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詳細は省いたものの、しばらくの間、遅い時間に昼休憩を取りたいとお願いすると、あっさりと承諾してくれた。斉藤は「テナントの社員さんだから遠慮してたけど、本当は子供の送り迎えもあるため早めに昼食を取りたかった」と教えてくれた。食堂も遅い時間になるとメニューの選択肢は限られてきてしまうが、座席は空いているし、何より相田の姿を見なくても良い。たまに店には現れるが他のスタッフが対応する時もあるし、優花しかいないときでも適度な距離感を保って、失礼のない程度には対応していたつもりだ。
「お疲れ。そういえば、社内研修のスケジュール出しておいたけど見た?」
バックヤードの近くにある休憩室で午後の休憩を取っていると、優花のとなりにパンツスーツの女性がどかっと座ってきた。
「社内研修……あっ! そういえばまだでした」
「あれ、テナントも全員参加だからね。一日一時間、五回講座」
沢村美加はデパートの正社員で優花が働く雑貨店が入っている生活雑貨フロアのサブマネージャーだ。肩の上でパッツンと揃えられた黒髪はいかにもバリバリのキャリアウーマンそのものだ。まだテナントに入ってきて不慣れな優花の面倒をみてくれていたこともあり、優花より二つ年上の美加は頼れる存在だった。
「入社の時に研修やってるのになんでまたやらないといけないのかねぇ」
「それ社員の美加さんが言っちゃいけないことだと思いますけど……」
「いいのいいの。無駄な時間過ごすより裏方の仕事をするとか、フロア立つとかしてる方が有意義じゃない」
美加はこのデパートの新入社員として入社し、様々なフロアを経験してきた。優花がこのデパートで働くようになって三年。その頃はまだ肩書きはなかったが、既にこのフロアを牛耳っていたと言っても過言ではない。それぐらい、デキる女だった。
「美加さん……このスケジュールって確定ですか?」
話を聞きながら休憩室に張り出されていた研修スケジュールを確認する。ご丁寧にどのテナントの誰がどの回に参加するかまで記入されている。優花は自分の名前を見つけると恐る恐る美加に尋ねた。
「ん? そうよ。だから全部のテナントにシフト表出させたんじゃない。まぁバイトの子とかは簡易版でやってもらうけど、テナントの社員はちゃんと、みっちり出てもらうわよ」
優花はもう一度スケジュールを確認する。せっかく斉藤に時間を調整してもらったのに、この研修スケジュールではいつもの時間にお昼を取らざるを得ない。どうしようかと考えていると優花の表情に気が付いた美加がはっとして口を開いた。
「あ~、ごめん。外商の相田の件あったわね。私も見たわよ。早速若い女捕まえて飯食ってたし」
「あはは。多分、大丈夫ですよ。もうそんなに気にならないと思いますし……多分」
優花は作り笑いを浮かべて美加にそう告げる。美加は優花と相田の関係を知っている数少ない人物だ。美加は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「早番の人は昼休憩入ってもらってそのまま研修に行ってもらおうと思ってたのよね。えーっと、私がランチ一緒に行く、とか……あ、でもそうするとフロアが手薄になるし……」
ああでもない、こうでもないと美加は色んな策を考えてくれたが、優花は手を振ってそれを拒否した。
「いいんです! ほら、密室に二人っきりってワケじゃないし。この間だってなんとかなったから、うん」
「でも、多分その後の研修も一緒だと思うのよね。外商ってシフト勤務じゃないから」
「うっ、でも他の人も沢山いますから……」
同じ時間の研修で同じ室内にいたとしても二人っきりでなければ大丈夫だ。そう言い聞かせて優花は自分で自分を納得させようとした。食堂にいけないとなると休憩室で簡単に食べられるサンドイッチかおにぎりか。もしくは一時外出手続きをして外にご飯を食べに行くか。出来れば食堂にいくのは避けたいところだった。
「しばらくは冷たいご飯かなぁ……」
そう呟くと美加はまた申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「あの、良かったら一緒にランチどうですか?」
「えっ?」
突然、優花と美加の斜め向かいのソファに座っていた男が話しかけてきた。ジーンズにパーカー、くせ毛気味の黒髪が瞳を見え隠れさせている。どこか小型犬の用にもみえるその頭を見て、同じフロアにこんな人がいただろうかと考える。親しく話はしなくとも、同じフロアの人の顔は大体覚えているからだ。
「えっと……」
「どこの店舗の方ですか?」と聞こうとしたところで突然、美加が立ち上がって身なりを整えた。
「こんなところにいらっしゃるとは……失礼いたしました。フロアサブマネージャーの沢村美加です」
美加はポケットから名刺を取り出すとその男性に名刺を差し出した。男性も同じように立ち上がるとポケットから名刺を取り出す。
「あ、サブマネさんなんですね。ハルキデザイン事務所でデザイナーをしている秋月颯太です。よろしくお願いします」
秋月颯太と名乗った男性は、ぺこりとお辞儀をして美加と名刺交換をした。優花はなんのことかと二人のやりとりとただ呆然と眺めるしかなかった。
「打ち合わせまでまだお時間ありましたよね?」
「えぇ。ディレクターが来る前にフロアがどんな感じが見たくて、少し探検させてもらってました」
打ち合わせということは業者の人なのだろうかと考えていると、美加がこちらに話を振ってきた。
「各フロアの中央スペースのオブジェのデザインをこちらにお願いしているの。そのデザイナーさんなのよ」
「デザイナーさんなんですね。あ、井波優花です。このフロアにあるモロッコ雑貨のお店で働いてます。よろしくお願いします」
「井波優花さん……。じゃあ優花さん、て呼んでもいいですか? 僕のことも気軽に下の名前で呼んでくれてかまわないですから」
「えっ、あ、はい」
差し出された手を握る。そのくせ毛の奥に見える瞳が柔らかく細められた気がして優花の心臓が一瞬だけ跳ねる。あまり出会わないタイプの人に少し緊張しているのだろうかと柄にもなく思ってしまう。
「来週の金曜日までは毎日ここに顔を出す予定があるんです。お困りのようだったので、だったらランチでも一緒にどうかなって思ったんですけど……」
「でも……」
優花は困ってチラリと美加に視線を向けた。
「別お昼を一緒に食べるぐらいいいんじゃないの。仕事をさぼるわけじゃないんだから」
美加は業務外のことは関知しませんと言わんばかりの態度でそう告げた。そうなのかとほっとしていると美加の言葉に食いついてきたのは颯太の方だった。
「そうですよ。それで、さっき少し話を聞いてたんですけど、一緒にランチ食べて恋人のフリをするとか、必要そうですか?」
「えっ……!」
優花は思わず持っていた空になった水のペットボトルをくしゃりと潰してしまう。
「若い女の子とどうのこうのって。もしかしたら元カレさんかな、と思って」
一から全てを話した訳ではないのに、ましてや全くこちらの事情を知らない赤の他人にそこまで見破られてしまったのかと青ざめる。恋バナに目ざとい女子ならいざ知らず、男性なのにそこまで推測されてしまうなんてと、今度は恥ずかしくなってきた。
「や、やっぱりいいです……。お仕事で来てるのに、全然関係ないことをお願いなんて出来ません」
「なんで? 迷惑ですか?」
「私は迷惑なんかじゃ……!」
「じゃあいいですよね。僕はむしろラッキーだなって思うんですけど。っていうか、優花さん僕より年上ですよね。敬語使わないで全然良いですよ」
「えっと、いくつ、ですか?」
「二十四です」
「年下、ですね……」
見た目は優男風なのにぐいぐいと迫ってくる勢いに優花は圧倒されてしまう。年下の、しかも初対面の男性に迫られたことなんてなくてどうあしらっていいのかもわからない。
「秋月さん。そろそろミーティングの時間ですから行きましょう」
戸惑っているとそこに助け船を出してくれたのは美加だった。美加は取引先でもある秋月の機嫌を損ねず角が立たないよう配慮しているようだ。
「残念。もうそんな時間なんですね。そしたら明日ここで待ち合わせしましょう」
それだけを言い残すと颯太と美加は休憩室を出て行ってしまった。突然の出来事に優花はただ呆然と立ち尽くすだけだ。
「明日から、ランチタイムだけ……」
秋月颯太という人物がどんな人かまだ分からない。ただ、あの瞳に宿った何かだけは感じ取っていた。
「なるようにしかならないのかな」
本当に明日もここに来るのかわからない。ましてや外部の人間だし、連絡先も交換していない。期待半分にしておくのが良いのかもしれないと、優花は売り場へと戻っていくのだった。
「お疲れ。そういえば、社内研修のスケジュール出しておいたけど見た?」
バックヤードの近くにある休憩室で午後の休憩を取っていると、優花のとなりにパンツスーツの女性がどかっと座ってきた。
「社内研修……あっ! そういえばまだでした」
「あれ、テナントも全員参加だからね。一日一時間、五回講座」
沢村美加はデパートの正社員で優花が働く雑貨店が入っている生活雑貨フロアのサブマネージャーだ。肩の上でパッツンと揃えられた黒髪はいかにもバリバリのキャリアウーマンそのものだ。まだテナントに入ってきて不慣れな優花の面倒をみてくれていたこともあり、優花より二つ年上の美加は頼れる存在だった。
「入社の時に研修やってるのになんでまたやらないといけないのかねぇ」
「それ社員の美加さんが言っちゃいけないことだと思いますけど……」
「いいのいいの。無駄な時間過ごすより裏方の仕事をするとか、フロア立つとかしてる方が有意義じゃない」
美加はこのデパートの新入社員として入社し、様々なフロアを経験してきた。優花がこのデパートで働くようになって三年。その頃はまだ肩書きはなかったが、既にこのフロアを牛耳っていたと言っても過言ではない。それぐらい、デキる女だった。
「美加さん……このスケジュールって確定ですか?」
話を聞きながら休憩室に張り出されていた研修スケジュールを確認する。ご丁寧にどのテナントの誰がどの回に参加するかまで記入されている。優花は自分の名前を見つけると恐る恐る美加に尋ねた。
「ん? そうよ。だから全部のテナントにシフト表出させたんじゃない。まぁバイトの子とかは簡易版でやってもらうけど、テナントの社員はちゃんと、みっちり出てもらうわよ」
優花はもう一度スケジュールを確認する。せっかく斉藤に時間を調整してもらったのに、この研修スケジュールではいつもの時間にお昼を取らざるを得ない。どうしようかと考えていると優花の表情に気が付いた美加がはっとして口を開いた。
「あ~、ごめん。外商の相田の件あったわね。私も見たわよ。早速若い女捕まえて飯食ってたし」
「あはは。多分、大丈夫ですよ。もうそんなに気にならないと思いますし……多分」
優花は作り笑いを浮かべて美加にそう告げる。美加は優花と相田の関係を知っている数少ない人物だ。美加は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「早番の人は昼休憩入ってもらってそのまま研修に行ってもらおうと思ってたのよね。えーっと、私がランチ一緒に行く、とか……あ、でもそうするとフロアが手薄になるし……」
ああでもない、こうでもないと美加は色んな策を考えてくれたが、優花は手を振ってそれを拒否した。
「いいんです! ほら、密室に二人っきりってワケじゃないし。この間だってなんとかなったから、うん」
「でも、多分その後の研修も一緒だと思うのよね。外商ってシフト勤務じゃないから」
「うっ、でも他の人も沢山いますから……」
同じ時間の研修で同じ室内にいたとしても二人っきりでなければ大丈夫だ。そう言い聞かせて優花は自分で自分を納得させようとした。食堂にいけないとなると休憩室で簡単に食べられるサンドイッチかおにぎりか。もしくは一時外出手続きをして外にご飯を食べに行くか。出来れば食堂にいくのは避けたいところだった。
「しばらくは冷たいご飯かなぁ……」
そう呟くと美加はまた申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「あの、良かったら一緒にランチどうですか?」
「えっ?」
突然、優花と美加の斜め向かいのソファに座っていた男が話しかけてきた。ジーンズにパーカー、くせ毛気味の黒髪が瞳を見え隠れさせている。どこか小型犬の用にもみえるその頭を見て、同じフロアにこんな人がいただろうかと考える。親しく話はしなくとも、同じフロアの人の顔は大体覚えているからだ。
「えっと……」
「どこの店舗の方ですか?」と聞こうとしたところで突然、美加が立ち上がって身なりを整えた。
「こんなところにいらっしゃるとは……失礼いたしました。フロアサブマネージャーの沢村美加です」
美加はポケットから名刺を取り出すとその男性に名刺を差し出した。男性も同じように立ち上がるとポケットから名刺を取り出す。
「あ、サブマネさんなんですね。ハルキデザイン事務所でデザイナーをしている秋月颯太です。よろしくお願いします」
秋月颯太と名乗った男性は、ぺこりとお辞儀をして美加と名刺交換をした。優花はなんのことかと二人のやりとりとただ呆然と眺めるしかなかった。
「打ち合わせまでまだお時間ありましたよね?」
「えぇ。ディレクターが来る前にフロアがどんな感じが見たくて、少し探検させてもらってました」
打ち合わせということは業者の人なのだろうかと考えていると、美加がこちらに話を振ってきた。
「各フロアの中央スペースのオブジェのデザインをこちらにお願いしているの。そのデザイナーさんなのよ」
「デザイナーさんなんですね。あ、井波優花です。このフロアにあるモロッコ雑貨のお店で働いてます。よろしくお願いします」
「井波優花さん……。じゃあ優花さん、て呼んでもいいですか? 僕のことも気軽に下の名前で呼んでくれてかまわないですから」
「えっ、あ、はい」
差し出された手を握る。そのくせ毛の奥に見える瞳が柔らかく細められた気がして優花の心臓が一瞬だけ跳ねる。あまり出会わないタイプの人に少し緊張しているのだろうかと柄にもなく思ってしまう。
「来週の金曜日までは毎日ここに顔を出す予定があるんです。お困りのようだったので、だったらランチでも一緒にどうかなって思ったんですけど……」
「でも……」
優花は困ってチラリと美加に視線を向けた。
「別お昼を一緒に食べるぐらいいいんじゃないの。仕事をさぼるわけじゃないんだから」
美加は業務外のことは関知しませんと言わんばかりの態度でそう告げた。そうなのかとほっとしていると美加の言葉に食いついてきたのは颯太の方だった。
「そうですよ。それで、さっき少し話を聞いてたんですけど、一緒にランチ食べて恋人のフリをするとか、必要そうですか?」
「えっ……!」
優花は思わず持っていた空になった水のペットボトルをくしゃりと潰してしまう。
「若い女の子とどうのこうのって。もしかしたら元カレさんかな、と思って」
一から全てを話した訳ではないのに、ましてや全くこちらの事情を知らない赤の他人にそこまで見破られてしまったのかと青ざめる。恋バナに目ざとい女子ならいざ知らず、男性なのにそこまで推測されてしまうなんてと、今度は恥ずかしくなってきた。
「や、やっぱりいいです……。お仕事で来てるのに、全然関係ないことをお願いなんて出来ません」
「なんで? 迷惑ですか?」
「私は迷惑なんかじゃ……!」
「じゃあいいですよね。僕はむしろラッキーだなって思うんですけど。っていうか、優花さん僕より年上ですよね。敬語使わないで全然良いですよ」
「えっと、いくつ、ですか?」
「二十四です」
「年下、ですね……」
見た目は優男風なのにぐいぐいと迫ってくる勢いに優花は圧倒されてしまう。年下の、しかも初対面の男性に迫られたことなんてなくてどうあしらっていいのかもわからない。
「秋月さん。そろそろミーティングの時間ですから行きましょう」
戸惑っているとそこに助け船を出してくれたのは美加だった。美加は取引先でもある秋月の機嫌を損ねず角が立たないよう配慮しているようだ。
「残念。もうそんな時間なんですね。そしたら明日ここで待ち合わせしましょう」
それだけを言い残すと颯太と美加は休憩室を出て行ってしまった。突然の出来事に優花はただ呆然と立ち尽くすだけだ。
「明日から、ランチタイムだけ……」
秋月颯太という人物がどんな人かまだ分からない。ただ、あの瞳に宿った何かだけは感じ取っていた。
「なるようにしかならないのかな」
本当に明日もここに来るのかわからない。ましてや外部の人間だし、連絡先も交換していない。期待半分にしておくのが良いのかもしれないと、優花は売り場へと戻っていくのだった。
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