きていきたいです」
どのくらい一緒にいられるかは分からないけれど。私に務まるのかという不安はあるけれど。でも、貴方の隣はもう誰にも譲れないって、その気持ちは確かだから。
彼の返答を待つ間が無限のように感じられた。しかし、待てども待てども、秋満さまは何も言っては下さらない。流石に催促した方が良いかと思ってもう一度口を開きかけたその瞬間……手首を捕まれ引っぱられて、彼の腕の中に囲い込まれた。
「あきみつ、さま」
「一目惚れだったんだ」
上ずった声で彼を呼んだら、予想外の言葉が聞こえてきた。ばくばくと音を立てている心臓は、真夏のように熱い体温は、果たしてどちらのものなのだろう。
「最初は、解呪の依頼のための結婚だから、礼を失さないようにだけ気をつけて、割り切ろうと思っていたんだ」
「そう、ですか」
「だけど、式の日に心春を見て、一瞬で心を奪われた。女性を見てこんなにも心を動かされたのは初めてで、当初の目的を忘れ解呪後も傍にいてほしいと思った」
目尻の方が熱くなって、視界がゆらゆらと揺れ始める。ぎこちない動きで彼の背中へと腕を回すと、更に強い力で抱き締められた。
「でも、心春は神様だ。人間よりも高位の存在で、困っていた俺に力を貸してくれるために来てくれただけなのだから、俺の欲だけで地上に留めてはいけない、目的ありきの結婚の目的が果たされたなら無理強いは出来ない、何より神を私欲で望むなんて罰当たりだと。この想いは、諦めなければならないのだと」
この人は、どこまで真面目なんだろう。どこまで真面目で、不器用で、優しいんだろう。そんな彼が愛しくて堪らなくて、私の方の腕にも力を込めた。
「私も貴方が好きです」
「こはる」
「私は、一緒に過ごしていくうちに、貴方の事を好きになりました」
好きになった経緯は違うみたいだけど、そんなのは些末事。今確かに、互いが互いを愛しているという事実の方が、余程大切なのだ。
自分の頬に、涙が一筋伝ったのが分かった。伸びてきた彼の手の平に包まれて、その温かさに口元の緊張が解けていく。
そしてそのまま、重なっていく吐息を受け止めた。
そう告げた瞬間、一瞬だけ秋満さまの赤紫がぱっと輝いたように見えた。しかし、すぐにその煌めきは鳴りを潜め、彼は慎重そうに口を開く。
「それは……神界には戻らずこのまま地上にいる事を希望する、という事か?」
「はい。秋満さまがお許し下さるなら」
「心春は俺の恩神だ。そんな心春が望むというのならば、勿論叶えるさ」
「ありがとうございます」
ひとまず彼の傍にはいられそうだ。その事にほっとしていたら、目の前の秋満さまが急にそわそわし出した。手を握ったり離したり、視線を左右にさ迷わせたり、いつになく落ち着かない素振りだが、どうしたのだろう。
「……部屋はどうする?」
「どうする、とは?」
「心春がこのまま俺の妻でいてくれるならば、部屋を今の場所から移動する必要はない。だが、婚姻関係は解消するというのならば、本邸から離れの方に移動してもらう必要があるんだ。勿論、どちらを選んだとしても不自由の無い様に計らうが……」
揺れていた赤紫の瞳が、真っすぐに私の方を向いた。なるほど、今、私は大きな決断を迫られているのか。
「きっと、気楽でいられるのは離れで居候として暮らす方だ。こちらから要求する事は特にないから、思う存分医術の勉強をしたり町に行ったり好きにしていい。だが、このまま本邸に……俺の妻のままでいるなら、当主夫人として家の管理とか来客の相手とか、そういう事を心春にしてもらう必要がある。確実に、居候より大変だ」
口ではそう言っているけれど。だから無理をせず婚姻関係を解消して気ままな居候を選んでいいと、そういう流れにしようとしている気がするけれど。
でも、私の覚悟はとっくの昔に決まっていた。
「……秋満さまが了承して下さるのならば」
必死に息を整えて、声が震えないように言葉を紡ぐ。口にするのは怖いけれど、でも、心から望むのならばきちんと伝えなければならない。
「私は、このまま貴方の妻でいたいです。妻として、貴方の隣に立って、一緒に生きていきたいです」
どのくらい一緒にいられるかは分からないけれど。私に務まるのかという不安はあるけれど。でも、貴方の隣はもう誰にも譲れないって、その気持ちは確かだから。
彼の返答を待つ間が無限のように感じられた。しかし、待てども待てども、秋満さまは何も言っては下さらない。流石に催促した方が良いかと思ってもう一度口を開きかけたその瞬間……手首を捕まれ引っぱられて、彼の腕の中に囲い込まれた。
「あきみつ、さま」
「一目惚れだったんだ」
上ずった声で彼を呼んだら、予想外の言葉が聞こえてきた。ばくばくと音を立てている心臓は、真夏のように熱い体温は、果たしてどちらのものなのだろう。
「最初は、解呪の依頼のための結婚だから、礼を失さないようにだけ気をつけて、割り切ろうと思っていたんだ」
「そう、ですか」
「だけど、式の日に心春を見て、一瞬で心を奪われた。女性を見てこんなにも心を動かされたのは初めてで、当初の目的を忘れ解呪後も傍にいてほしいと思った」
目尻の方が熱くなって、視界がゆらゆらと揺れ始める。ぎこちない動きで彼の背中へと腕を回すと、更に強い力で抱き締められた。
「でも、心春は神様だ。人間よりも高位の存在で、困っていた俺に力を貸してくれるために来てくれただけなのだから、俺の欲だけで地上に留めてはいけない、目的ありきの結婚の目的が果たされたなら無理強いは出来ない、何より神を私欲で望むなんて罰当たりだと。この想いは、諦めなければならないのだと」
この人は、どこまで真面目なんだろう。どこまで真面目で、不器用で、優しいんだろう。そんな彼が愛しくて堪らなくて、私の方の腕にも力を込めた。
「私も貴方が好きです」
「こはる」
「私は、一緒に過ごしていくうちに、貴方の事を好きになりました」
好きになった経緯は違うみたいだけど、そんなのは些末事。今確かに、互いが互いを愛しているという事実の方が、余程大切なのだ。
自分の頬に、涙が一筋伝ったのが分かった。伸びてきた彼の手の平に包まれて、その温かさに口元の緊張が解けていく。
そしてそのまま、重なっていく吐息を受け止めた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる