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第一章 天界の花は地上の男と出逢った

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 じゃぶじゃぶとお米を研ぎながら、取っているだしの方を確認する。十分に煮立っていたので竈から外して、研ぎ終わったお米と適量の水を入れた釜の方を火にかけた。
「さてと。後は、味噌汁の具を切って……」
 段取りを確認していると、入り口の方が騒がしくなった。釣りに出ていた弦次さまが帰ってきたのだろうか。竈の火を確認して簡単な仙術を掛け、出迎える為に入口の方へと向かった。
「お帰りなさいませ」
「あ、ああ……帰った……」
「釣果はどうでした?」
「上々だ。今から捌くから、昼飯にするか」
「はい。ご飯は今炊いている最中で、味噌汁の準備もしています」
「ああ、ありがとう」
 お礼を言って下さった彼の顔に、ほんの少しだけだけども笑みが浮かぶ。弦次さまは綺麗な顔をしているので、そうやって微笑まれると心臓に悪い。
「ビワもお帰り」
 私達が会話している間もずっとこちらを見ていたので、忘れずに頭を撫でてやる。結局居ついてしまったので、ビワと名付けて飼う事になったのだ。ちなみに、名付け親は弦次さまである。
「足の調子はすっかり戻ったみたいだ。今度狩りの仕方を教えてみるかな」
「そうですね。山に一人で入るのは何かと危険ですし、お供が居た方が安心でしょう」
 うちも山の中にあるが、家自体は麓に近い位置にある。そして、薬草園には盗難等を防止する為の特殊な結界を張っているので、猛獣も犯罪者も立ち入る事が出来ないようになっているのだ。しかし、地上ではそうはいかないだろう。
「桐鈴の方は変わりないか?」
「はい……衣は相変わらず見当たりませんけれど」
 多少複雑な術でも使えるくらいには地上という環境に慣れてきたので、弦次さまから頼まれた家事をこなす傍ら一人で行けそうな場所には行って探していた。けれども、相変わらず手掛かりすら掴めていない。
「そうか……また、時間が空いたら一緒に探しに行こう」
「ありがとうございます」
 気遣ってくれる彼に礼を告げる。弦次さまの方も、眉を寄せた固い表情で頷いてくれた。

  ***

「桐鈴いるか?」
「はい。少々お待ち下さいませ」
 用があるから出かけてくると言っていた弦次さまに呼ばれたので、洗濯物を畳むのを中断して玄関まで急ぐ。見た感じは、出かけた時と変わりないように見えるけれども。
「呼び立ててすまないな。ちょいと渡すものがあったから」
「渡すもの、ですか?」
「ああ。ええと、この袋の中に……」
 そう言って弦次さまが袋の中から取り出したのは、一冊の本だった。天界にあるのと同じような紙を束にしてある本だが、地上では珍しいものだったのではないだろうか。
「紙の本ですか?」
「伝手があってな。天界について出来るだけ写実的に書いてある本を借りたいといったら、これを渡された」
「どうして、この本を」
「天の衣がなくても帰る方法はあると、前に言っていただろう? ただ、それが難しいとも言っていたから……天界について書いてある本にならば、何か手がかりが載っているかもしれないと思ってな」
 それは、つまり。弦次さまは、私の為にこの本を借りてきて下さったという事だ。私が無事に帰れるように、早く帰れるように、心を砕いて下さった。
「ありがとうございます!」
 純粋に嬉しかった。彼が私を気遣ってくれているというのが、助けようと思ってくれたのが。目の前の弦次さまは柄にもないがとぶっきらぼうに言っているが、顔が赤いので照れ隠しなのだろう。
「早速お借りしても良いですか? 洗濯物を畳み終わったら読みますので」
「大丈夫だ。そら」
 無造作に手渡された本を、落とさないよう両手で受け取った。勢いよく手を出してしまったからなのか、私の指先と弦次さまの指先が軽く触れてしまう。
「きゃっ!」
「わっ!」
 少しだけ触れた体温に動揺して、ぱっと手を放してしまった。弦次さまも同じように放してしまったので、せっかくの本がばさりと音を立てて落ちてしまう。
「も、申し訳、ありません。せっかく借りてきて下さったのに」
「ああ、折れたりとか破れたりとか、しなければ、大丈夫だろう」
 頬はもちろん耳まで熱くなって、ふわふわと浮いている心地になっていく。彼に触れたところを起点に、熱が上ってくるようだ。
「では、いったん私はこの本を部屋に置いて参ります」
 このままここにいたら熱で溶けていきそうな気がして、逃げるように彼の前から去った。弦次さまは特に止めるような素振りを見せなかったから大丈夫だろう。
「……あぁー……」
 何度も転びそうになりながら、襖を開けて部屋に滑り込む。立っていられなくて畳の上に座り込んだが、程よく冷えているので気持ちがいい。
 何とか落ち着こうと思って、何度も深呼吸をした。けれども、一度加速してしまった心臓は、なかなか落ち着いてはくれなかった。
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