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第一章 天界の花は地上の男と出逢った
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「まずは水で綺麗に流してから、薬草を貼らないといけないな」
呟いた弦次さまが厨の方へと犬を連れていく。その床に横たえた後で、水がめに溜めていた水を豪快にかけ始めた。
「拭く物と薬草を持ってくるから、しばらく見ててくれるか」
「はい」
今はすっかりと寝入っているようだったので、大丈夫だろうと思い快諾する。すぐ戻ると言って立ち去った弦次さまの背を見送り、ちらっと犬の方を確認した。
基本的には規則的な寝息を立てているので過度な心配はいらないだろうが、時折呼吸が苦しそうなものに変わる。せめて、少しでも気分が和らげばと思って、一曲歌ってみる事にした。
『あなたを苦しめるものは この音に乗って飛んでいけ』
軽症時の治癒用の歌を、音に乗せて歌っていく。手元に楽器があればもう少ししっかり歌えたが、これだけでも多少は効果があるだろう。
「……綺麗な歌だな」
「ひゃあ!?」
歌う事に集中していたから、弦次さまの接近に気づかず文字通り飛び上がった。驚かせてしまって済まないと謝ってくれる彼に、こちらこそ申し訳ありませんと謝罪する。
「桐鈴は歌が上手いんだな」
「私は、別に……そんな風に言って頂く程では」
「あったぞ。聞いていると心が洗われるようだった」
「あ、ありがとうございます……」
歌うのは好きだし、それを生業にしようとして頑張っている最中だし、成績だって良い方だけれど。でも、そういう人なら天界にはいくらでもいるし、身近な歌癒士である姉さまはかなり高位の実力者だ。だから、私如きじゃ取り立てて褒めて貰えるような実力ではない。
「それはドクダミですか?」
気恥ずかしくなってきたので話題を逸らすべく、弦次さまが持ってきた薬草の名前を確認した。彼はそうだと返答しつつ、器用に揉んで傷口に貼っていく。
「ドクダミは天界にも自生しているのか?」
「自生もしていますけれど、より治療効果が発揮できるように品種改良された種が薬草園で栽培されている事もあります」
「へぇ。じゃあ、センブリとかゲンノショウコとかも」
「ありますよ。地上に生えている薬草類は全てあります」
「そうなのか」
「地上では生えなくなった霊薬草とかもありますね。天界でも珍しい種になるので、まだ私は詳しく知りませんけれど……」
父さまの薬草園で育てられているのは、治療で使う事が多い一般的な種が中心だ。研究で使うような種や難病奇病で使うような種は、典薬部署が持っている薬草園くらいでしか栽培が許可されていない。
「桐鈴は薬草にも詳しいのか?」
「人より多少は、というくらいです。父が専門なので、その伝手で詳しくなって」
「なるほどな」
処置を終えたらしい弦次さまが、どっかりと私の隣に腰を下ろした。自分の上着を犬にかけてやりながら、そっと頭を撫でてやっている。
「とりあえずこいつはもう大丈夫だろう。後は、治るまで待つくらいだな」
「手際が良いんですね」
「小さい頃から怪我ばっかりしていたからな」
「お転婆な子供時代でした?」
「……まぁ、そうだな。転んで怪我するなんてしょっちゅうだった」
「そうなんですね。私は、紙で指を切る事が多かったです」
何気なくそう告げると、弦次さまはその青い瞳を丸くした。あんなもんでどう切るんだと、表情に表れている。
「薄い紙の端は、当たり所が悪いと切れやすいんですよ。なので、本を読んでいる時にうっかりとか、父の資料の整理を手伝っている時に手を滑らせてとか……よくやってしまっていました」
「へぇ。天界の紙は薄いのか」
「地上の紙よりは、だいぶ。その分嵩張らないので、本を作るには良いんですけど」
つらつらと会話していると、弦次さまの体が揺れ始めた。釣りをしたり狩りをしたりした後で、襲われた私を助けて犬の治療をしたのだ。疲れて眠くなっても無理はない。
「弦次さま。お疲れでしたら、今日はもうお休みになった方が」
「ん、ああ……そうだな……」
「あの、布団とかはどうしたら」
「ええと、ああ、うん……ちょっと待ってくれ」
ぱんと勢いよく自身の頬を張った弦次さまは、ゆっくりと立ち上がった。そしてそのまま歩き始めたので、後を追う。
「寝具はこの押入れの中に入ってる。隣の部屋は最近掃除したばかりだから、そっちまで持ってって寝てくれ」
「……差し支えなければ、着替えとかもお貸し頂けるとありがたいのですが」
「着替えか……確か、この辺りに……」
寝具が入っているという棚の下を、弦次さまが漁り始めた。程なくして、淡い色の小袖と帯、下着の一式を手渡される。
「俺の母親のだが、定期的に洗って干してるから大丈夫だろう」
「お母さまの分を私が使って大丈夫なのですか?」
「ああ。もうこの世にはいないしな」
さらっとそんな事実を告げられて、言葉を失った。それでは、これは、形見のようなものではないのか。そんなものを借りていいのだろうか。
しかし、これ以外に選択肢もない。弦次さまが良いと言っているのだから良いだろうと結論付けて、ありがたく借りる事にした。
「ありがとうございます。それでは、お休みなさいませ」
「お休み」
簡単に挨拶をして、その場を辞す。えっちらおっちらと布団を持って行って敷いた後で、貸してもらった着物に着替えて寝ころんだ。
(少しひんやりはしているけれど、埃っぽくはないから気持ちいい……)
布団と枕を撫でながら、そんな事を考える。先ほどの治療の時もさらしをきっちり等間隔に切っていたし、弦次さまは几帳面なのだろう。
たまにしか来ない地上の、初対面の男性の家。そんな状況ではとても気が休まらないだろうと思ったのだけれども、布団に入って目を閉じたら、四半刻も立たない内に意識が遠のいていった。
呟いた弦次さまが厨の方へと犬を連れていく。その床に横たえた後で、水がめに溜めていた水を豪快にかけ始めた。
「拭く物と薬草を持ってくるから、しばらく見ててくれるか」
「はい」
今はすっかりと寝入っているようだったので、大丈夫だろうと思い快諾する。すぐ戻ると言って立ち去った弦次さまの背を見送り、ちらっと犬の方を確認した。
基本的には規則的な寝息を立てているので過度な心配はいらないだろうが、時折呼吸が苦しそうなものに変わる。せめて、少しでも気分が和らげばと思って、一曲歌ってみる事にした。
『あなたを苦しめるものは この音に乗って飛んでいけ』
軽症時の治癒用の歌を、音に乗せて歌っていく。手元に楽器があればもう少ししっかり歌えたが、これだけでも多少は効果があるだろう。
「……綺麗な歌だな」
「ひゃあ!?」
歌う事に集中していたから、弦次さまの接近に気づかず文字通り飛び上がった。驚かせてしまって済まないと謝ってくれる彼に、こちらこそ申し訳ありませんと謝罪する。
「桐鈴は歌が上手いんだな」
「私は、別に……そんな風に言って頂く程では」
「あったぞ。聞いていると心が洗われるようだった」
「あ、ありがとうございます……」
歌うのは好きだし、それを生業にしようとして頑張っている最中だし、成績だって良い方だけれど。でも、そういう人なら天界にはいくらでもいるし、身近な歌癒士である姉さまはかなり高位の実力者だ。だから、私如きじゃ取り立てて褒めて貰えるような実力ではない。
「それはドクダミですか?」
気恥ずかしくなってきたので話題を逸らすべく、弦次さまが持ってきた薬草の名前を確認した。彼はそうだと返答しつつ、器用に揉んで傷口に貼っていく。
「ドクダミは天界にも自生しているのか?」
「自生もしていますけれど、より治療効果が発揮できるように品種改良された種が薬草園で栽培されている事もあります」
「へぇ。じゃあ、センブリとかゲンノショウコとかも」
「ありますよ。地上に生えている薬草類は全てあります」
「そうなのか」
「地上では生えなくなった霊薬草とかもありますね。天界でも珍しい種になるので、まだ私は詳しく知りませんけれど……」
父さまの薬草園で育てられているのは、治療で使う事が多い一般的な種が中心だ。研究で使うような種や難病奇病で使うような種は、典薬部署が持っている薬草園くらいでしか栽培が許可されていない。
「桐鈴は薬草にも詳しいのか?」
「人より多少は、というくらいです。父が専門なので、その伝手で詳しくなって」
「なるほどな」
処置を終えたらしい弦次さまが、どっかりと私の隣に腰を下ろした。自分の上着を犬にかけてやりながら、そっと頭を撫でてやっている。
「とりあえずこいつはもう大丈夫だろう。後は、治るまで待つくらいだな」
「手際が良いんですね」
「小さい頃から怪我ばっかりしていたからな」
「お転婆な子供時代でした?」
「……まぁ、そうだな。転んで怪我するなんてしょっちゅうだった」
「そうなんですね。私は、紙で指を切る事が多かったです」
何気なくそう告げると、弦次さまはその青い瞳を丸くした。あんなもんでどう切るんだと、表情に表れている。
「薄い紙の端は、当たり所が悪いと切れやすいんですよ。なので、本を読んでいる時にうっかりとか、父の資料の整理を手伝っている時に手を滑らせてとか……よくやってしまっていました」
「へぇ。天界の紙は薄いのか」
「地上の紙よりは、だいぶ。その分嵩張らないので、本を作るには良いんですけど」
つらつらと会話していると、弦次さまの体が揺れ始めた。釣りをしたり狩りをしたりした後で、襲われた私を助けて犬の治療をしたのだ。疲れて眠くなっても無理はない。
「弦次さま。お疲れでしたら、今日はもうお休みになった方が」
「ん、ああ……そうだな……」
「あの、布団とかはどうしたら」
「ええと、ああ、うん……ちょっと待ってくれ」
ぱんと勢いよく自身の頬を張った弦次さまは、ゆっくりと立ち上がった。そしてそのまま歩き始めたので、後を追う。
「寝具はこの押入れの中に入ってる。隣の部屋は最近掃除したばかりだから、そっちまで持ってって寝てくれ」
「……差し支えなければ、着替えとかもお貸し頂けるとありがたいのですが」
「着替えか……確か、この辺りに……」
寝具が入っているという棚の下を、弦次さまが漁り始めた。程なくして、淡い色の小袖と帯、下着の一式を手渡される。
「俺の母親のだが、定期的に洗って干してるから大丈夫だろう」
「お母さまの分を私が使って大丈夫なのですか?」
「ああ。もうこの世にはいないしな」
さらっとそんな事実を告げられて、言葉を失った。それでは、これは、形見のようなものではないのか。そんなものを借りていいのだろうか。
しかし、これ以外に選択肢もない。弦次さまが良いと言っているのだから良いだろうと結論付けて、ありがたく借りる事にした。
「ありがとうございます。それでは、お休みなさいませ」
「お休み」
簡単に挨拶をして、その場を辞す。えっちらおっちらと布団を持って行って敷いた後で、貸してもらった着物に着替えて寝ころんだ。
(少しひんやりはしているけれど、埃っぽくはないから気持ちいい……)
布団と枕を撫でながら、そんな事を考える。先ほどの治療の時もさらしをきっちり等間隔に切っていたし、弦次さまは几帳面なのだろう。
たまにしか来ない地上の、初対面の男性の家。そんな状況ではとても気が休まらないだろうと思ったのだけれども、布団に入って目を閉じたら、四半刻も立たない内に意識が遠のいていった。
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