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第一章 天界の花は地上の男と出逢った
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「姉さま、こっちこっち!」
眩しそうに目を細めている姉さまへ、大声で呼び掛ける。いつも以上にはしゃいでいる自覚はあるが、致し方ないというものだ。
「どうしたの、桐鈴」
「こっちの方が、水が冷たくて気持ちが良いから」
「あら、本当ね」
姉さまは浴衣の裾を捲って足を水に浸けていた。髪につけているかんざしが、しゃらんと音を立てて揺れている。
「こうやって二人で出掛けるのは何時ぶりかしら」
「姉さまが結婚してからだから……半年ぶりくらい?」
「そんなに経っていたのね。それなら試験はもうすぐよね……準備はどう?」
「順調よ。筆記はほぼ満点だし、実技だって太鼓判をもらったわ」
「それなら、桐鈴が仕事仲間になる日も近いかしら」
「そうかもね。姉さまと肩を並べられるよう頑張るわ」
得意げに意気込みを語ると、姉さまは嬉しそうに顔を綻ばせた。明るくて優しくて、笑顔が綺麗で容姿も整っていて歌癒士としても優秀で、本当に出来た姉だと思う……ある一点を除いて。
「それにしても、なかなか会いにいけなくてごめんね。半年間あの家に一人で……寂しい思いをさせてしまっているわよね」
「仕方ない事だもの、気にしてないわ」
姉さまが嫁ぐと決まった時点で、この家を離れるなんて分かっていた事だ。だから、あの広い家に一人になろうと、ずっと一緒にいた姉さまと離れる事になって寂しかろうと、耐えて慣れていくしかないのである。
「せめて、どっちかでも戻ってきてくれたら良いのにねぇ」
「母さまはともかく、父さまは勤めがあるんだから難しいでしょ」
「そのお勤め、もうそろそろ任期が終わる筈だから」
「でも、すぐにまた飛ばされちゃうんじゃないの」
「うーん……めぼしい場所はもう全部派遣されてると思うけど……」
父さまは有能だから、天帝さまに重宝されている。そのため、中央の典薬部署で数十年働いた後に、立て直してくれと言って地方の支部へ矢継ぎ早に派遣されているのだ。根が生真面目な父さまはどこでもきっちりと成果を出すから、こっちにも、あっちにも、と色んな場所から呼ばれてどんどん中央から遠い場所に向かわされるようになってしまった。一度母さまが子供の事もあるから中央に戻してくれと言ったらしいが、人手不足を理由に断られたのだとか。
「本当に……私が、もっとこまめに帰る事が出来ていれば」
「何を言っているの。姉さまは嫁いだ身なんだから、義兄さまを優先しないと。だいたい、私はもう子供じゃないし」
「桐鈴が私の妹である事実は、何があっても変わらないわ。いつだって気にかけて心配しているに決まっているでしょう」
「それは、素直に嬉しいけど……」
両親は私が小さい頃から留守がちだったから、私の中心はいつだって姉さまだった。何かある度に姉さま姉さまと甘えていて、何をするにも一緒で。だから、結婚が決まった時は祝福する気持ちと同じくらい行かないでほしいという気持ちもあったし、寂しかった。今日だって、久々に二人きりで出掛けられて嬉しいけれども。
「……義兄さまが怖いのだもの」
その一言は、姉さまには聞こえないように呟いた。私にとっては、義兄さまは周到な手口で姉さまを掻っ攫っていって不必要に縛り付けてる嫌な奴という印象だが、姉さまにとっては自分の事を深く愛して大事にしてくれている愛しい旦那様なのだ。一日の大半を自宅で過ごすよう強要されても、姉さまの友人を家に呼ぶ事を制限されても、実家に帰る事すら滅多な事では許可を出さなくても、姉さまはそれを受け入れて義兄さまの傍にいるくらいなのだから。
そんな事を考えていると、かちかちと何かを打ち鳴らす音が聞こえてきた。あらあらと言いながら湖岸に上がった姉さまを何とも言えない気持ちで眺めつつ、私もそちらへと向かう。
「あなた? 大丈夫よ、ええ、少し離れた場所の方が、水が気持ち良かったから……」
けたたましい音を鳴らしていた仙具に向かって、姉さまが話しかけている。天界と地上での遠隔会話が可能な仙具なんて、よくもまぁ作れたものだ。
(……才能の無駄遣いって、こういう事を言うんだろうな)
義兄さまは仙具を開発している部署で長年働いているから、実に様々な仙具をこの世に生み出している。仙術を覚えたての幼子が簡単に使えるようなものから、複雑な仙術に使うような緻密な物まで幅広く開発しているので、中央の中では有名な人らしい。
だからこそ、地方派遣の合間に中央に訪れていた父さまに近づいて姉さまとの見合いの席を準備し、一回会った後は逃さないとばかりに外堀を埋めて囲い込んで姉さまの心まで掴んで……ふつふつと恨みがましい気持ちまで湧き上がってきてしまったので、大きく息を吸って深呼吸した。私の感情がどうあれ、姉さまはもうあの義兄の妻なのだ。本人同士で納得がいっているなら、どんなに悔しいかろうと私に口を挟む権利などない。
「話は終わったの?」
「ええ。私の仙力が感知出来なくなったから呼び出したみたい」
「……そう」
「私も桐鈴も大人なのに……心配性で困っちゃうわ」
「あれを心配性で済ませてる姉さまに驚きだわ……」
今日の水浴びも、本来なら私一人で行く予定だったのだ。普段から行っている場所だから、ぱぱっと行ってぱぱっと帰るつもりだったのだけども、半年ぶりの帰省が許されて戻ってきてた姉さまも一緒に行きたいと言い出した。
私としては、久々に姉さまと二人でいけるのだから諸手を挙げて喜ぶ所だけれども、それと同時に義兄さまの冷たい金の瞳が脳裏をよぎった。このまま行って後から知られたら面倒な事になるのは明白だったので、姉さまに頼んで連絡をとってもらったけれども……かなり渋られたらしい。
『どうしても、どうしても行くと言うなら、今から転送する仙具を全部持って行って』
そんな言葉が終わると同時に送られてきたのは、地上とでも会話出来るような特殊な仙具や各自の仙力を感知出来る仙具、大型動物や盗賊なんかを一瞬で撃退する術を埋め込んだ仙具等々の多種多様な仙具だった。ざっと見ても十はくだらなかったと思う。
ごちゃっと纏めて送られた仙具の量に引いている私の横で、姉さまはこんなに沢山持つの大変だから纏められる袋も送って欲しいと告げていた。その後すぐに送られてきた袋は、青を基調に銀の模様が入った巾着袋。青と銀色は義兄さまと姉さまのそれぞれの髪の色……その事に思い至り、義兄さまの独占欲の強さを思い知ってしまった。
「でも、ここまでの事なんて、私の事をとても大切に想って下さってるから出来る訳でしょう?」
「……まぁ、そうね」
そういう純粋な感情もあるのだろうが、その裏に見え隠れしている束縛的なほの暗い感情も見えるからこそ、盲目にはなり切れないのだ。
「最初にお会いした時は綺麗なお方としか思わなかったけれど……お話していく内にあの方の凄さとか愛情深さが分かって、だんだんと心を傾けるようになったのよね」
「そうだった……わね……」
姉さまには蕩けるような甘い言葉を吐き壊れやすい宝玉のように丁寧に接していた半面、その姉さまの唯一の枷であった私には大分冷酷だった。君達の実家を空ける訳にはいかないから当然君はあの家に残るんだよね、麗鈴が妹である君を大事にしているのは重々承知だけど結婚した後は僕の妻であるという立場が最優先だから、等々。それでも、姉さまの言う事やお願いには即座に対応してくれていたし安定した生活をしている人ではあったから、姉さまが辛い思いをする事はないだろうと思って背中を押したのだ。
「あのね、あの方にはまだ内緒にしていてほしいのだけれど」
「うん、何?」
「私、きっと……あの方相手になら使えると思って、あの特別な一曲を練習中なの」
「……え」
晴天の霹靂とはこの事か。突然知った事実のせいで、冷や水を浴びせられたような心地になる。
「歌詞は全部覚えたし、音も大分取れるようになったわ。後は、歌い込んで精度を高めていくだけ」
「そんなに、進んだの」
「そうなのよ。勿論、実際に使うとなると、それはあの方が苦しんでいるって事だから辛いけれど……でもね、そんな時に助けられてこそ、あの人の妻じゃないかって思って」
ふわりと花の様に微笑む姉さまを、ただ黙って眺めていた。結婚して相手を愛した以上は、そういう事になる可能性も十分考えられたけれど。そんな、こんな一年程で。
「……姉さまは、心から愛する人を見つけたのね」
「いずれ、きっと桐鈴の前にも現れるわ」
「そうかな……想像がつかないけれど」
「私が保証する。だって、桐鈴は私の可愛い可愛い妹だもの!」
拳を握り込んで力説してくれた姉さまに、何とか笑みを返す。零れ落ちていきそうな涙が嬉しいからなのか悲しいからなのかは、結局分からないままであった。
眩しそうに目を細めている姉さまへ、大声で呼び掛ける。いつも以上にはしゃいでいる自覚はあるが、致し方ないというものだ。
「どうしたの、桐鈴」
「こっちの方が、水が冷たくて気持ちが良いから」
「あら、本当ね」
姉さまは浴衣の裾を捲って足を水に浸けていた。髪につけているかんざしが、しゃらんと音を立てて揺れている。
「こうやって二人で出掛けるのは何時ぶりかしら」
「姉さまが結婚してからだから……半年ぶりくらい?」
「そんなに経っていたのね。それなら試験はもうすぐよね……準備はどう?」
「順調よ。筆記はほぼ満点だし、実技だって太鼓判をもらったわ」
「それなら、桐鈴が仕事仲間になる日も近いかしら」
「そうかもね。姉さまと肩を並べられるよう頑張るわ」
得意げに意気込みを語ると、姉さまは嬉しそうに顔を綻ばせた。明るくて優しくて、笑顔が綺麗で容姿も整っていて歌癒士としても優秀で、本当に出来た姉だと思う……ある一点を除いて。
「それにしても、なかなか会いにいけなくてごめんね。半年間あの家に一人で……寂しい思いをさせてしまっているわよね」
「仕方ない事だもの、気にしてないわ」
姉さまが嫁ぐと決まった時点で、この家を離れるなんて分かっていた事だ。だから、あの広い家に一人になろうと、ずっと一緒にいた姉さまと離れる事になって寂しかろうと、耐えて慣れていくしかないのである。
「せめて、どっちかでも戻ってきてくれたら良いのにねぇ」
「母さまはともかく、父さまは勤めがあるんだから難しいでしょ」
「そのお勤め、もうそろそろ任期が終わる筈だから」
「でも、すぐにまた飛ばされちゃうんじゃないの」
「うーん……めぼしい場所はもう全部派遣されてると思うけど……」
父さまは有能だから、天帝さまに重宝されている。そのため、中央の典薬部署で数十年働いた後に、立て直してくれと言って地方の支部へ矢継ぎ早に派遣されているのだ。根が生真面目な父さまはどこでもきっちりと成果を出すから、こっちにも、あっちにも、と色んな場所から呼ばれてどんどん中央から遠い場所に向かわされるようになってしまった。一度母さまが子供の事もあるから中央に戻してくれと言ったらしいが、人手不足を理由に断られたのだとか。
「本当に……私が、もっとこまめに帰る事が出来ていれば」
「何を言っているの。姉さまは嫁いだ身なんだから、義兄さまを優先しないと。だいたい、私はもう子供じゃないし」
「桐鈴が私の妹である事実は、何があっても変わらないわ。いつだって気にかけて心配しているに決まっているでしょう」
「それは、素直に嬉しいけど……」
両親は私が小さい頃から留守がちだったから、私の中心はいつだって姉さまだった。何かある度に姉さま姉さまと甘えていて、何をするにも一緒で。だから、結婚が決まった時は祝福する気持ちと同じくらい行かないでほしいという気持ちもあったし、寂しかった。今日だって、久々に二人きりで出掛けられて嬉しいけれども。
「……義兄さまが怖いのだもの」
その一言は、姉さまには聞こえないように呟いた。私にとっては、義兄さまは周到な手口で姉さまを掻っ攫っていって不必要に縛り付けてる嫌な奴という印象だが、姉さまにとっては自分の事を深く愛して大事にしてくれている愛しい旦那様なのだ。一日の大半を自宅で過ごすよう強要されても、姉さまの友人を家に呼ぶ事を制限されても、実家に帰る事すら滅多な事では許可を出さなくても、姉さまはそれを受け入れて義兄さまの傍にいるくらいなのだから。
そんな事を考えていると、かちかちと何かを打ち鳴らす音が聞こえてきた。あらあらと言いながら湖岸に上がった姉さまを何とも言えない気持ちで眺めつつ、私もそちらへと向かう。
「あなた? 大丈夫よ、ええ、少し離れた場所の方が、水が気持ち良かったから……」
けたたましい音を鳴らしていた仙具に向かって、姉さまが話しかけている。天界と地上での遠隔会話が可能な仙具なんて、よくもまぁ作れたものだ。
(……才能の無駄遣いって、こういう事を言うんだろうな)
義兄さまは仙具を開発している部署で長年働いているから、実に様々な仙具をこの世に生み出している。仙術を覚えたての幼子が簡単に使えるようなものから、複雑な仙術に使うような緻密な物まで幅広く開発しているので、中央の中では有名な人らしい。
だからこそ、地方派遣の合間に中央に訪れていた父さまに近づいて姉さまとの見合いの席を準備し、一回会った後は逃さないとばかりに外堀を埋めて囲い込んで姉さまの心まで掴んで……ふつふつと恨みがましい気持ちまで湧き上がってきてしまったので、大きく息を吸って深呼吸した。私の感情がどうあれ、姉さまはもうあの義兄の妻なのだ。本人同士で納得がいっているなら、どんなに悔しいかろうと私に口を挟む権利などない。
「話は終わったの?」
「ええ。私の仙力が感知出来なくなったから呼び出したみたい」
「……そう」
「私も桐鈴も大人なのに……心配性で困っちゃうわ」
「あれを心配性で済ませてる姉さまに驚きだわ……」
今日の水浴びも、本来なら私一人で行く予定だったのだ。普段から行っている場所だから、ぱぱっと行ってぱぱっと帰るつもりだったのだけども、半年ぶりの帰省が許されて戻ってきてた姉さまも一緒に行きたいと言い出した。
私としては、久々に姉さまと二人でいけるのだから諸手を挙げて喜ぶ所だけれども、それと同時に義兄さまの冷たい金の瞳が脳裏をよぎった。このまま行って後から知られたら面倒な事になるのは明白だったので、姉さまに頼んで連絡をとってもらったけれども……かなり渋られたらしい。
『どうしても、どうしても行くと言うなら、今から転送する仙具を全部持って行って』
そんな言葉が終わると同時に送られてきたのは、地上とでも会話出来るような特殊な仙具や各自の仙力を感知出来る仙具、大型動物や盗賊なんかを一瞬で撃退する術を埋め込んだ仙具等々の多種多様な仙具だった。ざっと見ても十はくだらなかったと思う。
ごちゃっと纏めて送られた仙具の量に引いている私の横で、姉さまはこんなに沢山持つの大変だから纏められる袋も送って欲しいと告げていた。その後すぐに送られてきた袋は、青を基調に銀の模様が入った巾着袋。青と銀色は義兄さまと姉さまのそれぞれの髪の色……その事に思い至り、義兄さまの独占欲の強さを思い知ってしまった。
「でも、ここまでの事なんて、私の事をとても大切に想って下さってるから出来る訳でしょう?」
「……まぁ、そうね」
そういう純粋な感情もあるのだろうが、その裏に見え隠れしている束縛的なほの暗い感情も見えるからこそ、盲目にはなり切れないのだ。
「最初にお会いした時は綺麗なお方としか思わなかったけれど……お話していく内にあの方の凄さとか愛情深さが分かって、だんだんと心を傾けるようになったのよね」
「そうだった……わね……」
姉さまには蕩けるような甘い言葉を吐き壊れやすい宝玉のように丁寧に接していた半面、その姉さまの唯一の枷であった私には大分冷酷だった。君達の実家を空ける訳にはいかないから当然君はあの家に残るんだよね、麗鈴が妹である君を大事にしているのは重々承知だけど結婚した後は僕の妻であるという立場が最優先だから、等々。それでも、姉さまの言う事やお願いには即座に対応してくれていたし安定した生活をしている人ではあったから、姉さまが辛い思いをする事はないだろうと思って背中を押したのだ。
「あのね、あの方にはまだ内緒にしていてほしいのだけれど」
「うん、何?」
「私、きっと……あの方相手になら使えると思って、あの特別な一曲を練習中なの」
「……え」
晴天の霹靂とはこの事か。突然知った事実のせいで、冷や水を浴びせられたような心地になる。
「歌詞は全部覚えたし、音も大分取れるようになったわ。後は、歌い込んで精度を高めていくだけ」
「そんなに、進んだの」
「そうなのよ。勿論、実際に使うとなると、それはあの方が苦しんでいるって事だから辛いけれど……でもね、そんな時に助けられてこそ、あの人の妻じゃないかって思って」
ふわりと花の様に微笑む姉さまを、ただ黙って眺めていた。結婚して相手を愛した以上は、そういう事になる可能性も十分考えられたけれど。そんな、こんな一年程で。
「……姉さまは、心から愛する人を見つけたのね」
「いずれ、きっと桐鈴の前にも現れるわ」
「そうかな……想像がつかないけれど」
「私が保証する。だって、桐鈴は私の可愛い可愛い妹だもの!」
拳を握り込んで力説してくれた姉さまに、何とか笑みを返す。零れ落ちていきそうな涙が嬉しいからなのか悲しいからなのかは、結局分からないままであった。
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