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第三章 信じていたのに
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「すごい……」
視界いっぱいに広がる絢爛豪華な景色に、ただただ圧倒されてしまった。上を見ても左を見ても右を見ても、煌びやかな生地ばかりである。
「天界には、錦はあまり無いか?」
「ある事はありますけど……高官とか大商人とかの、お金持ちの方の衣装に使われているのを見るくらいです。一介の役人の娘である私だと、琴の演奏会の時に来た晴れの衣装くらいでしか着た事はありません」
「……なるほど。その辺りも、地上と左程変わらないみたいだな。俺も、実家にいた時くらいしか縁がなかった」
「弦次さまも、ああいった輝く衣装を着てらっしゃったんですか?」
「俺は着てない」
「似合いそうですのに」
「そんな訳ないだろう。あんなのは、周りから美男子だと持て囃されるような奴が着る衣装だ」
「……弦次さまは、見た目も中身も格好いい殿方だと思いますけど」
勇気を出して言ってみると、隣からよく分からない呻き声が聞こえてきた。そちらの方へ視線を向けると、そこにいらっしゃったのは耳まで真っ赤に染めて口をぱくぱく動かしている弦次さま。
「な……そ……そんな、そんな、冗談を」
「本心です!」
疑われたのに腹が立って、先ほどよりもはっきりと肯定の言葉を口にした。それを聞いた弦次さまは、言葉にならない言葉を発しながらしゃがみこんでしまう。
「弦次さま?」
「あー……うぅん……」
「お顔が大変な事になっていますよ?」
「誰のせいだと……ああ、いや、そうじゃなくて、その」
ここまで慌てている彼を見るのは、初めてかもしれない。そんな彼が可愛く見えて抱き締めてみたくなったけれども、婚約者でも恋人でもないのだからと冷静になって思い留まる。
「ほ、褒めてくれたのは、ありがとうな。俺はそう言った言葉を言われてこなかったから、聞き慣れなくて恥ずかしかったんだ」
「……そうだったんですね」
本当ならば、困らせて申し訳なかったと謝罪するべきなのだろうけれど。でも、ここで謝ったら彼の事を格好いいと思っている自分の気持ちまで否定するみたいで嫌だったので、相槌を打つだけに留めておく。
「さ、さあ、布を選んでいこう。今度の依頼者は演奏用の事を所望しているから、それに見合った豪華なやつがいいな」
「はい。あ……あれはどうですか?」
ぱっと目についた錦を指さして、彼に尋ねてみる。二人でああだこうだと話をしながら、候補を絞っていった。
「それじゃ、依頼者にはこの三つから選んでもらう事にしよう。余っても既製品の口前を作るのに使えるから、三つとも買って帰るか」
そうおっしゃった弦次さまは、近くにいた店員を呼んで切り分ける分量の説明をし始めた。手持ち無沙汰になったので、端切れの纏め売り台を物色していく。良さそうな布がいくつかあったので、手に取って眺め始めた。
「それが欲しいのか?」
「あ、ええと、そういう訳では」
「遠慮する事はない……ああ、これは反物があったぞ。そうだな、どうせならそちらの方を」
「弦次さま!」
大事になりそうな気配を察知して、慌てて彼を止めた。彼の腕を抱き締めるような体勢になってしまったからか彼の顔がまた赤くなったが、構ってはいられない。
「今日は口前用の布を買いに来ただけでございましょう!? むやみやたらに買うものではありませんよ!」
「別にこのくらい大丈夫だろう……町に出る事自体そうそうないのだし」
「ですが、既に何着も着物を頂いてますし、かんざしだって頂きました! これ以上頂くのは申し訳ありません!」
「でも、桐鈴は家事を毎日全部やってくれているし、最近は琴作りも手伝ってくれているし……教えにも行ってくれているだろう」
「でも……!」
このままではらちが明かない。どうしたものかと思っていると、店員が切り終えたと言ってやってきた。これ幸いと思って会計するよう頼もうとしたが、弦次さまの方が一足早く話し始めてしまう。
「この端切れの反物を出してもらえないだろうか」
「こちらの分ですか? ええと……ああ、申し訳ありません。あれは予約が入っておりまして」
「予約?」
「はい。あの壁の棚にある分は、既に買い手が決まっている分なのです」
「そうだったのか……」
弦次さまはしゅんとした表情をしているが、こちらとしては願ったり叶ったりだ。このまま会計をしてもらおうと思って口を開こうとすると、今度は店員に先を越されてしまった。
「代わりになるかは分かりませんが……こちらの端切れから三種類好きな物をお付けするよう店主から言いつかっております。ですので、お好みの物をお選び頂けますか?」
「どうしてです?」
「錦を複数纏め買い頂いたので、そのお礼にと。先ほどお連れ様が見てらっしゃった分でも大丈夫です」
そう言われて、弦次さまと顔を見合わせた。店側が厚意でくれると言うのならば、断るのも申し訳ない。欲しかった事は欲しかったのだ……弦次さまに買わせる気はさらさらなかったが。
「では、私が選んでも良いですか?」
「良いぞ」
了承を得られたので、先ほどよりも丹念に確認していく。納得のいく三種類を無事に選ぶ事が出来たので、選んだ分を合わせて包んでもらった。
「ありがとうございました!」
笑顔で見送ってくれた店員に頭を下げた後で、二人並んで帰路に着く。昨日は雨が降っていたから道が悪いだろう、という理由で手を繋げているので万々歳だ。
「本当に端切れだけで良かったのか?」
「え?」
「確かに、あの反物は既に買われた後のようなものだったが……別の反物はあった訳だし、そちらでも良かったんだぞ?」
「……お言葉ですが、弦次さま」
彼には、もう一度はっきりと言っておかねばならないだろう。そうしないと、この人は『桐鈴のため』と称して無限に物を買ってきそうだ。
「以前にも申し上げました通り、家事の礼と言うのならば労いのお言葉が頂ければ私には十分です。琴作りの手伝いに関しては自分の勉強のためという理由もあってやっておりますし、教えている分のお礼はかのお宅から十二分に頂いております。ですから、弦次さまが追加で何かを私に準備する必要はないのですよ」
私の事を気遣ってくれているのは嬉しいし、好きな相手から贈り物を貰えるなんて本当に幸せだとも思っている。けれど、彼自ら手に入れた財なのだから、彼自身のためにも使ってほしいという気持ちだってある。
現に、私がここに来てから彼は一度だって自分の着物や私物を新調していない。自分の物は後回しで、私にばかり贈ってくれる。そんな一方通行は、嫌なのだ。
「貴方が汗水垂らして働いて得た銭貨ですもの、もっと貴方ご自身のためにも使って頂きたいです。着物でも敷物でも食器でも狩りの道具でも構いませんから」
切なる想いを言葉に込めて、彼に語り掛ける。繋いでいる手に力を込めると、同じ強さが返ってきた。
「……そうか。それは、済まない事をした」
いつになく沈んだ声音に、傷つけてしまったという焦りが湧いてくる。謝らなければと思うのにうまく言葉が出てこなくて、無意味に口を開け閉めするばかり。
「父上が母上に贈り物をしている所ばかり見てきたからな。女性を喜ばせるなら贈り物だ、という考えがどうにも抜けなくて」
「ああ、なるほど」
「母上は毎回『今日はこんな物を父さまから貰った』と嬉しそうに周りに話していたから猶更だな。だから、気を引きたい相手……好いた相手には贈り物をするのが良いんだと覚えてしまっていたんだ」
「そうだったんですね……ん?」
もう一度彼の言葉を反芻する。父親が母親に贈り物を良くしていた、母親もそれを喜んでいた、だから、好きな相手には贈り物をするのが良いと学習した……好きな相手!?
「えっ……え!?」
「桐鈴?」
「え、あ、あの、それ、だと」
「うん」
「それだと……弦次さまが、私の事を、好いてくださっているという事になります……よ……?」
恐る恐る尋ねてみると、彼の瞳がぱちぱちと瞬いた。動揺と期待と不安を混ぜくったような感情が、体の中を渦巻いている。
「そうだよ」
全身が心臓になったかのようだった。その単純な四文字を聞いた瞬間に、全身で拍動して体を震わせる。言葉にならない声が、私の口からすり抜けていった。
「俺は、桐鈴の事が好きだよ。一目惚れ、だったんだろう」
目の前で色とりどりの火花が散って、軽快な調べが脳裏に響き渡った。
視界いっぱいに広がる絢爛豪華な景色に、ただただ圧倒されてしまった。上を見ても左を見ても右を見ても、煌びやかな生地ばかりである。
「天界には、錦はあまり無いか?」
「ある事はありますけど……高官とか大商人とかの、お金持ちの方の衣装に使われているのを見るくらいです。一介の役人の娘である私だと、琴の演奏会の時に来た晴れの衣装くらいでしか着た事はありません」
「……なるほど。その辺りも、地上と左程変わらないみたいだな。俺も、実家にいた時くらいしか縁がなかった」
「弦次さまも、ああいった輝く衣装を着てらっしゃったんですか?」
「俺は着てない」
「似合いそうですのに」
「そんな訳ないだろう。あんなのは、周りから美男子だと持て囃されるような奴が着る衣装だ」
「……弦次さまは、見た目も中身も格好いい殿方だと思いますけど」
勇気を出して言ってみると、隣からよく分からない呻き声が聞こえてきた。そちらの方へ視線を向けると、そこにいらっしゃったのは耳まで真っ赤に染めて口をぱくぱく動かしている弦次さま。
「な……そ……そんな、そんな、冗談を」
「本心です!」
疑われたのに腹が立って、先ほどよりもはっきりと肯定の言葉を口にした。それを聞いた弦次さまは、言葉にならない言葉を発しながらしゃがみこんでしまう。
「弦次さま?」
「あー……うぅん……」
「お顔が大変な事になっていますよ?」
「誰のせいだと……ああ、いや、そうじゃなくて、その」
ここまで慌てている彼を見るのは、初めてかもしれない。そんな彼が可愛く見えて抱き締めてみたくなったけれども、婚約者でも恋人でもないのだからと冷静になって思い留まる。
「ほ、褒めてくれたのは、ありがとうな。俺はそう言った言葉を言われてこなかったから、聞き慣れなくて恥ずかしかったんだ」
「……そうだったんですね」
本当ならば、困らせて申し訳なかったと謝罪するべきなのだろうけれど。でも、ここで謝ったら彼の事を格好いいと思っている自分の気持ちまで否定するみたいで嫌だったので、相槌を打つだけに留めておく。
「さ、さあ、布を選んでいこう。今度の依頼者は演奏用の事を所望しているから、それに見合った豪華なやつがいいな」
「はい。あ……あれはどうですか?」
ぱっと目についた錦を指さして、彼に尋ねてみる。二人でああだこうだと話をしながら、候補を絞っていった。
「それじゃ、依頼者にはこの三つから選んでもらう事にしよう。余っても既製品の口前を作るのに使えるから、三つとも買って帰るか」
そうおっしゃった弦次さまは、近くにいた店員を呼んで切り分ける分量の説明をし始めた。手持ち無沙汰になったので、端切れの纏め売り台を物色していく。良さそうな布がいくつかあったので、手に取って眺め始めた。
「それが欲しいのか?」
「あ、ええと、そういう訳では」
「遠慮する事はない……ああ、これは反物があったぞ。そうだな、どうせならそちらの方を」
「弦次さま!」
大事になりそうな気配を察知して、慌てて彼を止めた。彼の腕を抱き締めるような体勢になってしまったからか彼の顔がまた赤くなったが、構ってはいられない。
「今日は口前用の布を買いに来ただけでございましょう!? むやみやたらに買うものではありませんよ!」
「別にこのくらい大丈夫だろう……町に出る事自体そうそうないのだし」
「ですが、既に何着も着物を頂いてますし、かんざしだって頂きました! これ以上頂くのは申し訳ありません!」
「でも、桐鈴は家事を毎日全部やってくれているし、最近は琴作りも手伝ってくれているし……教えにも行ってくれているだろう」
「でも……!」
このままではらちが明かない。どうしたものかと思っていると、店員が切り終えたと言ってやってきた。これ幸いと思って会計するよう頼もうとしたが、弦次さまの方が一足早く話し始めてしまう。
「この端切れの反物を出してもらえないだろうか」
「こちらの分ですか? ええと……ああ、申し訳ありません。あれは予約が入っておりまして」
「予約?」
「はい。あの壁の棚にある分は、既に買い手が決まっている分なのです」
「そうだったのか……」
弦次さまはしゅんとした表情をしているが、こちらとしては願ったり叶ったりだ。このまま会計をしてもらおうと思って口を開こうとすると、今度は店員に先を越されてしまった。
「代わりになるかは分かりませんが……こちらの端切れから三種類好きな物をお付けするよう店主から言いつかっております。ですので、お好みの物をお選び頂けますか?」
「どうしてです?」
「錦を複数纏め買い頂いたので、そのお礼にと。先ほどお連れ様が見てらっしゃった分でも大丈夫です」
そう言われて、弦次さまと顔を見合わせた。店側が厚意でくれると言うのならば、断るのも申し訳ない。欲しかった事は欲しかったのだ……弦次さまに買わせる気はさらさらなかったが。
「では、私が選んでも良いですか?」
「良いぞ」
了承を得られたので、先ほどよりも丹念に確認していく。納得のいく三種類を無事に選ぶ事が出来たので、選んだ分を合わせて包んでもらった。
「ありがとうございました!」
笑顔で見送ってくれた店員に頭を下げた後で、二人並んで帰路に着く。昨日は雨が降っていたから道が悪いだろう、という理由で手を繋げているので万々歳だ。
「本当に端切れだけで良かったのか?」
「え?」
「確かに、あの反物は既に買われた後のようなものだったが……別の反物はあった訳だし、そちらでも良かったんだぞ?」
「……お言葉ですが、弦次さま」
彼には、もう一度はっきりと言っておかねばならないだろう。そうしないと、この人は『桐鈴のため』と称して無限に物を買ってきそうだ。
「以前にも申し上げました通り、家事の礼と言うのならば労いのお言葉が頂ければ私には十分です。琴作りの手伝いに関しては自分の勉強のためという理由もあってやっておりますし、教えている分のお礼はかのお宅から十二分に頂いております。ですから、弦次さまが追加で何かを私に準備する必要はないのですよ」
私の事を気遣ってくれているのは嬉しいし、好きな相手から贈り物を貰えるなんて本当に幸せだとも思っている。けれど、彼自ら手に入れた財なのだから、彼自身のためにも使ってほしいという気持ちだってある。
現に、私がここに来てから彼は一度だって自分の着物や私物を新調していない。自分の物は後回しで、私にばかり贈ってくれる。そんな一方通行は、嫌なのだ。
「貴方が汗水垂らして働いて得た銭貨ですもの、もっと貴方ご自身のためにも使って頂きたいです。着物でも敷物でも食器でも狩りの道具でも構いませんから」
切なる想いを言葉に込めて、彼に語り掛ける。繋いでいる手に力を込めると、同じ強さが返ってきた。
「……そうか。それは、済まない事をした」
いつになく沈んだ声音に、傷つけてしまったという焦りが湧いてくる。謝らなければと思うのにうまく言葉が出てこなくて、無意味に口を開け閉めするばかり。
「父上が母上に贈り物をしている所ばかり見てきたからな。女性を喜ばせるなら贈り物だ、という考えがどうにも抜けなくて」
「ああ、なるほど」
「母上は毎回『今日はこんな物を父さまから貰った』と嬉しそうに周りに話していたから猶更だな。だから、気を引きたい相手……好いた相手には贈り物をするのが良いんだと覚えてしまっていたんだ」
「そうだったんですね……ん?」
もう一度彼の言葉を反芻する。父親が母親に贈り物を良くしていた、母親もそれを喜んでいた、だから、好きな相手には贈り物をするのが良いと学習した……好きな相手!?
「えっ……え!?」
「桐鈴?」
「え、あ、あの、それ、だと」
「うん」
「それだと……弦次さまが、私の事を、好いてくださっているという事になります……よ……?」
恐る恐る尋ねてみると、彼の瞳がぱちぱちと瞬いた。動揺と期待と不安を混ぜくったような感情が、体の中を渦巻いている。
「そうだよ」
全身が心臓になったかのようだった。その単純な四文字を聞いた瞬間に、全身で拍動して体を震わせる。言葉にならない声が、私の口からすり抜けていった。
「俺は、桐鈴の事が好きだよ。一目惚れ、だったんだろう」
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